神道 日本の伝統と倫理観

仏教や神道を改めて整理してみると、これらの宗教というものが生活の中に習慣、慣習として完全に溶け込んでおり、無意識の中で身についているものだということに、気付かされます。
他国に比べると、日本人には無宗教な人が多いと言われがちですし実際我々もそう思い込んでいますが、それはあえて意識し規律・規範として守らなければならない戒律のようなものではないですし、宗教として常に意識しておかねばならないようなものでもないのです。
そういった意味では、日本人程無意識に自然に伝統的宗教を守っている民族はないとも言えますし、そこに改めて自負の念を抱かざるを得ません。

先に神仏習合でも触れましたが、日本の伝統的宗教とは神道であって実体はそうともいえない曖昧な部分があるがために、どうも宗教というものに無自覚にならざるを得ない点もありますので、ここでは改めてそのあたりを整理しておきたいと思います。

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【古神道】
”日本人の習俗・習慣”として、自然崇拝、家・集団組織の観念のもとに生活習慣となって現れてくるもので、日本人のものの考え方、習慣、文化の原点となります。
神道、仏教、儒教 事始め”でも少し整理してありますが、これは古来”祭りや祭儀”として生活の中にあり生活習慣となっていると共に”自然崇拝の心”の現れとなっており、今日でも地方的祭り、神社の祭礼などの形で残っているものです。

【日本神話の神道】
”古事記、日本書紀”の神々の体系とそれに基づく神道組織となります。
天皇支配の正当性と貴族たちの職能と位置付けを示したもので、日本神話として表されており、神社の神の多くはここの神様達となっています。
ですので、日本民衆の神というよりは、朝廷の由来を語るものとして支配者の思想が基づいた神となります。
また、ここから神話の形態を更に思想化したものとして、伊勢神道とか吉田神道、復古神道といったものに発展していきます。

【国家神道】
日本国家主義・軍国主義の思想的基盤となっていたもので、日本は神の国として世界の中心にあり、諸周辺国はすべて日本の支配下にあるべきとまでした、ナショナリズム色の強い思想です。
やがてこの思想は大東亜共栄圏構造にまで発展し、アジアを一つにまとめようという大義名分のもと、日本は太平洋戦争を始めてしまいます。
戦後になっても、神道というとこの国家神道的な見られ方をすることが(特に諸外国からは)多いのですが、私がここで整理している神道とは、どちらかというと”日本人の習俗・習慣”としての生活習慣となっている古神道の方だとご理解ください。

【教派神道】
明治時代以降、国家神道に反発して、神道の宗教性を強調して作っていった宗教教団に該当するものです。
主に教派としては13派程あります。(諸説議論もあるところでしょうが、例えば”天理教、御岳教、大隅教”等があります)

他の神道はこの「根源の神道」をベースにし、意識的に一部を強調したり、自分の主張に都合よく「改変したり」「付け足したり」、あるいは「別途に物語を作って」形成したものです。しかし、「根源の神道」というのは一般庶民の生活習慣そのものですので、実際、「宗教として意識されない」ということがあります。このことは重要な意味をもっていますので、取り敢えずそういうこととして心にとめておいて下さい。ということは「神の姿も朧ではっきりしていない」、ということを含んでいるからです。現代の日本人にとって「日本の神」ははっきりしていないというのは実感されているでしょうが、これは「現代」だからということではなく、「元来が」そういう性格なのだということなのです。日本の神というのは「世界一姿が隠れている神」なのです。

【日本人にとっての神とは】
では、生活習慣として根付いている古神道の神とはどういったものでしょう?

それは、私達が神社にお参りに行った際の行いに最も顕著に表れています。
私達は神社で手を合わせるとき、”どこどこ、誰々の神様”という風に、明確に意識してお参りしている訳ではなく、単なる”神様”であることに気付くはずです。
また私たちは、何かあると神社にいってお賽銭をあげ、何か頼みごとをする行動をしています。
そして神社にいっては”うまくいくようお願い事”をしています。
つまり私達は、一生の始めから神様に世話になり、死ぬ直前まで病気回復の祈願などで世話になって、一年を神の行事で過ごしているのです。(亡くなってしまうと、お寺でお世話になるんですけどね)
自然崇拝に基づいた日本人の神意識においては、神々に本質的な区別などはないので、誰であっても神様ならそれでいいという考え方なのです。
(いやそうではない、例えば、学業成就を願って天神様に祈るという固有の願いの仕方もあるではないか、と言われるかもしれませんが、これは元々菅原道真が怨霊として祟りや禍いをもたらしていたものを、祭り上げ鎮守した結果、どういう訳か神格化されてたまたま学問に優れていたから学問の神になったに過ぎないのです、
縁結びの神として有名な出雲大社にしても同様ですね)
後世になってなんとなく神様として祭り上げられたという例は確かに幾つかありますがが、とはいっても私達は神様として御利益があるか否か、人の力の及ばない部分を神様の力を借りて補ったり助けて貰えるかだけが問題で、手を合わせるときに固有の神として意識していないことは自明です。
当然、人知を超えた力を頼むのですから、力関係から見て強い神社に行くというのは自然な行動でしょうし、そこに頼る、頼むというのが日本人にとっての民族宗教の基本の在り方という訳なのです。

次に、日本神道における力というものについて、です。

神様は、生命力・生産力の象徴として表現されています。
それは私達に、豊作、健康、子宝、繁栄、成功をもたらしてくれるもので、困れば助け苦難や悪から守ってくれることが期待されているものです。
そのため、神というのは人々の繁栄の願いに基づき祭られるものであって、人々の生活に密着した神との関わりを持つ行事は”生活習慣”となっていたのです。
ですから、今でも祭りは私達にとって生活の柱になっていまし、それは地方に行くほど根強く残っています。
人々は祭りを通して地域社会の一員であることを確認し、地域社会の一員として生活していくのです。

この神様への力、生命力、生産力という観念は、それに対する畏怖の感情をも持っている訳で、自然の偉大さに対する恐れと同時に畏敬の念も持ちあわせています。
私たち日本人の伝統的宗教観念は、この”自然崇拝”にあるといっても過言ではありません。
ですので、神といっても姿・形がイメージされることは少なく、人格化されることがないのも、当然といえば当然なのだと思います。

最後に、日本神道の性格について、幾つか整理しておきます。

【むすび】
産霊、産巣日、産日、産魂などと表記され、生産力や生命力を意味します。
”むす”が産むという意味で、霊力を表す”ひ”と繋がり、産み成す神霊という意味になります。
こうした神観念が、土地との絡みで考えられた時”産土神(うぶすなかみ)”と表現され、これがやがて”氏神”や”鎮守神”となって山に対する信仰となります。
山への信仰は、そこに宿り実りをもたらす力が神として崇められていることを示します。
そして、この神が里に降りてくれば”田の神”、池や川にあれば”水の神”に、大きな岩は磐座(いわくら)に、大木は神木になるのです。
要は、自然的な生命力が見られるものであれば何にでも宿り、それを神として祭ったわけです。

【祭り】
祭りとは、本来は神様を迎えその託宣を仰ぐものであり、神を招いて供応し、捧げものでもてなし喜ばせて力をつけてもらった上で、自分達もその力の恩恵を授かるために祈願し、繁栄を享受しようというものです。
祭りには歌舞がつきものですが、そもそもこれは人々を慰めるためのものではなく、神の意思が体現される場としての役割を果たしています。
祭りは”まつらう、たてまつる”ことを意味し、神様に”奉る”とも解釈されます。
それは神を喜ばせるもの、力を充電して差し上げた上で、自分達もその力を授かろうとするものなので、まず”汚れ”を払った上で招き寄せ、宿るべき”依代(よりしろ)”に神を宿らせ、食事(神饌)を差し上げ、歌舞で神意を問い、例えば春祭りなら農耕の所作を演じて豊作を願ったりするために、必然的に大掛かりなものにならざるを得ませんでした。
”神輿(みこし)”も、要は”持ち運びが可能な縮小サイズの神社”を表しているので、ここに神様に鎮座して頂き、神様の力を授かれるように、祭りで地域内に運んでいく訳です。
”神輿”を担いで激しく振ったり揺すったりするのも、神様の力を強くして頂くために奮い立たせる目的があるといいます。
神輿同士が喧嘩するのは、神様を鼓舞し強くすることや、村落内の集団同士で豊作占いの勝負を行ったものが形骸化したものと言える訳です。
(祭りには喧嘩がつきものなんていいますが、それも豊作を巡る恩恵の奪い合いから来ているのかもしれません)

【氏神と氏子】
シマ、クニ、集団帰属性といったものです。
何をいうのかというと、祭り自体が地域限定である以上、神様の支配にも地域限定性があるということです。
それぞれの地域にはそれぞれに支配する神が居て、その神様の力は自分の領域内である結界にしか及ばないというのが一般的です。
この、神がその「領域を占める」働きのことを「シル」といいますが、これは要するに、
この境界の限定された空間をシマ、クニといい、それを神様自身の地としてしめ縄を張って”占め”他者の侵入を許さない”縄張り”を持っているという意味になります。
縄張りという語源も、この神様の結界をしめ縄で張った空間、というところからきているのです。
地域の神様は守り神として”氏神”と呼ばれ、住民はその”氏子”として恩恵を授かる構造を作っています。
こうしたことは、地域を構成する集団として人々は認識され、集団を維持・繁栄させる使命を神様が担っているということになります。
日本人の群れたがる性格や仲間や集団と一緒に物事をなすことが得意なことも、こうした”氏神と氏子”による集団帰属性、集団・社会優先の倫理によるものなのかもしれません。

【禊・祓い】
日常的な汚れの考え方として、病気や怪我、そして自然災害などの災い、人間的我欲、我執、怨念などがあります。
生きているのですから、必然的にこのようなもので蓄積され汚れていくのは当然なのですが、これを払い除けてきれいになる、という行為が”禊・祓い”というものです。
”禊”は、古事記にあるように具体的なけがれを”洗い流す”ものですが、特別汚れがあるわけでなくとも、日常的に身についた汚れを落とすため、昔なら水行や荒行などを行ったりされてきました。
今日では”禊とお祓い”の区別も曖昧になってきていますが、火祭りや海、川などに入っての神事、神社で手や口をそそぐといった行為も、禊によるものです。
また”祓い”はむしろ具体的な汚れや予期されるものに対して”祓い落とす”ためのもので、現代でも厄年の時や車を買った時などには神社でお祓いをすることがそれにあたります。
元来、人間には本来的な罪というのはなく汚れは外からくるもので、それを祓い落とせばきれいになるという考え方があるのも、こういった考え方から来ているようです。
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