歴史や古典から学ぶこと!100年前・69年前から日本の未来を見据えてみよう!

今年は第一次世界大戦から100年という節目で、来年(2015年)は敗戦から70年という時期にあたり、私達は改めて歴史から学ぶことが肝要です。
戦後の歴史教育では、しっかりと近代史に踏み込まず、昭和の敗戦とは何か?どういったものなのか?本当に何が起きていたのか?なぜ起きたのか?を考えないまま、にここまで至っています。
今回は、そうしたことに少し触れてみたいと思います。

まず、何故日本が第一次世界大戦に参戦していったのか?を私達は良く知りません。

1914年という時期は、明治維新から60年弱の年月を経て、維新動乱の激動を生きた世代が(当時の寿命を考えると)ほとんどいなくなってしまっている時期でした。
当時は日露戦争に勝利して10年ほどが経過しており、日本が世界とあたかも対等な立場であるかのような認識の下に、その熱の真っ只中にあった時期です。
そして、戦争の痛みを肌でわかっている世代がいない中、サラエボ事件に端を発する欧州の混乱に乗じ、日本が戦争という道具で海外(特に欧州)に打って出ようと画策したことは、当時の日本の勢いを考えてもおそらく間違いないでしょう。
当時はまさにイギリスと同盟(日英同盟)を結んでいたことから、日本はその大義名分の下に集団的自衛権の発動を行い、ドイツに宣戦布告した訳です。
当時、どこの国も日本が参戦することなど望んでいなかったと思われますが、中国にあるドイツの植民地奪回という名目のために、日本が自ら戦争に参戦していった訳です。

第一次世界大戦とはまさに、オスマン、ロシア、ドイツ、オーストリア、ハンガリーといった帝国主義が終焉を迎えた転機となった出来事。
世界の流れは、帝国主義が斜陽化し、植民地化政策から次の新たな時代への転換点に移ろうとしていた時期ですが、日本だけはこうした世界情勢や流れを理解できていないまま、時代に逆行するように帝国主義・植民地化主義に突き進んでいったのです。
国際社会での立ち位置というものが見えておらず、国益だけを主張するばかりでは、何の成果も出てきません。
もしも、当時の日本がその流れを読み、世界秩序の変遷の流れに乗ることができていたなら、もしかすると世界をリードするような立場にも成りえたかもしれません。
ましてや、勝つ見込みのない太平洋戦争を引き起こして敗戦という結末に至るようなことにはなかったと思えるのです。
これは、当時の政治をリードする人物、日本を世界の舞台のリーダーへと引っ張る人物の不在が国を傾かせてしまった、歴史から見た紛れもない事実だと思えるのです。

そして今の日本は、戦後生まれの団塊世代が高齢者の年代に入っており、来年には戦後70年ということで、太平洋戦争を体験した人が希少となっている、戦争を知らない年代。
戦争を直視しておらず、その悲惨な影は知っていても、身をもって体験した世代が消えてしまっている今、まさに第一次世界大戦や太平洋戦争と同じような歴史の過ちを繰り返すのではないか、と危惧されるのです。

どうですか、この歴史の状況は、時期的にまさに今の日本や中国から見た、今後の未来を示唆しているとは思えませんか?
100年前の日本の状況が、またこの時代にも再来しないか、その萌芽が見え隠れしていませんか?

現代に抱えている課題を見極め、歴史や古典に学ぶことから、同じ過ちを繰り返さないことが肝要です。
私がこのブログで、古典から学ぶきっかけを少しずつ切り出しているのも、その一環。
来年に向けて、もう少しアジア地域の未来について、精神練磨してしっかりと見つめ直す時期に来ています。
私達ひとりひとりが、きちんと考える力を付けることから、始めて参りましょう。