【源氏物語】 (捌拾肆) 玉鬘 第二章 玉鬘の物語 大夫監の求婚と筑紫脱出

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇の親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「玉鬘」の物語の続きです。
【源氏物語】 (壱) 第一部 はじめ

第二章 玉鬘の物語 大夫監の求婚と筑紫脱出
 [第一段 大夫の監の求婚]
 大夫の監といって、肥後の国に一族が広くいて、その地方では名声があって、勢い盛んな武士がいた。恐ろしい無骨者だがわずかに好色な心が混じっていて、美しい女性をたくさん集めて妻にしようと思っていた。この姫君の噂を聞きつけて、
 「ひどい不具なところがあっても、私は大目に見て妻にしたい」
 と、熱心に言い寄って来たが、とても恐ろしく思って、
 「どうかして、このようなお話には耳をかさないで、尼になってしまおうとするのに」
 と、言わせたところが、ますます気が気でなくなって、強引にこの国まで国境を越えてやって来た。
 この男の子たちを呼び寄せて、相談をもちかけて言うことには、
 「思い通りに結婚出来たら、同盟を結んで互いに力になろうよ」
 などと持ちかけると、二人はなびいてしまった。
 「最初のうちは、不釣り合いでかわいそうだと思い申していましたが、我々それぞれが後ろ楯と頼りにするには、とても頼りがいのある人物です。この人に悪く睨まれては、この国近辺では暮らして行けるものではないでしょう」
 「高貴なお血筋の方といっても、親に子として扱っていただけず、また世間でも認めてもらえなければ、何の意味がありましょうや。この人がこんなに熱心にご求婚申していられるのこそ、今ではお幸せというものでしょう」
 「そのような前世からの縁があって、このような田舎までいらっしゃったのだろう。逃げ隠れなさろうとも、何のたいしたことがありましょうか」
 「負けん気を起こして、怒り出したら、とんでもないことをしかねません」
 と脅し文句を言うので、「とてもひどい話だ」と聞いて、子供たちの中で長兄である豊後介は、
 「やはり、とても不都合な、口惜しいことだ。故少弍殿がご遺言されていたこともある。あれこれと手段を講じて、都へお上らせ申そう」
 と言う。娘たちも悲嘆に泣き暮れて、
 「母君が何とも言いようのない状態でどこかへ行ってしまわれて、その行方をすら知らないかわりに、人並に結婚させてお世話申そうと思っていたのに」
 「そのような田舎者の男と一緒になろうとは」
 と言って嘆いているのも知らないで、「自分は大変に偉い人物と言われている身だ」と思って、懸想文などを書いてよこす。筆跡などは小奇麗に書いて、唐の色紙で香ばしい香を何度も何度も焚きしめた紙に、上手に書いたと思っている言葉が、いかにも田舎訛がまる出しなのであった。自分自身でも、この次男を仲間に引き入れて、連れ立ってやって来た。

 [第二段 大夫の監の訪問]
 三十歳ぐらいの男で、背丈は高く堂々と太っていて、見苦しくないが、田舎者と思って見るせいか嫌らしい感じで、荒々しい動作などが、見えるのも忌まわしく思われる。色つやも元気もよく、声はひどくがらがら声でしゃべり続けている。懸想人は夜の暗闇に隠れて来てこそ、夜這いとは言うが、ずいぶんと変わった春の夕暮である。秋の季節ではないが、おかしな懸想人の来訪と見える。
 機嫌を損ねまいとして、祖母殿が応対する。
 「故少弍殿がとても風雅の嗜み深くご立派な方でいらしたので、是非とも親しくお付き合いいただきたいと存じておりましたが、そうした気持ちもお見せ申さないうちに、たいそうお気の毒なことに、亡くなられてしまったが、その代わりにひたむきにお仕え致そうと、気を奮い立てて、今日はまことにご無礼ながら、あえて参ったのです。
 こちらにいらっしゃるという姫君、格別高貴な血筋のお方と承っておりますので、とてももったいないことでございます。ただ、私めのご主君とお思い申し上げて、頭上高く崇め奉りましょうぞ。祖母殿がお気が進まないでいられるのは、良くない妻妾たちを大勢かかえていますのをお聞きになって嫌がられるのでございましょう。しかしながら、そんなやつらを、同じように扱いましょうか。わが姫君をば、后の地位にもお劣り申させない所存でありますものを」
 などと、とても良い話のように言い続ける。
 「いえどう致しまして。このようにおっしゃって戴きますのを、とても幸せなことと存じますが、薄幸の人なのでございましょうか、遠慮致した方が良いことがございまして、どうして人様の妻にさせて頂くことができましょうと、人知れず嘆いていますようなので、気の毒にと思ってお世話申し上げるにも困り果てているのでございます」
 と言う。
 「またっく、そのようなことなどご遠慮なさいますな。万が一、目が潰れ、足が折れていらしても、私めが直して差し上げましょう。国中の仏神は、皆自分の言いなりになっているのだ」
 などと、大きなことを言っていた。
 「何日の時に」と日取りを決めて言うので、「今月は春の末の月である」などと、田舎めいたことを口実に言い逃れる。

 [第三段 大夫の監、和歌を詠み贈る]
 降りて行く際に、和歌を詠みたく思ったので、だいぶ長いこと思いめぐらして、
 「姫君のお心に万が一違うようなことがあったら、どのような罰も受けましょうと
  松浦に鎮座まします鏡の神に掛けて誓います
 この和歌は、上手にお詠み申すことができたと我ながら存じます」
 と言って、微笑んでいるのも、不慣れで幼稚な歌であるよ。気が気ではなく、返歌をするどころではなく、娘たちに詠ませたが、
 「私は、さらに何することもできません」
 と言ってじっとしていたので、とても時間が長くなってはと困って、思いつくままに、
 「長年祈ってきましたことと違ったならば
  鏡の神を薄情な神様だとお思い申しましょう」
 と震え声で詠み返したのを、
 「待てよ。それはどういう意味なのでしょうか」
 と、不意に近寄って来た様子に、怖くなって、乳母殿は、血の気を失った。娘たちは、さすがに、気丈に笑って、
 「姫君が、普通でない身体でいらっしゃるのを、せっかくのお気持ちに背きましたらなら、悔いることになりましょうものを、やはり、耄碌した人のことですから、神のお名前まで出して、うまくお答え申し上げ損ねられたのでしょう」
 と説明して上げる。
 「おお、そうか、そうか」とうなづいて、「なかなか素晴らしい詠みぶりであるよ。手前らは、田舎者だという評判こそござろうが、詰まらない民百姓どもではござりませぬ。都の人だからといって、何ということがあろうか。皆先刻承知でござる。けっして馬鹿にしてはなりませぬぞよ」
 と言って、もう一度、和歌を詠もうとしたが、とてもできなかったのであろうか、行ってしまったようである。

 [第四段 玉鬘、筑紫を脱出]
 次男がまるめこまれたのも、とても怖く嫌な気分になって、この豊後介を催促すると、
 「さてどのようにして差し上げたらよいのだろうか。相談できる相手もいない。たった二人しかの弟たちは、その監に味方しないと言って仲違いしてしまっている。この監に睨まれては、ちょっとした身の動きも、思うに任せられまい。かえって酷い目に遭うことだろう」
 と、考えあぐんでいたが、姫君が人知れず思い悩んでいられるのが、とても痛々しくて、生きていたくないとまで思い沈んでいられるのが、ごもっともだと思われたので、思いきった覚悟をめぐらして上京する。妹たちも、長年過ごしてきた縁者を捨てて、このお供して出立する。
 あてきと言った娘は、今では兵部の君と言うが、一緒になって、夜逃げして舟に乗ったのであった。大夫の監は、肥後国に帰って行って、四月二十日のころにと、日取りを決めて嫁迎えに来ようとしているうちに、こうして逃げ出したのであった。
 姉のおもとは、家族が多くなって、出立することができない。お互いに別れを惜しんで、再会することの難しいことを思うが、長年過ごした土地だからと言っても、格別去り難くもない。ただ、松浦の宮の前の渚と、姉おもとと別れるのが、後髪引かれる思いがして、悲しく思われるのであった。
 「浮き島のように思われたこの地を漕ぎ離れて行きますけれど
  どこが落ち着き先ともわからない身の上ですこと」
 「行く先もわからない波路に舟出して
  風まかせの身の上こそ頼りないことです」
 とても心細い気がして、うつ伏していらっしゃった。

 [第五段 都に帰着]
 「このように、逃げ出したことが、自然と人の口の端に上って知れたら、負けぬ気を起こして、後を追って来るだろう」と思うと、気もそぞろになって、早舟といって、特別の舟を用意して置いたので、その上あつらえ向きの風までが吹いたので、危ないくらい速くかけ上った。響灘も平穏無事に通過した。
 「海賊船だろうか。小さい舟が、飛ぶようにしてやって来る」
 などと言う者がいる。海賊で向う見ずな乱暴者よりも、あの恐ろしい人が追って来るのではないかと思うと、どうすることもできない気分である。
 「嫌なことに胸がどきどきしてばかりいたので
  それに比べれば響の灘も名前ばかりでした」
 「河尻という所に、近づいた」
 と言うので、少しは生きかえった心地がする。例によって、舟子たちが、
 「唐泊から、河尻を漕ぎ行くときは」
 と謡う声が、無骨ながらも、心にしみて感じられる。
 豊後介がしみじみと親しみのある声で謡って、
 「とてもいとしい妻や子も忘れてしもた」
 と謡って、考えてみると、
 「なるほど、舟唄のとおり、皆、家族を置いて来たのだ。どうなったことだろうか。しっかりした役に立つと思われる家来たちは、皆連れて来てしまった。私のことを憎いと思って、妻子たちを放逐して、どんな目に遭わせるだろう」と思うと、「浅はかにも、後先のことも考えず、飛び出してしまったことよ」
 と、少し心が落ち着いて初めて、とんでもないことをしたことを後悔されて、気弱に泣き出してしまった。
 「胡の地の妻児をば虚しく棄捐してしまった」
 と詠じたのを、兵部の君が聞いて、
 「ほんとうに、おかしなことをしてしまったわ。長年連れ添ってきた夫の心に、突然に背いて逃げ出したのを、どう思っていることだろう」
 と、さまざまに思わずにはいられない。
 「帰る所といっても、はっきりどこそこと落ち着くべき棲家もない。知り合いだといって頼りにできる人も頭に浮ばない。ただ姫君お一人のために、長い年月住み馴れた土地を離れて、あてどのない波風まかせの旅をして、何をどうしてよいのかわからない。この姫君を、どのようにして差し上げようと思っているのかしら」
 と、途方に暮れているが、「今さら管うすることもできない」と思って、急いで京に入った。

 

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