【源氏物語】 (弐拾陸) 紅葉賀 第五章 藤壷の物語(三) 秋、藤壷は中宮、源氏は宰相となる

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇の親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「紅葉賀」の物語の続きです。
【源氏物語】 (壱) 第一部 はじめ

第五章 藤壷の物語(三) 秋、藤壷は中宮、源氏は宰相となる
 [第一段 七月に藤壷女御、中宮に立つ]
 七月に、后がお立ちになるようであった。源氏の君、宰相におなりになった。帝、御譲位あそばすお心づもりが近くなって、この若君を春宮に、とお考えあそばされるが、御後見なさるべき方がいらっしゃらない。御母方が、みな親王方で、皇族が政治を執るべき筋合ではないので、せめて母宮だけでも不動の地位におつけ申して、お力にとお考えあそばすのであった。
 弘徽殿、ますますお心穏やかでない、道理である。けれども、
 「春宮の御世が、もう直ぐになったのだから、疑いない御地位である。ご安心されよ」
 とお慰め申し上げあそばすのであった。「なるほど、春宮の御母堂として二十余年におなりの女御を差し置き申して、先にお越し申されることは難しいことだ」と、例によって、穏やかならず世間の人も噂するのであった。
 参内なさる夜のお供に、宰相君もお仕え申し上げなさる。同じ宮と申し上げる中でも、后腹の内親王で、玉のように美しく光り輝いて、類ない御寵愛をさえ蒙っていらっしゃるので、世間の人々もとても特別に御奉仕申し上げた。言うまでもなく、切ないお心の中では、御輿の中も思いやられて、ますます手も届かない気持ちがなさると、じっとしてはいられないまでに思われた。
 「尽きない恋の思いに何も見えない
  はるか高い地位につかれる方を仰ぎ見るにつけても」
 とだけ、独言が口をついて出て、何につけ切なく思われる。
 皇子は、ご成長なさっていく月日につれて、とてもお見分け申しがたいほどでいらっしゃるのを、宮は、まこと辛い、とお思いになるが、気付く人はいないらしい。なるほど、どのように作り変えたならば、負けないくらいの方がこの世にお生まれになろうか。月と日が似通って光り輝いているように、世人も思っていた。

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