【源氏物語】 (弐拾玖) 葵 第二章 葵の上の物語 六条御息所がもののけとなってとり憑く物語

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇の親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「葵」の物語の続きです。
【源氏物語】 (壱) 第一部 はじめ

第二章 葵の上の物語 六条御息所がもののけとなってとり憑く物語
 [第一段 車争い後の六条御息所]
 御息所は、心魂の煩悶なさること、ここ数年来よりも多く加わってしまった。薄情な方とすっかりお諦めになったが、今日を最後と振り切ってお下りになるのは、「とても心細いだろうし、世間の人の噂にも、物笑いの種になるだろうこと」とお思いになる。それだからといって、京に留まるようなお気持ちになるためには、「あの時のようなこれ以上の恥はないほどに誰もが見下げることであろうのも穏やかでなく、釣する海人の浮きか」と、寝ても起きても悩んでいられるせいか、魂も浮いたようにお感じになられて、お具合が悪くいらっしゃる。
 大将殿におかれては、お下りになろうとしていることを、「まったくとんでもないことだ」などとも、お引き止め申し上げず、
 「わたしのようなつまらない者を、見るのも嫌だとお思い捨てなさるのもごもっともですが、今はやはりつまらない男でも、最後までお見限りなさらないのが、浅からぬ情愛というものではないでしょうか」
 と、絡んで申し上げなさるので、決心しかねていらしたお気持ちも紛れることがあろうかと、外出なさった御禊見物の辛い経験から、いっそう、万事がとても辛くお思いつめになっていた。
 大殿邸では、御物の怪のようで、ひどく患っていらっしゃるので、どなたもどなたもお嘆きになっている時で、お忍び歩きなども不都合な時なので、二条院にも時々はお帰りになる。何と言っても、正妻として重んじている点では、特別にお思い申し上げていっしゃった方が、おめでたまでがお加わりになったお悩みなので、おいたわしいこととお嘆きになって、御修法や何やかやと、ご自分の部屋で、多く行わせなさる。
 物の怪、生霊などというものがたくさん出てきて、いろいろな名乗りを上げる中で、憑坐にも一向に移らず、ただご本人のお身体にぴったりと憑いた状態で、特に大変にお悩ませ申すこともないが、その一方で、暫しの間も離れることのないのが一つある。すぐれた験者どもにも調伏されず、しつこい様子は並の物の怪ではない、と見えた。
 大将の君のお通いになっている所、あちらこちらと見当をつけて御覧になるに、
 「あの御息所、二条の君などだけは、並々のご寵愛の方ではないようだから、恨みの気持ちもきっと深いだろう」
 とささやいて、占師に占わせなさるが、特にお当て申すこともない。物の怪といっても、特別に深いお敵と申す人もいない。亡くなったおん乳母のような人、もしくは親の血筋に代々祟り続けてきた怨霊が、弱みにつけこんで現れ出たものなど、大したものではないのがばらばらに出て来る。たださめざめと声を上げてお泣きになるばかりで、時々は胸をせき上げせき上げして、ひどく堪え難そうにもだえていられるので、どのようにおなりになるのかと、不吉に悲しくお慌てになっていた。
 院からも、お見舞いがひっきりなしにあり、御祈祷のことまでお心づかいあそばされることの恐れ多いことにつけても、ますます惜しく思われるご様子の方である。
 世間の人々がみな惜しみ申し上げているのをお聞きになるにつけても、御息所はおもしろからずお思いになる。ここ数年来はとてもこのようなことはなかった張り合うお心を、ちょっとした車の場所取り争いで、御息所のお気持ちに怨念が生じてしまったのを、あちらの殿では、そこまでとはお気づきにならないのであった。

 [第二段 源氏、御息所を旅所に見舞う]
 このようなお悩みのせいで、お加減が、やはり普段のようではなくばかりお感じになるので、別の御殿にお移りになって、御修法などをおさせになる。大将殿はお聞きになって、どのようなお加減でいられるのかと、おいたわしく、ご決意なさってお見舞いにいらっしゃった。
 いつもと違った仮のご宿所なので、たいそう忍んでいらっしゃる。心ならずもご無沙汰していることなど、許してもらえるよう詫び言を縷々申し上げなさって、お悩みでいらっしゃるご様子についても、訴え申される。
 「自分ではそれほども心配しておりませんが、親たちがとても大変な心配のしようなのが気の毒で、そのような時が過ぎてからと存じておりましたもので。万事おおらかにお許しいただけるお気持ちならば、まこと嬉しいのですが」
 などと、こまごまとお話し申し上げなさる。いつもよりも痛々しげなご様子を、無理もないことと、しみじみ哀れに拝見なさる。
 打ち解けぬままの明け方に、お帰りになるお姿の美しさにつけても、やはり振り切って別れることは、考え直さずにはいらっしゃれない。
 「正妻の方に、ますますご愛情がお増しになるに違いないおめでたが生じたので、お一方の所に納まってしまわれるに違いないのを、このようにお待ち申しお待ち申しているのも、物思いも尽くし果ててしまうに違いないこと」
 かえって物思いを新たになさっていたところに、後朝の文だけが、夕方にある。
 「ここ数日来、少し回復して来たようだった気分が、急にとてもひどく苦しそうに見えましたので、どうしても目を放すことができませんで」
 とあるのを、「例によって言い訳を」と、御覧になるものの、
 「袖を濡らす恋とは分かっていながら
  そうなってしまうわが身の疎ましいことよ
 『山の井の水』も、もっともなことです」
 とある。「ご筆跡は、やはり数多い女性の中で抜きん出ている」と御覧になりながら、「どうしてこうも思うようにならないのかなあ。気立ても容貌も、それぞれに捨ててよいものでなく、その反面これぞと思える人もいないことだ」。苦しくお思いになる。お返事は、たいそう暗くなってしまったが、
 「袖ばかり濡れるとは、どうしたことで。愛情がお深くないこと。
  袖が濡れるとは浅い所にお立ちだからでしょう
  わたしは全身ずぶ濡れになるほど深い所に立っております
 並々の気持ちで、このお返事を、直接に訴え申し上げずにいられましょうか」
 などとある。

 [第三段 葵の上に御息所のもののけ出現する]
 大殿邸では、御物の怪がひどく起こって、大変にお苦しみになる。「自分の生霊や、故大臣の死霊だなどと言う人がいる」とお聞きになるにつけて、お考え続けになると、
 「我が身一人の不運を嘆いているより他には、他人を悪くなれと呪う気持ちはないのだが、悩み事があると抜け出て行くという魂は、このようなことなのだろうか」
 と、お気づきになることもある。
 数年来、何かと物思いの限りを尽くしてきたが、こんなにも苦しい思いをしたことはなかったのに、ちょっとした事の折に、相手が無視し、蔑ろにした態度をとった御禊の後は、あの一件によって抜け出るようになった魂、鎮まりそうもなく思われるせいか、少しうとうととなさる夢には、あの姫君と思われる人の、とても清浄にしている所に行って、あちこち引き掻き廻し、普段とは違い、猛々しく激しい乱暴な心が出てきて、荒々しく叩くのなどが現れなさること、度重なった。
 「ああ、何と忌まわしいことか。なるほど、身体を抜け出して出て行ったのだろう」と、正気を失ったように思われなさる時が度々あるので、「何でもないことでさえも、他人の事では、よいような噂は立てないのが世間の常なので、ましてこのことは、何とでも噂立てられる絶好の種だ」とお思いになると、とても評判になりそうで、
 「もう亡くなってしまって、後に怨みを残すのは世間にもあることだ。それでさえ、人の身の上については、罪深く忌まわしいのに、生きている身でありながら、そのような忌まわしいことを、噂される因縁の辛いこと。もう一切、薄情な方に決して心をお掛け申すまい」
 とお考え直しになるが、思うまいと思うのも物思うことである。

 [第四段 斎宮、秋に宮中の初斎院に入る]
 斎宮は、去年内裏にお入りになるはずであったが、さまざまに差し障ることがあって、この秋にお入りになる。九月には、そのまま野の宮にお移りになる予定なので、二度目の御禊の準備、引き続いて行うはずのところ、まるで妙にぼうっとして、物思いに沈んで悩んでいらっしゃるのを、斎宮寮の官人たち、ひどく重大視して、御祈祷など、あれこれと致す。
 ひどく苦しいという様子ではなく、どこが悪いということもなくて、月日をお過ごしになる。大将殿も欠かさずお見舞い申し上げなさるが、さらに大事な方がひどく患っていられるので、お気持ちの余裕がないようである。
 まだその時期ではないと、誰も彼もが油断していられたところ、急に産気づかれてお苦しみになるので、これまで以上の御祈祷の有りったけを尽くしておさせになるが、例の執念深い物の怪が一つだけ全然動かず、霊験あらたかな験者どもは、珍しいことだと困惑する。とはいっても、たいそう調伏されて、いたいたしげに泣き苦しんで、
 「少し緩めてください。大将に申し上げる事がある」とおっしゃる。
 「やはりそうであったか。何かわけがあるのだろう」
 と言って、近くの御几帳の側にお入れ申し上げた。とてももうだめかと思われるような容態でいられるので、ご遺言申し上げて置きたいことでもあるのだろうかと思って、大臣も宮も少しお下がりになった。加持の僧どもは、声を低めて法華経を読んでいる、たいそう尊い。
 御几帳の帷子を引き上げて拝見なさると、とても美しいお姿で、お腹はたいそう大きくて臥していられる様子、他人であっても、拝見しては心動かさずにはいられないであろう。まして惜しく悲しくお思いになるのは、もっともである。白いお着物に、色合いがとてもくっきりとして、髪がとても長くて豊かなのを、引き結んで横に添えてあるのも、「こうあってこそかわいらしげで優美な点が加わり美しいのだなあ」と見える。お手を取って、
 「ああ、ひどい。辛い思いをおさせになるとは」
 と言って、何も申し上げられずにお泣きになると、いつもはとても煩わしく気が引けて近づきがたいまなざしを、とても苦しそうに見上げて、じっとお見つめ申していらっしゃると、涙がこぼれる様子を御覧になるのは、どうして情愛を浅く思うであろうか。
 あまりひどくお泣きになるので、「気の毒なご両親のことをご心配され、また、このように御覧になるにつけても、残念にお思いになってのことだろうか」とお思いになって、
 「何事につけても、ひどくこんなに思いつめなさるな。いくら何でも大したことはありません。万が一のことがあっても、必ず逢えるとのことですから、きっとお逢いできましょう。大臣、宮なども、深い親子の縁のある間柄は、転生を重ねても切れないと言うから、お逢いできる時があるとご安心なさい」
 と、お慰めになると、
 「いえ、そうではありません。身体がとても苦しいので、少し休めて下さいと申そうと思って。このように参上しようとはまったく思わないのに、物思いする人の魂は、なるほど抜け出るものだったのですね」
 と、親しげに言って、
 「悲しみに堪えかねて抜け出たわたしの魂を
  結び留めてください、下前の褄を結んで」
 とおっしゃる声、雰囲気、この人ではなく、変わっていらっしゃった。「たいそう変だ」とお考えめぐらすと、まったく、あの御息所その人なのであった。あきれて、人が何かと噂をするのを、下々の者たちが言い出したことも、聞くに耐えないとお思いになって、無視していられたが、目の前にまざまざと、「本当に、このようなこともあったのだ」と、気味悪くなった。「ああ、嫌な」と思わずにはいらっしゃれず、
 「そのようにおっしゃるが、誰とも分からぬ。はっきりと名乗りなさい」
 とおっしゃると、まったく、その方そっくりのご様子なので、あきれはてるという言い方では平凡である。女房たちがお側近くに参るのも、気が気ではない。

 [第五段 葵の上、男子を出産]
 少しお声も静かになられたので、一時収まったのかと、宮がお薬湯を持って来させになったので、抱き起こされなさって、間もなくお生まれになった。嬉しいとお思いになることこの上もないが、憑坐にお移しになった物の怪どもが、悔しがり大騷ぎする様子、とても騒々しくて、後産の事も、またとても心配である。
 数え切れないほどの願文どもを立てさせなさったからか、無事に後産も終わったので、山の座主、誰彼といった尊い僧どもが、得意顔に汗を拭いながら、急いで退出した。
 大勢の人たちが心を尽くした幾日もの看病の後の緊張が、少し解けて、「今はもう大丈夫」とお思いになる。御修法などは、再びお始めさせなさるが、差し当たっては、楽しくあり、おめでたいお世話に、皆ほっとしている。
 院をお始め申して、親王方、上達部が、残らず誕生祝いの贈り物、珍しく立派なのを、夜毎に見て大騷ぎする。男の子でさえあったので、そのお祝いの儀式、盛大で立派である。

 あの御息所は、このようなご様子をお聞きになっても、おもしろくない。「以前には、とても危ないとの噂であったのに、安産であったとは」と、お思いになった。
 不思議に、自分が自分でないようなご気分を思い辿って御覧になると、お召物なども、すっかり芥子の香が滲み着いている奇妙さに、髪をお洗いになり、着物をお召し替えになったりなどして、お試しになるが、依然として前と同じようにばかり臭いがするので、自分の身でさえありながら疎ましく思わずにはいらっしゃれないのに、それ以上に、他人が噂し推量するだろう事など、誰にもおっしゃれるような内容でないので、心一つに収めてお嘆きになっていると、ますます気が変になって行く。
 大将殿は、気持ちが少し落ち着きなさって、何とも言いようのなかったあの時の問わず語りを、何度も不愉快にお思い出しになられて、「まこと日数が経ってしまったのも気の毒だし、また身近にお逢いすることは、どうであろうか。きっと不愉快に思われようし、相手の方のためにも気の毒だろうし」と、いろいろとお考えになって、お手紙だけがあるのだった。
 ひどくお患いになった方の病後が心配で、気を緩めずに、皆がお思いであったので、当然のことなので、お忍び歩きもしない。依然としてひどく悩ましそうにばかりなさっているので、普段のようにはまだお会いになさらない。若君がとても恐いまでにかわいらしくお見えになるお姿を、今から、とても特別にお育て申し上げなさる様子、並大抵でなく、願い通りの感じがして、大臣も嬉しく幸せにお思い申していられるが、ただ、このご気分がすっかりご回復なさらないのを、ご心配になっているが、「あれほど重く患った後だから」とお思いになって、どうして、それほどご心配ばかりなっていられようか。

 若君のお目もとのかわいらしさなどが、春宮にそっくりお似申していられるのを、拝見なされても、まっ先に、恋しくお思い出しにならずにはいらっしゃれなくて、堪えがたくて、参内なさろうとして、
 「宮中などにもあまり長いこと参っておりませんので、気がかりゆえに、今日初めて外出致しますが、もう少し近い所でお話し申したいものです。あまりにも気がかりな他人行儀なお愛想ですから」
 とお怨み申し上げなさると、
 「仰せのとおりですわ、ただひたすら優美にばかり振る舞うお仲ではありませんが、ひどくおやつれになっていらっしゃるとは申しても、物を隔ててお会いになる間柄ではございませんわ」
 と言って、臥せっていられる所に、お席を近く設けたので、中に入ってお話など申し上げなさる。
 お返事、時々申し上げなさるが、やはりとても弱々しそうである。けれど、もう助からない人とお思い申したご様子をお思い出しになると、夢のような気がして、危なかった時の事などをお話し申し上げなさる中でも、あのすっかり息も止まったかのようになったのが、急に人が変わって、ぽつりぽつりとお話し出されたことをお思い出しになると、不愉快に思われるので、
 「いや、お話し申したいことはとてもたくさんあるが、まだとても大儀そうなご気分でいられるようですから」
 と言って、「お薬湯をお飲みなさい」などとまで、お世話申し上げなさるのを、いつの間にお覚えになったのだろう、と女房たちは感心申し上げる。
 まことに美しい方が、たいそう衰弱しやつれて、生死の境を彷徨っているような感じで臥せっていられる様子、とてもいじらしげに痛々しい。お髪の一筋の乱れ毛もなく、さらさらと掛かっている枕の辺り、めったにないくらい素晴らしく見えるので、「何年も、何を物足りないことがあると思っていたのだろう」と、不思議なまでにじっと目を凝らさずにはいらっしゃれない。
 「院などに参って、すぐに下がって来ましょう。このようにして、隔てなくお会い申すことができるならば、嬉しいのですが、宮がぴったりと付いていらっしゃるので、不躾ではないかしらと遠慮して来ましたのも辛いが、やはりだんだんと気を強くお持ちになって、いつものご座所に。あまり幼く甘えていられると、一方では、いつまでもこのようなままでいらっしゃいますよ」
 などと、申し上げ置きなさって、とても美しく装束をお召しになってお出かけになるのを、いつもよりは目を凝らして、お見送りしながら臥せっていらっしゃった。

 [第六段 秋の司召の夜、葵の上死去する]
 秋の司召が行われるはずの予定なので、大殿も参内なさると、ご子息たちも昇進をお望みになる事がいろいろあって、殿のご身辺をお離れにならないので、皆後に続いてお出かけになった。
 殿の内では、人少なでひっそりとしている時、急にいつものようにお胸をつまらせて、とてもひどくお苦しみになる。宮中にお知らせ申し上げなさる間もなく、お亡くなりになってしまった。足も地に着かない感じで、皆が皆、退出なさったので、除目の夜であったが、このようによんどころのないご支障なので、万事ご破算といったような具合である。
 大騒ぎになったのは、夜半頃なので、山の座主、誰それといった僧都たちも、お迎えになれない。いくら何でも、もう大丈夫、と気を緩めていたところに、大変なことになったので、邸の内の人々、まごついている。方々からのご弔問の使者など、立て込んだが、とても取り次ぎできず、上を下への大騷ぎになって、大変なご悲嘆は、まことに恐ろしいまでに見えなさる。
 物の怪が度々お取り憑き申したことをお考えになって、お枕などもそのままにして、二、三日拝見なさったが、だんだんとお変わりになることどもが現れて来たので、もうこれまで、とお諦めになる時、誰も彼も、本当に悲しい。
 大将殿は、悲しい事に、もう一件が加わって、男女の仲を本当に嫌なものと身にしみて感じられたので、並々ならぬ方々からのご弔問にも、ただ辛いとばかり、総じて思わずにはいらっしゃれない。院におかれても、お悲しみになられ、御弔問申し上げあそばされる様子、かえって面目を施すことなので、嬉しい気も混じって、大臣はお涙の乾く間もない。
 人の申すことに従って、大がかりなご祈祷によって、生き返りなさらないかと、さまざまにあらゆる方法を試み、また一方では傷んで行かれる様子を見ながらも、なおもお諦め切れずにいられたが、その効もなく何日にもなったので、もはや仕方がないと、鳥辺野にお送り申す時、ご悲嘆の極み、万端であった。

 [第七段 葵の上の葬送とその後]
 あちらこちらのご葬送の人々や、寺々の念仏僧などが、大変広い野辺に隙間もない。院からは今さら申すまでもなく、后の宮、東宮などのご弔問の使者、その他所々の使者も代わる代わる参って、尽きない悲しみのご弔問を申し上げなさる。大臣は立ち上がることもおできになれず、
 「このようにな晩年に、若くて盛りの娘に先立たれ申して、よろよろと這い回るとは」
 と恥じ入ってお泣きになるのを、大勢の人々が悲しく拝する。
 一晩中たいそうな騷ぎの盛大な葬儀だが、まことにはかないご遺骨だけを後に残して、夜明け前早くにお帰りになる。
 世の常のことだが、人一人か、多くは御覧になっていないから、譬えようもなくお悲しみになった。八月二十日余りの有明のころなので、空も風情も情趣深く感じられるところに、大臣が親心の闇に悲しみに沈んで取り乱していられる様子を御覧になるのも、ごもっともなことと痛ましいので、空ばかりが自然と眺められなさって、
 「空に上った煙は雲と混ざり合ってそれと区別がつかないが
  おしなべてどの雲もしみじみと眺められることよ」

 殿にお帰りになっても、少しもお眠りになれない。年来のご様子をお思い出しになりながら、
 「どうして、最後には自然と分かってくれようと、のんびりと考えて、かりそめの浮気につけても、ひどいと思われ申してしまったのだろう。結婚生活中、親しめない気の置けるものと思って、お亡くなりになってしまったことよ」
 などと、悔やまれることが多く、次々とお思い出しにならずにはいらっしゃれないが、効がない。鈍色の喪服をお召しになるのも、夢のような気がして、「自分が先立ったのならば、色濃くお染めになったろうに」と、お思いになるのまでが、
 「きまりがあるので薄い色の喪服を着ているが
  涙で袖は淵のように深く悲しみに濡れている」
 と詠んで、念仏読経なさっている様子、ますます優美な感じが勝って、お経を声をひそめてお読みになりながら、「法界三昧普賢大士」とお唱えになるのは、勤行慣れした法師よりも殊勝である。若君を拝見なさるにつけても、「何を忍ぶよすがに」と、ますます涙がこぼれ出て来たが、「このような子までがいなかったら」と、気をお紛らしになる。
 宮は沈み込んで、そのまま起き上がりなさらず、命も危なそうにお見えになるので、またお慌てになって、ご祈祷などをおさせになる。

 とりとめもなく月日が過ぎて行くので、ご法事の準備などをおさせになるのも、思いもなさらなかったことなので、悲しみは尽きず大変である。取るに足らない不出来な子供でさえ、人の親はどんなに辛く思うことだろう、まして、当然である。また、他に姫君がいらっしゃらないのさえ、物足りなくお思いになっていたのに、袖の上の玉が砕けたという事よりも残念である。
 大将の君は、二条院にさえ、ほんの暫しの間もお行きにならず、しみじみと心深くお嘆きになって、勤行を几帳面になさりなさり、日夜お過ごしになる。所々の方々には、お手紙だけを差し上げなさる。
 あの御息所には、斎宮は左衛門の司にお入りになったので、ますます厳重なご潔斎を理由にして、お手紙も差し上げたりいただたりなさらない。嫌なと心底から感じられた世の中も、一切厭わしくなられて、「このような幼い子供さえいなかったなら、念願どおりになれように」と、お思いになるにつけては、まずは対の姫君が寂しくしていらっしゃるだろう様子を、ふとお思いやらずにはいらっしゃれない。
 夜は、御帳台の中に独りでお寝みになると、宿直の女房たちは近くを囲んで伺候しているが、独り寝は寂しくて、「折柄もまことだ」と寝覚めがちなので、声のよい僧ばかりを選んで伺候させていらっしゃる念仏が、暁方など、堪え難い思いである。

 「晩秋の情趣を増して行く風の音、身にしみて感じられることよ」と、慣れないお独り寝に、明かしかねていらっしゃる朝ぼらけの霧が立ちこめている時に、菊の咲きかけた枝に、濃い青鈍色の紙の文を結んで、ちょっと置いて去っていった。「優美な感じだ」と思って、御覧になると、御息所のご筆跡である。
 「お手紙差し上げなかった間のことは、お察しいただけましょうか。
  人の世の無常を聞くにつけ涙がこぼれますが
  先立たれなさってさぞかしお袖を濡らしてとお察しいたします
 ちょうど今朝の空の模様を見るにつけ、偲びかねまして」
 とある。「いつもよりも優美にお書きになっているなあ」と、やはり下に置きにくく御覧になるものの、「誠意のないご弔問だ」と嫌な気がする。そうかといって、お返事を差し上げないのもお気の毒で、ご名誉にも傷がつくことになるに違いない事だと、いろいろとお案じになる。
 「亡くなった人は、いずれにせよ、そうなるべき運命でいらしたのだろうが、どうしてあのようなことを、まざまざと明瞭に見たり聞いたりしたのだろう」と悔しいのは、ご自分の気持ちながらも、やはりお思い直しになることはできないようである。
 「斎宮のご潔斎につけても憚り多いことだろうか」などと、長い間お考えあぐねていらっしゃるが、「わざわざ下さった手紙のお返事しないのは、情愛がないのではないか」と思って、紫色の鈍色がかった紙に、
 「すっかりご無沙汰いたしましたが、常に心にお掛け申し上げておりながら、喪中の間は、そのようなわけで、お察しいただけようかと存じまして。
  生き残った者も死んだ者も同じ露のようにはかない世に
  心の執着を残して置くことはつまらないことです
 お互いに執着をお捨てになって下さい。御覧いただけないかしらと、どなたにも」
 と差し上げなさった。
 里においでになる時だったので、こっそりと御覧になって、ほのめかしておっしゃっている様子を、内心気にとがめていることがあったので、はっきりとご理解なさって、「やはりそうであったのか」とお思いになるにつけ、とても堪らない。
 「やはり、とてもこの上なく情けない身の上であったよ。このような噂が立って、院におかれてもどのようにお考えあそばされよう。故前坊の、同腹のご兄弟という中でも、たいそうお互いに仲好くあそばして、わが斎宮のご将来のことをも、こまごまとお頼み申し上げあそばしたので、『そのおん代わりに、そのままお世話申そう』などと、いつも仰せられて、『そのまま宮中にお住みなさい』と、度々お勧め申し上げあそばしたことだけでも、まことに恐れ多いこと、と考えてもみなかったのに、このように意外にも年がいもなく物思いをして、遂には面目ない評判まで流してしまうに違いないこと」
 と、お悩みになると、やはりいつものような状態でおいでではない。
 とはいえ、世間一般のことにつけては、奥ゆかしく趣味の豊かな方としての評判があって、昔から高名でいらしたので、野の宮へのお移りの時にも、興趣ある当世風のことを多く考案し出して、「殿上人どもで風流な者などは、朝に夕べに露を分けて訪れるのを、その頃の仕事としている」などとお聞きになっても、大将の君は、「もっともなことだ。風雅を解することでは、どこまでも十分備わっていられる方だ。もし、愛想をつかされてお下りになってしまわれたら、どんなにか寂しいに違いないだろう」と、やはりお思いになるのであった。

 [第八段 三位中将と故人を追慕する]
 ご法事など次々と過ぎていったが、正日までは、やはり引き籠もっていらっしゃる。経験したことのない所在なさを、お気の毒に思われなさって、三位の中将は、毎日お部屋に参上なさっては、世間話など、真面目な話や、また例の好色めいた話などをも申し上げて、お気持ちをお慰め申し上げなさる中で、あの典侍の話は、お笑い種になるようである。大将の君は、
 「ああ、お気の毒な。おばば殿のことを、ひどく軽蔑なさるな」
 とお諌めになる一方で、いつも面白いと思っていられた。
 あの十六夜の、はっきりしなかった秋の事件など、その他の事などの、いといろな浮気話を互いに暴露なさい合う、しまいには、世の無常を言い言いして、涙をお漏らしになったりするのであった。
 時雨が降って、何となくしみじみとした夕方、中将の君が、鈍色の直衣、指貫を、薄い色に衣更えして、まことに男らしくすっきりとして、こちらが気後れするような感じをし参上なさった。
 君は、西の妻戸の高欄に寄り掛かって、霜枯れの前栽を御覧になっているところであった。風が荒々しく吹き、時雨がさっと降ってきた時は、涙も雨と競うような心地がして、
 「雨となり、雲とやなりにけむ、今は知らず」
 と、独り言をいって、頬杖を突いていられるお姿、「女であったら、先立った魂もきっと留まろう」と、色っぽい気持ちで、ついじっと見つめられながら、近くにお座りになると、おくつろぎの姿でいられながらも、入れ紐だけをさし直しなさる。  こちらは、もう少し濃い鈍色の夏のお直衣に、紅色の光沢のある袿を下襲して、地味なお姿でいらっしゃるのが、かえって見飽きない感じがする。
 中将も、とても悲しそうなまなざしでぼんやりと見ていらっしゃる。
 「妹が時雨となって降る空の浮雲を
  どちらの方向の雲と眺めようか
 行く方も分からないな」
 と独り言のようなのを、
 「妻が雲となり雨となってしまった空までが
  ますます時雨で暗く泣き暮らしている今日この頃だ」
 とお詠みになるご様子も、浅くない気持ちがはっきりと窺えるので、
 「妙にここ数年来は、さほどではなかったご愛情を、院などにおかれても、じっとしてはおれず御教訓あそばし、大臣のご待遇もお気の毒であり、大宮のお血筋からいっても、切れない縁であるなど、どちらからいっても関係が深いので、お捨てになることができずに、何となく気の進まないご様子のままで、今まで過ごして来られたようだと、気の毒に見えたことも時々あったが、ほんとうに、正妻としては、格別にお考え申されていらしたようだ」
 と分かると、ますます惜しまれてならない。何かにつけて光が消えたような気がして、元気をなくしていた。
 枯れた下草の中に、龍胆、撫子などが咲き出したのを折らせなさって、中将がお帰りになった後に、若君の御乳母の宰相の君に持たせて、
 「草の枯れた垣根に咲き残っている撫子の花を
  秋に死別れた方の形見と思います
 美しさは劣ると御覧になりましょうか」
 と差し上げなさった。なるほど無邪気な微笑み顔はたいそうかわいらしい。宮は、吹く風につけてさえ、木の葉よりも脆いお涙は、それ以上で、手に取ることさえおできになれない。
 「ただ今見てもかえって袖を涙で濡らしております
  垣根も荒れはてて母親に先立たれてしまった撫子なので」

 依然として、ひどく所在のない気がするので、朝顔の宮に、「今日の物悲しさは、そうはいってもお分りになられるであろう」と推察されるお心の方なので、暗くなった時分であるが、差し上げなさる。たまにしかないが、それが普通になってしまったお便りなので、気にも止めず御覧に入れる。空の色をした唐の紙に、
 「とりわけ今日の夕暮れは涙に袖を濡らしております
  今までにも物思いのする秋はたくさん経験してきたのですが
 いつも時雨の頃は」
 とある。ご筆跡などの入念にお書きになっているのが、いつもより見栄えがして、「放って置けない時です」と女房も申し上げ、ご自身もそのようにお思いになったので、
 「お引き籠もりのご様子を、お察し申し上げながら、とても」とあって、
 「秋霧の立つころ、先立たれなさったとお聞き致しましたが
  それ以来時雨の季節につけいかほどお悲しみのことかとお察し申し上げます」
とだけ、かすれた墨跡で、気のせいか奥ゆかしい。
 どのような事柄につけても、見勝りがするのは難しいのが世の常のようなのに、冷たい人にかえって、お心が惹かれなさるご性質の方なのである。
 「すげないお扱いながらも、しかるべき時節折々の情趣はお見逃しなさらない、こういう間柄こそ、お互いに情愛を最後まで交わし合うことができるものだ。やはり、教養があり風流好みで、人目にも付くくらいなのは、よけいな欠点も出て来るものだ。対の姫君を、決してそのようには育てまい」とお考えになる。「所在なく恋しく思っていることだろう」と、お忘れになることはないが、まるで母親のない子を、一人残して来ているような気がして、会わない間は、気がかりで、「どのように嫉妬しているだろうか」と心配がないのは、気楽なことであった。

   日がすっかり暮れたので、大殿油を近くに燈させなさって、しかるべき女房たちばかり、御前で話などをおさせになる。
 中納言の君というのは、数年来こっそりとご寵愛なさっていたが、この喪中の間は、かえってそのような色めいた相手にもお考えにならない。「やさしいお心の方だわ」と拝している。その他のことでは親しくお話しかけになって、
 「こうして、ここ数日は、以前にも増して、誰も彼も他に気を紛らすこともなく、互いに毎日顔を会わせ顔を会わせしていたから、今後いつもこうすることができないのは、恋しいと思わないだろうか。まこと悲しいことはしかたがないとして、あれこれと考えめぐらしてみると、悲しくて堪らないことがたくさんあるなあ」
 とおっしゃると、ますます皆が泣いて、
 「今さら申してもしかたのないおん方の事は、ただ心も真っ暗に閉ざされた心地がいたしますのは、それはそれとして、すっかりお離れになってしまわれると、存じられますことが」
 と、最後まで申し上げきれない。かわいそうにとお見渡しになって、
 「すっかり見限るようなことは、どうして。薄情者とお思いだな。気長な人さえいてくれたら、いつかは分かってくださろうものを。寿命は無常だからね」
 と言って、燈火を眺めていらっしゃる目もとが、濡れていらっしゃるのが、素晴らしい。
 とりわけかわいがっていらした小さい童女で、両親もいなくて、とても心細く思っているのを、もっともだと御覧になって、
 「あてきは、今からはわたしを頼らねばならない人のようだね」
 とおっしゃると、たいそう泣く。小さい衵、誰よりも濃く染めて、黒い汗衫、萱草色の袴などを着ているのも、かわいらしい姿である。
 「故人を忘れない人は、寂しさを我慢してでも、幼君を見捨てないで、お仕えして下さい。生前の面影もなく、女房たちまでが出て行ってしまったなら、訪ね来るよすがもない思いがますますしようから」
 などと、皆に気長く留まることをおっしゃるが、「さあ、ますます間遠になられることだろう」と思うと、ますます心細い。
 大殿は、女房たちに、身分身分に応じて、ちょっとした趣味的な道具や、また、本当のお形見となるような物などを、改まった形にならないように心づかいして、一同にお配らせになるのであった。

 [第九段 源氏、左大臣邸を辞去する]
 君は、こうしてばかりも、どうしてぼんやりと日を送っていらっしゃれようかと思って、院へ参内なさる。お車を引き出して、前駆の者などが参上する間に、悲しみを知っているかのような時雨がはらはらと降って、木の葉を散らす風、急に吹き払って、御前に伺候している女房たち、何となくとても心細くて、少し乾く間もあった袖が再び湿っぽくなってしまった。
 晩は、そのまま二条の院にお泊まりになる予定とあって、侍所の人々も、あちらでお待ち申し上げようというのであろう、それぞれ出立するので、今日が最後というのではないが、またとなく物悲しい。
 大臣も宮も、今日の様子に、悲しみを新たにされる。宮のおん許へお手紙を差し上げなさった。
 「院におかれても御心配あそばされおっしゃりますので、今日参内致します。ちょっと外出致しますにつけても、よくぞ今日まで生き永らえて来られたものよと、悲しみに掻き乱されるばかりの気がするので、ご挨拶申し上げるのも、かえって悲しく思われるに違いないので、そちらにはお伺い致しません」
 とあるので、ますます宮は、目もお見えにならず、沈み込んで、お返事も差し上げなされない。
 大臣が、さっそくお越しになった。とても我慢できそうになくお悲しみで、お袖から顔をお放しなさらない。拝見している女房たちもまことに悲しい。
 大将の君は、世の中をお思い続けなさること、とてもあれこれとあって、お泣になる様子、しみじみと心深いものがあるが、たいして取り乱したところなく優美でいらっしゃる。大臣は、長い間かかって涙をお抑えになって、
 「年をとると、たいしたことでもないことに対してさえ、涙もろくなるものでございますのに。まして、涙の乾く間もなくかきくらされている心を、とても鎮めることができませんので、人の目にも、とても取り乱して、気の弱い恰好にきっと見えましょうから、院などにも参内できないのでございます。お話のついでには、そのように取りなして奏上なさって下さい。いくらもありそうにない年寄の身で、先立たれたのが辛いのでございますよ」
 と無理に抑えておっしゃる様子、まことに痛々しい。君も何度も鼻をかんで、
 「遺されたり先立ったりする老少不定は、世の習いとはよく承知致しておりますものの、直接我が身のこととして感じられます悲しみは、譬えようもないものだと。院におかれても、ご様子を奏上致しますれば、きっとお察しあそばされることでしょう」とお答え申し上げになる。
 「それでは、時雨も止む間もなさそうでございすから、暮れないうちに」と、お促し申し上げなさる。
 お見回しなさると、御几帳の後、襖障子の向こうなどの開け放された所などに、女房たちが三十人ほどかたまって、濃い、薄い鈍色の喪服をめいめい着て、一同にひどく心細げにして、涙ぐみながら集まっているのを、とてもかわいそうに、と御覧になる。
 「お見捨てになるはずもない人が残っていらっしゃるので、いくら何でも、何かの機会にはお立ち寄りあそばさないはずがないなどと、自ら慰めておりますが、もっぱら思慮の浅い女房などは、今日を最後の日と、お捨てになった過去の家と悲観して、永遠の別れとなった悲しみよりも、ただちょっと時々親しくお仕えした歳月の跡形もなくなってしまうのを、嘆いているようなのが、もっともに思われます。くつろいでいらしたことはございませんでしたが、それでもいつかはと、空頼みしてまいりましたが。なるほど、心細く感じられる夕べでございますね」
 と言いながら、お泣きになった。
 「とても思慮の浅い女房たちの嘆きでございますな。仰せのとおり、どうあろうともいずれはと、気長に存じておりました間は、自然とご無沙汰致した時もございましたが、かえって今では、何を心頼みしてご無沙汰ができましょうか。いずれお分りになろう」
 と言ってお出になるのを、大臣はお見送り申し上げなさって、お入りになると、お飾りをはじめとして、昔のころと変わったところはないが、蝉の脱殻のような心地がなさる。
 御帳台の前に、お硯などが散らかしてあって、手習いのお捨てになっていたのを拾って、目を絞めて涙を堪えながら御覧になるのを、若い女房たちは、悲しい気持ちでいながらも、ついほほ笑んでいるのもいるのだろう。しみじみと心を打つ古人の詩歌、唐土のも日本のも書き散らし書き散らしてあり、草仮名でも漢字でも、さまざまに珍しい書体で書き交ぜていらっしゃった。
 「みごとなご筆跡だ」
 と、空を仰いでぼんやりとしていらっしゃる。他人として拝見することになるのが、残念に思われるのだろう。「旧き枕故き衾、誰と共にか」とあるところに、
 「亡くなった人の魂もますます離れがたく悲しく思っていることだろう
  共に寝た床をわたしも離れがたく思うのだから」
 また、「霜の華白し」とあるところに、
 「あなたが亡くなってから塵の積もった床に
  涙を払いながら幾晩独り寝したことだろうか」
 先日の花なのであろう、枯れて混じっていた。
 宮に御覧に入れなさって、
 「今さら言ってもしかたのないことはさておいて、このような悲しい逆縁の例は、世間にないことではないと、しいて思いながら、親子の縁も長く続かず、このように心を悲しませるために生まれて来たのであろうかと、かえって辛く、前世の因縁に思いを馳せながら、覚まそうとしていますが、ただ、日が経てば経つほど、恋しさが堪えきれないのと、この大将の君が、今日を限りに他人になってしまわれるのが、何とも残念に思わずにはいられません。一日、二日もお見えにならず、途絶えがちにいらしたのでさえ、物足りなく胸を痛めておりましたのに、朝夕の光を失っては、どうして生き永らえて行けようか」
 と、お声も抑えきれずお泣きになると、御前に控えている年輩の女房など、とても悲しくて、わっと泣き出すのは、何となく寒々とした夕べの情景である。
 若い女房たちは、あちこちにかたまって、お互いに悲しいことを話し合って、
 「殿がお考えになりおっしゃるように、若君をお育て申して、慰めることができようとは思いますが、とても幼いお形見で」
 と言って、それぞれが、「しばらく里に下がって、また参上しよう」と言う者もいるので、互いに別れを惜しんだりする折、それぞれ物悲しい事が多かった。

 院へ参上なさると、
 「とてもひどく面やつれしたな。御精進の日々を過ごしたからか」
 と、お気の毒に御心配あそばして、御前においてお食事などを差し上げなさって、あれやこれやとお心を配ってお世話申し上げあそばす様子、身にしみてもったいない。
 中宮の御方に参上なさると、女房たちが、珍しく思ってお目にかかる。命婦の君を通じて、
 「悲しみの尽きないことですが、日が経つにつけてもご心中いかばかりかと」
 と、お伝え申し上げあそばした。
 「無常の世は、一通りは存じておりましたが、身近に体験致しますと、嫌なことが多く思い悩みましたのも、度々のご弔問に慰められまして、今日までも」
 と言って、何でもない時でさえ持っているお悩みを取り重ねて、とてもおいたわしそうである。無紋の袍のお召物に、鈍色の御下襲、巻纓をなされた喪服のお姿は、華やかな時よりも、優美さが勝っていらっしゃった。
 春宮にも、久しく参上致さなかった気がかりさなど、お申し上げなさって、夜が更けてからご退出なさる。

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