永遠の美を追い求めたレオナルド・ダ・ヴィンチ!未来へと続く謎と真贋の話題について!

563年前の今日(4月15日)は、ミケランジェロ、ラファエロと並ぶ盛期ルネサンスの三大巨匠の一人、レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci)が生まれた日です。

ダ・ヴィンチといえば、絵画、彫刻、建築、音楽、科学、数学、工学、発明、解剖学、地学、地誌学、植物学など様々な分野に顕著な業績を残したことから「万能人 (uomo universale )」 と呼ばれていますが、
・卓越した遠近法の技術
・スフマート(ぼかし技法)
を用いて描かれた『受胎告知』『岩窟の聖母』『モナ・リザ』を始めとする数々の名画は、以降の画家にも多大な影響を与えています。
寡作の画家としても知られていますが、更に『レダ』や『アンギアーリの戦い』などは消失しており、現在目にできるのは、ヴァリアントや素描・画稿模写のみとなっていることからもその希少価値は非常に人物ですね。

そこで、ダ・ヴィンチといえば、近年話題になったことを幾つか挙げておきます。

まず一つ目は上記にも挙げた『アンギアーリの戦い』です。

記録によれば、1504年ダ・ヴィンチは、フィレンツェ共和国からの依頼で、このヴェッキオ宮殿の「五百人大広間」の壁画を手がけることになります。
Palazzo Vecchio
※)ちなみに、同時期ダ・ヴィンチが作業している向かいの壁では、ミケランジェロが『カッシーナの戦い』を制作していました。
Battle-of-Cascina
しかし、現代ヴェッキオ宮殿の「五百人大広間」には、ジョルジョ・ヴァザーリの巨大な『マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い』が掲げられています。
そもそも後にルーベンスがダ・ヴィンチの絵の一部を模写したものが見つかっており、それは『アンギアーリの戦い』であったと言われています。
しかも『アンギアーリの戦い』については、スケッチや下絵は現存していることから、「五百人大広間」にはその壁画が描かれてたはず、と考えられているのです。
Battaglia di Anghiari

では、なぜ現代それはそこにないのでしょうか?

ダ・ヴィンチが壁画を描いたとされるよりも半世紀ほど後、このヴェッキオ宮殿はメディチ家のコジモ1世の宮廷として改築されているのですが、ダ・ヴィンチの信奉者でもあった画家で建築家のヴァザーリが、『アンギアーリの戦い』を守るために壁の中に隠したのではないか、と言われてきました。

実際、近年壁の後ろにもう一つの壁がないかを調査したところ、ヴァザーリの『マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い』の壁の後ろにわずかな隙間が発見されたのです。
というのも、同じフィレンツェにあるサンタ・マリア・ノヴェッラ教会にマサッチオの『聖三位一体』があるのですが、これも当時破壊される可能性があったことから、ヴァザーリはこの絵の前に壁を設け、そこに自分の絵を描くことで、マサッチオの絵を守ったという経緯があったためです。
今回ヴェッキオ宮殿の「五百人大広間」で発見されたヴァザーリの絵の裏の壁の隙間の幅は、『聖三位一体』を守った時の壁の隙間の幅と一致。
しかもヴァザーリの『マルチャーノ・デッラ・キアーナの戦い』の中に唯一描かれた文字”CERCA TROVA”(イタリア語を日本語で、探せ されば見つからん)は見つかっています。
Battaglia di Marciano della Chiana

更に隙間の壁に描かれた絵の具を調査したところ、モナリザで使用されているものと同じであることが判明しています。
ということで、俄然ダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』説が言われるようになった訳です。

残念ながらその後、ヴァザーリの壁画保全のためにこの調査は中止となりましたが、もしかすると壁の中でダ・ヴィンチの『アンギアーリの戦い』はひっそりと眠っているのかもしれません。

もうひとつは、2つめのモナリザとして話題に上がった『アイルワースのモナ・リザ』です。

『アイルワースのモナ・リザ』は、ダ・ヴィンチが描いたもう一枚のモナ・リザとされる絵画で、ルーブルのモナ・リザよりもモデルが若いものの構図もほぼ同じで、しかもヴァザーリの手記に”ダ・ヴィンチは1503年にモナ・リザを描き始め、未完成のままに終わった”と書いていることから、その真贋が議論され続けてきています。

Mona LisaIsleworth Mona Lisa

また、同時代の画家ラファエロがスケッチしたモナ・リザには、ルーブル版のモナ・リザにはない円柱が描き込まれていたことも真作説を補強する材料となっているのです。
Raffaello Mona Lisa

まだまだ結論は出ていませんが、これ以外にもプラド美術館のモナ・リザやら含めて複数あるとか、『岩窟の聖母』も3枚目があるとか、寡作なだけに真贋含めていろいろな説が飛び交うのもダ・ヴィンチならではかもしれません。

更にもうひとつ、かつて英国王チャールズ1世が所有し、その後長い間行方不明となっていた『救世主(サルバトール・ムンディ)』です

これは・ダ・ヴィンチ が1500年頃に制作したと考えられている主イエスの半身像を描いた作品で、160億円(2億ドル)の価値があるとされているものです。
Salvator Mundi

ダ・ヴィンチが1500年ごろ制作、17世紀には英国王チャールズ1世のコレクションだったが、1763年に競売に掛けられ、1900年には傷んだ状態でコレクターに売却され、その親族が1958年に45ポンドで売却された後、米ニューヨークで発見されています。
右手で天を指さし、左手に水晶玉を持つキリスト像は単なるイエス・キリストではなく、ヨハネの黙示録で『小羊』又は『鉄のつえをもってすべての国民を治めるべき者』と表現され、復活・再臨のイエスを描いたものといわれています。

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