浮世絵にみる浮世絵師の変遷 

浮世絵について整理してみたいと思います。

浮世絵、別名 錦絵とも言いますが、江戸時代に成立した、当時の風俗を描いた大衆画です。
江戸初期に、絵入本(版本)の挿絵から独立して描かれるようになった墨摺一枚絵にはじまり、やがてより豊かな色彩表現となる彩色画(墨摺絵に彩色したもので紅絵ともよばれる)へ移行し、やがてはおなじみの多色摺の木版画へと発展していきます。
そう、浮世絵は絵画と同じように一点ものと思われる方もいるのですが、実は色を重ね合わせて何度もすり合わせた木版画なんですね。
ですので、量産されたものが多く残っている訳です。
こうした版画は、絹織物の”錦”に匹敵するほどの美しさを誇ったことから”東(あずま)錦絵”と呼ばれていました。

浮世絵の”うきよ”は、享楽的な言葉”浮世”から来ており、当時の世相、風俗、風習、考え方を肯定的にとらえる当世風・今様という意味を持っています。
それを象徴するように、題材は武家や公家の生活を描くのではなく、当時の最先端をいく風俗や話題を追い求め、常に趣向を凝らした描写で生き生きと描かれている訳です。
当時の庶民の楽しみといえば遊びと芝居でしたが、これが浮世絵の中で、流行ファッション誌としての”美人画”、役者のポスターやブロマイドとしての”歌舞伎役者絵”、果ては人気の観光スポットを紹介する旅行雑としての”名所絵”が描かれ、爆発的な売れ行きを誇っていたのです。

浮世絵の魅力、歴史、技法から世界に与えた影響まで。 – 浮世絵ぎゃらりぃ

なお時代の流れとともに、浮世絵の流派は大きく以下の4つに分類されています。

・菱川派
 浮世絵初期。
 開祖は、一枚絵として多くの浮世絵肉筆画を残した浮世絵の祖でもある菱川師宣。

・鳥居派
 元禄の初めより現代まで300年以上続く唯一の流派。開祖はは鳥居清信。
 芝居小屋の番付を手がけた流派で、役者絵の基礎を作る。

・歌川派
 歌川豊春を開祖とし、幕末から明治にかけての浮世絵の最大流派。
 美人画、浮絵を中心とする。

・勝川派
 開祖は勝川春陽。
 写実的な役者の似顔絵様式を確立。

【これが150年前!?】幕末の浮世絵がクール過ぎて圧倒される

やがて19世紀末のヨーロッパに、浮世絵に代表される日本の伝統芸術の一大ムーブメント”ジャポニズム”が巻き起こります。
きっかけは1867年のフランス・パリで開催された万国博覧会への浮世絵の出品からですが、日本では浮世絵が価値ある美術品であると意識すらされなかった時代に、ヨーロッパでは高く評価を受け、多くの浮世絵が海を渡っていったようです。
そもそも浮世絵は、量産された版画ということもあり、海外に輸出されていた漆器や陶磁器などの“包み紙”として使われていたようです。
真偽は定かではありませんし、なんとなく後付のような話ではありますが、こんなエピソードがあります。
ある日 日本から届いた荷物の梱包材に使われていた葛飾北斎の作品を見かけたヨーロッパの芸術家が、自ら貴重品を手放してまで手に入れ、友人で画家のモネ、マネ、ドガなどに見せて回ったというのです。
これがきっかけで、浮世絵は印象派の画家達の心をも魅了し、影響を与えていったという逸話です。
そういえばゴッホも浮世絵に魅せられた画家のひとりですし、現在オランダ・アムステルダムにあるゴッホ美術館には、ゴッホと弟テオが所有していた計477点の浮世絵が収蔵されているということ。
浮世絵は、数多くの巨匠達の心に深く響く芸術だったということですね。

[amazonjs asin=”4582922147″ locale=”JP” title=”浮世絵図鑑: 江戸文化の万華鏡 (別冊太陽 日本のこころ 214)”]