《日本の名刀》 (4) 伝承・物語の刀剣・鈴鹿御前の三振り【大通連】【小通連】【顕明連】

日本の伝承・物語にも数々の刀剣がでてきます。
今回はその中のうち、鈴鹿御前の三振りの宝剣を、その物語と共にまとめていきたいと思います。

御伽草子『田村の草子』に「大通連・小通連、二つの劍を抜き出して、そもそも此劍と申は、天竺真方國にて、阿修羅王、日本の佛法盛ん也、急ぎまだうに引入よとの御使ひに、某眷族共をくして參る時、此三つの劍を給はる事、後代までの面目」と記述があることから、鈴鹿御前は三振りの宝剣「大とうれん(大通連)」「小とうれん(小通連)」「けんみょうれん(顕明連)」を持っていたとされています。
このうち大通連は文殊の智剣(または化身)とされ、小通連は普賢の智剣(または化身)とされ。顕明連は朝日にあてれば三千大千世界を見通すことが出来るという宝剣です。
『鈴鹿の草子』では三尺一寸の厳物造りの太刀である。鬼神を討ち果たしたのち天命を悟った鈴鹿御前は、大とうれん・小とうれんを俊宗に贈り、けんみょうれんを娘小りんに遺した。渡辺本『田村三代記』によれば、田村将軍の得た大通連・小通連は、やがて田村に暇乞いして天に登り黒金と化した。これを用いて箱根山の小鍛冶があざ丸・しし丸・友切丸の三振りの太刀を打ったという。

【大通連】
鈴鹿山に天下った天女(『田村三代記』では魔王の娘)立烏帽子(鈴鹿御前)の所持する三振の剣の一つで、文殊菩薩の化身、もしくは文殊の打った剣。『田村の草子』では天竺の阿修羅王が大だけ丸に贈った三振の剣の一つ。『鈴鹿の草子』『田村の草子』では「大とうれん」、『鈴鹿の物語』では「大とうれん」「たいとうれん」と表記。
ソハヤノツルギと夫婦剣とされることもある。

【小通連】
鈴鹿山に天下った天女、立烏帽子(鈴鹿御前)の所持する三振の剣の一つ。『田村三代記』では文殊菩薩の打った剣だとされる。『田村の草子』では天竺の阿修羅王が大だけ丸に贈った三振の剣の一つ。『鈴鹿の草子』などは「小とうれん」「せうとうれん」「ことうれん」と表記。

【顕明連】
鈴鹿山に天下った天女、立烏帽子の所持する三振の剣の一つ。『三代記』では近江の湖の蛇の尾より取られた剣だとされる。『田村の草子』では天竺の阿修羅王が大だけ丸に贈った三振の剣の一つ。『鈴鹿の草子』などは「けんみやうれん」「さうみやうれん」「けむみやうれん」、『田村三代記』異本は「現明剱」「顕妙連」などと表記。

鈴鹿御前は、室町時代の紀行文『耕雲紀行』や御伽草子『田村の草子』などの物語に登場する伝説上の女性。
立烏帽子、鈴鹿権現、鈴鹿姫ともいう。
伝承によって、女盗賊、天女、鬼女であったりとその正体や描写は様々であるが、室町時代以降の伝承はそのほとんどが坂上田村麻呂の鬼退治譚と関連している。

『鈴鹿の草子』『田村の草子』

室町時代後期の古写本では、鈴鹿山中にある金銀で飾られた御殿に住む、16~18歳の美貌の天人とされる。
十二単に袴を踏みしだく優美な女房姿だが、田村の将軍俊宗が剣を投げるや少しもあわてず、立烏帽子を目深に被り鎧を着けた姿に変化し、厳物造りの太刀をぬいて投げ合わせる武勇の持ち主である。
俊宗を相手に剣合わせして一歩も引かず、御所を守る十万余騎の官兵に誰何もさせずに通り抜ける神通力、さらには大とうれん・しょうとうれん・けんみょうれんの三振りの宝剣を操り、「あくじのたか丸」や「大たけ」の討伐でも俊宗を導くなど、田村将軍をしのぐ存在感を示す。
また、情と勅命との板挟みとなった俊宗の裏切りに、その立場を思いやりあえて犠牲になることを決意したり、娘の小りんに対して細やかな愛情を見せるなど、情愛の深い献身的な女性として描写されている。

流布本『田村の草子』の祖本となる寛永ごろの古活字本では、鈴鹿山で往来を妨げたのは鬼神大たけ丸となっており、鈴鹿御前は山麓に住む天女とされる。
立烏帽子の盗賊・武装のイメージは薄れ、烏帽子は着けず、玉の簪をさし水干に緋袴という出で立ちである。
平安初期に日本に渡来し、父の命に従って当時の鬼の族長であった悪路王と夫婦の契りを交わし、悪路王の臣下であった嶽丸と大嶽丸らとともに、朝廷を倒して鬼族の治める国家を創ろうと画策することとなった。
これを知った朝廷は、すぐさま鈴鹿山一帯に住む鬼たちの討伐を決断。
そしてその命を受けて鈴鹿山に向かったのが、英雄の誉れも高き坂上田村麻呂だった。
鈴鹿御前は田村麻呂を迎え撃ち一戦を交えるが、彼の勇敢さと精悍な出で立ちに一目惚れし、顔の分からない悪路王を裏切り田村麻呂と共に歩む道を選ぶ。
その後、田村麻呂に様々な助力をして、竹丸・大嶽丸を田村麻呂とともに討伐し、鬼たちの国家転覆計画は崩壊する。
二人の間には”小りん”という娘も生まれるが、鈴鹿御前は二十五年という短い天命を全うしてこの世を去ってしまう。
しかし、諦めきれない田村麻呂は、天界にまで赴いて彼女を連れ戻し、晴れて夫婦となった二人は末永く幸せに添い遂げたという。

『田村三代記』

『鈴鹿の草子』とその底流を同じくする『田村三代記』は、語り物の特色として多くの異本が存在するが、鈴鹿御前に関する筋書きはおおむね同様である。
『鈴鹿の草子』に見られる登場人物の微妙な心理や葛藤の描写は省かれ、鬼神退治の活劇を主とする内容となっている。
鈴鹿御前の名は「立烏帽子」とのみ呼ばれ、その出自も天竺より鈴鹿山に降臨した第四天魔王の娘とする。
日本を魔国とするための同盟者を求めて奥州の大嶽丸に求婚するが返事はなく、やがて田村将軍利仁と夫婦となり、共に高丸や大嶽丸を退治する。

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