今日(5月17日)は、フランスの作曲家、エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(Erik Alfred Leslie Satie)、通称エリック・サティの生誕149回目の日です。
自らを「音響計測者」と呼び、「音楽界の異端児」「奇人変人」「変わり者」「貧しき、飲んだくれ酒場のピアノ弾き」「イージーリスニングの元祖」「孤独な作曲家」と称されながらも、ドビュッシーやラヴェルが「サティに多くの作曲技法を決定づけられた」と公言し、
そして、印象主義の作曲家や西洋音楽に大きな影響を与えた天才的作曲家・サティ。
その作品、および、彼の行動は常軌を逸しており、1878年にパリ音楽院に入学したものの、保守的なアカデミズムが気に入らず、反アカデミズム、反ロマン主義を貫いて音楽院を退学!
19世紀のロマンティシズムに訣別し、パリ音楽院在学中に作曲した調号と小節線を廃止したピアノ曲「ジムノペディ」はあまりにも有名ですね。
その後はモンマルトルのカフェでピアノを弾いて生計をたて、その音楽性は、生涯貧しいながらもユーモアに富む一方、鋭い風刺と、純粋、且つ、他に類を見ない、高度に知的な表現でできあがっています。
1905年から3年間、スコラ・カントルムでダンディに師事し、その頃からピアノ曲「犬のためのぶよぶよした本当の前奏曲」(12年)、「乾からびた胎児」(13年)、「スポーツと気晴らし」(14年)などを作曲!
1916年にはジャン・コクトーの台本で、ピカソの装置と衣装により、サイレン、飛行機の爆音、タイプライター、ピストル、ダイナモの音などが入った前人未踏のオーケストラ・バレー音楽「パラード」を書いています。
また、サティは彼とコクトーを賛美する”6人組”のミヨー、オネゲル、オーリック、プーランク、デュレ、タイユフェールを庇護し、彼らの音楽を世に紹介することに努めているのです。
また、アンドレ・ドラン、ジョルジュ・ブラック、コンスタンティン・ブランクーシ、マン・レイなどのダダイストたちがサティとの交流の中で多くの作品を生み出していったのです。
サティが始めた数多くの革新は、過去の音楽や他の民族音楽などの中にはあったものの、そのほとんどが純粋に彼独自の自発的で突発的なアイデアにもとづいたものであるため、現代音楽の祖としての評価は高く、数多くの作曲家がサティによる開眼を公言しているのです。
単なる変わり者、変人という括りだけでは表現できない、彼の天才ぶりとその孤高さが伺えますよね。
日曜の昼下がり、たまにはサティの曲でもいかがですか。