ハン・ファン・メーヘレン(Han van Meegeren)という画家をご存知ですか。
20世紀で最も独創的・巧妙な贋作者として、ヨハネス・フェルメールの贋作を制作した人物です。
11点にも及ぶ贋作は、戦後まで誰もがフェルメールのものだと信じていなかったものの、そうしたオランダの至宝を敵国に売り渡した売国奴として逮捕・起訴。
しかし、長期の懲役刑を求められたことから贋作を告白し、一連の鑑定により贋作であることが証明されたことから、一転してナチス・ドイツを騙した英雄と評されるようになりました。
フェルメールの絵画と聞くと、美しいウルトラマリン※)の色が用いられた、これぞフェルメールという世界観を持った作品ばかりで、高度の技巧派絵画の贋作を作るのも大変だと思うのですが、なぜ11点もの作品で欺くことができたのでしょう?
※)ウルトラマリンについては、こんな記事もありますので、参考にしてみてください。
”世界で最も高価な色、金より貴重な顔料「ウルトラマリン」の歴史”
それは、フェルメールが筆を握っていない空白の時期を、メーヘレンは巧妙に選んでいたことに始まるのです。
フェルメールも若い時期には宗教画で鍛錬を積んだのですが、当時の作品は僅か2点のみ秀逸な宗教画が残されているだけです。
その宗教画とフェルメールが到達した技巧派の世界には作品上での明らかなギャップがあり、その間にあたる時期の作品は見つかっていません。
そこでメーヘレンは空白の時期にフェルメールが”描いたかもしれない”ような絵を書きまくり、世間や専門家を見事に騙し続けていたのです。
フェルメールの研究家が、喉から手の出るほどの秘められた時期の作品が次々と出てきた!
天才贋作家メーヘレンの巧妙な罠に、当時の世間や専門家はまんまと嵌っていた訳です。
贋作家となる前のメーヘレンは、学生時代コンクールで受賞し将来を嘱望された気鋭の画家だったようです。
しかし、それまで絶賛されていたロマン主義的リアリズム風の作品が評価されない時代となり、メーヘレンの写実的な絵は全く評価されなくなります。
筆を折ることもできず、絵画修復の仕事で生計を立てながら、贋作家としての腕を磨き、フェルメールの空白の時期における未発見の絵画として、最初の贋作『エマオのキリスト』を売り込んでいったようです。
断片的にフェルメール芸術の特質をつなぎあわせたその一枚は、当時のあらゆる検査をくぐり抜け、みごと時の美術界のお墨付きを拝してしまった、ということだったのです。
戦後の裁判を受けて、一転英雄扱いを受けたメーヘレンですが、既に酒と麻薬で体を蝕まれており、釈放されて2ヶ月後、心臓発作に倒れてアムステルダムで死去したということです。
これからこそが、画家メーヘレンとしての名声を得るという矢先のことでした。
贋作者という言葉だけではいいつくせない、20世紀のもうひとりのフェルメール、メーヘレン。
改めて両者の作品をじっくりと観てみたいと思わせるエピソードですね。