明日は喜多川歌麿の命日(1806年10月31日(文化3年9月20日))ですね。
ということで、先に話題となった、これまでモノクロ写真でしか確認されていなかった歌麿肉筆画の傑作「雪月花」についてです。
今年の春先に喜多川歌麿の「深川の雪」が66年ぶりに一般公開されるというニュースになったのでご存じの方も多いかと思いますが、2012年に深川の倉庫で発見され、古美術商で保管された後に岡田美術館で購入を果たし、その後鑑定と修復を経て今年ようやく日の目を見た作品です。
これまでにも、喜多川歌麿肉筆画の傑作「雪月花」3部作として知られていましたが、「深川の雪」は1948年に銀座松坂屋で開催された「第二回浮世絵名作展覧会」に展示された後行方が分からなくなっていました。
歌麿といえば美人画の方にばかり注目されますが、「雪月花」3部作はその集大成ともいえるもので、もっと注目されてもよいぐらいです。(まあ、真贋を云々言われる部分もありますので、あまり騒ぎにならないのだと思いますが。。)
しかし、歌麿云々を除いたとしても、日本が世界に誇れる傑作のひとつといっても差し障りはないかと思いますので、日本固有の芸術作品として楽しんでもよいのではないでしょうか。
では、江戸を代表する遊興の場を「雪月花」で描いた喜多川歌麿の三部作をざっと整理してみましょう。
・舞台はいずれも江戸を代表する遊興の場
・成人男性が一人も描かれていない
・落款がない
といったところが三部作に共通した特徴です。
そもそも「雪月花」三部作は、栃木の豪商釜伊こと釜屋(屋号)4代目の善野伊兵衛が歌麿に依頼して描かせたと伝わっています。
当時小江戸と呼ばれる栃木は江戸時代商都として栄えており、歌磨はその豪商、善野家と親しかったとされます。
近江商人であった善野家は、栃木に釜喜、釜佐、釜伊の3家あり、そのうち釜喜4代目の善野喜兵衛を頼って歌麿が度々栃木を訪れていました。
善野喜兵衛の名は歌麿の作品にも度々現れているようですが、喜兵衛には通用亭徳成という狂歌名があり、狂歌名・筆綾丸の名を持つ歌麿とは狂歌繋がりであったことが伺えます。
そしてその栃木の滞在の中で、喜兵衛の叔父で分家の釜伊初代であった善野伊兵衛が歌麿に三部作を描かせたという訳です。
でも、何故江戸で描かずに栃木なのでしょう。
当時18世紀後半は、老中・松平定信が発令した寛政の改革により出版統制が行われ、浮世絵は風紀を乱すものとして厳しい取り締まりを受けています。
歌麿の重要なパトロンであった江戸版元の蔦谷重三郎は財産の半分を没収されるという重い罰を受け、1804年には歌麿自身も禁制の題材を描いた罪で捕縛され牢に投獄されたこともあったようです。
(まあ歌麿の描く題材では、統制規制がなくとも当時では取り締まれても致し方ないか、とも思えるのですが。。。)
こうした弾圧を逃れるようにして、善野喜兵衛を頼ったというのが実際のところのようです。
(三部作いずれにも落款がないために真贋を指摘される向きもありますが、ここでは弾圧された際の証拠とならないようあえて無款にした、という風に、良心的に解釈しておきましょう)
こうして善野家が所有していた三部作ですが、明治に時代が移ると浮世絵商・林忠正が買い取り三点ともフランスに渡ってしまいます。
その後、パリの美術商ユゲット・ペレスから「品川の月」と「吉原の花」の二点をアメリカのワズワース・アセーニアムが購入し、1957年同館の所蔵になりました。
そんな中「深川の雪」だけが1939年に日本の浮世絵収集家・長瀬武郎の手によって再び日本に里帰りを果たし、1948年に銀座松坂屋で三日間展示されたのを最後に記録から姿を消していたという訳です。
子供の頃は浮世絵なんて、という目で見ていたものですが、大人になると日本独特の画風・デフォルメされたタッチなどが、却って印象に残るようになりました。
ある意味、日本よりも海外の批評家の方が、そのあたりの価値をしっかりわかっているということなのかもしれません。
日本人としては、このあたりの文化的背景も踏まえた上で胸を張ってきちんと説明できるだけの教養は、最低限身につけておきたいものですね。
また、有名・無名に限らず、こうした日本的な特徴のある古くからの芸術作品は、未来永劫に渡ってもっと大切に伝承していくべきだと思います。
秋の夜長に、いかがでしょうか。
【品川の月】
米国・フーリア美術館蔵
サイズ:147.0cm×319.0cm(横長)
制作時期:天明末期の8(1788)年頃。
テーマ:東海道最初の宿場 江戸四宿のうちもっとも栄えた南国品川の「月(土蔵相模)」
飯盛女のサービスが黙認されていた東京・品川を舞台にしており、描かれた人物は20人です。
品川の旅籠屋の2階から海を眺められる座敷での宴会の様子が描かれています。
【吉原の花】
米国・ワズワース・アセーニアム美術館蔵
サイズ:186.7cm×256.9cm(縦長)
制作時期:寛政初期の3-4(1791-2)年頃。
テーマ:江戸の遊所 江戸唯一の官許の遊郭で北国と呼ばれる新吉原
幕府公認の遊郭があった東京・吉原を舞台にしており、描かれた人物は52人です。
遊郭の1階には華やかな花魁や女郎たちが描かれ、2階には高貴な家の女性たちが遊んでいる姿が描かれています。
【深川の雪】
現在、岡田美術館蔵
サイズ:198.8cm×341.1cm
制作時期:享和2(1802)年から文化3(1806)年頃。※)1806年は歌麿の没年でもあります。
テーマ:江戸の遊所 が岡場所の代表格、深川
粋な芸者町東京・深川の雪が積もった中庭を望む料亭二階座敷を舞台にしており、描かれた人物は27人です。
掛け物として表装された本作は、歌麿による肉筆画としては最大級のサイズです。
遊女や芸者などさまざまな年代の女性を色とりどりの衣装、髪型、化粧、しぐさなどで描き分け、それぞれを巧みに配置して安定した構図に練り上げているのが特徴です。
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