酔古堂剣掃より学ぶ!悠々たる人の生き方

徳川時代から明治・大正を中心に広く普及し、多くの文人・墨家が愛読したものとして『菜根譚』よりずっと内容が豊富で面白いとまで言われていた『酔古堂剣掃』。
国内では昭和53年から数回増版され、平成元年までは細々と出版された後、今ではほぼ絶版状態になっているような状態です。
今のように先行きが不安な時代だからこそ、こうした佳書はもっと多くの人に読まれるようになってほしいと思い、整理してみることにしました。

『酔古堂剣掃』は、中国・明朝末の教養人・陸紹珩(字は湘客)が長年愛読した儒仏道の古典である史記や漢書などの中から会心の名言・嘉句を抜粋し、収録した読書録です。
特徴としては、『菜根譚』と同様に自然の描写と観察が豊富で優れており、世の名利から距離を置いた悠々たる人の生き方を活写した風雅の書といわれています。

原本は十二巻で成り立っており、一巻毎に片言隻句の内容が分類された構成となっています。
第一巻:醒(せい)…心を醒まさせる句を載せるとする。
  世情が乱れると、人は酔ったように正気ではなくなってしまいます。まさに今の時代ですね。
  そこで、本来の人間らしい生活をするには活眼を開くしかないですよ、目を醒ましましょう!という警鐘を、一番最初の巻としています。
第二巻:情(じょう)…情味のある句を載せるとする。
  目を醒ましても、冷めるのでは理屈っぽかったり意地っ張りな傾向に陥るので、人情味を持ち合わせて大切にしましょう、ということです。
第三巻:峭(しょう)…聳然とした句を載せるとする。
  峭は山の険しい形を表しており、情に流されるだけではだらしなくなってしまうので、このままではいけない、奮起するところから始めよう、と繋げている訳です。
第四巻:霊(れい)…魂の句を載せるとする。
  奮起するにしても、目的もなく暴走するのではなく、魂・志を持ちあわせましょう、ということです。
第五巻:素(そ)…素朴な句を載せるとする。
  感覚や感情だけで突き進むのではなく、平素・平常の心で自然体でいきましょう、ということです。
第六巻:景(けい)…景色の句を載せるとする。
  ここまでくると、ようやくいろんな景色が見えてくるので、その景色を楽しみましょう、ということです。
第七巻:韻(いん)…韻律のある句を載せるとする。
  そんな景色も平凡・単調ではなく、春夏秋冬それぞれにいろいろなリズム・韻律が生まれてくる、ということです。
第八巻:奇(き)…奇抜な句を載せるとする。
  景色に韻律が加わると、平凡ではなくなる、要は奇抜になってこなければならない、ということです。
第九巻:綺(き)…煌びやかな句を載せるとする。
  ではどうずればよいか、それには風情やロマンを持たせる必要がある、ということです。
第十巻:豪(ごう)…豪邁な句を載せるとする。
  こうした風情も、線が細くなると退廃してしまうので線を太くする、つまりは気魄を優れたものにする、ということです。
第十一巻:法(ほう)…締めくくり(法)のある句を載せるとする。
  こうした豪も、豪邁・気性が強くなり、常軌を逸して型破りなことをしがちになるので、法に則りましょう、ということです。
第十二巻:倩(せん)…大丈夫の句を載せるとする。
  そういたことから、立派な人になりましょう、ということで締めくくります。

内容は、「足るを知る虚無観」「好煩悩と百忍百耐」「生活・自然・風流」「山居・幽居の楽しみ」などから自然と共生して生きる喜びを味わえと訴えている、人格よりも経済力を、過程よりも結果を重視しがちな現代人に対する警鐘の書ともいえる内容です。

そんな『酔古堂剣掃』から、幾つかピックアックしてみます。
後半は、徐々に飲みたくなるような名言・嘉句を並べてみました。

”志は高華なるを要し、趣は淡白ならんことを要す”
志は高く掲げ、でも感情に荒ぶることなく穏やかでいよう、ということです。

”眼裡、点の灰塵なくして方に書千巻を読むべし。 胸中、些の渣滓なくして纔に能く世に処すること一番す”
眼中に一点の曇りもなくなってこそ、本当の読書・学問ができる。
胸中に一切のかすを無くして明朗闊達であって、初めて世に処していける、ということです。

”士大夫、三日書を読まざれば、則ち理義胸中に交らず。 便ち覚ゆ、面目憎むべく、語言味無きを”
三日も書を読まなければ、哲学が胸中より離れ、面構えや認証が悪くなり、言葉も味が無いような気がする。

”書を読みて倦む時、須らく剣を看るべし。英発の気、磨せず。文を作りて苦しむの際、詩を謌うべし。鬱結の懐、随いて暢ぶ”
書物を読んで疲れたときは、ぜひ刀を看るがよい。発する気が消磨していないことがわかるからである。
文章を作って苦しむときは、詩を吟ずるがよい。むすぼれた懐いが次第に暢やかになるからである。

”友に交はるには、すべからく三分の侠気を帯ぶべく、人と作るには要ず一点の素心を存すべし。”
友人と交わるには必ず三分の侠気を帯び、人間たるには一点の純真な心を保つべきである。

”人情に近からざれば世を挙げて皆畏途なり。物情を察せざれば一生倶(とも)に夢境なり”
人情を得ない、人情がピッタリ来ないと世を挙げて、人の世の中は実に怖い・警戒しなければならない。
人情に近くない、人情に反するとなると世の中は難しい。
物事がいかにあるべきかという実情を察しないと、人間の一生とは何だかわからない夢のようなもの。
だから、人情と物情を明らかにすることは、非常に大切なことである。
天下は昏迷不醒。そこで迷うて醒めない人々の悪酔いを醒めさせてやりたいものだということです。

”才人の行は多くは放なり。当に正を以て之を斂むべし。正人の行は多くは板あり。当に趣を以て之を通ずべし”
才人の行いは多く放埓になるから、正義をもってこれを収斂するべきである。正しい人の行いは多くは型にはまって単調になるから、趣味や芸術をもってこれを行うようにするべきである。

”嬾には臥すべし、風つべからず。静には座すべし、思うべからず。悶には対すべし、独なるべからず。労せば酒のむべし、食うべからず。酔えば睡るべし、淫すべからず”
人はものうい、気合が入らないときには、ぐずぐずせずに寝てしまえ。
静かで落ち着いたときには正座して、くだらないことを考えるな。
人は一人だとどうしても考え込んだり、くだらないことに悩みがちだが、友や佳書といった意義や権威あるものに差し向かって対峙しなさい。
疲れたら、酒を飲め、疲れて食べると腹を壊したりするので、気をつけろ。
酔ってしまえば眠るに限る、酔って淫するようなことはしない方がよい。
これは五不可といって有名な格言であるようですが、たいていの人間はこの逆をやっているという戒めでもあります。

”花は半開を看、酒は微酔を欲す”
華は半分開いたぐらいが丁度よい、酒はほんのり酔うぐらいが丁度よい。

”肝胆相照らせば、天下と共に秋月を分たんと欲す。意気相許せば、天下と共に春風に座せんと欲す”
お互いに心の中を打ち明けて気が合う人と一緒にいるぐらい楽しいことはない。
秋の月というのは心が澄んで、清くきれいだ。
気が合う友と心を通わせれば、天下の世の中でいつまでも一緒にいたいと思うものだ。
こんな友を得られるだけの人物にならなければなりませんね。

”刺を投じて空しく労するは原と生計にあらず。裾を曳いて自ら屈するは豈に是れ交遊ならんや”
名刺を差し出して、社長さんや重役やらあちこちウロウロして功名を図るのは人がいかに生きるべきかの本質の謀ではない。
腰を低くしてご機嫌を取って回ることが、本当の交際をは言えないのである。
単に毎日の生活を立てる生計でなく、自分はいかに生くべきかという人の根源的生き方を問うているものです。

”法飲は宜しく舒なるべし。放飲は宜しく雅なるべし。病飲は宜しく少なかるべし。愁飲は宜しく酔うべし。
 春飲は郊に宜し。夏飲は洞に宜し。秋飲は船に宜し。冬飲は室に宜し。夜飲は月に宜し”
形式ばった酒宴では硬くなってはならない。
わがまま勝手に飲むのは、洗練されセンスがなければならない。
病気で大酒を飲むのは駄目だが、少しぐらい使うのであればよい。
泣き上戸が飲むのは、迷惑で困り者である。
春は郊外で、夏は涼しいところで、秋は船で、冬は部屋で、夜は月を愛でながら飲むのがよい。

”花を鑑賞するには須らく豪友と結ぶべし。妓を観るには須らく淡友と結ぶべし。山に登るには須らく逸友と結ぶべし。水に汎(うか)ぶには須らく曠友と結ぶべし。月に対するには須らく冷友と結ぶべし。雪を待つには須らく艶友と結ぶべし。酒を捉るには須らく韻友と結ぶべし”

花見に行くなら豪爽な友にすればよい。芸妓を観るにはあっさりした友がいい。登山をするなら俗気のない友にするのがいい。舟遊びをするにはおおらかな友がいい。雪見の友なら美女がよい。酒の友なら風流人しかいない。

生きることは運命であり宿命ですが、”いかにあるべきか”を知ることを”知命”と言います。
そして、それを如何に創造・実践していくこと、一身の一時的な利害などに囚われず世の中を救おうと心を尽くすことが”立命”というものです。
日本やこれからの私達はこの”知命”を立て”立命”していかなければなりません。
このような整理も、そのための誰かのお役に立てれば幸いです。

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以下、一部抜粋。

「酔古堂剣掃」を刻すの叙

書は以て人の神智を益すべし。剣は以て人の心膽を壮にすべし。
是れ古人の書剣を併称する所以にして、而して文事ある者は必ず武略ある也。
但し世上の奇書、多くは西土に出づ。而して刀剣は則ち、我が邦ひとり宇宙に冠絶せり。
ただに紫電・白虹のみならず、[尸+羊]を切り蛟を断つ也。
余、夙に刀剣の癖あり。一室に坐して、左に劍、右に書、竊かに以て南面百城※(天子富豪)の楽に比す。
其れ抑鬱無聊の時に当る毎に、輙ち匣を発(ひら)き払拭してこれを翫す。
其の星動龍飛、光彩陸離を視れば、すなはち大声叫快し、妻児婢僕は皆な騒然として以て狂となす。
余の精神が煥発し、霊慧は開豁にして、面上三斗の俗塵の一掃せらるるを知らざる也。
古人のいはゆる「書を検して燭を焼くこと短し。剣を看て引杯長し。」※杜甫「夜宴左氏庄」
読書倦む時は須く剣を看るべし。英発の気を磨せざるは、皆な先づ吾が志を獲ると謂ふべし。然らば今の此の楽しみ也。
余の之(ゆ)く所は独り。世の人の之く所と同じくせず。
若(も)し夫れ読書の中に、実に剣の趣を看る者は、其れ惟(た)だ酔古堂剣掃なり。
其の命名すでに奇。而して門を分って更に奇なり。
蓋し古人の名言快語を裒(あつ)め、以て帙と成す。字字は簡澹。句句は雋(俊)妙。以て精神を煥發すべく、以て靈慧を開豁すべし。
また猶ほ剣を看るごときにして星動龍飛、光彩陸離。其の快意、言ふに勝ふべけんや。
往年たまたま謄本を獲る。これを刻せんと欲すれば以て一部を当てて剣を説く。然るに魯魚(誤字)頗る多く、因循未だ果さず。
ちかごろ崇蘭館の所蔵する原本を借りて校訂、而してこれを開雕(出版)す。
嗟呼。此者を読み、その英発の気を磨し、以て面上三斗の俗塵を一掃せよ。
而して神智を自ら益すべし。心膽を自ら壮とすべし。
則ちこの書を以て、我が宗近・正宗の利剣と為す。また豈に不可ならんや。是を序と為す。
 嘉永壬子(五年)蒲月(五月) 陶所池内、容安書屋に於いて時題を奉る。三井高敏、隷(書)す

酔古堂剣掃-醒部
1
中山の酒を飲みて一酔すれば千日を経る、今の世の昏々として定まらざること、一日も酔わぬこと無きが如く、誰一人として酔わざる者の無きが如し。
栄達に奔る者は朝廷に酔い、利欲に奔る者は民間に酔い、富豪の者は女色、音楽、車馬に酔い、天下は終に昏迷して醒めること無きが如し。
ここに一服の清涼を得て、人々の眼を醒まさん。
醒せい第一を集む。

2
自らの才ばかりを頼りにして世を軽んずれば、?よくの如くに背後より害を為す者が現れるであろう。
外面を飾って人を欺けば、咸陽宮の方鏡が目の前にあるが如く、いずれはその心底を見透かされるであろう。

3
くだらない人物が豪傑をあべこべに批判するを怪しむも、批判に慣れて何も思わざれば小人と同じ。
世の中が自分を虐げるを惜しむも、困難はその人物の真贋を見るに過ぎざるを知らず。

4
花咲き誇り、柳の満つる所、驕ることなく推し開けば、わずかにこれ処するに足る。
風吹き荒み、雨の激しき時、惑うことなく見定めれば、まさに為すべきところを知る。

5
あっさりして捉われざる心境は、必ず絶頂の時より試み来るべし。
定まりて動ぜざる心境は、むしろ非常の時に向かいて窺い知るべし。

6
恩を売るは、人より与えられた恩徳に報いることの厚きに遠く及ばない。
誉を求めるは、世間の称賛より逃れることの適切なるに遠く及ばない。
情を矯正するは、その節操を正して心より直くするに遠く及ばない。

7
人と交わるにその人を褒めて名誉有らしむるは易く、その人の知らざるところにおける謗りを無からしむるは難し。
人と交わるにすぐに仲良くなりて喜ばしむるは易く、交わり久しくしてこれを敬するに至らしめるは難し。

8
人の悪を責めるには、厳しきに過ぎてはならない。
その人の、責めるを受けるに堪える気持ちを察するのだ。
人に善を教えるには、高きに過ぎてはならない。
その人の、従う気持ちが自然にして芽生えるように導くのだ。

9
人情に近からざれば、世の中に安んずるところ無し。
物事を察する能はざれば、一生夢の中に在るが如く、定まるところ無し。

10
志の発露なき士に遇いては、自らの志を吐露してはならない。
怒りを発して人を容るる無きの輩を見ては、口を防ぎ止めてこれとは語らぬ方がよい。

11
ひもを結び冠を整えるの態度は、これを頭が焦げ、額がただれるの時に施すなかれ。
歩行正しきを守るの規定は、これを死を救い、傷つくを助くるの日に用いるなかれ。

12
事を議る者は、その身を事の外に置いて、利害の情を十分に知り議りて決すべし。
事に当たりて実行する者は、その身を事の中に置いて、利害を忘れて尽力すべし。

13
倹約は美徳である。
然れども倹に過ぎれば、物をしみばかりで欲深く、心はいやしくなりて却って風雅の道を失う。
謙譲は徳行である。
然れども譲に過ぎれば、諂いとなり、細部を過剰に気に掛けるようになり、その多くは他を伺って己無く、ただ機をみて動かんとの心を出だす。

14
拙の如くにして内には巧を蔵す、さすれば暗くして明らかなり。
濁の如くにして清を宿す、さすれば屈して以て伸長となる。

15
徳を為して徳を望まず、恩を施して恩を示さず。
貧賤の交わりの長く久しき所以なり。
望めば甚だしく、欲せば足るを知らず。
利得の交わりの必ず破れし所以なり。

16
怨みは徳を徳とするが故に生ず。
故に人に自然と徳を感じさせるには、徳と怨の両方を忘れてしまうに勝るものはない。
仇は恩を恩とするが故に立つ。
故に人に自然と恩を感じさせるには、恩と仇の両方を無くしてしまうに勝るものはない。

17
天が我が福を薄くすれば、吾は吾が徳を厚くしてこれを迎える。
天が我が身を多忙にすれば、吾は吾が心に余裕を持たせてこれを補う。
天が我に偶然を与えれば、吾は吾が為すべきところを心に秘して以てこの偶然を処す。

18
あっさりして無欲な者は必ず栄華を欲する者に疑われ、節操を持する者は必ず驕り高ぶる者の忌むところとなる。

19
事が窮まり、勢いが衰えていく時に当たらば、まさにその初心を尋ねるとよい。
功が成り、行うところ達したならば、その末路を察して戒めねばならない。

20
好み醜む心が甚だ明らかなれば、物情を介せずして合うことなく、賢を崇敬し愚を軽侮するの心が甚だ明らかなれば、人情を介せずして親しまず。
故に何事においても内は精明にして、外は兼ね容れるべし。
さすれば好醜いずれもその平を得て、賢愚共にその益を受く。
そうであって初めて天地に通ずる徳といえるのである。

21
弁舌を好みて禍いを招くは、沈黙を好みてその性を喜ばすに遠く及ばない。
交友を広くして誉れを得るは、独居して自らを修めるに遠く及ばない。
費えを厚くして他事を営むは、事を省きて倹約しその分を守るに遠く及ばない。
才能をひけらかして妬みを受けるは、精一を旨にして己を慎み迂遠なるが如く在るに遠く及ばない。

22
千金を費やして賢人豪傑と交友することは、瓢箪半分ほどの食糧を以て飢餓を救うのと比べてどうだろうか。
大きな屋敷を構えて賓客を招来することは、小さな茅葺きの家を以て孤独で貧しき者の身を寄せる場とするのと比べてどうだろうか。

23
恩の多い寡ないは問題ではない。
困窮したときに施すわずかな飲料も、死力を尽した報いを得ることがある。
怨みの浅い深いは関係ない。
一杯の羹で気分を害したに過ぎずとも、時に亡国の禍を招く。

24
仕官の途は功を挙げ名を達す。
然れども常に林下の風味を思えば、権勢への望みは自ずから軽くなる。
世渡りの途は財を蓄え衣食満つ。
然れども常に泉下の光景を思えば、利欲の心は自ずから淡くなる。

25
富貴の極みに居る者は、水が溢れそうでなんとか溢れずにあるようなものである。
わずかでも節操を忘れば凋落に至る。
危難の極みに居る者は、木が折れそうでなんとか折れずにあるようなものである。
わずかでも他に頼れば滅亡に至る。

26
心に脱しきれば自ずから事もまた脱す。
例えるならば根が抜けて草の生ぜざるがごとし。
世間を脱してなお名を好む者は、生臭き肉ありて蚋の集まるに似たり。

27
情は最も定まり難きものである。
故に多情の人は、必ず情に薄くなる。
性は自ずから常道あり。
故に己が天性を尽くして飾らざる者は、その性を失わずしてその生全し。

28
才高くして心を貧賤に安んずる者なれば、栄達して貴位へと至るに足る。
善人なりて意を貧賤に馳せる者なれば、富みて金銭を用いるに足る。

29
語を伝えることを喜ぶ者は、共に語るには足らない。
事を議論することを好む者は、共に図るには足らない。

30
甘い言葉の多くは、その事の良し悪しを論ぜず、ただ人を喜ばせるを旨として惑わせる。
奮発させる言葉の多くは、その事の利害を顧みず、ただ人を激するを旨として暴走させる。

31
真に廉なる者は、あまりに大なるが故に人々は廉とは察せない。
これ名を立てし者を貪欲であるとする所以である。
真に巧みなる者は、あまりに大なるが故に形跡無し。
これ術を用いる者を拙なき者とする所以である。

32
悪事を為してその悪事が人に知られることを畏れるは、悪ではあるがその中にも善の心が開かれている。
善事を為してその善事を人に知られることを望むは、善を行なってはいるが悪の根ざしといえよう。

33
世俗を逃れて山林に入る楽しみを談ずる者は、まだその真の楽しみを得てはいない。
名利を談ずることを厭う者は、まだ名利から脱しきれてはいない。

34
冷たきより熱きを視て、然る後に熱き処に奔走するの益なきを知り、冗長より閑に入り、然る後に閑中の味わい最も深きを覚る。

35
冷たきより熱きを視て、然る後に熱き処に奔走するの益なきを知り、冗長より閑に入り、然る後に閑中の味わい最も深きを覚る。

36
雌伏すること久しき者は、雄飛して高きに往く。
すぐ花開きて早熟なる者は、早く散りて久しからず。

37
利欲に惑う者は、富貴なるとも心は貧し。
足るを知る者は、貧賤なるとも心は富む。
高位に居る者は、身は安んじて精神労す。
下位に居る者は、身は労して精神安んず。

38
人物偉大なれば、三軒足らずの小村に住むとも、その境遇に束縛されず。
形ばかりの矮小なれば、大都市に居るとも、心情迫りて安からず。

39
時間を惜みて励む者は、千古に卓越せんとの大志あり。
微才を憐れみ容るる者は、将に将たるの心あり。

40
感慨の極みは、転じて屈託なき笑いを生じ、歓喜の極みは、転じて声なき涙を生ず。

41
天が人に禍を下さんと欲すれば、必ず先ずわずかな福を以てこれを驕らし、微福を受けさせた訳を知り得るかを看るのである。
天が人に福を下さんと欲すれば、必ず先ずわずかな禍を以てこれを戒め、微禍を受けさせた訳を知り得るかを看るのである。

42
書画を俗物に品評されるは、末代までの恥である。
鼎彜を商人に鑑定されるは、千古の憂いというべきか。

43
英傑の本質はこれを懐に入れて初めて現れ、超脱の趣は己の足らざるを察して初めて知る。

44
名声高ければ忌み嫌われ、寵愛深ければ嫉妬を生ず。

45
想いを結ぶところ奢侈にして華美ならば、その見るところ全て満足せず。
心を致すところ清浄にして素朴なれば、その行うところ全て利欲を厭う。

46
人情に過ぎる者は、共に賢愚を図るには足らない。
好誼に過ぎる者は、共に賞罰を図るには足らない。
感情に過ぎる者は、共に得失を図るには足らない。
興味に過ぎる者は、共に進退を図るには足らない。

47
世の人々、破綻のところは多くその振る舞いから生じ、過誤のところは多くその執着から生じ、艱難のところは多くその欲心窮まり無きところから生ず。

48
隠棲は勝れた事である。
然れども、少しでも拘泥するところがあれば、人ごみに在ると変わらない。
書画を鑑賞するは風雅な事である。
然れども、少しでも貪り狂うところがあれば、利欲のためと変わらない。
詩酒を嗜むは楽しき事である。
然れども、少しでも求めに応じて行うのであれば、苦悩のところと変わらない。
客を好むは快活なる事である。
然れども、少しでも俗人に乱さるれば、忍耐のところと変わらない。

49
多く両句の書を読みて、少しく一句の話を説き、両行の書を読み得て、幾句の話を説き得。

50
普通の者を判断するは、大事な所で逸脱せぬかに在る。
豪傑を判断するは、細部に手抜かりせぬかに在る。

51
七分ばかりの正しき道を留めて以てその生を尽くし、三分ばかりの余裕を留めて以てその死を超ゆ。

52
財貨を軽んずれば以て人を集めるに足り、自己を律すれば以て人を服するに足り、度量が寛大なれば以て人を得るに足り、自ら率先すれば人を率いるに足る。

53
迷いに迷って迷いを識らば、即ち釈然として全てに通ず。
放ち難き想いをもって一たび放たば、即ち率然として全てに和す。

54
大事や難事には、それを担うだけの人物たるかを看る。
逆境や順境には、それで心が萎えたり調子に乗ったりせぬかを看る。
喜びや怒りには、感情の動きに左右されないかを看る。
集団の中に在れば、多数に流されて本質を見失わないかを看る。

55
余裕を存するはこれ事を処するの第一法。
貪らざるはこれ身を保つの第一法。
寛容なるはこれ人を処するの第一法。
拘泥せざるはこれ心を養うの第一法。

56
事を処するには、第一に熟考し、そして着実に処すべし。
熟考すれば情に合致し、着実に処せば遊離せず。

57
到底人が忍ぶこと出来ぬような心逆のことを忍び得て、初めて到底人の為しえぬ事功をなし得ん。

58
軽々しく与えれば取ること必ず濫れ、簡単に信ずる者は疑うこともまた易し。

59
丘や山に達する程の善を積むも、未だ君子と為すには足らず。
糸や毛の如き僅かな利欲を貪れば、たちまち小人に落つ。

60
知者は命と闘はず、法と闘はず、理と闘はず、勢と闘はず。

61
人の良心は夜の物静かな頃にあらわれ、人の真情はわずかな食べ物の間にもあらわれる。
故に我を以てその良心に気付かせることは、その人自身が省みることに遠く及ばない。
我を以てその情の動きを責めることは、その人自身が吐露して気付くことに遠く及ばない。

62
侠の一字、昔はこれを意気に加え、今はこれを外面に加える。
本当はただ、気魄気骨がどれだけあるかなのだ。

63
実業せずして食し、服し、口を動かして批評を加う。
故に知る。
何もせぬ人に限って、好んで事を生ずるものなるを。

64
執着して已まざるの病根は、一に恋の字に在り。
万変窮まらざるの妙用は、一に耐の字に在り。

65
むしろ世に随うばかりの凡庸なる者になるとも、世を欺くの豪傑には為ること無かれ。

66
世の中に自分に従順なるを好まざる人無し、故に媚び諂いの術に窮まりなし。
世の中は尽く批判批評するの輩、故に讒言の路を塞ぐは難し。

67
善言を進め、善言を受ける。
これが行き来する船の如くであれば、交わりて通ぜざるなし。

68
清福せいふくは天の大事とするところである。
故にもしも心を亡なって望むようになれば、福をすぐに消してしまう。
清名は天の敬意するところである。
故に少しでも汚れるところがあれば、名をすぐに消してしまう。

69
人の批判批評を為すものは心を亡ない、それを受ける者は心安し。

70
蒲柳の如きは秋を迎えて零落凋傷す。
松柏の如きは霜雪を経るもいよいよ青々たり。

71
人が名節を欲し、格好良くありたいと願い、男伊達を抱くは、酒を好むが如く当然のことである。
だが、安直に求めて溺れる者少なからず、故に徳性を以てこれを消すべきである。

72
好んで内情を語り、好んで人を誹り乱す者は、必ず鬼神の忌む所となる。
思いがけない災いに出会わぬとしても、必ず思いがけぬところで窮するであろう。

73
至れる人は微言にして測り知れず、聖人は簡易にして深意あり、賢人は明瞭にして察し易く、衆人は多言にして中身なく、小人は妄言して乱すのみ。

74
士君子にして人を感化させることが出来ぬのは、結局のところ学問を尽くしきれずして真に至らぬからである。

75
一言にして全てを混乱させ、一事にして全てを台無しにする者あり。
よくよく注意しなければならない。

76
人から善言を受けること、商売人の利益を求めるが如く、わずかなものでも着実に積み重ねてゆけば、自然と心豊かに老熟するであろう。

77
財産多ければ、ただこれまさに臨終の時、子孫の眼は涙を少し溜めるばかりで、その他は知らず、財産に眼を光らせ心を奪われる。
財産少なければ、ただこれまさに臨終の時、子孫の眼は涙を溜めるばかりで、その他は知らず、哀しみに耽りて終う。

78
読書は、必ず書中の眼目を感じ得て始めて読んだと言える。

79
光景調和して心気澄み渡り、地勢雄大にして壮心已まず。

80
善を尽せば善神これに従い、悪を尽せば悪神これに従う。
これを知らば以て鬼神を使役するが如きなり。

81
一人の志なき秀才を出だすは、一人の陰徳を積む凡人を出だすに遠く及ばない。

82
わずかでもまぶたを閉ずれば、夢の中に落つ。
人、夢に在りては自己たるを得ず。
眼光地に落つればその生を終う。
生前に自己を知らず、死後にどうして自己を知らん。

83
仏は解脱に至り、仙人もまた無境に至る。
聖人は天理を求めて天に至るも天を知らず。
天理を求めて天に至りたるを知らずして、天理を得る。
もし、天理を求めて天に至りたるを知らば、どうして天理を得るだろうか。

84
万事、酒杯の手にあるが如くに楽しむべし。
人生百年、いつまでも月の空に懸かるを見ていられる訳ではないのだから。

85
憂いや疑いは酒杯の中に映る蛇に過ぎず、そうと知れば両眉晴れるを得ん。
得失は夢に鹿を隠すに同じ、そうと知れば固執せずして前進あるのみ。

86
名茶や美酒には自ずから真味あり。
物好きな人、香の物を投じてこれを助け、却って最善となす。
これ人格高尚なる人や、風流なる人の、誤りて俗世に墜ちると何の違いがあるだろうか。

87
花咲き誇る石の坂、少しく座りて少しく酔う。
歌えば独り高らかに、心情最も細やかに。
茶は頻りに勧めて皆と楽しみ、深味最も苦きを欲す。

88
黙すべき時に黙するはよく語るに勝り、禁不禁の境を知るは事を処して明らかである。
世に混じりて在るは身を隠し、心を安んずるは境遇に適して素行自得ならざるはなし。

89
隠逸の真趣に心を馳せずとも、そのような志を抱く英傑は知らねばならない。

90
鋭気収めて自然と憤怒悠々たるを覚え、心神収めて自然と言語簡明なるを覚え、人を容れて自然と味識和合するを覚え、静を守りて自然と天地広大なるを覚ゆ。

91
事を処するには果断果決、心を存するには寛大寛容、己を持するには厳酷精明、人と共にするには和気藹々。

92
住居すれば必ずしも悪しき隣人を避けられるわけではなく、人と会うに必ずしも損友を避けられるわけではない。
ただ、よく自らを持して惑わされぬ者のみ、これと交わってよく己を存す。

93
自己の至りし所を知らんと欲さば、ただ早朝清明なるの時、心中想いしところはこれ如何と点険すれば、恐らくは察するところあらん。

94
平坦な道なるとも、車の往生せざる無く、巨波大波なろうとも、舟の渡らざるは無し。
事無きを図れば必ず事生じ、事有るを戒慎せば、必ず無事なるを得ん。

95
都会に在るも隠棲するも、その中ともに事を有す。
今の人の忙しき処、昔の人の閑を得し処である。

96
人と生まれたからには書を読むべきである。
暇をみつけては読み、余裕ができればよく読み、そして自らのものとするのである。
読みて読まざる人の如くであれば、これを善く読む者という。
世間の清福をうけること、いまだこれに過ぎたるはなし。

酔古堂剣掃-法部
1
僧侶や隠者の如き姿が天下に満ちてより、一世を超越し衆に優れし者、遂に世俗と調子を合わせ基準を同じくしてこれを矯正す、故に今世の道はすでに古の道と同じからず。
迂遠で陳腐なる者は、既に法に拘泥して自己を失い、一世を超越せし者は、また法を軽んじて自己あるのみ。
されば士君子たるもの、拘泥することなく軽んずることなく、その中ちゅうを得て放越せざるを期せんのみ。
どうして必ずしも世俗より逃れるを望まんや。
法第十一を集む。

2
いかなる世も才の乏しき世は無し。
天地の道に達せんとの精神を以て、是非を知る素のままの心を尽くして中庸を得ん。

3
尽して過ぎざる意を存すべし。
これを事において留めば、何時如何なるときも円滑となり、これを物において留めば、その働きに余裕が生じ、これを情において留めば、その味わい深きは全てを包み、これを言において留めば、その致すところ深遠にして測り知れず、これを興において留めば、その趣き多くして世を楽しみ、これを才において留めば、精神満ちて天地に通ず。

4
世には法則というものがあり、因縁というものがあり、人情というものがある。
因縁は人情に非ざれば長くは続かず、人情は法に則らざれば流れ易くして収まらず。

5
世には理の必し難き所の事多し、宋人の道学を執ること莫れ。
世には情の通じ難き所の事多し、晋人の風流を説くこと莫れ。

6
朝廷に仕えて国を危うきに導いてしまうぐらいであれば、民間に在りて世に関与するほうがよい。
隠遁して朝廷に仕える者に誇るぐらいであれば、朝廷に在りて自然を楽しむ趣きを有しているほうがよい。

7
遠望広大に先を見通す者は、その心、ますます小心翼翼たり。
高位長者に至りし者は、その挙措動作、ますます慎み節す。

8
真の心なるが故に万友に交わるを得。
偽心にては、一人に対してすら真に交わるということは得られぬであろう。

9
年少なれば心を没頭させるがよい。
没頭させれば浮ついた気持ちを収めて一に定まる。
老年なれば心は閑静なるがよい。
閑静なれば安んじてその生を楽しめるであろう。

10
晋人は老荘を論じて虚無を尊び、宋人は性理を論じて致知に向かう。
晋人は以て世俗を超越し、宋人は以て心を定めてその身を安んず。
これを合わせば美しく、これを分かてばどちらも破る。

11
事を始めるならば、自らの心が満足せぬことを行なってはならない。
事に当たらば、これを行い尽くさざるの心を抱いてはならない。

12
忙しき中に事を処すには、必ず間を得てよくよく吟味し、実行に当たりて節を持するに至るは、必ず平時に秘したる想いに由る。

13
日常に顕れ来たる節義は、人の知らざるところを戒尽するに由りて養われ、天下経綸の大事業は、深淵に臨み薄氷を踏むが如く戦戦兢兢たるの心持ちに由りて操とり出だす。

14
貨財を積むの心を以て学問を積み、功名を求むるの念を以て道徳を求め、妻子を愛するの心を以て父母を愛し、爵位を保つの策を以て国家を保つ。

15
何を以てか下達する、惟だ非を飾るに有り。
何を以てか上達する、過ちを改むるに如しくは無し。

16
わずかでも忍びざるの心を起せば、これ民を生じ物を生ずるの根本となる。
わずかでも非を為さざるの気象を存せば、これ天を支え地を支えるの柱石となる。

17
君子は青天に対して懼るれども、雷霆を聞いて驚かず。
平地を履みて恐るれども、風波を歩みて駭かず。

18
心喜びて軽々しく承諾してはならない、心奪われて怒りを発してはならない、心快くして多方に手を出してはならない、心倦みて終わりを全うせざるようではいけない。

19
意の念慮は想起するが如くにこれを防ぎ、口の言語は押し止めるが如くにこれを防ぎ、身の汚染は奪うが如くにこれを防ぎ、行の過ちは事を果断するが如くにこれを防ぐ。

20
白き砂が泥土の中に在れば、泥土と共に黒くなる。
染まっていくこと習慣となりて久しき故なり。
他山の石は玉を磨くべし。
切磋琢磨するは己を修める所以なり。

21
後生の輩の胸中、意気の両字に落つ。
趣きを以て勝る者あり、味を以て勝る者あり。
然れども寧味に饒きも、寧ろ趣きに饒きこと無からん。

22
片片として子瞻の壁に絵いし、点点として原憲の羹にしんす。

23
花の咲き満ちるは財貨も及ばず、春意の萌え出づるは貧者を救う。

24
思慮を少なくして心を養い、情欲を切り去りて精を養い、言語を謹みて気を養う。

25
身を立つること高き一歩なれば方に超脱す。
世に処するに退く一歩なれば方に安楽なり。

26
士君子たる者、貧しくして財を以て救済するを得ずとも、人の惑いに遭遇して一言の下にこれを目覚めさせ、人の危急に遭遇して一言の下にこれを解きて救えば、それで計り知れぬ功徳である。

27
既に敗れた事を救わんとする者は、崖に臨む馬を御するが如く、軽々しく鞭打つようなことをしてはならない。
事が成らんとする功を図る者は、奔流の中に在る小舟を引くが如く、最後まで棹を止めてはならない。

28
事無くして常に事ある時の如くに事を防げば、多少は予想外の事変を補正することが出来るであろう。
事ありて常に事無き時の如くに事を治めば、事局を越える危険を消すことが出来るであろう。

29
是非邪正に交わりて少しでも迎合する心を抱けば、位次立たずしてその正を失う。
利害得失に会いてこれを明らかに分かてば、功利に眩みて私心に惑う。

30
事が人の秘事に当たったならば、これを護りかばうを思うを要す。
少しのあばかんとする心も抱いてはならない。
人が貧賤にあらば、これを敬い貴ぶを思うを要す。
少しのおごり高ぶる態度も示してはならない。

31
ちょっと嫌な事があるからと肉親を疎んじてはならない。
新たに怨みが生じたからと旧恩を忘れてはならない。

32
富貴の人に対しては、礼を以て接するのは難しくないが、本心より思うことは難しい。
貧賤の人に対しては、恩を施すことは難しくないが、これを真に礼することは難しい。

33
礼義廉恥は己を律すべきものであって、人に対して要求すべきものではない。
己を律するときは過ち少なく、人を糾すときは即ち離る。

34
およそ物事というものは善悪を兼ね入れて暴かぬでよきは暴かざるべし。
さすれば独り己を益するのみならず、天下人民皆の益となる。
何でも明らかにして甚追するは、独り人を損させるのみならず、自らの損にもなる。

35
人の詐りを覚りても言葉に表さず、人の侮りを受けても怒りを生ぜず。
この不言不動の趣には、限りない意味があり、また限りない学ぶべきものがある。

36
爵位は分に過ぎたるを得てはならない、分に過ぎれば必ず破れてしまう。
自らの力を以て事を為せると雖も必ず余裕を存さねばならない、余裕有らざれば必ず衰えてしまう。

37
旧友を遇するには、意気を新たにして接すべし。
人に知られざる事を処するには、心を清浄にして為すべし。
衰え朽ちたる人を待つには、往年に接した以上の恩礼を以て接すべ

38
人を用いるには甚だしきに過ぎざるを要す。
甚だしければ正しきに従い效う者は去ってしまう。
交友は善悪の区別なく交わってはならない。
区別せざれば阿諛迎合の者が来たりて乱すに至らん。

39
憂勤はこれ美徳である。
然れども憂勤に過ぎて苦に至らば、性に適さず、情を喜ばさず。
淡白はこれ高風である。
然れども淡白に過ぎて枯に至らば、経世済民ならずして只の世捨て人である。

40
人を興起せしむるには平生の習いより脱するを要し、少しも世俗の習いを矯正するの心を抱いてはならない。
世に応じて事功を為すには時勢に随うを要し、少しも時勢におもねり義理を破るの念を起してはならない。

41
富貴の家にして窮途の親戚が頻繁に往来することあれば、これ忠厚を存すというべし。

42
師に従って名士に会うは、教えを垂れるの実益少なく、弟子となりて試験に及第するを望むは、教えを受けるの真心少なし。

43
男子徳有るは便ち是れ才、女子才無きは便ち是れ徳なり。

44
病の楽しみを想うべし、苦境の景色を経験すべし。

45
才の衆に優れ、一国に並ぶべきのない程の者なれば、必ず常人には測るべからざるの功業を負う。
この故に、才が少しでも衆を抑えこめば、たちまち忌む心が生じ、行が少しでも時に違えば、たちまち嫉視生じて非難至り、死後の声名が空しく墓中の骸骨を誉めるばかりである。
たとえ途窮まり落ちぶれるとも、誰が宮外にさまよう美人を憐れむだろうか。

46
位高き人が貧しき者と交わる場合には、驕り高ぶる気象が表れやすく、貧しき者が位高き者と交わる場合には、貴位に屈せざるの気骨を存すべし。

47
君子の身を処するや、寧ろ人の己に負くとも、己の人に負くこと無し。
小人の事を処するや、寧ろ己の人に負とも、人の己に負くこと無からしむ。

48
硯神を淬妃と曰ひ、墨神を回氏と曰ひ、紙神を尚卿と曰ひ、筆神を昌化と曰ひ、又た佩阿と曰ふ。

49
治世の要は、半部の論語、出世の要は、一巻の南華あり。

50
禍は己の欲を縦いままにするより大なるは莫く、悪は人の悪を言ふより大なるはなし。

51
世に知られ称えられる者を求めることは簡単だが、真に自己を知る者を求めることは難しい。
表面を飾る者を求めることは簡単だが、知られざる処において愧ずる所の無き者を求めることは難しい。

52
聖人の言葉はどんな時も常に持ち来たりて、読み、発し、想うべし。

53
事の末に巧みにならんことを期するよりは、事の初めに拙ならざらんことを戒めるに若かず。

54
君子には三つの惜しむことがある。
生を受けて学ばざる、これ一の惜しむべきことである。
学ばずして一日一日が無駄に過ぎていく、これ二の惜しむべきことである。
そして遂には己を得ずして一生を終える、これ三の惜しむべきことである。

55
昼は妻子のあり方を以て確かめ、夜には夢に何を観るかで確かめる。
ふたつの者、いずれも恥じるところ無ければ、始めて学んでいると言える。

56
士大夫たるもの、三日も聖賢の書を読まねば、義理が胸中より離れ、面構えは悪くなり、言葉には味が無くなるを覚えるであろう。

57
外面ばかりの交際を密にするよりは、誠心より交わる友を親しむに及ばない。
新たに恩を施すよりは、旧き貸しに報いるに及ばない。

58
士たる者は当に王公をして己が名声を聞からしめ、実際に会うことは稀なるべし。
むしろ王公をして来たらざるを訝らしめ、その去らずして長く留まるを厭わしてはならない。

59
人が得意のときには心から喜び、人が失意のときは心から悲しむべし。
これらはいずれも自らの身心を全くして達する所以、人の成功を忌み、人の失敗を楽しむ事が、どうして人事に関係しようか。
いたずらに自らの身心を破るのみである。

60
重恩を受けては酬い難く、高名を得てはつり合い難し。

61
客をもてなすの礼は、当に古人の意を存すべし。
ただ一羽の鶏、一握りの黍、酒を数回酌み交わし、飯を食らいてやむ。
これを以て法と為す。

62
心を処するには深遠を旨とす、明白に過ぎれば必ず偏す。
事をなすには余裕を旨とす、甚だしきに過ぎれば必ず窮す。

63
士たる者の貴ぶべき所は、節義正しきを大と為す。
貴位はこれを失うも、時宜を得ればまた来たる。
節義を失えば、その身を終えるまで人と為ること無し。

64
勢いは頼りすぎるべからず、言語は言い尽くすべからず、福は授かりすぎるべからず。
何事においても不尽の処を存するは、意味深長なる趣あり

65
静座して然る後に日頃の気の定まらざるを知り、沈黙を守りて然る後に日頃の言葉の騒がしきを知り、事を省きて然る後に日頃の無事を費やすを知り、戸を閉じて然る後に日頃の交友の煩雑なるを知り、欲を寡くして然る後に日頃の通病の多きを知り、人情に近づきて然る後に日頃の存念の過酷なるを知る。

66
喜びに乗じて言に過ぎれば多く信頼を失い、怒りにまかせて言に過ぎれば多く事態を失う。

67
広く交われば費用が掛かり、費用が掛かれば稼がねばならず、稼ぐ必要があれば人に求めること多くなり、求めが多ければ恥辱を得ること多し。

68
心残りになるような事を為してはならない。
中途半端で済ます心を生じてはならない。

69
一字も軽しく人に与ふ可からず、一言も軽しく人に諾だくす可からず、一笑も軽しく人に假す可からず。

70
人に対すれば正を忘れず、廉潔を抱いて己を律し、忠誠の心を以て君に事つかえ、恭謹の心を以て長に事え、誠信を以て物事に接し、寛容を以て下の者を待ち、敬意を以て事に処す。
これ官に勤めるの七要である。

71
聖人大事業を成す者、戦戦兢兢の小心より来たる。

72
酒が入れば舌が出て、舌が出れば妄言す。
我は思う、酒で身を滅ぼすぐらいならば、酒を棄てるに如かず、と。

73
青き空に太陽が輝き、穏やかな風に雲が漂えば、人に喜色を生じさせるのみならず、かささぎもまた好い音で鳴く。
もし風が荒ぶり雨が吹きつけ、雷鳴轟き閃光発すれば、鳥は林へと隠れ、人もまた戸を閉じる。
故に君子は大和の元気を以て主と為す。

74
胸中に重んずるところ、気概ばかりを主とすれば、友に交わるも人情を得ず。
楚辞や詩経ばかりを主とすれば、読書をするも心に達せず。

75
友として交わるならば先ずその人物を察すべし、交わりて後は信じ抜くべし。

76
ただ倹約を以て廉謹なるに向かい、ただ恕の心を以て徳を成す。

77
書を読むに貴賤・貧富・老少は問題ではない。
書を読むこと一巻なれば、誰しもが一巻の益を得て、書を読むこと一日ならば、誰しもが一日の益を得る。

78
その心持ちは細部に拘らずして平易平坦にし、その発するところは表裏なくして飾らぬようにし、その則るところは形式張らずに人情に合わせ、その交わるところは簡にして少なくす。

79
好醜は太だ明らかなる可からず、議論は務めて尽す可からず、情勢は殫く竭す可からず、好悪は驟に施す可からず。

80
穏やかにたゆたう波、はっとするような夢は、人に道心を発起させる。

81
読書には成長させるに足る書を積むべし。

82
口を開けば人を誹謗中傷するは軽薄なることの第一である。
ただ徳を失うのみに足らず、身をも失うに足る。

83
人の恩は念ふべし、忘るべからず。
人の仇は忘るべし、念ふべからず。

84
人の言葉を受け入れない者に対しては、余計な言葉を発するべきではない。
これ人と善く交わるための法則である。

85
君子の人たるや、人の過失に遇えば人情を斟酌するところを探し求め、無闇に過失を暴いて咎めるようなことはしない。

86
もしも自分に心酔してくれる人が居ったならば、その人は我が範疇にある。
その人を活かすも殺すも自分に責任がある。
もしも自分が誰かに心酔したのならば、我はその人の範疇にある。
心酔した以上はどうなろうともその人に尽すのみである。

87
自分が人を重んずるからこそ、人もまた重んずるのである。
人が自分を軽んずるのは、自分自身が人を軽んじているからに過ぎない。

88
無風流に遇えば静かに黙っているのがよい。
調子よく戯れると怨みを生ずるであろう。

89
世を超脱するの者は他を顧みざること多し、常に精密謹厳なるを学ぶべし。
厳密なるに過ぎたる者は常に拘泥して性を損ず、当に円転窮まりなきところを思うべし。

90
精錬された金や輝くほどに磨かれた玉のような、他に類をみない程の人品にならんと欲するならば、烈火の中より鍛え来たるべし。
地に掲げ、天に達するほどの事功を立てんと欲するならば、常に薄氷を踏むが如くに戦戦兢兢たるの志を存すべし。

91
性は欲望に溺れず善く収め、怒は速やかに去りて留むるなく、語は激さずして温然和気を旨とし、飲は節度をたもって過ぎざるべし。

92
よく富貴なることを軽んずるにも関わらず、その富貴を軽んずる心を軽んずることが出来ず、よく名義を重んずるも、その名義を重んずるの心を重んじてしまうのは、いうならば世俗の塵気をいまだ掃うことが出来ず、そして心に萌えでる些細な思いに捉われてしまっているのである。
この処をとり除いて擺脱せねば、石を取り去るも草が生じてしまうように、いつまでたっても達することは叶わないのである。

93
騒がしきことは志を散逸させることはもとよりなれども、単に静かなるだけもまた心を枯らすばかりである。
故に道を志す者は心を深く蔵して虚の如く、志の赴くままに楽しみて円通窮まりなきを養うべし。

94
昨日の非はすぐさま取り去らなければならない。
これを取り去らねば、燃え残った根から草木が生え出るように、遂にはくだらぬ心情にまみれて道理を失うであろう。
今日の是とするところに拘泥してはならない。
これに拘泥すれば無心たることを得ず、遂には欲心生ずる根とならん。

95
小人に対すれば、厳格なるには難からずして悪まざるに難し。
君子に対すれば、恭敬なるには難からずして真に礼を尽すは難し。

96
私事で恩をうることは、公共の事を助けるに遠く及ばない。
新しい友を得ることは、親しき友を大切にするに遠く及ばない。
世に名を立てることは、ひそかに徳化するに遠く及ばない。
飛び抜けたるを貴ぶは、日々の行いを大事にするに遠く及ばない。

97
一時の思いで先祖の禁戒を犯し、一言にして天地の和を破り、一事にして子孫に禍を遺す者あり。
最も戒めるべきところである。

98
現実に馳せて心を用いざれば事を成すことはなく、現実を超脱して心を用いざればその真を知ることはない。

99
年老いたる人の通病はいたずらに人に従うことである。
年若き人の通病はいたずらに世の中を歯牙にもかけぬことである。

100
善をなすも表裏始終に違いがあるのならば、みせかけの善人に過ぎない。
悪をなして表裏始終に違いがないのならば、かえってこれを気骨ある者という。

101
本当に心に入れば、どのような近いところでも玄門となる。
絶頂とならば、何にも勝る快事なり。

102
水滸伝に足らぬものなどあるだろうか。
ただ長寿を思うの一事無し。
これは欠陥ではない。
豪放磊落な男達の、意気な心を示すのみ。
これを以てますます作者の妙を知る。

103
世間に便宜を訪ね求めることを悟り知る者は、すでにこれかつて便宜を失いたるを経験せし者である。

104
書は志を同じくする友である。
一篇を読む毎に、自ずから心に染み入るを覚ゆ。
仏は晩年の友である。
ただ半偈を窺えば、なんとも死後の真に空なるを思う。

105
衣服に垢がついて洗わず、器物を欠損して補わざれば、人に対して恥ずる有り。
行い正しからざるに改めず、徳量足らざるに修養せざれば、天に対してどうして恥じぬことがあろうか。

106
天地共に醒めず、昏く沈んで酔夢の間に落ちてしまった。
この洪濛なる状態もどうせ客に過ぎないのだから、さっさと天にいる主人を尋ねよう。

107
老熟して達せし人には必ず常訓とするところあり、必ず則法とするところあり、ほんのわずかなことでもこれを手本とすべし。
心定まらずして悶々たる人は、吐くこともできず食らうこともできず、少しの間でも対するに足らず。

108
友を重んずる者は交際を始めること極めて難く、友とするに相応しいかをよくよく点険する。
故にその友となること非常に重し。
友を軽んずる者は交際を始めること極めて易く、友とするに相応しいかをほとんど問題とせず。
故にその友となること非常に軽し。

「酔古堂剣掃」後叙
天下は廣きかな、いまだ嘗て才子の無きことはあらざる。
而して才子は往々不平の気を是に懐くか。
放浪烟月、流連 麹蘗(きくげつ:酒の謂)、珠に簾画 の欄を以て嬌歌慢舞、以って一時の楽に於いて快 を取るも則ち楽かな。
然れども興尽き、酒醒めれば則ち意況は索然。無聊、殊さらに甚だしく、向ふ所快意を以っ て 排悶(気晴らし)せん者も逼足し、以って其の不平を長ずるのみ。
一室に匡坐(正坐)して上下千古 目を明るく 心を快く 以 て胸中の抑塞を蕩滌(洗い流す)するはそれただ読書にあらんか。
而して其の書、不平により成る ものなれば、其れ人為に感ずること尤も深き也。
予、頃(このご)ろ明の陸湘客の『剣掃』なるものを得る。これを読むに、蓋し湘客また一の不平才子也。まさに其の鬱悶を排せんこと を以って此の書を著し出 すべし(出したのだらう)。
自序に云ふ、甲子の秋、京邸に落魄し乃ち手録 するところを出して刻して『剣掃』と曰く、甲子即ち天啓四年(1624)、魏[玉+當](宦官魏忠賢の謂)横 恣(ほしいまま)にして、挙朝(国中みな)婦 人(の様に意気地無き)たりし秋也。
則ち湘客の此書において不平を[寫]すを知るべき也。
此書に輯めたる古人の名言砕語は、部を外れ、奇警は雅潔を剪裁す。
人一たび帙を繙けば手を釈くあたはず、自ら賛して謂ふところ、“快読一過すれば、恍として百 年も幻泡のごとく、世事も棋秤(囲碁あそび)のごとく、向來の傀儡(わだかまり)、 一時に倶に化するを覺ゆ”とは信(まこと)なり。
嗚乎、湘客は不平の人にして、快適の書を為す。また後世の不平の人をして之を読ましむ。
快意此れにあら ずんば何ぞや。
子長(子張:後藤松陰)曰く、古来の書を 著はすは大抵聖賢君子が発憤の為す所なり。
蓋し不平の人に非ざれば不平の情の自ら解くことを知らず。
人皆その要を得るも、固より不足を怪 しむ也。
余、池内士辰(陶所)と謀って曰く、梓して以って世に行は んは今也と。
天下の才子、幸ひに太平極治の運に際す。
而ら ば此の快意の書を読み、ただ應に其れ瑞雲祥烟の紙上に往來するのみを覚ゆるべし。
嘉永六年癸丑(1853)春日、頼醇(三樹三 郎) 真塾にて撰并びに書す。