肥前平戸の名君松浦静山侯の江戸時代後期を代表する随筆集『甲子夜話』の巻三十九に輯録されている『水雲問答』。
これは、上州安中の殿様板倉伊予守勝尚侯(卓山)=白雲山人とその師の幕府大学頭・林述斎(=墨水漁翁)との間の往復文書・問答集でして、”治道心術”として国を治める方法を説いたものです。
※)甲子夜話自体も、機会があれば整理してみたいと考えています。
この林述斎は、かの『言志四録』を著した儒学者・佐藤一斎の学友でした。
林述斎が亡くなると佐藤一斎がそのあとを継いで幕府の大学頭になり、全国に多くの門弟子を養成した佐久間象山、山田方谷などは皆一斎の弟子。
佐久間象山の門弟には、吉田松陰をはじめ、小林虎三郎や勝海舟、河井継之助、橋本左内、岡見清煕、加藤弘之、坂本龍馬など、後の日本を担う人物が多数おり、幕末の動乱期に多大な影響を与えています。
つまり、元をただせば幕末維新の原動力は、この白雲山人と墨水漁翁の『水雲問答』にあるといっても過言ではないのです。
まずは、『水雲問答』に出てくる「五寒」という言葉です。
これは、前漢の劉向という学者が、国家が滅びる徴候には五つのこと「五寒」があるとしているものです。
・一に曰く、政外る(政治のピントが外れる。やっていること、議論のポイントが外れてくる)。
・二に曰く、女厲し。(女が荒々しい、出しゃばる)
・三に曰く、謀泄る(国家の機密が漏洩するようになる)。
・四に曰く、卿士を敬せずして政事敗る(識見・教養のある者を大事にしないで、無責任な政治をやるようになる)。
・五に曰く、内を治むる能わずして而して外に務む(国内をきちんと治めることができないので、国民の注意を外にばかり向けるようになる)。
こういう現象が現れるようになるとロクなことはない、何事にも初めにどう決着を付けるかを決めておくことが大切だ、ということなのです。
二を除いては、まさに今の日本そのもののように感じられます。
この問答については、非常に心術・識見が高いものですが、碩学・安岡氏は、ここで言うところの識見の「識」は三つあると説いています。
一つ目は「知識」:雑識と言って一番つまらんものであまり値打ちがない。
二つ目は「見識」:見識が無ければ語るに足らず、見識があってもその人が臆病あるいは狡猾で軽薄であるとその見識は何の役にもたたない。
三つ目は「胆識」:いかなる抵抗があってもいかなる困難に臨んでも確信・徹見するところを敢然とし断行し得るような実行力・度胸を伴った知識・見識のこと。
要は、人はこの「胆識」があって初めて本物の人間本当の知識人であるということです。
自己修養を行うことは、将来のあなた自身の人格向上と識見を磨くことになります。
こうした先哲が説いた言葉の数々を元に、精錬練磨を行って参りましょう。
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参考までに、そんな『水雲問答』の一部をご抜粋しておきます。
構成としては対話形式になっていることから、以下にある<雲>は白雲山人からの問いかけ、<水>は墨水漁翁からの答え、返答の形式となっています。
【人君の治術について】
<雲>治国の術は、人心を服しそうろうこと、急務と存じ候。人心服さねば、良法美意も行われ申さざらん。施しと寛容にあらざれば、人心は服し申さずなり。人心の服し申し候の肝要の御論、伺いたく候。英明(頭脳明晰)の主に、とかく人心の服さぬもの、いかがのことに候や伺いたく候。
<水>施しに過ぎたるときは濫賞の弊害あり。寛容に過ぎたるときは、また縦弛(規律がゆるむ)の弊害が有りそうろう。これなどをもって人心を得たるそうろうは、最も末なる者にそうろう。我が徳義は自ずから人を蒸化(心服させ)そうろう処が有りそうらえば、人心は服しそうろうものと存じそうろう。英明の主に人の服し申さぬは、権略に片寄りそうろうより、人はそのする所を詐欺かと思いそうろうゆえに候。蕩然たる徳が意内(気心)にみちて外に現れる時がある者に、誰か服せずして有るべきや。
施しもすまじきには非ず。人君(君主)の吝なるは至りての失徳にそうろう。寛容も捨てるべからず、苛酷納鎖の君は下々堪えがたきものに候。
<雲>一国を治めるには、人々の心を服させる、納得させることが非常に大事だと思います。
人々の心を心服させないと、どんなによい法律をつくっても、どんなに美しい気持で人民に臨んでも、現実には立派な政治は行われません。為政者には施(賞をやるなどして、人々を納得させ満足させること)と寛(寛容・寛大な気持)がなければ人々の心は満足し、納得しないものです。
そこで人々を心服させるにはどうすればよいか、肝腎のところをお聞きしたい。それから、名君といわれる人には、どうも人心が服さないと言われますが、これについてはどう思われますか。
<水>人々を満足させるために、むやみに賞などを濫発するのはよくありません。また寛大すぎると、規律がゆるんで万事だらしなくなるという弊害があります。このように人民や部下に褒美を与えてご機嫌をとったり、失敗を大目に見て人心を得ようとするのは、そもそも本筋から外れたことです。
上に立つ人は自らの徳と日頃の行いが大事であり、それによりご機嫌などとらなくても自然に人々を感化していくというやり方であれば、人々は自ずから心服するものです。
それから、いわゆる名君と言われる頭のいいトップに人々が心服しないのは、頭のいい人というのは、とかく計略、手練、手管に頼りがちなので、人々は一杯はめられるのではないかと警戒して信用しないからです。
スケールが大きくて、屈託がなくゆったりとして、身体の内部に何ともいえない温かい徳が満ちて、その人徳が外に現れているような人に、どうして心服しない人がありましょうか。
それはそれとして、賞を与えるのも程度と方法によってはけっこうですが、国を治める人がケチはのは困ったことです。寛大であるのはやはり大事なことです。
上の人が何かにつけて重箱の隅をほじくるように細かいところに立ち入るのは、下の人にとって堪えられないことです。
【白雲山人が問う条、以下これに倣う】
<雲>経国(国家の経営)の術は、権略(権謀)も時として無くば叶わざることに存じ候。あまり純粋に過ぎ候ては、人の心は服さぬこともこのように有ること存じ被り候。さりとて権略ばかりにても正しいことを失い申し候間、権略をもって正しいことに帰する工夫、今日の上(幕府)にては肝要かと存じ候。
<水>権(権力)は人事の欠くべからざる事にして、経(経営)と対言(対の言葉)し仕り候。天秤の分銅(重り)を、あちらこちらと、ちょうど軽重(バランス)にかない候所に据え候より字義を取り候事にて、もとより正しきことに候。仰せ聞き候所は謀り士の権変にして、道の権には非ず候。程子(ていし:中国の儒学者)権を説き候こと、『近思録』にも抄出(抜き書き)してあり、とくと御玩味(熟読)そうろうよう存じ候。
【命を知る】
<雲>時を知り、命を知るは君子帰宿の処。
万事ここに止り申候。
一部の易、此二ヶ条に止り魯論にも、これを知るを以て君子と之れ有り。
時を知るは、外のことにも之れ無く、為すべき時は、図をはずさず、為すまじき時にせぬのみに候。
命を知るは、その味広遠のことにて、説破に及びかね申候。
兎角古今身を危うくし、国を滅ぼし申候も、君子の禍に及び申すも、この二字に通ぜざる故と存候。
実は真の君子にあらぬ故に候。
英豪却って此の二条に通じ候故、一時に事を起し申候ことと存候。
<水>公論と存候。
英豪は道理を知らず、己の才気より存候。
君子は、義理には心得候えども、多く才気足らざるより見損じ申候。
因って彼の豪傑の資、聖賢の学と申す二つを兼ねざれば、大事業を成就仕らぬ事と存候。
【武の備えについて】
<雲>季世(末世)にいたりて武の備え怠らざる仕法はいかが仕るべきや。甚だ難しきやに存じ候。
<水>太平に武を備うるはいかにも難しきことに候。愚意には真理をしばらくおき、まず形より入りそうろう方が近道と存じ候。まず武具の用意をあつくして、いつにても間に合い候ように仕る。そのわけは火事羽織をもの好きにて製作し候時は、火事を待ちて出たき心に成り候が人情にそうろう。武具が備われば、ひと働き致したく思うも自然の情と存じ候。さて武伎(武術)も今様どうりにては参らず候。弓鉄は生き物の猟をもっぱらとし、馬は遠馬、打毬(ポロ)などよろしく、刀槍は五間七間(9m×13mの広さ)の稽古場にて息のきれそ候類い、何の用にも立ち申さぬ候。広い芝原などにて革刀の長試合、入り身など息合(気合)を丈夫に致し候こと専要(大切)と存じ候。これなどより漸々と実理に導き候外は、治世武備の実用は整い申すまじくと存じ候。
【治国の術は多事多忙】
<雲>およそ治国の術は多端(多事多忙)、その緊要(非常に重要)は人を知るの一件に帰し申しそうろうことと存じそうろう。人を知るの難しきは堯舜(ぎょうしゅん:二人の中国の帝王)の難しきとする所にして、常人の及ばざることながら、治国の秉政(政治を司る)の上にてはこの工夫専一(第一)と存じそうろう。
もっとも朱文(朱熹:朱子学の祖)公の、人に陰陽ありの論は感服仕りそうろう。なにぞ確かなるご工夫そうらわば伺いたくそうろう。いずれ活物(生きた論)は常理(道理)をもって推(推進)されまじくと存じそうろう。
<水>このことは実事(実際)中の最大事、最難事にそうろう。惟聖難諸と申すより、世々の賢者が皆手をとりそうろうこと別に才法あるべきとも申しきせず候。
陰陽(朱子学)は先手近くそうらわば、これまで効験(効果)多くそうらえども、大姦(悪賢い)に至りそうろうては、陰を内とし陽を外にして人を欺き候ことと往々にこれ有り、陰陽も一図に関わりそうろうて手を突き申しそうろう。
すべて古人の訓言は、大筋をば、よく申したるものにそうらえども、細密枝葉、変の極に至りそうろうては、説破(説き伏せる)もおよび難きの義(条理)多くそうろう。
つまりのところ見る人の高下(高低)により申すべきや。山水を見るも、その人の品格の高下に従いそうろうこと、羅鶴林(沙羅双樹の林:釈迦の入滅)風流三昧の論にそうらえども、人もその通り多かるべく候。
この方の下の者は随分見通し申すべくそうろう。上段になりそうろうと、見損じ申しそうろう。見る人の見当尺に善し悪しの論も立ち申すべき、とても我が分量の外の事業は出来申さぬもの。人知りとても同一様事たるべくそうろう。
しかれども謙譲しては大事は出来申さぬものゆえ、我より上段の人とても、平等に監破の心得はなくて叶わなきことかと存じそうろう。
これは大難問にて何とも別(ほか)に申すべきようもこれ無くそうろう。
【『周易』を知る】
<雲>『周易』は熱読し仕りそうろう所、大いに処世の妙これに有りやに存じそうろう。『易』(儒教的な解釈)を知らざれば季世(末世)には処し難しと存じそうろう。
<水>『易』は季世の書とは申し難し。盛世季運(堯と舜の二帝と李孚の運)いずれの時とても、天人の道『易』に外れそうろうことはこれ無しにそうろう。まず「程伝」にて天と人との同一道理をとくと考え給うべし。
以上のご質問、あらかた答え申しそうろう。大分とおん尋ね方、力が相見え、はなはだ珍重仕りそうろう。読書が空言(空論)の為ならずして、実践の方に深く習いそうろうの徴が相見え申しそうろう。折角ご勉励の程、お祝いいたしそうろう。
【歴代の宰相】
<雲>歴代の宰相のうち、唐の李鄴(曹操に仕えた李孚)公の事業、誠実にして知略あり。進退の正を得たるところ甚だ欣慕(喜び慕う)仕りそうろう。
李世の宰相は鄴公の如くになくば禍いを得申しそうろうて、しかも国家の軍を敗り申しそうろうことと存じそうろう。『鄴公家伝』と申す書は今は有りそうろうや伺いそうろう。
<水>鄴公の論は同意にそうろう。この人は一つとして誹るべきなし。ただ陸宣公(中国の唐の宰相)と時を同じくして、ついに宣公を用いざること疑いの一つにそうろう。古人の論もこれに有りやに覚えそうろう。されば今も昔も同じことにて、そのときの模様、のちの評と遥かに違いたることも多かるべし。やむを得ざる次第もこれに有るや。『家伝』は亡き書と聞こえ申しそうろう。
【一才一能の人材】
<雲>人材の賢なるものは委任して宜しくそうらえども、その他の才ある者、あるいは進めてあるいは退けて、駕御鼓舞するの術ありて人を用いざれば、中興(復興)することは能わざることと存じそうろう。時によりて張湯(長安の役人)、桑弘羊(武帝に貢献した)も用いずして叶わぬことも有るべからずに存じそうろう。
<水>一才一能(一つの事に秀れた者)はもとより捨てるべからず。駕御その道をする時は、張桑(張湯も桑弘羊も)用いるべきは勿論にそうろう。しかれども我に駕馭仕おおせたり(私にお申し付け下さい)と存じそうろうにて、いつか欺誑しを受けそうろうこと昔より少なからず候間(少なくないので)、小人の(小賢しい)才ある者を用いそうろうは、我が手に覚えなくては、みだりには許しがたくそうろう。
【人を知りて委任】
<雲>徳義(過ぎた施し)の弊害は述情(情け)におちいり、英明の弊害は叢脞(煩わしい)に成り申しそうろう。人君は人を知り委任して、名実(評判と実際)を綜覈(総て吟味)して、督責(厳しく監督)して励ますよりほか、治世の治術はこれ有るまじくと存じそうろう。
<水>名実綜覈(評判と実際を総て吟味)し、人を知りて委任するの論、誠に余薀(余すところ)なく覚え珍重(妙案)に存じそうろう。
【国家の災い】
<雲>国家の災いは君主の私欲から、大臣たちの私心から、また下僚たちが私党・派閥を組むことから起こるものです。
その根本原因は、公の国家を忘れて、私に惹かれることにあります。そこで公儀を立てることを提唱します。部分でなく全体を、私でなく公をすべてにつけて優先する。
主君と家臣がこの点でぴったりと意思を一致させて政治に取り組めば、国家が治まらないことはないと思います。
<水>公儀についてのご意見、もっともです。しかし、今のエリートたちを見ていると、彼らが公としているところにまた大小、軽重の違いがあります。人物・品格の高い人と低い人では、考えている公の段階が違うのです。
今の時代にも公はありますが、その公とするところが、いざ自分のことになると、みんな器量が小さくて、問題が大きくなると、いつの間にか公が私に変化してしまうのです。
結局、人物の器量が小さくてケチであっては、何ごともうまくいかないのです。器量の大きな人物が、国がいかにあるべきかを明らかにすれば千年に渡る太平の時代でも見通すことができます。
せめて公私の区別をはっきり分けて考えることができる人材がほしい。それさえわきまえることができない人々が、天下国家を議論できるものではない。
しかし、そういう人間に限って、突き詰めると自分のことを考えているのに、自分は公の仕事をやっていると思い込んでいる人ばかりなのです。
【悪知恵にたけた者】
<雲>悪知恵にたけた者が悪事を働き、君子を騙すことがよくあります。
君子は騙されても、悪い奴らの策略は巧妙なので気づきません。それならば、君子が逆に、悪い奴らの悪知恵の上をいく策略をめぐらして、彼らを騙し、善行を行わせることができれば、その利益は非常に大きいと思います。
<水>その考えはいけません。元来、君子と小人は白と黒、よい香りと悪臭のように相反するもので、どんなに手を尽くしてもうまくいくものではありません。
君子が小人を逆に騙して、善事をなそうとするのは、君子でありながら小人の手練手管を使うことになり、その時点で物事に対処する心のありようが正しさを失っていることになります。
ですから、たとえ一時的には成功したとしても、いつまでも通用する正道ではありません。
【英雄豪傑】
<雲>英雄豪傑、一旦は事を済し申候えども、終に敗れ申候。
<水>その原は不学に出ず。
<雲>英雄豪傑は、一度は成功しますが、最後の段階で失敗することが多いのはなぜですか。
<水>その原因は学ばないからです。
<雲>治国の果は慰みにてはこれ無く。
<水>その語病あり。
<雲>一人の存念より万人の苦楽に相成申す間、右の処とくと相考え、事を済し申すも、仕損じ候時の跡の取りしまりを付置申候ことと存候。俗に申候、尻のつつまらぬと申様にては相成らざることに候。
漢武の事を済し申候ことなど、後来に至り取治め宜しく、社稷の為を仕候ゆえ、愛するところの鉤弋をも殺し申候。
跡のしまりなく大事を企て申候ては、却って国の害を生じ申すべく存候。
<水>天下の事は、始有りて終り無きもの多し。
結局を其の始に定むること最も要緊と為す。
【人の出会い】
<雲>人は今の出会いを空しく過ごしてはなりません。
一生は帰ることのない旅のようなもので、そのうちになどと思っていると、山水のすばらしい景色も、二度と訪ねることはむずかしいものです。
当面する苦労などは忘れて、いまのうちに手柄を立てて名声を残すべきです。そうしないと、再びあのすばらしい景色の地を訪ねないうちに、中途半端なままで一生を終えてしまいます。
<水>手柄を立てて名を残そうというのは、功利的な考え方で、真の道理ではありません。漢の武帝の名臣・董仲舒はこう言っています。
「利益を得たり、成功者になることが大事なのではない。人間として大事なのは、いかにすることが正しい法則か、正しい道かを明らかにすることである」と。
この言葉をよく考えてください。何ごともその場限りでやりっぱなしにしないで、じっくりと一つの問題を成し遂げなければなりません。
また、機会があればなどと思っているうちに、中途で生涯を終えてしまうという説はもっともで、今も昔も人々の犯しやすい誤りです。
チャンスを逃さぬように心がけていないと、それで終わってしまいます。そのうちになどと空しい期待を抱いてはいけないという戒めです。
【大丈夫の志】
<雲>古今を考え候に、凡そ功をなし得る迄は苦るしみ、功すでに成って楽に赴かんとするとき、諸事背違して 心に任せぬことのみ多きやに存候。
謝安の桓温が在あるとき全からざるを憂い、符秦の大兵を退く迄は其の心中深察すべし。
大難既にやみ、功成り名遂げて琅邪の讒始めて行わる。
裴度が淮西を平げて後、憲宗の眷衰えたるも同じ事に候。
故に大丈夫直に進む大好事を鋭くなし得べし。
とても前後始終を量って何事もでき申す間じく候。
一時の愉快を一世に残さんこと、これ予が志なり。
如何如何。
<水>男子と生まるる者誰か此願かるべき。
然れども其位と時を得ざれば、
袖手して空しく一生を過ごすのみに候。
閣下閥閲、時世至れば謝裴が業を成し得べし。
凡そ青年は志鋭にして、中年に至りて挫催
し易く候。
今より後此の条を念々忘れ給うべからず。
【勤むるに成りて、怠るに敗るる】
<雲>人生は勤むるに成りて、怠るに敗るるは申す
までも之れ無く候えども。
勤むるは善きと知りながら、怠り易き者に之有り候。
且つ識ればいつにてもできると怠り申す類毎に之有り。
天下一日万機に候まま、日新の徳ならでかなわざることに候。
小人の志を得申候も、多くは此処より出申候。
力むれば能く貧に勝つと申す古語、おもしろきやに存じ申候。 聊かの事ながら大事に存候。
<水>いつも出来るとて為さば、学人の通幣多きものに候。
小人栖々として勤め、それが為に苦しめられ候こと、昔も今も同様に候。
鶏鳴にして起き、じじとして善をなすは切近のことに候得ども、余り手近過ぎて知れたることよとて、空しく光陰を送リ候こと、我人共に警むべきの第一たるは勿論に候。
貴人尚更勤めぬ者に候。
此くの如き御工夫面白く存候。
【跡あるべからず】
<雲>大事をなし出すものは必ず跡あるべからず。
跡あるときは、禍必ず生ず。
跡なき工夫如何。
功名を喜ぶの心なくしてなし得べし。
<水>是も亦是なり。
功名を喜ぶの心なきは、学問の工夫を積まざれば出まじ。
周公の事業さえ男児分涯のこととする程の量にて始めて跡なきようにやるべし。
然らざれば跡なきの工夫、黄老清浄の道の如くなりて、真の道となるまじ。
細思商量。
【内冑を見せて懸れ】
<雲>凡そ人は余り疑い申候ては、ことをなし得申さず。
疑うべきものを疑い、あとは豁然たるべく候。
尤も疑いというものは、量の狭きから起り申候。
それに我が心中を人の存知候ことを厭い申候は俗人の情に候。それ故隔意ばかり出来、事を敗り申候。
それ事を了するものは、赤心を人の腹中に置き、内冑を見せて懸かり申すべきことと存候。
<水>人を疑いて容るること能わざること、我が心事を人の知らぬように掩い隠して、深遠なることのように心得るは、皆小人の小智より出ること云うに及ばず候。
大丈夫の心事、常々晴天白日の如くして、事に臨むに及んでは、赤心を人の腹中に置いて、人を使うことを我が手足を使う如くすることこそ豪傑の所為ならめ。
是を学ばん、是を学ばん。
【軽率の益、精細の害】
<雲>古今の人軽率に敗るることを知って、その軽率の益多きことを知ず。
精細の益多きことを知って、しかも精細の害甚だしきことを知らず。
大事をなし出さんとする者は、謀に精細にして、行に軽率なるべし。
独り大事のみに非ず。
凡ての事斯の如し。
<水>軽率の字病あり。
濶略に易うべし。
是は今人頂門のへん針語に候。
【仕損じの跡のしまり】
<雲>英雄は事を仕損じ申候、直に仕損じ中に人を服すること往々之れ有り。
唐の太宗高麗征討の節。
不利にして帰路戦死の屍を臨み、号哭仕候などの類に候。
<水>
英雄、英雄を知るの論。
太宗の品評適。