【源氏物語】 (佰陸拾弐) 夕霧 第五章 落葉宮の物語 夕霧執拗に迫る

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇の親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「夕霧」の物語の続きです。
a href=”http://shutou.jp/blog/post-1402/” target=”_blank”>【源氏物語】 (佰弐拾) 第二部 はじめ 光源氏の後半生と、源氏をとりまく子女の恋愛模様!

第五章 落葉宮の物語 夕霧執拗に迫る
 [第一段 源氏や紫の上らの心配]
 六条院にもお聞きあそばして、とても落ち着いていて何につけ冷静で、人の非難もなく、無難に過ごしていらっしゃるのを、誇りに思い、自分の若いころ、少し風流すぎて、好色家だという評判をおとりになった名誉回復に、嬉しくお思い続けていらしたが、
 「かわいそうに、どちらにとってもお気の毒なことがきっとあるだろうことよ。赤の他人の間でさえなく、大臣なども、どのようにお思いになろうか。それくらいのこと、分からないではないだろう。宿世というものからは、逃れられないのだ。とやかく口を出すべきことではない」
 とお思いになる。女の身にとっては、どちらに対してもお気の毒だと、困った事にお聞きあそばしてお心をお痛めになる。
 紫の上に対しても、今までのことや将来のことをお考えになりながら、このような噂を聞くにつけても、亡くなった後、不安にお思い申し上げる様子をおっしゃると、お顔をぽっと赤らめて、「情けないこと。そんなに長く後にお残しなさるおつもりか」とお思いになっていた。
 「女ほど、身の処し方も窮屈で、痛ましいものはない。ものの情趣も、折にふれた興趣深いことも、見知らないふうに身を引いて黙ってなどいては、いったい何によって、この世に生きている晴れがましさを味わい、無常なこの世の所在なさをも慰めることができよう。
 だいたい、ものの道理も弁えないで、つまらない者のようになってしまったのでは、育てた親も、とても残念に思うはずではないか。
 心の中にばかり思いをこめて、無言太子とか言って、小法師たちが辛い修行の例とする昔の喩えのように、悪い事良い事を弁えながら、口に出さずにいるのは、つまらない。自分ながらも、ほど好い身の処し方をするには、どのようにしたらよいものか」
 とご思案なさるのも、今はただ女一の宮の御身のためを思ってのことである。

 [第二段 夕霧、源氏に対面]
 大将の君が、参上なさった機会があって、悩んでいらっしゃる様子も知りたいので、
 「御息所の忌中は明けたのだろうね。昨日今日と思っているうちに、三年以上の昔になる世の中なのだ。ああ、悲しく味気ないものだ。夕方の露がかかっている間の寿命を貪っているとは。何とかこの髪を剃って、何もかも捨て去ろうと思うが、なんといつまでものんびりと過ごしていることか。まことに悪いことだ」
 とおっしゃる。
 「ほんとうに、惜しくない人でさえ、めいめい離れがたく思っている人の世でございましょう」などと申し上げて、「御息所の四十九日の法事など、大和守某朝臣が、独りでお世話致しますのは、とてもお気の毒なことです。しっかりした縁者がいない方は、生きている間だけのことで、このような死後は、悲しゅうございます」
 と、お申し上げになる。
 「朱雀院からも御弔問があるだろう。あの内親王、どんなにお嘆きでいらっしゃるだろう。昔聞いていた時よりは、つい最近、何かにつけ聞いたり見たりするに、この更衣は、しっかりした無難な人の中に入っていた。世間一般のことにつけて、惜しいことをしたものだ。生きていてもよいと思う方が、このように亡くなってゆくことよ。
 朱雀院も、ひどく驚きお悲しみになっていた。あの内親王は、ここにいらっしゃる入道の宮の次には、かわいがっていらっしゃった。人柄も良くいらっしゃるのだろう」
 とおっしゃる。
 「お気立てはどのようでいらっしゃいましょう。御息所は、申し分のない人柄や、気立てでいらっしゃいました。親しく気をお許して接したわけではありませんでしたが、ちょっとした事の機会に、自然と人の心配りというものがよく分かるものでございます」
 とお申し上げになって、宮の御事は口にかけず、まったく素知らぬふりをしている。
 「これほどの一本気の性格の者が思い染めたことは、忠告しても聞き入れないだろう。聞き入れもしないだろうことを分かっていながら、自分が分別くさく口を出してもしようがない」
 とお思いになっておやめになった。

 [第三段 父朱雀院、出家希望を諌める]
 こうしてご法事に、万端を取り仕切っておさせなさる。その評判は、自然に知れることなので、大殿などにおかれてもお聞きになって、「そんなことがあって良いことか」などと、妻方が思慮が浅いようにお考えになるのは、困ったことである。あの故人とのご縁もあるので、ご子息たちも。ご法要に参集なさる。
 読経など、大殿からも盛大におさせになる。誰も彼も、いろいろ負けず劣らずなさったので、時めく人のこのような法事に負けないほどであった。
 宮は、このまま小野で一生を送ろうとご決心なさったことがあったが、朱雀院に、誰かがそっとお告げ申し上げたので、
 「それはとんでもないことです。なるほど、何人とも、あれこれと身の関わりをお持ちになることは良いことではないが、後見のない人は、なまじ尼姿になってから、けしからぬ噂がたち、罪を得るような時、現世も来世も、どっちつかずの非難されるというものです。
 自分がこのように世を捨てているのに、三の宮が同じように出家なさったのを、何ともなす手がないように人が思ったり言ったりするのも、世を捨てた身には、思い悩むべきことではないが、必ずそんなにも、同じように競って出家なさるのも、感心しないことでしょう。
 世の辛さに負けて世を厭うのは、かえって体裁の悪いことです。自分でしっかり考えて、もう少し冷静になって、心を澄ましてから、どうなりとも」
 と度々申し上げなさった。この浮いたお噂をお耳にあそばしたのであろう。「噂のようなことが思うとおりに行かないので世をお厭いになった」と言われなさることを御心配なさったのであった。そうかといって、また、「公然と再婚なさるのも軽薄で、感心しないこと」と、お思いになりながら、恥ずかしいとお思いになるのもお気の毒なので、「どうして、自分までが噂を聞いて口出ししたりしようか」とお思いになって、このことは、全然一言もお出し申し上げなさらないのだった。

 [第四段 夕霧、宮の帰邸を差配]
 大将も、
 「あれこれと言ってみたが、今は無駄なことだ。宮のお心ではお聞き入れなさることは、難しいことのようだ。御息所が承知済みであったと、世間の人には知らせよう。どうしようもない。亡くなった方に少し思慮が浅かったと罪を思わせて、いつからそうなったということもなく、分からなくさせてしまおう。年がいもなく若返って、懸想をし、涙を流し尽くして口説いたりするのも、いかにも身にふさわしからぬことだろう」
 と決心なさって、一条邸にお帰りになる予定の日を、何日ほどにと決めて、大和守を呼んで、しかるべき諸式をお命じになり、邸内を掃除し整え、何といっても、女世帯では、草深く住んでいらっしゃったので、磨いたように整備し直して、お気づかいぶりなどは、しかるべきやり方も立派に、壁代、御屏風、御几帳、御座所などまでお気を配りなさり、大和守にお命じになって、あちらの家で急いで準備させなさる。
 その日、自分でいらっしゃって、お車や、御前駆などを差し向けなさる。宮は、どうしても帰るまいとお思いになりおっしゃるのを、女房たちが熱心に説得申し上げ、大和守も、
 「まったくご承知するわけには行きません。心細く悲しいご様子を拝見し心を痛め、これまでのお世話は、できるだけのことはさせていただきました。
 今は、任国の公務もございますし、下向しなければなりません。お邸内のことも任せられる人もございません。まことに不行届なことで、どうしたものかと心配いたしておりますが、このように万事お世話なさいますのを、なるほど、ご結婚ということを考えてみますと、必ずしも今すぐに移転するのが良いというのではないお身の上ですが、そのように、昔もお心のままにならなかった例は、多くございます。
 あなたお一方だけが、世間の非難をお受けになることでしょうか。とても幼稚なお考えです。いくら強がっても、女一人のご分別で、ご自分の身の振りをきちんとなさり、お気をつけなさることがどうしてできましょうか。やはり、男性から大事にお世話なされるのに助けられて、初めて深いお考えによる立派なご方針も、それに依存するものなのです。
 あなた方がよくお教え申し上げなさらないのです。一方では、けしからぬことをも、ご自分たちの判断でかってにお取り計らい申し上げなさって」
 と、言い続けて、左近の君や、小少将の君を責める。

 [第五段 落葉宮、自邸へ向かう]
 寄ってたかって説得申し上げるので、とても困りきって、色鮮やかなお召し物を、女房たちがお召し替え申し上げるにも、夢心地で、やはり、とても一途に削き落としたく思われなさる御髪を、掻き出して御覧になると、六尺ほどあって、少し細くなったが、女房たちは不完全だとは拝見せず、ご自身のお気持ちでは、
 「ひどく衰えたこと。とても男の人にお見せできなる有様ではない。いろいろと情けない身の上であるものを」
 とお思い続けなさって、また臥せっておしまいになった。
 「時刻に遅れます。夜も更けてしまいます」
 と、皆が騷ぐ。時雨がとても心急かせるように風に吹き乱れて、何事にもつけ悲しいので、
 「母君が上っていった峰の煙と一緒になって
  思ってもいない方角にはなびかずにいたいものだわ」
 ご自分では気強く思っていらっしゃるが、そのころは、お鋏などのような物は、みな取り隠して、女房たちが目をお離し申さずいたので、
 「このように騒がないでいても、どうして惜しい身の上で、愚かしく、子供っぽくもこっそり髪を下ろしたりしようか。人聞きも悪いとお思いなさることを」
 とお思いになると、ご希望通り出家もなさらない。
 女房たちは、全員急ぎ出して、それぞれ、櫛や、手箱や、唐櫃や、いろいろな道具類を、つまらない袋入れのような物であるが、全部前もって運んでしまっていたので、独り居残っているわけにもゆかず、泣く泣くお車にお乗りになるのも、隣の空席ばかりに自然と目が行きなさって、こちらにお移りになった時、ご気分が優れなかったにも関わらず、御髪をかき撫でて繕って、降ろしてくださったことをお思い出しになると、目も涙にむせんでたまらない。御佩刀といっしょに経箱を持っているが、いつもお側にあるので、
 「恋しさを慰められない形見の品として
  涙に曇る玉の箱ですこと」
 黒造りのもまだお調えにならず、あの日頃親しくお使いになっていた螺鈿の箱なのであった。お布施の料としてお作らせになったのだが、形見として残して置かれたのであった。浦島の子の気がなさる。

 [第六段 夕霧、主人顔して待ち構える]
 ご到着なさると、邸内は悲しそうな様子もなく、人の気配が多くて、様子が違っている。お車を寄せてお降りになるに、全然、以前に住んでいた所とは思われず、よそよそしく嫌な気がなさるので、すぐにはお降りにならない。とてもおかしな子供っぽいお振る舞いですわと、女房たちも拝見し困っている。殿は、東の対の南面を、自分のお部屋として、仮に設けて、主人気取りでいらっしゃる。三条殿では、女房たちが、
 「突然あきれたことにおなりになったこと。いつからのことだったのかしら」
 とあきれるのだった。色めいた風流事を、お好きでなくお思いになる方は、このように突然な事がおありになるのだった。けれども、何年も前からあった事を、噂にもならず素振り知られずにお過ごしになって来られたのだ、とばかりに思い込んで、このように、女のお気持ちは不承知であると、気づく人もいない。いずれにしても宮の御ためにはお気の毒なことである。
 お調度類なども普段と変わって、新婚としては縁起が悪いが、お食事を差し上げたりした後、皆が寝静まったころにお渡りになって、少将の君をひどくお責めになる。
 「ご愛情が本当に末長くとお思いでしたら、今日明日を過ぎてから申し上げて下さいませ。お帰りになって、かえって、悲しみに沈み込んで、亡くなった方のようにお臥せりになってしまわれました。おとりなし申し上げても、辛いとばかりお思いでいらっしゃるので、何事もわが身あってでございますもの。まことに困って、申し上げにくうございます」
 と言う。
 「まことに妙なことです。ご推量申し上げていたのとは違って、子供っぽく理解しがたいお考えでありますね」
 とおっしゃって、考えていらっしゃる処遇は、宮の御ためにも、自分のためにも、世間の非難のないようにおっしゃり続けるので、
 「いえもう、ただ今は、またもお亡くし申し上げてしまうのではないかと、気が気ではなく取り乱しておりますので、万事判断がつきません。お願いでございます、あれこれと無理押しなさって、乱暴なことはなさいませぬように」
 と手を擦って頼む。
 「これはまだ経験のないことだ。憎らしく嫌な者だと、人より格段に軽蔑される身の上が情けない。是非とも誰かにでも判断してもらいたい」
 と、言いようもないとお思いになっておっしゃるので、やはりお気の毒でもあり、
 「まだ知らないとおっしゃるのは、なるほど恋愛経験の少ないお人柄だからでしょうと、道理は、仰せのとおり、どちら様を正しいと申す人がございますでしょうか」
 と、少しほほ笑んだ。

 [第七段 落葉宮、塗籠に籠る]
 このように強情であるが、今となっては、邪魔立てされなさるおつもりもないので、そのままこの人を引き立てて、当て推量にお入りになる。
 宮は、「まことに嫌でたまらない、思いやりのない浅薄な心の方だった」と、悔しく辛いので、「大人げないようだと言われようとも」とご決意なさって、塗籠にご座所を一つ敷かせなさって、内側から施錠して、お寝みになってしまった。「これもいつまで続くことであろうか。これほどに浮き足立っている女房たちの気持ちは、何と悲しく残念なことか」とお思いなさる。
 男君は、心外なひどい仕打ちとお思い申し上げなさるが、このようなことで、どうして逃れることができようかと、気長にお考えになって、いろいろと思案しながら夜をお明かしなさる。山鳥の気がなさるのであった。やっとのことで明け方になった。こうしてばかり、取り立てて言うと、にらみ合いになりそうなので、お出になろうとして、
 「ただ、少しの隙間だけでも」
 と、しきりにお頼み申し上げなさるが、まったくお返事がない。
 「怨んでも怨みきれません、胸の思いを晴らすことのできない冬の夜に
  そのうえ鎖された関所のような岩の門です
 何とも申し上げようのない冷たいお心です」
 と、泣く泣くお出になる。

 

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