『三国志演義』第十七回 袁公路大いに七軍を起こし、曹孟徳三将を会合せしむ

 袁術は、孫策から玉璽を得て、自らを天子の位を名乗って年号を仲氏と定めた。

 呂布は袁術の軍に慌てて協議をした。
陳矯は、陳珪、陳登父子が招いた危機であるから彼らの首を差し出すことを提案した。
しかし、陳登は笑って、一計を献じた。
陳登は、袁術に不満を持っているカンセン、楊奉を寝返らせ、劉備に援軍を求めた。

 紀霊率いる大軍が攻め寄せて来ると、呂布が出て、さらに、カンセン、楊奉が寝返った。
紀霊軍は総崩れになって兵を退いた。
そして、退路に関羽が立ちはだかり、一喝すると袁術は慌てて逃げ帰った。
こうして呂布と関羽の連合軍は勝利を得た。

 一方、逃げた袁術は孫策に兵を借りたいと申し出るが、玉璽を横領した袁術に怒って拒否した。

 孫策は、曹操から会稽太守に封ぜられ、袁術討伐の詔を受けた。
孫策が兵を起こそうとすると、張松が曹操に援軍を要請する事を進言した。
孫策は、曹操にこの旨を伝え承諾を得た。
曹操は劉備と呂布にも参戦の要請を申し出た。
曹操が軍を向かわせる途中、劉備がカンセンと楊奉の首を持って訪れ、「この者の兵は略奪を働いたので討ち取りました」と言った。
曹操は、厚くねぎらい軍を徐州の境界に進めた。
出迎えた呂布は左将軍に封じられた。
曹操は、夏侯惇、于禁を先鋒に命じ、孫策、劉備、呂布の連合軍は袁術軍を撃退した。
袁術は、楊大将の進言で持久戦に持ち込んだ。
曹操軍は兵糧が不足し、兵の士気が落ち始めた。
曹操は、倉官のオウコウを呼んで「そちの首をくれ。
妻子の手当は十分にしてつかわす」と言って、兵糧を盗んだ罪で処罰した。
兵士の不満はおさまり、一気に袁術を打ち破った。
逃げる袁術を追う所、荀昱が兵糧不足のために兵を進めるのを諌めた。

 そこに張繍が劉表とともに攻め込んだという知らせが来て、孫策に書面を送って引き返した。

 曹操が許都に戻ると、山賊になった李傕と郭汜の首が献上され、人民は皆喜んだ。
 曹操は、張繍を迎え討ち、許拠を出して張繍軍を崩した。
 張繍が退却して来ると、賈詡は一計を進言した。

4004303486B00OKC2DCCB00PS2FMO4B00R3MUW60B00S5XTE8S449721009X