歌舞伎は世界に誇る、日本の伝統芸能です。
しかし、元々400年前に登場したときには、大衆を喜ばせるための一大エンターテイメントだったのです。
なんとなく難しそうなので、ということで敬遠されている方も多いのかもしれませんが、そもそもは庶民の娯楽だったもの。
一度観てみれば、華やかで心ときめく驚きと感動の世界が広がっているのです。
しかも歌舞伎は、単に400年もの間、ただただ伝統を受け継いできただけではありません。
時代に呼応して常に変化し、発展・進化してきているのです。
This is ” KABUKI ” ( ノ゚Д゚) もっと歌舞伎を楽しもう!(4) 演目の分類と一覧について
前回は歌舞伎の演目をざっと整理してみましたので、ここからは具体的な演目の内容について触れてみましょう。
今回は、天保年間に七代目市川團十郎(当時五代目市川海老蔵)が市川宗家のお家芸として選定した18番の歌舞伎演目・歌舞伎十八番(当初は歌舞妓狂言組十八番)の中から『助六由縁江戸桜』、通称『助六』です。
江戸吉原で全盛の花魁・揚巻の愛人である侠客花川戸の助六は、源氏の宝刀友切丸を探し出すため吉原に出入りしています。
実はこの助六とは曽我五郎時致の仮の姿なのですが、吉原で豪遊する武士の髭の意休という老人が、この刀を持っていることを聞きだし、奪い返すというストーリーです。
助六はさんざんに悪態をついて喧嘩をしかけ意休を怒らせ、刀を抜かせようとするが、なかなかうまくいきません。
そこへ白酒売に身をやつした兄の曾我十郎がやってきて弟に意見するが、助六の真意を知った十郎は自らも喧嘩を売る稽古を始めます。
やがて揚巻が一人の侍を伴って再登場。
助六はその侍に喧嘩を売ろうとするのですが、驚いたことにその侍は、兄弟を心配してやってきた母の満江です。
満江は助六に破れやすい紙子の衣を着せて、激しい喧嘩を戒めると十郎とともに帰っていきます。
そこで再び意休が登場。
意休は実は助六が曾我五郎と見抜いており、友切丸を抜いて源氏を裏切ることをそそのかします。
助六はもちろん応じず、意休(実は平家の残党・伊賀平内左衛門)を斬り、友切丸を取り返して吉原を抜け出すというもの。
こうした『助六由縁江戸桜』は江戸ッ子の代表のような美男子の助六と、意気地と張りを特徴とした吉原の遊女揚巻、悪所を背景にして展開する大衆の祝祭劇。
通常は2時間、まったく省略なしで演ずると3時間もの長尺となる舞台には、たった一幕「三浦屋格子先の場」だけで成り立っており、場面転換もなく、最初から最後まで同じ場所で繰り広げられるのですが、助六に喧嘩の稽古をつけてもらう白酒売り[実は五郎の兄の曽我十郎]、助六の喧嘩を戒めて紙衣を渡す母の満江、助六に喧嘩を吹っかけて返り討ちに合う意休の子分かんぺら門兵衛・朝顔仙平など多彩な役が登場し、観客を飽きさせません。
しかも稲荷寿司と海苔巻きを折り詰めた「助六寿司」も、この助六の愛人・揚巻の名が稲荷の「油揚」と「巻寿司」に通じることを洒落たことに由来しています。
【三浦屋格子先の場】
【口上】
河東節が演じられる場合は、この歌舞伎は口上から始まる。役者が一人舞台中央に正座し、客に挨拶するのである。團十郎や海老蔵が助六を務める場合は、この口上は市川宗家の門弟筋にあたる家の役者が行う。当代の團十郎が助六を務めた舞台では、そのほとんどで当代の段四郎がこの口上を行っている。
一通り客への挨拶を終えた後、役者は舞台上手に特設された黒御簾の中の河東節連中に向かって、ひれ伏すような低姿勢で「それでは河東節御連中様、なにとぞお始め下されましょう」と最大の敬語表現で呼びかける。これは河東節が単なる出演者でなく実質的に客であることの証明で、それも通常の客よりもよほど大事にされる上客であることを示している。
【並び傾城の出】
かつては両花道より金棒引きが登場し、河東節に乗って調子をとったが、大正時代を最後にして取り除かれた。そのため両花道は作らずに通常の花道だけになっている。ここで天保年間から昭和初期まで外郎売の言い立てがあったが、これも取り除かれて久しい。くわんぺら門兵衛・白玉と、白玉と白酒売のやりとりも取り除かれている(この場面で白酒売は白酒を売り歩き、これで客はこの男が白酒売であることがわかるわけだが、それが取り除かれているのである)。現在は、並び傾城が登場し、割り台詞を言った後に揚巻の出となる。
【揚巻の出】
揚巻は花道からの登場。少し酒に酔っているという設定で、この役の難しいところだといわれる。江戸時代に酔いを醒ます「袖の梅」という粉薬が実在した。揚巻はそれを飲んで酔いを醒まそうとする。
【満江からの手紙】
揚巻は手紙を渡される。差出人は助六の母・曾我満江(そがの まんこう)からで、廓に入り浸っている息子を何とかしてほしいと懇願する内容だった。本来は満江が実際に現れて揚巻に直接会って懇願するのだが、大正末期にはそれは廃され手紙だけになった。
【意休の出】
髭の意休と傾城白玉らが花道より現れる。意休は新人の遊女のことを話題にし、こんどあの娘を買おうという。あなたのような浮気者は、揚巻さんは嫌がります、と白玉は意休に注意をする。揚巻らと出くわす。助六の話題となった。意休は、揚巻をものにしたいが、揚巻は助六に夢中であることを知っており、それが悔しくてたまらない。そこで助六が他人の刀(=腰のあたり、財布のある場所でもある)を調べまくっていることを話題にする。助六は泥棒だ。スリだ。泥棒男と一緒になって不幸になるつもりか、と意休は揚巻に言い放つ。揚巻は反撃して、意休本人を面罵する。有名な「悪態の初音」である。
「これからは揚巻が悪態の初音。意休さんと助六さんを並べて見るときは、こちらは立派な男振り。こちらは意地の悪そうな顔つき。たとえていわば「雪」と「墨」、硯の海も鳴戸の海も、海という字は一つでも、深いと浅いは客と間夫(まぶ=本命の男)、間夫がなければ女郎は暗闇、暗がりで見てもお前と助六さんを取りちがえてよいものかいナァ」。怒る意休。「うしゃがれ」と揚巻に悪態をつきふてくされる。そこへ助六が登場する。
【助六の出】
助六が花道に登場。傘をさしている。傘を持って花道の上を踊る。おおよそ20分くらい延々と踊る。もっとも厳密には踊りであってはならず、「語り」でなければならないという口伝がある(九代目團十郎)。
【助六が本舞台へ】
ここで河東節の実演はすべて終了する。ここまでで幕が開いてから一時間経っている。女形が「やんや、やんや、」と褒めちぎり、助六は「どうでんすな。どうでんすな。」と得意満面で舞台中央に出る。
江戸町内の庶民は銭湯で入浴していた。大浴場に新たに入るときに、先客に対して「(自分の体は)冷えもんでござい」と挨拶するという礼儀があった。それを真似て助六は「冷えもんでござい」と言いながら長椅子に腰を掛ける。と、居並ぶ傾城十何人が一斉に「吸いつけ煙管(きせる)」を助六に手渡すではないか。次々と手渡される煙管を助六は両手で受け取る。意休はそれをじっと見ている。うらやましいのか。意休は居並ぶ傾城たちに、自分も吸いつけ煙草が欲しいと言うが、誰一人それに応じない。煙草はみな助六にやってしまったからだ。即ち、すべての傾城が、助六に対して間接的に接吻を望むのである。
「煙管の雨が、降~るようだ!」「(意休に対して)煙草の用なら一本貸して進ぜよう」 長椅子に腰をかけた助六は、なんと自分の左足の指の間に煙管をはさみ、意休にそれを吸わせようとするではないか。意休は動ぜず、反対に説教をする。助六はそれを聞かずに「エエ、つがもねえ」(初代團十郎の出身地・山梨県の方言)。反対に意休に対して、女に振られてもなお執着する姿は、あたかも蛇のようで気色が悪いとからかう。
【くわんぺら門兵衛と福山のかつぎ】
三浦屋からくわんぺら門兵衛が出てくる。彼は三浦屋の客で、大金にあかせて女を独占しようとしたが、実際には他にも客を取っていたことを知り激怒しているのだ。
花道から福山のかつぎが出てくる。うどん屋「福山」の出前持ちで、大きな出前箱を担いでいる。舞台の上でくわんぺら門兵衛と正面衝突し、言い争いになる。「ここなそばかす野郎め。タレ味噌野郎の、だしがら野郎め」 福山のかつぎはここで威勢のいい啖呵を切る。くわんぺら門兵衛は意休の子分であることを自ら明かし、長口上をぶつ。助六は、早くうどん屋を通してあげないと、うどんが延びるではないかとくわんぺら門兵衛に注意をするが、くわんぺら門兵衛はうどん屋を許さない。助六自身がうどんを買い取ることにする。
(かつぎに向って)「こりゃあ精進か(出汁に魚などを使っていないだろうな?)」「いえ生臭うございます(だしに魚を使っています)」「ご精進かは知らねども、わしが給仕じゃ、(くわんぺら門兵衛に向って)一杯あがれ」とやりとりあって、最終的に、うどんをくわんぺら門兵衛の頭からかけてしまう。くわんぺら門兵衛は自分の頭を割られたものと勘違いして、うどんを流血と取り違えて、こんなに血が出たと大騒ぎをしている。
【朝顔仙平と頭への下駄乗せ】
ピエロのような隈取りをした道化役朝顔仙平の登場。「朝顔せんべい」という商品名の煎餅の広告も兼ねた役名である。門兵衛が「このように、血がだらだらと・・・あ、こりゃうどんだ」。仙平は「ええ、おかっせえ」とたしなめ、助六に他の商品名の煎餅も言い立てて啖呵を切る、そこに門兵衛も加勢、二人が「そもそもうぬは何奴だエエ」と詰め寄る。
助六は有名な言いたてして二人をやり込める。歌舞伎俳優の雄弁術がもっとも効果をあげる胸のすくような場面である。
「いかさまナァ、この五丁町へ脛を踏ん込む野郎めらは、おれが名を聞いておけ。まず第一、瘧が落ちる(熱病が治る)。まだいい事がある。(吉原の)大門をずっと潜るとき、おれが名を掌へ三遍書いて舐めろ、一生、女郎に振られるということがねえ。見かけはけちな(小さな)野郎だが、胆が大きい。遠くは八王子の炭焼 田圃の歯っかけじじい、近くは山谷の古遣手、梅干婆に至るまで、茶呑み話の喧嘩沙汰。男伊達の無尽のかけ捨て、ついに引けを取ったことのねえ男だ。江戸紫の鉢巻に、髪は生締め。ソーレ、はけ先の間からのぞいてみろ、安房上総が浮絵のように見えるわ。相手がふえれば「竜に水」、金竜山の客殿から目黒不動の尊像まで御存じの、大江戸八百八町に隠れのねえ、杏葉牡丹の紋付も、桜に匂う仲ノ町、花川戸の助六とも、また揚巻の助六ともいう若え者、間近く寄って面相拝み奉れ!」
そして助六は意休に詰め寄る。刀を抜けと迫る。なんと、自分の下駄を脱いで意休の頭の上に乗せた!
「汝是畜生発菩提心往生安楽… どんがんちん ヤァーヤァー 乞食の閻魔様め!」
それでも意休は動ぜず、刀を抜かない。
【白酒売の出】
酒売が花道に現れて助六を呼び止める。助六はぶしつけな呼び声に怒る。「どいつだ。大どぶへさらい込むぞ、鼻の穴へ屋形船を蹴込むぞ。(節をつけて)こりゃまた何のこったい」 呼び止めた男、白酒売新兵衛の顔を見ると、なんとそれは曾我十郎祐成、すなわち五郎の兄ではないか。新兵衛は、助六(曾我五郎時致)が無法な喧嘩三昧の日々を送っていることを指摘し、いさめた。助六は、源氏の宝刀・友切丸が紛失したままになっていることを指摘した。友切丸紛失の責任を、兄弟の義理の父・曾我祐信が負わされたのだ。その刀を詮議するため、他人に刀を抜かせる、抜かせるために相手を怒らせる、相手を怒らせるために喧嘩を吹っかけているのだ、喧嘩は全て宝刀の捜索のためであると、真実を明かした。新兵衛はもちろんその言を受け入れた。兄は弟の喧嘩を奨励するのだった。それだけでなく、新兵衛自身も「喧嘩のやり方」を助六から習う。上品で和事の極致にいるような兄が見よう見まねで喧嘩のまねごとをするが、まったく迫力がない。「おかしみ」のつきない和事らしい一幕である。
【股くぐり】
二人が遊里の客にだれ構わず股くぐりをしかけて喧嘩を売る。長い劇の合間の息抜きの役割をなす。最初は田舎侍と国奴。二人は黙劇で演じる。続いて通人・里暁が出てくる。通人は当世風の当て込みやくすぐりを即興で言い客席を大いに沸かせる。戦後は三代目河原崎権十郎のものが絶品だった。
【満江の出】
と、三浦屋から揚巻とともに、編み笠をかぶった人物が登場する。刀を差している。その人物は武士のように見える。助六は、恋人の揚巻が自分以外の男を連れていると思いこむ。助六は先ず揚巻を罵る。ついでその人物に悪態をつき、喧嘩腰で“口撃”をする。「侍、待ちやがれ」 その人物が編み笠を自ら取る。その人物は、兄弟の母である満江だった。兄の十郎はそれとは知らず喧嘩を売るがこれまたびっくり。二人は小さくなっている。満江は子供たちを叱り飛ばす。
「毎日、毎日喧嘩ばかりしやるげな。先刻も人の頭にうどんを掛けたり、下駄を載せたり、無法と言おうか。・・・竹町で竹割にしたは誰じゃ。助六。砂利場で砂利の中にぶちこんだは誰じゃ。助六。馬道で跳ね倒したは誰じゃ。助六。あまりのことに、そりゃ雷門で臍を抜いたは誰じゃ。助六じゃ。ほんにやれ烏の鳴かぬ日はあれど、そなたの喧嘩の噂を聞かぬ日とてはない。」
助六は自分の不明を恥じ、じっとこらえる(辛抱立役)。しかし助六はさっきと同じ説明、つまり「友切丸」捜索のためにやむなく喧嘩をしているのだと説明。満江は納得するも二度と喧嘩はならぬと、紙子の服を着させる。和紙で作った服なので破れやすい、もしやぶれば勘当という意味である(助六の着る紙子は上方版助六を茶化したものある)。満江は白酒売とともに花道にひっこむ。この幕では、揚巻は恋人の母である満江に尽くす世話女房としての部分を見せなければならないといわれる。
満江は老女方。風格がなければならない。戦後は三代目尾上多賀之丞が、現在では六代目澤村田之助が得意としている。
【揚巻助六の痴話喧嘩】
揚巻と助六が舞台に残される。痴話喧嘩をする。九代目團十郎が排除し、後世の演出もそれを踏襲している。
【意休再登場】
意休が三浦屋から再度姿を現した。助六は揚巻の打掛の裾を陰に長椅子の下に隠れる(ここも上方版助六の風刺である)。意休は揚巻の隣に座り、愛を語るが、そのたびに意休の足をつねる者がいる。禿(子供)のいたずらだろうか? 否、禿をひっこめてもつねる手はどこかから出てくる。揚巻は言う、それは鼠のしわざではないかと。その鼠は助六であろうと意休は返し、助六に説教をする「そんな根性で『大願成就』するものか。ここな(曾我五郎)時致の腰ぬけめ」。意休は確かに助六の諱を、隠さなくてはならない秘密の実名を口にした。実は意休は初めからこのことを知っていたのだ。そして意休は説教を続けた挙句、扇で助六を散々に打ちのめす。助六は自分が悪いのだからいくらでも打てという。意休はなおも説教を続ける。香炉台の前に立ち、曾我の三人兄弟は力を合わせるのが大切だと説く。そして意休はこの時、曾我三兄弟で源頼朝を裏切れ、そのときは自分も力を貸す、と助六をそそのかす。もしも兄弟がバラバラになるとこの香炉台のように(と刀で香炉台を真っ二つにして)倒れると諭す。しかし、一瞬だけ意休が刀を抜いたときに助六はその刀の銘をしっかりと見た。意休の刀は確かに友切丸だった。意休はそのまま三浦屋にひっこむ。待て意休、この刀は確かにもらうぞ、と助六は意気込みながら花道にひっこむ。大正以降の現行の演出の多くはここまでで幕となり終了する。
【水入り】
しばらくして、意休が三浦屋から出てくる。助六は待ち伏せしていた。立ち回りがあって、助六は意休を切る。たまたま通りかかった人が意休の死体を発見するが、助六はその通行人の提灯を切り落とす。追手が助六を捜索する。舞台下手に天水桶がある。助六はその天水桶の中に隠れる。ザブーンと水が派手にこぼれる。桶から出る。当然水浸しである。追手に見つかる。と、揚巻が急いで近づき、全身で助六を隠す。追手が去る。助六は気を失っているようである。揚巻は助六に気付けの水を含ませて、肌と肌を合わせ、じっと抱きしめる(濡れ場)。友切丸は助六の手に入り、捕り手が出てきて助六、揚巻による引っ張りの見得で幕となる。