熊沢蕃山は、江戸前期の儒学者・陽明学者です。
元禄・享保期の思想家・儒学者の荻生徂徠にして「この百年来の大儒者は、人材では熊澤(蕃山)、学問では(伊藤)仁斎」とまで言わしめています。
また、明治末の教育本・修身の教科書では以下のように語られていた、二宮金次郎と並ぶ偉人でした。
「近江聖人と呼ばれて徳の高さが世の手本となる中江藤樹は近江国高島郡の人で、有名な学者である。
人となりは温厚篤実、学問といい、品行といい、心がけといい、全てが万人に卓越していたばかりでなく、貧しいものがあれば救ってやり、言行に不心得のものがあればていねいにいさめてやるということに努めたので、付近の民百姓はこれに感化されて、一人も悪者がいなかったと伝えられている」
しかも熊沢蕃山は、当時日本一の財政・経済コンサルタントであったそうで、治水、林政、租税改革、風教に目覚しい政績を挙げた経世済民の偉人であり、諸侯は争って蕃山に教えを請うていたそうです。
更には、日本古典に通じ、歌道に秀で、音楽通で幾つかの楽器を奏した、まさに文武両道の典型の士でした。
そんな蕃山の著書の幾つかから、その神髄を整理してみます。
【集義和書】
初版全11巻は1672年(寛文12)に、2版全16巻は76年(延宝4)頃に刊行、3版全16巻が1710年(宝永7)頃に刊行された儒学「時・処・位」論を展開している書物です。
16巻の構成は、書巻5巻、心法図解1巻、始物解1巻、義論9巻からなり、問答体を駆使してわかりやすく書かれていて、話題は、経書の根本問題から、「心法」の涵養、時処位論、宋明儒学や老荘・仏教への評価、統治論など広範に渡っています。
ここで除かれた分は「集義外書」に収録されているようです。
そもそも蕃山は、自身の利益に拘泥するのではなく、無私によって考えるべきことを基本としています。
そのため乱世の原因について考察し、商人の力の増大、贅沢への諌め、礼式の欠如を中心として纏め上げられています。
・倹約と吝嗇
”倹約は、我身に無欲にして、人にほどこし、
吝嗇は、我身に欲ふかくして、人にほどこさず”
という言葉からも分かるように、欲が自身に及ぶか否かによって、倹約と吝嗇の差異を見出していることが特徴です。
・貧と富
”世の中の人残らず富候はゞ、天地も其まゝつき候なん。
貧賤なればこそ五穀・諸菜を作り、衣服を織出し、材木・薪をきり、塩をやき魚をとり、諸物をあきなひ仕候へ”
という言葉からも分かるように、人は貧しいからこそ働くのだという事実が指摘されています。
そのため、生まれながらに栄耀なる者は、国家の役には立たないと弁じています。
・君子と小人
己の利益を優先していては、繁栄は続かないということから、君子の特色八箇条と小人の特質十一箇条が並べられており、興味深い内容となっています。
【君子の特色八箇条】
一、仁者の心動きなきこと大山の如し。無欲なるが故に能く静なり。
二、仁者は太虚を心とす。天地、万物、山川、河海みな吾が有也。春夏秋冬、幽明昼夜、風雷、雨露、霜雪、皆我が行なり。順逆は人生の陰陽なり。死生は昼夜の道なり。何をか好み、何をか悪まん。義と倶に従ひて安し。
三、知者の心、留滞なきこと流水の如し。穴に導き器につきて終に四海に達す。意を起し、才覚を好まず。万事已むを得ずして応ず。無事を行ひて無為なり。
四、知者は物を以て物を見る己に等しからん事を欲せず。故に周して比せず。小人は我を以て物を見る。己に等しからんことを欲す。故に比して周せず。
五、君子の意思は内に向ふ。己独り知る所を慎んで人に知られんを求めず。天地神明と交はる。其の人柄光風霽月の如し。
六、心地虚中なれば有することなし。故に問ふことを好めり。優れるを愛し、劣れるを恵む。富貴を羨まず、貧賤を侮らず。富貴は人の役なり上に居るのみ。貧賤は易簡なり、下に居るのみ。富貴にして役せざれば乱れ、貧賤にして易簡ならざればやぶる。貴富なるときは貴富を行ひ、貧賤なる時は貧賤を行ひ、總て天命を楽みて吾れ関らず。
七、志を持する所は伯夷を師とすべし。衣を千仭の岡に振ひ、足を万里の流に濯ふが如くなるべし。衆を懐くことは柳下恵を学ぶべし。天空うして鳥の飛ぶに任せ海濶くして魚の踊るに従ふが如くなるべし。
八、人見て善しとすれども神のみること善からざる事をばせず。人見て悪しゝとすれども天のみること善き事をば之をなすべし。一僕の罪軽きを殺して郡国を得ることもせず。何ぞ不義に与し、乱に従はんや。
【小人の特質十一箇条】
一、心、利害に落ち入りて暗昧なり。世事に出入して何となく忙はし
二、心思、外に向つて人前を慎むのみ。或は頑空、或は妄慮。
三、順を好み逆を厭ひ、生を愛し死を悪みて願ひのみ多し。註、順は富貴悦楽の類なり。逆は貧賤患難の類也。
四、愛しては生きなんことを欲し、悪むでは死せんことを欲す。總て命を知らず。
五、名聞深ければ誠少し。利欲厚ければ義を知らず。
六、己より富貴なるを羨み、或は娼み、己より貧賤なるを侮り或は凌ぎ、才智芸能の己に勝れる者ありても益を取る事なく、己に従ふ者を親む。人に問ふことを恥ぢて一生無知なり。
七、物毎に実義には叶はざれども当世の褒むる事なれば之れをなし、実義に叶ひぬる事も人之れを毀れば之れを已む。眼前の名を求むる者は利也。名利の人之れを小人と云ふ。形の欲に従ひて道を知らざれば也。
八、人の己を褒むるを聞いては実に過ぎたる事にても悦びほこり、己を毀るを聞いては有ることなれば驚き、無きことなれば怒る。過ちを飾り非を遂げて改むることを知らず。人皆其の人柄を知り其の心根の邪を知りてとなふれども己独り善く、斯くして知られずと思へり。欲する所を必として諫をふせぎていれず。
九、人の非を見るを以て己が知ありと思へり。人々自満せざる者なし。
十、道に違ひて誉れを求め、義に背きて利を求め、士は媚と手だてを以て禄を得んことを思ひ、庶人は人の目を昧まして利を得るなり。之れを不義にして富み且つ貴きは浮かべる雲の如しと云へり。終に子孫を亡ぼすに至れども察せず。
十一、小人は己あることを知りて人あることを知らず。己に利あれば人を損ふことをも顧みず。近きは身を亡ぼし、遠きは家を亡ぼす。自満して才覚なりと思へる所のもの是れなり。愚之れより甚だしきはなし。
【集義外書】
「集義和書」の改訂版作成で除かれた分が収録されています。
ここでは、時間と場所と立場に応じて、適切な政策は異なるということが示されています。
そのため、民が余力ある生活を送れるように配慮することや、農と兵の融合という政策が語られています。
国の大本は民であり、民の困窮が国全体の困窮になる恐れがあるため、物価の適正価格の重要性や、金銭や穀物の均衡のとれた流通についても論じられています。
・困窮と奢り
”世人のまどひは異端の渡世よりをこり、民の困窮は世の奢より生ずるとにて候”
”しかれども数十年奢によりて、渡世するもの餘多あれば、急に奢をやめむとすれば、うゑに及もの多き者にて候。
異端の渡世はなを以て数十万人あるべければ、是も急には制しがたかるべし”
”人の迷惑せぬを仁政と申候。大道行はれ候はゞ、一人も迷惑するものなく、人のまどひも困窮もやみ申す可き候”
という言葉からも分かるように、贅沢と驕りを戒めた上で、誰も迷惑することのない仁政を弁じています。
・困窮と余力
”夫國の国たる処は、民あるを以也。
民の民たる所は、五穀あるを以て也。
五穀のゆたかに多き事は、民力餘りありて功の成によつて也。
故に有徳の君、有道の臣ある代の日は、舒にして長し。
其民しづかにいとま多く、力餘あればなり。
道なき世の日は、いそがはしく短し”
という言葉からも分かるように、民に余力があればこそ、農作物も多く収穫でき国力も増すと論じています。
・農兵制
”日本も今とむかしは大にかはりあり。
むかしは農と兵と一にしてわかれず、軍役みな民間より出たり。
武士皆、今の地士といふものゝごとくなり”
”恭倹質素にして、驕奢なければついえなし”
”今は士と民とわかれて、士を上より扶持するゆへに、知行と言ひ、扶持切米と言ひ、多いるなり”
”農に兵なきゆへに、民奴僕と成てとる事つよく、いやしく成たり。
故に農兵の風たえて後は、一旦収と言へども、君も士も民もはなればなれに成て、はてはては惣づまりになりて、乱世となる事早し”
”日本の今の時所位あり、より所ありと言へども、跡によるにあらず、時に当てはなすべし、かねて言ひ難し”
という言葉からも分かるように、武士階級が土から離れたため、農民側も卑屈になり、兵側と農側で気持ちが分かれるので世の中が乱れる、従って制度も時と場所と立場に合ったものを当てるべきだと論じているのです。
・富と穀物
”宝は民のためのたからなり。
民のためのたからは五穀なり。
金銀銭などは、五穀を助たるものなり。
五穀に次たり。
しかるに金銀を重くして、五穀をかろくする時は、あしき事多し”
”士民ともにゆたかにして、工商常の産あり。
たからを賤するとて、なげすつる様にするにはあらず。
五穀を第一とし、金銀これを助け、五穀下にみちみちて、上の用達するを、貨を賤すといふなり”
”商の心は、やすき時に買、高時に売。
有所の物をなき処へ通ずるばかり也。
工はたゞ其身の職分に心を入れ、才力を盡すのみなり。
大廻しの事は、武士のみ知て、彼等は手足の心にしたがふがごとくなる道理にて候。
いまは手足の為に心をつかはるゝに成申候”
という言葉からも分かるように、穀物の重要性とお金の利便性、流通効果を評した上で、お金に使われている現状に苦言を呈しています。
【大学或問】
『大学或問』では、参勤交代や兵農分離策などを批判したため、幕府の命によって古河藩にお預けとなり古河城東南隅の竜崎頼政廓に幽閉され数年後の1961(元禄4)年8月17日、73歳で没してしまいます。
ここでは、皆が豊かになる経済が目指し、政治の裕福さの必要性を説いています。
・仁政と富有
”問、政とは何ぞや。云、富有也”
”仁政を天下に行はん事は、富有ならざれは叶はず”
という言葉からも分かるように、善き政治は、裕福でなければ不可能と断じています。
・困窮の連鎖
”諸侯不勝手にて、武士困窮すれば、民に取事つよくて、百姓も困窮す。
士民困窮すれば、工商も困窮す。
しかのみならず浪人餘多出来て飢寒に及びぬ。
是天下の困窮也。
天下困窮すれば、上の天命の冥加おとろへぬ。
天命おとろへては、いかんともする事なし”
という言葉からも分かるように、一つの階級の困窮が他の階級にも連鎖し、一定限度を超えることで打つ対策がなくなることを警戒しています。
・富有と天下
”富有は天下の為の富有なり”
”仁君の貨を好むは大なり。富有大業をなす天下、君の貨を好む事をたのしめり。
これ貨を以て身をおこすなり”
”聖賢なれざれば、天下を平治する事あたはざるには非ず。
貨色を好むの凡心ありといへども、人民に父母たる仁心ありて、仁政を行ひ、其人を得て造化を助る時は仁君也。
天職を務めて天禄を得る事久し”
という言葉からも分かるように、天下のための裕福さを目指し、財貨によって経済を回し、天職を務めて、名声を得ることを奨励しています。
「憂き事の尚この上に積もれかし限りある身の力試さん」
熊沢蕃山の名言です。
どんな問題や難題にも不条理だと憤るのではなく、必然に起きた成長のためのターニングポイントだと捉えて、力を尽くすこと。
何を為すか何をしたかという成果や報酬ばかりに蒙昧するのではなく、人としてどう生きるのか、如何にあるべきなのかを明らかにすること、そしてそれを追及すること。
そんな蕃山の生涯を糧にしていくことが、残された私達への大きな命題なのかもしれません。
以下参考までに、一部抜粋です。
【集義和書】
卷第一 書簡之一
一 來書畧。博學にして、人にさへ孝弟忠信の道を敎へられ候人の中に、不孝不忠なるも候は、いかなる事にて候や。
返書略。武士の武藝に達したるは、人に勝つことを知るにて候へども、武功なき者あり。無藝にても武功ある人多し。兵法者ひやうはふしや〔武藝巧妙の者―頭注〕の無手むての者に切られたるあり。學問の道も同前に候。夫それ智仁勇は文武の德なり。禮樂弓馬書數は文武の藝なり。
生付うまれつき仁厚なる人は、文學せざれども孝行忠節なるものなり。生付勇強なる人は、武藝をしらでも勝負の利よきものなり。しかればとて、文武の藝廢すたるべき道理なければ、古いにしへの人は、其身に道を行ふ事全まつたからぬ人にても、文才もんさいに器用なる者には學問をさせ、ひろく文道を敎へて、人民のまどひをとき、風俗をうるはしくし、その身に勇氣少き人にても、武藝に器用なる者には、弓馬をならはし、あまねく兵法へいはふを敎へて、人民の筋骨すぢほねをすこやかにし、能を遂げしむ。
國の武威を強くせんとなり。これ主將の人を捨てず、ひろく益を取給ふ道なり。學力無くして孝行忠節なるは、氣質の美なり。道を知らざる勇者をば、血氣の勇ともいへり。人の德を達し才を長ずることは、文武にしくはなし。今宣へる人は、文の末のみを知て本に達せず。武も又かくの如し。且かつ天の物を生ずること、二つながら全きことなし。四足しそくのものには羽なく、角あるものには牙なし。
形あるものは必ずかくる所あり。大かた文才もんさいに器用なる者は德行とくかうにうすく、德行によき人は文才拙きことあり。智聰明なる生付の者は行かけやすし。行篤實なる者は智に足らざる所あり。君子は其善を取りて備らん事を求めず。小人は人のみじかき所をあらはして、其美をおほへり。すべて世に才もなく德もなき人多し。才あらば稱すべし。德あらば好よみすべし。
一 來書略。今の世に學問する人は、天下國家こくかの政道にあづかり度たく思ふ者多く候。學者に仕置しおきをさせ候はゞ、國やすく世靜なるべく候や。
返書略。いづれの學問にても、利欲を本としてつとむる者は、各別の事なり。實まことに道を求めて學ぶ人は、貴殿きでん我等をはじめて、今の世の愚ぐなる人と可く被る二思し召さ一候。此世に生れて、神の智を開くにしたがひて、世間に入る人は、利發なる故なり。世間の利害に染りぬれば、道德には遠きものに候。しかる所に、貴殿我等ごとき、此世に生れながら、世間に入るべき智識もさとからず、しかも流俗には習ならひながら、中流にたゞよひ居り候處に、幸に道を聞きゝてよろこび候。
其愚なる下地故に難き事をば知らずして、古の法を以て今を治めんと思へるなり。我せんと思ふ學者に仕置をさせ候はゞ、亂に及び候べし。たとひ古の人の如き賢才ありとも、人力を以てなさば不可なり。况いはんや古人におよばざる事はるかなるをや。堯舜の御代みよには、屋をくをならべて善人多かりしだに、政まつりごとの才ある人は五人〔禹、皐陶、稷、契、伯益〕ならでは無かりしとなり。周の盛なりしにも、九人ありといへり。學問して其まゝ仕置のなる事ならば、古の聖代には、五人九人などといふ事はあるまじき事なり。古の才と云たるは、德智と才學と兼ねたる人の事と聞え候。博學有德いうとくにても、人情時變に達する才なき人は、政はなりがたく、世間智ありても心ねぢけたる人は害おほく候。
是は昔の人のえらびなり。今の政に從ふといふはしからず。其位に備りたる人か、衆の指ゆびさすところか、いかさまに人情のゆるす所ある人の中にて、凶德なきをえらぶとみえたり。これなほ無學なりとも、我われ政をせんといふ學者の國政にはまさり候はんか。
一 來書略。昨日さくじつ下拙げせつ不善ありき。遂げてかくし可くレ申す〔隱しおほすべしとはの義〕とは存ぜずながら、申しは出いでざる内に、先生すでに肺肝を御覽ぜらるゝと覺え候ひき。
返書略。愚拙ぐせついかで人の不善をさぐり申すべき。何事の候へるやらん不レ存ぜ候。貴殿の心に明德あるによりて、肺肝を見らるゝ樣に覺え給ひ候なり。貴殿と我等とにかぎらず。惣じて不善ある人の氣遣、かくの如くに候。大學の旨〔大學に小人間居して不善を爲す。至らざる所なし。(中略)人の己を視ること其肺肝を見るが如く然りと〕も、君子より人の肺肝を見るにはあらず。小人みづから肺肝を見らるゝ如く苦しきにて候。性善の理り明白なる事に候。
一 來書略。楠正成は智仁勇ありし大將といへり。德もなき天子にたのまれ奉りたるは、智とは申しがたくや候はん。武家の世と成りて此かた、よき人誰たれか候つるや。
返書略。不ずレ知らして天よりあるを氣質と云ひ、知しつて我物とするを德といへり。正成は氣質に智仁勇の備りたる人と聞え候。聖學をきかせ候はゞ、たぐひすくなき文武ある君子たるべく候。今の時ならば、天子にもたのまれ申すまじく候。正成の時分は、北條の代よと後世よりは稱すれども、京都より將軍を申し下くだし奉り、北條は諸大名と傍輩の禮儀にて交り、たゞ天下の權を握りたるばかりに候。賴朝の子孫九州にもおはしまし候事なれば、主君と成なつて諸士にのぞむ事は、人情のしたがはぬ所ありたると見え候。
この故に、正成も北條と君臣の禮はなく候。其上相摸入道〔北條高時―頭注〕無道にして亡ぶべき天命あらはれ、又將軍は京より申し下して假かりなる事なれば、天子より外に主君なく候。主君よりの仰なれば、賴まれ申したるといふ事にては無く候。臣下の權つよくて、一旦君をなやまし奉りし事は、平の淸盛も同じ事なり。後白河院賴朝に天下をあづけ給ひてより、武家の世といへり。しかれども王威過半殘りて、全く武家の天下ともいひがたし。されば後醍醐天皇てんわうまでは、いにしへの王德をしたふ者も多かりき。しかる處に、北條の高時奢おごりきはまり、天道にそむき、人民うとみたる時節、天下をとりかへし給ひしかば、公家に歸したり。
しかれども、天皇道をしろしめさず、賢良を用ひ給はず、昔と時勢のかはりたる事を知り給はざりし故に、うらみいきどほる者おほく出來て、武家の權を慕はしく思ふをりふし、高氏おこりて天下をとりてよりこのかた、一向武家の世とはなれり。是より天下の諸大名、大樹たいじゆ〔後漢の馮異(*原文「鳴異」)が故事に基づく〕を主君とし奉りて、天子には仕ふまつらず、陪臣の國の君を主とすると同理おなじりなり。是これを以て今ならばたのまれ申すまじきと申す事に候。扨さて士にては辨慶、氣質に智仁勇ある人に候。隱れたる處ありて、世人知る事稀なり。勇にかさのある事類たぐひすくなく、智謀は泉のわき出るがごとし。仁は士にて時にあはざるゆゑに、見えがたく候。勇智にならぶべき仁愛見え申し候。
義經の好色なるをば、度々いさめ候ひき。然るに、奧州落おちの時、北の方をば、辨慶すゝめて供ともいたし候。人の同心すまじき所をはかりて、先まづ辨慶大に氣色きしよくをつくり、倶し奉る事はなるまじきよしをいひて後、又氣色をやはらげ、さは云ひつれども、まさしき北の方なり、身もたゞにましまさず〔懷姙せるをいふ〕、鎌倉殿はたのもしげなし、都に殘し奉るべき義にあらず、行ゆかるゝ所まで行きて、叶はざる時は、先まづ北の方をさし殺し奉り、各おの/\自害し給ふべきより外はあらじとて、稚兒ちごの形につくりて相倶あひぐし、北陸道ほくろくだうをへて落ちられしに、關所々々にて、義經とは見知りたれども、うちとゞめて軍功にもならじ、實は兄弟にてましませば、恩賞を得ても心よからぬ事なり、其上罪なき人の、大功たいこうありながら讒ざんに遭ひ給へるもいたはしくて、進まざる心の氣色きしよくを、辨慶やがて見しりければ、關の人々の理ことわりのたつべき樣言成いひなして通りしを、平泉寺へいせんじ〔陸中國―頭注〕にては、鎌倉殿よりの討手にてもなきに、法師の身ながら、邪欲のあまりに、義經をうちとゞめて恩賞にあづからんとて、取籠めたれば、遁のがれざる所の第一なりき。然る所に、うつくしき兒ちごを倶しける故に、坊主ども目をうつして時刻をふる間に、老僧など出て管絃のもよほしあり。
義經は笛の上手なり、供奉ぐぶの中に笙ひちりきの得たるあり、ちごは箏ことを彈じ給へば、老若らうにやくともに邪心やはらぎ、難をのがれたり。此時北の方ましまさずはあやふかるべし。かくあしかるべき催しだに、道にしたがへば吉きちなり。此一事を以ても、辨慶仁厚の心は見侍り。平生義理に感じやすく、涙もろなる者と見えたり。戲言たはぶれごとをなどいひたるは、患難に素そしては患難を行ふの氣象也。〔中庸に、富貴に素しては富貴に行ひ、貧賤に素しては貧賤に行ひ、夷狄に素しては夷狄に行ひ、患難に素しては患難に行ふとあり〕義經一代難儀の堺にしたがひしかば、諸人しよにんの氣屈する節なり。辨慶は仁にして勇なる故に、敵におそれざるのみならず、難に遇あひてもこゝろ屈せず、人をいさめ助くる所ある故に、戲言など云ひたるなり。君子を其地に置おきたらば、斯くあるべきと思はれ候なり。
吉野河にて、跡にまぢかく大敵を受けながら、竹を切きりて雪中にさし、竹に向ひてもの云ひたる振舞などは、苟且かりそめ(*原文「苛且」)なる事の樣なれども、心の智仁勇あらはれ候。東鑑〔鎌倉幕府の日記―頭注〕のみ確たしかなるやうに世以て申し候へ共、鎌倉中ぢうの事は委しくして、遠國をんごくの事はおろそかなり。平家物語・義經記も、大かた實事と見えたり。文法にても虚實は見ゆるものにて候。正しく記したる書の中に、定めてよき生付の人あるべく候。重て暇いとまの日に考へ可くレ申す候。源の賴光らいくわう、小松の内府だいふ重盛、畠山の重忠、文武を兼て士君子の風ある人なり。
かゝる人々に聖學の心法を聞かせば、唐からまでも聞ゆる程の人に成り給ふべく候。時節あしく出られし事不幸なる儀なり。宋明の書、周子、程子、朱子、王子〔周は周敦頤、程は程顥・程頤、朱は朱熹、王は王陽明〕などの註解發明の日本に渡り人の見候事は、わづかに五六十年ばかりなり。しかれども、市井の中にとゞまりて、士の學とならず。十年このかた、武士の中にも志のある人、はし/〃\見え候間、後世には好人よきひと餘多あまた出來候べし。
一 來書略。萬物一躰といひ、草木國土悉皆成佛と云ふときは、同じ道理の樣に聞え候。
返書略。萬物一躰とは、天地萬物みな太虚〔太虚は畢竟大空也。陽明學派に太虚説を立つる者多し〕の一氣より生じたるものなるゆゑに、仁者は一草一木をも其時なくてはきらず候。况や飛潛動走のものをや。草木にても、強き日でりなどにしぼむを見ては、我心もしほるゝがごとし。雨露うろの惠を得て、靑やかにさかえぬるを見ては、我心もよろこばし。是一躰のしるしなり。しかれども、人は天地の德・萬物の靈といひて、すぐれたる所あり。
たとへば庭前の梅の根の土中にかくれたるは太虚のごとく、一本の木は天地のごとく、枝は國々のごとく、葉は萬物のごとく、花實はなみは人のごとし。葉も花實も一本の木より生ずといへども、葉には全體の木の用なし、數すう有て朽くちぬるばかりなり。花實はすこしきなりといへども、一本の木の全體を備へし故、地に植うゑぬれば又大木となりぬ。かくのごとく、萬物も同じく太虚の一氣より生ずといへども、太虚天地の全體を備ふる事なし。人は其形すこしきなれども、太虚の全體あるゆゑに、人の性にのみ明德の尊號あり。故に人は小體せうたいの天にして、天は大體の人といへり。
人の一身を天地に合せて、少しも違ふ事なし。呼吸の息は運行に合す。暦數醫術もこゝに取る事あり。天地造化の神理主帥しゆすゐを元亨利貞げんかうりていと云ひ、人に有りては仁義禮智と云ふ。故に木神ぼくしんは仁なり、金神きんしんは義なり、火神は禮なり、水神すゐしんは智なり。天地人を三極といふ。形は異なれども、其神は一貫周流へだてなし。理に大小なきが故に、方寸太虚本より同じ。是大舜たいしゆんの君、五尺の身にしてよく其德を明かにし給ひしかば、天地位くらゐし萬物育いくするに至れる所なり。〔中庸に中和を致して天地位し萬物育す(*原文「章す」)とあり〕萬物一躰とはいふべし。
一性とは云ふべからず。萬物は人のために生じたるものなり。我心則ち太虚なり。天地四海も我心中にあり。人鬼幽明うたがひなし。堯舜の道は人倫を明かにするにあり。故に他の道を學びんことをねがはず。佛法の事は我不レ識ら。
一 來書略。聖人の書を説くことは、朱子にしくはなし。是を以て朱學は則ち聖學なりと云へり。小學、近思録等の諸書を學びて、かたの如くつとめ行ひ候へども、心の微〔書經の道心惟微に出づ〕は本の凡情に候。又心學とて、内よりつとむると云ふもおもしろく候。陽明は文武かね備へたる名將なりといへり。されども近年心學を受用するといふ人を見侍るに、さとりの極きよくにて、氣質變化の學とも覺えず候。
返書略。拙者をも世間には心學者と申すと承り候。初學の時心得そこなひて、自ら招きたることに候へども、心學の名目みやうもくしかるべからず存じ候。道ならば道、學ならば學にてこそ有るべく候へ。いづれと名を付け、かたよるはよからず候。漢儒の訓詁きんこありたればこそ、宋朝に理學もおこり候へ。宋朝の發明によりてこそ、明朝に心法をも説き候へ。明朝の論あればこそ、數ならぬ我等ごときも、入德の受用を心がけ候へ。論議は次第にくはしくなりても、德は古人に及びがたし。
後世の者、心は本の凡情ながら、文學の力にてたま/\先賢未發の解を得ては、古人の凡情なき有德いうとくをそしり申す事勿體もつたいなき義なり。一の不義を行ひ一の不辜ふこをころして天下を得る事もせざる所は〔孟子に一不義を行ひ、一不辜を殺して天下を得るも、皆爲ざるなりと〕、朱子・王子かはりなく候。拙者世俗の習いまだ免かれずといへども、此一事は天地神明にたゞしても古人に恥はづべからず。其外の事は、我ながら我身の拙さを存じ候。如くレ仰せの貴殿かたのごとく道を行ふと思召おぼしめし候へども、心中の微は同前に候。又學志ありてなりがたき事をつとむる所は候へども、無學の平人へいにんにおとりたる事も有レ之候。學は程朱の道にたがひもあるまじく候へども、立處たつところの心志しんしかはりある故と存じ候。學術の外に向ふによりて、自から知ることの不るレ明かなら故にてもあるべく候。
陽明の流の學者とて、心よりくはしく用ふとは申し候へども、其理を窮きはむることは見解けんげ〔本書すべて意見の義に用ひたり〕多く、自反愼獨じはんしんどくの功こうも眞ならざる處相見え候。尤もつともよきもあるべく候。大方は、其愚を知ること明かならず、其位をぬけ候事を知らざれば、名根みやうこん利根の伏藏は本の凡情たるべし。飯上はんじやうの蠅はいを追ふが如くなれ共、心上の受用あるによりて、自からもゆるすにて有るべく候。しかれども、大なる事にあひては亂れ候はんか。氣質變化の學は明白なる道理ながら、大なる志なければ到りがたく候。生付よき人の、世間の習によりて、うはべばかり惡しく成りたる等などは、道を聞候へば、一旦の惑ひはすみやかに解けて、本のよき所あらはれ候。
かゝる人を氣質變化と申す者あるべく候へども、これも變化にはあらず候。大かたは先覺〔孟子に、予は天民の先覺者なりと〕後覺共に、本の人がらありと相見え候。いざなふ人の人がらよければ、其國所のよき人、類るいにふれてあつまり、いざなふ人の人がら平人へいにんなれば、平人あつまり候。王朱の學の異同にはよらで、先覺の德と不德によれり。悉く然るにはあらず候へども、これ大略にて候。むかふ人を以て我身の鑑かゞみと致し候へば、自みづからの人がらこそ恥かしく候へ。古の人は、門前に人の往來多きを以てあるじの才ある事をしり、來きたる人の善不善を見て主あるじの德を知ると承り候。
一 再書略。宋朝の理學、明朝の心術と承り候へば、程子・朱子は道統〔流派と云ふに同じ〕にあづからざるが如し。いかが。
返書略。周子の通書つうしよ〔周敦頤の著書。凡そ四十篇あり〕などを見侍れば、聖人のはだへあり、明道めいだうには顔子がんしの氣象あり。後の賢者のよく及ぶべきにあらず。伊川の器量、朱子の志、みな聖人の一體あり。凡心ぼんしんなき處は同じ。聖門傳受の心法にあらずして何ぞや。我はたゞ其學術を論ずる事の多少をいふのみ。惑を解くことのおほきを理學といひ、心ををさむることの多きを心術といふ。秦火しんくわ〔秦始皇三十四年制して天下の書を燒かしむ〕に經けいそこねたり。故に漢儒の功は訓詁きんこにあり。其後異端おこりて、世に惑ひおほし。故に宋儒の學は理學にあり。惑ひとけては心にかへる。故に明朝の論は心法にあり。
一 來書略。太公望を微賤よりあげて三公となし給ひし事、不審多く候。周公、召公のごとき中行ちうかう〔中道を守りて過不及なき事〕の君子とも見えがたく候。軍旅の事に長じたる人故にて候や。
返書略。古人いへることあり。老人なり、かつ微賤に居て下しもの情を知れり。知識ありて時變に達せり。生れながらの上臈は、下の情を知り給ふ事くはしからず、人の云ふにしたがひ、道理のまゝに下知し給ひては、下に至りて可かにあたらざる事あり。是を以て帝堯は諫鼓謗木かんこはうぼく〔淮南子に堯敢諫の鼓を置き、舜誹謗の木を立つとあり〕を置き給へり。又賢才の人も、下に居て上臈の風俗を見ず、かつ政道の務を知らざれば、下にて謀りたる事には違ふこと多し。
太公も君子に交りて上臈の事をしり、本よりの大臣も、太公によつて下の情に通じ給へば、上下じやうか共に人情にたがふことなしとなり。軍旅に達せる事は、初めはしろしめさざれども、天然と大將軍の器量ある人なる故、用ひ給ひしなり。六韜りくたう〔文武龍虎(*原文「處」)犬豹の六韜、太公望の兵書と傳ふ〕に記す處の文武太公の論は、皆大なる僞いつはりなり。後世事をこのむもの是を作れり。かつ聖賢をかりて、軍者功利の術をかざりたるものなり。若し彼に云へる如きの心あらば、何を以てか聖人とは申すべきや。
一 來書略。中華の國、聖代には武威つよく、末代に至りてよわくなりしと申す事は、いかなる故にて候や。
返書略。北狄の中夏ちうかを侵すとをかさゞるにてしられ候。聖賢の代よには、文明かに武備り候故に、臣と稱して來朝せり。末代は文過すぎて武をこたれり。文の過るといふは奢おごりなり。士以上はおごればやはらかに成りて武威よわし。上かみ驕おごれば民かじけぬ〔凍餓憔悴する―頭注〕。上下をこたりて武そなはらず。無事の時は民たみも女の樣にて心やすきは、使ひよき樣なれども、戰國にのぞみて士の手足とするものは民なり。手足はよわし、身は奢りてやはらかなれば、北狄のあなどりおかすも理ことわりなり。賢君の代よには、文武兼備りぬれば、おごらずおこたらず、上臈もやはらかならず、下臈もかじけず。
身無病にして手足つよきがごとし。北狄おそれて臣となりぬる事尤なり。日本も神武帝より應神の御代、其後までも、王者わうしやの武威甚強くおはしましゝかど、次第に文過ぎて武おとろへたり。京家の人とて武家のあなどるは其故なり。武家にても少しの間に強弱入いれかはれる事なり。平淸盛は武功を以て經へあがりしかども、一門榮耀ええうにおごりぬれば、わづかに二十餘年のほどに武勇ぶゆうよわく成り候。まして唐たう〔李唐に非ず、支那の義〕は三百年五百年治りて、其間に文武の業あやまり候へば、劍けんをも帶たいせざる風俗になりしも尤なり。其あやまりを以て、聖代の繪をも、劍を帶せずかき候は、あしく候なり。
一 來書略。文王を野心あらんかと疑ひながら、又征伐をゆるされたる事は、心得がたく候。
返書略。日本王代の征夷將軍といはんが如し。西國の諸侯のつかさにて、與國よこくをひきゐて北狄の中國を侵すをはらひ退しりぞけしむ。其時はわづかに周一國の諸侯にておはしましき。文王と申すは謚號おくりがうなり。そのかみは西伯と申したり。西伯の紂王に忠ありしこと、たぐひすくなし。天下の諸侯紂王が惡をにくみて、そむける人三分が二なり。其二は皆西伯に志あり。此時西伯軍いくさをおこし給はゞ、紂をほろぼさん事たなごころの内なり。しかるに西伯は紂王に無二の忠臣なりしかば、大半のそむける諸侯をひきゐて來朝し給へり。紂王は西伯の心を知らざれば、人の思ひつくを怪しみて里いうりにとらへ奉りぬ。
其後そののちは來朝する諸侯もまれにして、北狄いよ/\境をおかせり。其時紂王初めて西伯の功を感じ、ゆるして國にかへすのみならず、西國せいこくをまかせ狄人てきじんをふせがしめたり。殷の代よの末に、文武おとろへ中夏むなしかりしかば、北狄來りおかしゝなり。是によりて周公を征夷將軍として征伐せしめたるなり。此時太公望をあげ給ひ、狄を征するがために軍法を論じ給ひし事もあるべく候。然れども六韜の言語ごんごの如き事はあるべからず候。
一 來書略。不幸にして壯年の時文學せず、年已に五十に及び候。小家中なれども用人にて候へば、老學のいとまなく候。朝あしたに道を聞きいて夕ゆふべに死するの一語〔論語里仁篇の語〕をねがひ申すばかりに候。
返書略。家老たる人の、道を好み德を尊び給はんは、忠功の至いたりにて候。たとひ其身にはつとめずとも、人に道藝だうげいを勸むるは、上かみに立つ人の役にて候。心は耳目手足しゆそくの能なけれども、よく耳目手足の下知して尊きが如くに候。心のおとなしき人を家老とするなれば、おとな〔長老、家宰の稱〕ともいひ、若けれども老人の公道ある故に、老らうとも申し候。老の字の道理にだにかなひ給はゞ、幸甚たるべく候。
一 來書略。先度被二仰せ下一候、家老たる者、其身は無能無藝にても、人に道藝をなさしむるは、みづから藝能あるに同じとの義、尤至極に存じ候。誠に人の上かみに立ち候者、いか程多能多藝にて學問ひろく候とも、人の賢をそねみ人の能をそだて侍らずは、かへりて凶人きようじんたるべく候。弓馬文筆等の事は心得申し候。道學はいづれの流がよく候や。今時朱學、格法、王學、陸學、心學などとて、色々にわかれて申し候。皆古の儒道にて御座候や。
返書略。學問の手筋〔問に流派とあるに同じ〕の儀、いづれをよしとも、あしゝとも申しがたし。總じてすこし學びて道だてする者は、人道の害に成る事に候。身の愚なるたけをもしらず、至りもせぬ見けんを立て、とかくいへば、無事の人まで物にくるはせ候。一向に俗儒のへりくだり心得よき者を招きて、經義を聞き給ふべし。其身文武二道の士にてなきと申すばかりにて候。夫武士たる人、學問して物の道理を知り給ひ、其上に武道のつとめよく候はゞ、今の武士則古の士君子たるべく候。
一 來書略。物よみに經義を聞き候とも、心法はいかゞ受用可くレ仕る候や。
返書略。聖經賢傳道理正しく候へば、誰よみても同じ事に候。たゞに理を論じ跡を行ひたるばかりにては、心のあかのぬけざる事尤に候。心術を受用すると申す人も、凡情の伏藏かはりなければ、共に功なき事は同じく候。有德の人あれば、其化によりてよき人餘多あまた出來るものにて候。
德は人のためにするにあらず。己一人天理を存し人欲を去るなり。人欲を去さつて天理を存するの工夫は、善をするより大なるはなく候。善といふは別に事をつくりてなすにあらず。人倫日用のなすべき事はみな善なり。
君子は義理を主とし、小人は名利を主とす。心には義理を主として、よく心法を受用すると思ふ人あれども、其人がらの全體、小人の位に居てみづから知らず、其位をぬけざるもの古今多し。此所をよく得心し給ひて後、聖賢の書を見給ひ、人にも尋られ候はゞ、皆入德の功と成り候べし。心法は大學、中庸、論語に如くはなく候へども、學者の心のむき樣にて、俗學となり跡となる事に候。心法を受用する人も、人がらの位をぬくる事をしらざれば、一生心術の訓詁きんこにて終るものなり。
又學見がくけんも大に精しく至りぬれば、大方の凡情はぬくるものにて候へども、それほどに見解けんげの成就する人は稀なる事なり。大方は水のごみをいさせたる樣にて〔塵を沈澱せしめたるの義〕、澄みたると思ふも眞まことにあらず候。又一等の人あり。生付欲うすく、心おろかにして小理の悟ごを信じ、是によりて心を動かさゞる者あり。聰明の人は、小悟小信を以て小成の功なければ、理學にはさとく候へども、德をつむことはおそき樣に見え候。
いかさま學に志すほどの人は、昨日の我にはまさりぬべし。しかれども學流によりて、人品じんぴんにはかへりて益なく、人にたかぶりにくまるゝばかりなるも有るレ之體ていに候。よく學ぶ者は、人の非を咎むるに暇あらず。日々に己が非をかへりみる事くはしくなり候。
一 來書略。武王、太公、伯夷、叔齊の是非を論ずる者、古今多く候へども、其精義心得がたく候。
返書略。古の事は不レ存ぜ候。只今武王、太公、伯夷、叔齊御座候はゞ、拙者は伯夷にしたがつて首陽山に入り申すべし。論議に不レ及ば候。此兩道〔文武是なるか、夷齊是なるか〕を明辨せずとも、聰明のさはりにも成るまじく候。聖賢にかはりはおはしまさねども、時の變によりて其跡たがひ、其心見がたく候。
只人道は堯舜を師とせば、あやまる事あるべからず。變にあひ給ふ聖人にては、文王にしくはなく候。文王と伯夷は、本傍輩なりしかど、出てつかへられ候。文王も客きやくの禮を以て待ち給ひしと、傳へ承はり候。
一 來書略。よき儒者と佛者とをよせて論ぜさせて聞度きゝたき心御座候。疑ひのある故か邪心ある故にてあるべきと存じ候。
返書略。法論や儒道佛の論などは、氣力のつよきかたか、理のとりまはし小賢こかしこき者勝かちと見え候。其人の勝負にて、道の勝劣にあらず。聖人の道の諸道にこえてゆたかに高きことは、論議を待たずして分明ぶんみやうなることなり。孝經に深からざる故にうたがひ出來候。天地の間に人のあるは、人の腹中に心のあるが如し。天地萬物は人を以て主とし候へば、有形のもの人より尊きはなし。其人の道の外に何事のあるべく候や。
一 來書略。七書〔孫子・呉子・司馬法・尉繚子(*原文「尉鐐子」)・三略・六韜・李衞公問對(*原文「問韜」)―頭注〕(*武経七書)の中、聖賢の論と云ふはつくりごとにて、多くは功利の徒ともがらの言ことばにて候はば、何れも用ふべからず候か。
返書略。仁義の心あり仁義の名ありて後用ふべく候。大軍は正兵せいへいを本とし、威を以て敵を制し、小勢せうぜいは奇兵を用ひ、はかりごとを好んで敵をくじき候。然れども正も奇を用ふる所あり。奇も正と成る時あり。吾は義にして敵は不義なり。吾は善にして敵は不善なり。善人に從ふ軍士は皆義士なり。不善人にしたがふ士卒は皆賊なり。惡人のために善人をそこなふべからず。
謀はかりごとを好んで〔論語述而篇に、必ずや事に臨んで懼れ、謀を好んで成る者なりと〕敵をあざむき、味方をそこなはずして敵を亡す事は、明將の常なり。七書といふも、其明將の行ひし跡をいひたるものなり。又は軍の才氣を生付たる者の、道をば知らざれども大將と成りたるか、軍功を立たる者の言こともあり。其軍の才は君子に似たる所あれども、其實は天地各別なる事にて候。
一 來書略。佛ぶつをそしるは無用の事なり。たゞ己が明德を明あきらかにする事をせよとうけたまはり候は、尤至極に存じ候。爭あらそひなくて居ゐ候はゞ、三敎〔神、儒、佛〕一致と申すも罪あるまじく候や。
返書略。一致にてもなきものを、一致と虚言きよごん可きレ申す樣もなく候。其上一致は爭の端はしなり。同じ佛道の中にてだに、各の異見を立て相爭ひ候。別は別にして爭はざれば、いつまでも難なく候。
佛者も天地の子なり、我も天地の子なり。皆兄弟けいていにて候へども、或は見る所の異ことなるにより、或は世にひかるゝ生業すぎはひによりて、さま/〃\に別れ申し候。儒といひ佛と云ふ見けんをたつればこそ、たがひの是非もあれ、何れの見をも忘れて、たゞ兄弟けいていたる親みばかりにて交り候へば、あらそふべき事もなく候。こゝに職人の子供兄弟きやうだいありて、一人は矢の根鍛冶となり、一人は具足屋となりたるが如し。〔孟子曰く、矢人豈函人より不仁ならんやと〕矢をとゞむべき甲よろひをぬくべきの爭あらば、東西各別の他人なり。
本の兄弟の親しみのみ見る時は、職は各別にして爭はあるまじく候。これはすぎはひゆゑとも可くレ申す候へども、食物にも兄弟各すききらひある事なれば、味あぢはひをあらそひ候とも、各の口のひく所は一致にはなるまじく候。たゞ其まゝにして我は我人は人にてよく候。聖賢の御代ならでは、天下一同に德による事はなく候。然れども猶堯の時に許由〔堯の讓を受けざりし人〕あり、光武に嚴子陵げんしりよう〔足を帝腹に加へし人〕(*もと同学の厳子陵〔厳光〕と光武帝とが昔話をして床を並べて寝たときに、寝相の悪い子陵が帝の腹に足を乗せた。
天文官が「客星が帝座を侵した」と報告したのを帝が笑ったという故事。)あり、孔子に原壤げんじやう〔孔子を踞して俟ちし人〕あり、聖人これをしひ給はず。天空にして鳥の飛ぶにまかせ、海廣うして魚のおどるにしたがふが如し。〔此句古今詩話に見ゆ〕
一 來書略。拙者文學は少し仕り候へども、才德なくて儒者といはれ、かつ祿を受け候こと、恥かしき事にて候。
返書略。今時儒者といはるゝ人の中に、貴殿ほど德を尊び道を思ふ人はすくなかるべく候。儒者の名は三皇、五帝、夏、商の代よまではなかりしなり。はじめて周官に出でたり。鄕里において六藝を敎ふる者を儒と云ふと候へば、一人の役者なり。今の儒者といふは史しの官の如し。博識を以て業とせり。素王〔孔子なり。莊子に云ふ、此を以て下に處るは元聖素王の道なりと〕の曰く、「文勝つときはレ質に史」なりと。しかれば今の儒者の德なく道を行はざるは、さのみ罪にもあらず。聖人の道は五倫の人道なれば、天子、諸侯、卿、大夫、士庶人の五等の人學び給ふべき道なり。別に儒者といひて道者あるべき樣なし。
學問を敎へて産業とすべき人あるべきにあらず。上かみより人をえらびて士民の師を置き給ふは各別の事なり。此外先覺の後覺こうがくをさとし、朋友相助け相敎ふるの義あり。人幼にして學び、壯さかんにして行ひ、老て敎ふるの道あり。皆士農工商の業あり。亂世らんせい久しく、戰國の士禮樂文學にいとまなく、武事にのみかゝり居て、野人に成りたれば、只鄕里にして藝文を敎へたる者の末々のみ、わづかに古の事をも知りたり。此故に聖人の道を説く者を儒といひたり。そのかみの文學の稱なりといへり。然れどもいまだ産業にはおちざりき。聖人の道學を名付けて、儒者の道といふべき道理はなき事なり。世のいひならはしと成りて、さやうに云はざれば、それと人の心得ざる故に、我等を初めて儒道と申すなり。古の人のいへるも斯の如くなるべし。今の儒學といふは、史となるの博學を習ふがごとし。
弓を稽古し鐵砲をうち習ひて、奉公に出るがごとくなれば、産業とするも罪にはあらず。戰國よりこのかた、學校の政まつりごと久しくすたれぬれば、此史儒の文藝者に經傳の文義を聞くべきより外の事なし。武藝者に弓馬兵法へいはふを習ひて、武勇ぶゆうを助け武功を立たつるは武士の事なり、史儒に文を學んで道理を知り、道を行ひ德に入るべきは、五等の人倫なり。故に今の史儒は、其職ひきゝがごとくなれども、其事は諸藝の中において第一重し。貴殿文學に器用にて、他たの事にはより所なし。天の與ふる才なれば、文藝を以て祿を受らるゝこと、何の害かあらむ。もし德を知りたる人の文才ある者、貧きがための仕を求めば、史儒にかくるゝ事もあるべし。晋の陶淵明〔晋の名臣。名は潛〕は酒にかくれたりといへり。
市隱〔王康?の詩に曰く、小隱は陵籔に隱れ、大隱は朝市に隱る〕の類るゐみなしかり。其職よりも身をたかぶるものは、心いやしければなり。其職よりも身をへりくだる者は、德たかきが故なり。今人、德ありて儒者にかくれば、必ず其言ことばゆづり其身へりくだりて、道をあらはすべし。故に云ふ、「たかぶれば心賤しく、へりくだれば德高し」と。ねがはくは德を好みて儒者にかくれ給へ。今の人久きあやまりを不レ知らして、佛家ぶつけ道家だうけなどいふ如く、儒者をも一流の道者なりと思へり。大樹〔將軍の義。後漢の名將馮異が故事に基づく〕、諸侯、卿、大夫、士庶人の五等の人こそ道者にて候へ。
儒者は一人の藝者なり。世人弓馬の藝者を以て武篇者ぶへんものとはせず、武士たる人みな武篇者なるべきが如し。此あやまり漢の代よよりこのかたならん。五等の人倫の外に、別に道者あるを以て異端とすれば、儒者・佛者共に異端なり。貴殿周官に出でたる昔の儒の如く、一人の役者となりて、異端の徒ともがらをまぬかれ給はゞ、幸甚たるべく候。
一 來書略。拙者同役に利發にて作法もよき者候。道に志なき故、何方いづかたやらん談合などあひがたく、氣のどくに存じ候。道理を得心すまじき者にてはなく候間、和解の書にても見せ可レ申候や。
返書略。拙者も見及び候。利發なる故に、貴殿、我等など、同志の非をよくみられ候。又わきよりも學者の非を云ふことは多く、少しにてもよきこと有るレ之分は、言ひ聞かするものなく候。志ある者は、默して居候より外の事なく候へば、日々ににくむ心はまさりて、中々志は出來申すまじく候。道德の義を得心すまじき人にてはなく候へども、貴殿、我等などよりは知慧おほく候。
貴殿、我等も、學者の名あらずば、一向の凡夫よりは勝りたる所もあるべく候へば、親しまるゝ事も候はんづれども(*ママ)、學者の名ある故に、へだてと成り候。同志の友も、世間の人の非をば見がちにて、同志の非は見ゆるし候。他人の非を見るは、何の用にも不レ立たして、却てさはりとなる事なり。同志の非をよく見て、互に相助けたき事に候。御同役の人も、貴殿の德次第にて、後には志も出來候べし。不行儀なる人はたのみなく候。此人は作法よく候へば、その身にさしはさむ事もあるまじく候。不行儀なる人は、他人のよきほど我身の惡にさはりぬるゆゑ、いよ/\忌みにくむものにて候。
〔人皆善ければ、我惡愈々顯著なるを云へり〕貴殿の御同役は、學者といへども我身の無學ほどもなきと思はれ候間、此方の德をつみ給ひなば、やはらぎ出來候ひなん。利發にて世情の心得よく候べければ、貴殿だにへだてなく同志と同じくもてなされ候はゞ、同志の人情を知らぬ人よりは、事の相談よろしかるべく候。内々あしく聞きいてにくむ心ある所へは、いかほどよき道理の書物を御おん見せ候とも、かひあるまじく候なり。
一 來書略。十月の亥ゐの日を亥の子と申して、餅もちひを作りていはひ申し候事は、何としたるいはれにて候や。
返書略。和漢の故事候や、未だレ知ら候。愚見を以て道理を辨へ候へば、十月は純陰の月にて陽なく候。亥の月の亥の日は、いよ/\陰の極きはまりなり。陰極りて陽を生ずるものは母なり。生ぜらるゝものは子なり、餅は陽物なり。故に先人身の陽を調へて、天地の氣を助けんとす。陰陽相對する時は、陽を凌げり。君臣とし夫婦としても、君をなみし夫をかろしめ、やゝもすれば陰の爲に陽を破る事あり。ことに微陽は純陰に敵しがたし。子とする時は、養育して生長せしむ。故に陽を亥の子といへるか。日本は東方なれども小國なり。陽の穉ちなり。是故に別して陽を祝ひそだてんとする心にて有るべきかと存じ候。
一 來書略。具足のあはせめは、右を上うへにいたし候。具足屋に尋ね候へば、古來仕來しきたり候へども、其故を不レ知らと申し候。
返書略。「一たび戎衣じういして天下大に定る」と書經〔一たび戎衣して天下大に定まるとあり〕に見え候。甲冑は戎狄の衣服にかたどれり。南西北の人は、衣服左まへにして袖なし。又戎じうは兵へいなり。戎衣はつはものゝ服といふ義にて候はんや。兵服の初は、戎服にかたどりて戎衣と名付く。是によりて戎字をつはものと讀ませたるにや。えびすの服、つはものゝ服、兩義の中うち、左まへと袖なきとにより候へば、えびすの服の義初はじめたるべく候や。中國の人も、甲冑したる體ていは戎狄の形に似候。戎衣なるが故に右をうへにするにて可しレ有ると存じ候。むかし日本の鎧には袖といひて別に肩に付け候。是は矢を防がん爲盾たてに用ひたるものに候。近世は鐵砲渡りて、袖のたてゆきうすく候故に、次第に不レ用ひ候。異國の甲冑には本よりなきものにになり。
卷第二 書簡之二
一 來書略。武士たる者は、事あれかし高名して立身せむと思ふを以て、常とおぼえ候。又事なきこそよけれ、兵亂ひやうらんをねがふは無用の事と申す者候へば、武士の心にあらずなど云ひてあざけり候。いづれか是ぜにて候べき。
返書略。いづれも非にて候。文盲もんまうにして道學のわきまへもなき武士は、せめて武道一偏の心がけを第一として、只今にも事あらばと油斷せず、高名せんと思ひ、疊の上にて病死するは無念なる事に思ふも可なり。然れども浮氣にてさやうに思ふはひがごとなり。我高名せんと思へば、人も又同じ心あり。死生二ふたつに一ひとつなり。それまでもなく、弓矢鐵砲の憂あれば、死は十にして生しやうは一なり。高名立身を望みて事あれかしと願ふは、思慮すくなき事に候。十死一生を知らで理運に〔理運と利運―云ふ程の義なり。好運にて―頭注ママ〕高名すべき樣に思ひなば、なりがたき勢を見てはおくれを取る事もあるべきか。
其上天下の人、妻子等の嘆き苦しみを思へば、たとひかならず命を全うして、高名をきはむとも、一人の小知行のために萬人をくるしめ、人のなげきをあつめて名聞利用〔我が名譽利益―頭注〕とせん事、心にこゝろよからむか。仁人は國天下を得うとても好まざる事なり。兵書に云ふ、「凡およそ兵へいは過あやまちなきの城を攻せめず、罪なきの人を殺さず、人を殺して其國郡くにこほりをとり、貨財を利するは盜ぬすびとなり」といへり。
惡人ありて亂もいできよかし、高名せん、と思ふは不忠なり。其上富貴ふうき、貧賤、盛衰相かはれり。如きレ此ののわきまへありて、兵亂ひやうらんをいとふはよき心得なり。其わきまへもなく、武道武藝もきらひにて、やはらかにくらす便利のために無事を好めるは、しなこそかはれ、うは氣に何事ぞと〔何事か起れかしと―頭注〕ねがふ人に同前たるべく候。
よき武士ぶしといふは、あくまで勇ありて、武道武藝のこゝろがけ深く、何事ありてもつまづく事なき樣にたしなみ、さて主君を大切に思ひ奉り、自分の妻子より初めて、天下の老若らうにやくを不便におもふ仁愛の心より、世中よのなかの無事を好み、其上に不慮の事出來る時は、身を忘れ家をわすれて大なるはたらきをなし、軍功を立る人あらば、一文もん不通の無學といふとも、文武二道の士なるべし。世間に文藝を知り武藝を知りたる者を文武二道といふは、至極にあらず。これは文武の二藝といふべし。藝ばかりにて知仁勇の德なくば、二道とは申しがたかるべく候。
一 來書略。歌鞠うたまりは武士のわざにあらず。賴朝鄕の次〔賴家。その次は實朝〕は鞠をもてあそびて亡び給ひ、其次は歌を好みて絶え給へり。惣じて武家の弓馬におこたりて歌鞠かきくをもてあそぶは不吉なりと申し候。さもあることにて候や。
返書略。歌道は我國の風俗なれば、少しなりとも心得たき事にて候。
されどもいにしへの歌人は、本ありての枝葉えだはに歌をよみたるよしに候。本と云ふは學問の道なり。學問の道に文武あり。文武に德と藝との本末あり。文の德は仁なり。武の德は義なり。仁義の本立たちて後、弓馬書數禮樂詩歌のあそびあり。弓馬書數禮樂詩歌は文武の德を助くるものなり。文武の道をよく心得て、武士をみちびき民を撫なでをさめ、其餘力を以て月花にも野やならず、歌をもてあそばれ候はゞ、花も實もある好人かうじんたるべく候。
賴朝鄕の末のおとろへは歌鞠かきくの罪にあらず。其本の不るレ立たた故なり。〔論語學而篇の君子は本を務むの義〕本たゝざれば武道の心がけに過て亡ほろびたる家も、和漢共にあまたあれば、これも武道の罪と可レ申候や。本を捨てゝ跡にて論ぜば、はてしあるべからず候。鞠は親王しんわう門跡などのれきれき、武士のやうに鷹がり歩行もなりがたく、輿車の御ありきも度々なりがたければ、門内にばかりおはしまして、氣血欝うつしとゞこほり給ふ欝散うつさんに、鞠など御相手だに惡しからずば苦しかるまじきか。それとても學問家業つとめ給ひし上に、御養生の爲ならば然るべし。いづれにても遊びを專もつぱらとして本なきは、あしき事にて候。
一 來書略。勇は?勇ちんようがよきと承はり候。されど刀もかねよきはうち見るよりきれぬべく存ぜられ候。人の武勇ぶようも強弱如レ此と存じ候。尤も?勇もあるべく候へども、それは百人に一人にて、大かた見聞の及ぶ所たがはざるかと存じ候。
返書略。まことに刀のきるゝと切れざるとは、かねにて見ゆる事に候。むかしは今の樣にためしものと云ふ事まれなる故に、只自分の目にてかねよき刀を目利して求めさしたると申し傳へしなり。我等もそれに心付て見習ひ候へば、大かたあたり候。かねのきたひよく精神あるが如く、はきとしたるはきれ申し候。かねかたくても精神なく石の如くなるや、錬きたひたるやうにてもやはらかに鈍きは切れず候。此善惡は少し心づきぬれば見え申し候。又大かたにては見えがたきかねあり。にぶきに似て、どみ〔鈍か曇か。冴え/\せぬ義〕たるやうにて然さはなく、空の曇りたるが如く、淵の深きが如くにて、さえ/〃\ときたひよきところは見えざるあり。
是はすぐれたる大きれものにて候。?勇も又如しレ此くの。この品々はさしおきて、武士たる者は、皆武勇あるべきことわりの者にて候。刀は皆きるゝ能あるものなり。柄つか鞘さやして金銀糸いとを以てかざり、はやからずおそからず、よきほどにつめてさすものにて候。武は文を以てかざるべき理りなれば、勇は仁を以てをさめて、平生へいぜいは禮儀正しく仁愛ふかきがよく候。〔論語に「勇にして禮なければ(*原文「な」欠字)則ち亂る。」と〕刀脇指のはやきは、自然の時の用までもなく、身のあやまち近きにあり。貴方の勇氣は小脇指のはやき樣に候。間あひだよき程につめて御さし可くレ被レ成さ候。
其上勇力にほこるものは損多く候。其善を有すればその善を失ひ、其能に矜ほこれば其功を失ふとは、古人の格言なり。勇いさみだてする者をば人がにくみて、少々の手柄ありてもほめず、かへりていひ消し候。扨さて何事をぞ構へて越度をちどあらせんとし、又すぐれたる手柄ありても、大身だいしんになりがたきものに候。されば常に敵てき多くてやすき心なく候。むかし三十年、甲冑かつちうを枕とし山野を家として、度々高名あるのみならず、武道の事巧者なる者ありき。
若きともがら打寄よりては、此老人を請しやうじまうけ、武道の物語を聞き候處、其人のいへるは、吾は人のいふほどの手柄もなし、わかき時より愛敬あいけいありて、人に愛せられたる者なり。この故に世に高名かうみやうあり。武篇ぶへん〔篇は邊なり。武道〕の極意は愛敬なりといへり。何事も至極にいたれば道に近く候。
一 來書畧。生しやうは天の吾を勞するなり。死は造物者の吾を安やすんずるなり。狂者〔論語に狂者は進取す、とあり〕の親の喪にあうてうたふ道理なり。みづからの死生を思ふ事尤も同じと。しかれば生しやうをにくみて死を好むとも可くレ申す候や。
返書略。勞安の義二つにあらず。晝夜を以て見給ふべし。夜はいねて安く、晝はおきて勞す。しかれども、夜のやすみ極りぬれば晝の勞らうを思ひ、晝の勞つかれ極りぬれば夜の休やすみを思ふ。死生勞安は時なり。只造物者のなさむまゝなり。私意を立たてて好惡すべからず。狂者は凡人の生しやうを貪り死をにくむの迷を矯たむべきが爲に過言くわごんあるものなり。其見所けんしよ天人陰陽の外ほかに出たり。聖人もとより此心なきにあらず。しかれども中行ちうかうはくはしきが故に其見けんを忘れ、狂者はあらき所ありて見を忘れず。大智たいちは愚なるが如し。〔蘇東坡の文中に見ゆ〕物あれば則のりあり。聖人は道と同體なり。天地萬物の則なり。何ぞ見解を立たてて物理を破らんや。しかれども狂者の心も又よみすべし。
一 來書略。拙者在所に人相を見るものあり。何なにとぞ本ある事にて候や。
返書略。本ある事にて候。相書さうしよに云ふ。「惡乃あくのいましは禍之兆わざはひのきざし、善乃ぜんのいましは福之基ふくのもとゐ」とあり。これ相の極意にて候。
一 來書略。拙者在所に氣逸物きいつもの〔かはり者の義か〕なる者あり。知行二百石の身上しんじやうなりしが、死期しごにのぞみて其子にいふやう、「天下はまはり持なるぞ。油斷すな。」とて相果て候。天下の武士たる者、此心なきはふがひなき樣に申す者あり。然さらば無學の人は臣にしても賴みがたく候。勢ひのおよばぬ故にこそしたがひ仕へ候へ。とりはづしては皆主人をも失ひ可くレ申す候や。
返書略。天下の武士の心は知らず候。惣じて天下は父祖より受來りしならば是非に及ばず。好このみてのぞましきものにあらず。國郡も又同じ。野拙やせつはおそれながら大樹君くんを代官とし奉り、治世ぢせいにゆる/\とすみ侍ると存じ候へば、かやうのありがたき事なく、萬萬歳ばん/\ぜいといはひ奉り候。貧は士の常なれば、樂しみこれに過べからず。許由が耳を洗し心も、〔堯が天下を讓らんと云ひしを聞き、耳を穎川に洗ひし故事〕堯帝を代官として山水をたのしむに、何の官位にか加ふべき。
我に天下をゆづらむとは、人の代官をせよとか、二度ふたたび此事をきかじとて耳をあらひしものなり。何の苦勞なくたまはるとも、國も天下も所望になく、君子は故なきの利を禍とす。國天下は、道を得て持たもつは大安なり大榮たいえいなり。道なくて持たもつは大危たいきなり大累たいるゐなり。これ有るは是なきにはしかず。天災人亂及びては、匹夫たらん事を求むれども免れずと云へり。此故に先祖より受來りたる國天下を輕く思ひ、我欲の爲に失ふはひが事なり。聖人の大寶たいはうを位といひて、富貴なくては萬民を救ひ助くる事なりがたし。
受けきたり候天下ならば、仁政を行ひ、天下を安靜ならしむるを樂みとする儀にて候。義もなくてもとむると、我にあるものを輕くしてすつると、同じく無道ぶだうの至りに候。夫利欲の人は、天威のおす處にてかなはざればこそ、臣となりてかしこまり候へ、勢ひだにあらば大かた主君をも失ひ申すべく候。是を以て漢の高祖は我頸をねらひたる者を知りながらたておかれ候。〔雍齒を封じたる事を指せり〕人情を知り、且つ天下の歸する所は、人力に及ばざる事を得心ありたる故にて候。
一 來書略。節分の夜、大豆まめをいり福は内へ鬼は外へといひ、鰯の頭かしらをやきて戸口にさしなど仕し候事は、ゆゑもなき世俗のならはしと存じ候。然れども俗にしたがひ可くレ申す候や。
返書略。秋冬は陰氣内に有りて事を用ひ、陽氣外にある故に、立春の旦あしたより陽氣内に入て事を用ひ、陰氣外ほかに出いづるのかはりめなり。されども餘寒甚しき故に、大豆まめをいりて陽氣を助け、屋のすみ/〃\までも陰陽のかはりを慥たしかにしたるものたるべく候。鬼は陰なり。今宵より外ほかに出るなり。神は陽なり。神は福をなす。今宵より内に入て萬物を生ずるなり。鰯は衆を養ふ物にて、仁魚なるに依よりて、邪氣其香かにおそるれば、邪氣をはらはむとなり。柊木ひゝらぎを加ふる事は、世俗鬼の理ことわりを知らでなしたる事か。鰯のごとき理りのあるか。いまだ知らず候。
一 來書略。今時なま學問する人は、ものをやぶる樣に被レ申候。世中よのなかのわけもなき事をやぶるは尤もにて候へども、何をもかをも理屈にておし候へば、神道も王道も立ざる樣に成行き候。無の見けん〔一切の物を否定する老佛學者の見解〕と申すあらき異學の風の如し。いかゞ。
返書略。古今異學の悟道者と申すは、上古の愚夫愚婦なり。上古の凡民には狂病なし。其悟道者には此病あり。先づ地獄極樂とて、なき事を作りたるにまよひ、又さとりとてやう/\地獄極樂のなきといふ事を知りたるなり。無懷氏ぶくわいし〔伏羲氏の後、神農氏以前の支那上代帝王の名〕の民には本よりこのまよひなし。是を以て、さとり得てはじめて昔のたゞ人になると申す事に候。たゞ人なればせめてにて候へども、其上に自滿出來て、人は地獄に迷ふを我は迷はずとおもひぬれば、地獄のなきと云ふ一事を以て、何をもかをも無しとていみ憚かる所なく候。儒佛ともに世中に此無の見はやりものにて候。
一 來書略。佛敎を内典といひ儒敎を外典と申し候事は、心を内といひ形色けいしよくを外と申しはべれば佛敎は心法なり、儒敎は外とざまのしおき法度なりと申す儀にてあるべく候。又儒、道、佛の三敎は有う、無、中なり。いづれにも靈妙なきにはあらざれども、つかさどる所、儒は有相うさうの上の道なり。道は無相を至極とせり、佛は中道〔中正不偏の道―頭注〕なり、有無中かねて機によりて説くと雖も、畢竟は中道實相〔物の有の儘のすがた―頭注〕に歸著すといへり。いかゞ。
返書略。形色あるものは皆無より生じ候へば、有無もと二にあらず。中と云ふは天理の別名べつみやうなり。有無に對する中にはあらず。堯舜始て易の心法を發明し給ひて中と名付け給へり。則ち天下國家の平治齊とても、中の外無く二二心一無し二二道一。天理の我にありて未だレ發せ、之を中と云ひ、天理の我にありて已に發する、是を和くわと云ふ。修身、齊家、治國ぢこく、平天下は已發いはつの和くわなり。則ち中なり。物の天理の至精を得て、至易至簡なるを中と云ふ。則ち和なり。
佛氏といへどももと有無を二にせず。色即是空これなり。聖學といへども有無中を別にせず。形けいと色しきとは天性なりと。佛氏といへども、有無の中には留まらず。佛書に云ふ、「心性不動。假に立つ二中の名を一。亡泯もうみん三千。假に立つ二空稱を一。雖もレ亡すと而存す。假に立つ二假の號を一。」道者といへども無に偏らず。後世の奢をとどめ僞いつはりをひらきて、太古朴素ぼくそ淳厚の風をかへさんと思へり。佛仙共に聖學の徒なり。語も理もいづくより取來らんや。儒には聖學の傳來明言を失ひて、かへりて仙術にのこりとゞまること多し。先天の圖を仙家せんけに得たるにて得心あるべく候。本聖人の門より出たることを辨へず、仙佛のいふ事なれば皆異端の語として忌みさけぬ。
彼も聖門のよきことならでは取用ひず、三代の禮樂も浮屠に殘れる事あり。人道にはかへりて戰國の久しかりし間にとり失ひたること多し。されば聖學の至言は皆異端に與へて、儒は土苴たさ〔ごみくた―頭注〕(*ママ)を取ぬ。凡て道德の高下淺深を論じ、語の似たるをあはせて同異をいはゞ、盡つくる期ごあるべからず。内典、外典の名は佛者より云ふといへども、實は儒者の招く處なり。秦漢より以事このかた、士君子たる人道統の傳を失ひて、執るレ中をの心法を知らず。道德甚だ下くだれり。故に儒者の道は只如きレ斯くのものと思へり。されば高明かうめいの人は多く佛に入り仙に入る。道家も後は天仙の旨を失ひて地仙に落たり。是も又心法を絶す。只佛者のみ心法をいへり。之によりて佛法を内といひ儒道を外といへり。
一 來書略。此ほどおもしろきむかし物語を承り候。明慧〔高辨上人なり。北條氏初世頃の僧〕と解脱〔貞慶上人の諡、建保元年寂す〕と同道して路次を過られはべりしに、かたはらに金銀多くおとし置きたり。解脱是を見て、こゝに大蛇ありとてよけて通り、四五町行ゆきすぎて又云ふ、「先の物は定めて他人見つけたらば悅びて取るべし」と、明慧云ふ。「重きにこゝまで持來り給ふや」と。解脱の心は、鬼よ蛇じやよなどいひて、人を害するものありとはいへども、見たる者なし。金銀に命をとらるゝ者は、眼前に數をしらず、誠に大蛇なると云ふ義なり。此類の見解を以て、世俗のまどひを出たるものなり。明慧は金銀も石もかはらも同じく見なして、とかくの見解なし。誠にはるかに高き心地にて候。聖賢の心位と申すともかはりあるまじきと存じ候。
返書略。兩僧の内にては心位の淺深ありといへども、聖學よりみればいづれも見解にて候。心地自然にして物なしとは申しがたかるべし。柳はみどり花は紅と、それぞれに物の輕重けいぢうは輕重にして置て、我あづからざるぞよく候。金銀と土石と同じく見るといふも、見解を以て作りたるものなり。無物自然の心にて見侍らば、我こそ金銀はいらずとも、世間の人の寶とし、世をわたり人を養ふ物なれば、之をおとしたる者は、主人のものか人の使か其身の一跡いつせき〔資産の全部―頭注〕か、人によりて身代をやぶり命を亡すにいたるべきは不便なる事なり。大かたの人見付なば、悅び取とりて我物とすべし。
我等の見たるこそ幸なれとて、拾ひて近里きんりのしかるべき者に預置き、落し主にかへすべき謀はかりごとあらんこそ、天性の仁愛なるべけれ。明心の靈をふさぐこと、品ことなりといへども、そのおはふ〔壅蔽する―頭注〕所は一なり。世俗は物欲のちりを以てふさぎ、學者は見識を以てふさぐものなり。其見至所ししよに近きが如くなるも、其傳來のよる所天に出ざるは、終に正道をなす事なし。道の行はれざる事かなしむべし。
一 來書略。陽氣に我意なる者は、軍陣にてよからぬと申す説候。又利害かしこき者は、武篇鈍きと申し候。強弱の見樣ある事にて候や。
返書略。加藤左馬助〔嘉明―頭注〕の宣へる由にて承り候。諸士の武篇に目利あり。たゞ理直りちぎなる者、大かた武篇よきと心得べしと。又越後の景虎〔謙信―頭注〕の宣ひしは、武篇のはたらきは武士の常なり。百姓の耕作に同じ。武士は只平生の作法よく、義理正しきを以て上じやうとす。武篇のはたらきばかりを以て知行をおほくあたへ、人の頭かしらとすべからずと。名將の下もとに弱兵なき事なれば、大形おほかた士は武篇よき者とおぼしめさるべく候。陽氣に我意なるものとても、臆病なる生付にてはなし。
たゞ習ならひにて何心なく、其身にはそれをよしと覺えての事にて候。理直なる者にうは氣をしかけぬれば、常ならぬ事故堪忍不レ仕候。其時に思ひがけぬ事にて行ゆきあたり、體てい見苦しく候。又分別だてにて利害おほき者は、常に義理を心がけざる故に、自然の時(*まさかの場合)義理をかき候へば、臆病とも申し候。陰極きはまりて陽を生じ陽極て陰を生ずるなれば、平生陽氣なる者は、陣中にては腹立たちてなすべき所にもあらず。弓矢鐵砲の音にてうかびたる陽氣は皆けとられ〔けづるの義にて奪削せらるゝ意か〕、常々臍ほぞの本にたくはへたる勇氣のたしなみもなければ、おもひの外常の我意出ざる故、なみ/\にても目に立ち申し候。
龍りようといふものは、羽なくて天に昇るほどの陽氣の至極を得たるものにて候へども、平生は至陰の水中にわだかまり居ゐ候。是を以て眞實に武勇ぶようの心がけある人は常々の養やしなひをよく仕る事に候。
一 來書略。儉約はよき事なれば、人々用ひたく存じ候へども、なりがたく、奢はあしき事と思ひながらも、やむる事あたはずして、日々におごり候事はいかゞ。
返書略。儉約と吝嗇と器用と奢とのわきまへなき故にて候。儉約は我身に無欲にして人にほどこし、吝嗇は我身に欲深くして人にほどこさず。器用は物を求めずたくはへず、あれば人にほどこし無ければ無き分に候。奢はたくはへおかず器用なるやうに見え候へども、其用所ようしよは皆我が身の欲のため、榮耀ええうのためにて候。奢おごりて用足らざれば尤もつとも人にもほどこさず。しかのみならず家人をくるしめ、百姓ひやくしやうをしぼり取、人の物を借てかへさず、商人あきんどの物を取て價あたひをやらず。畢竟穿踰せんゆ〔論語陽貨篇、其れ猶穿?の盜の如きか、と〕に同じき理を知らで、奢は器用なる樣に思ひ、儉約といへば吝嗇と心得候。又吝嗇なる者の儉約の名をかるもある故にて候。
一 來書略。同志の中に、世擧こぞりてほむる人御座候。流俗にあはせて然るにはあらず。しかれども本來は、よき人にはよくいはれ惡しき人には惡しくいはるゝこそ、眞のよき人にてあるべく候へ。されど勝れて好よきをば、なべてよく申すことわりにてもあるべく候や。
返書畧。此人の人がら十が八はよし。二とても惡きにはあらず。たゞ此人の疵きずなり。其疵ある故に諸人しよにんほめ申し候。善人は其疵は見候へども、玉のきずにして大躰よく候へば、其よき所ばかりほめて疵をばあげず、こゝを以て世擧こぞりてほむることわり尤もに候。しかれども其疵は終に弊つひえあるものなる故、諸人の爲にもそしらるゝ事出來るものなり。はじめより其疵なければ、小人せうじんのためにはそしらるゝにて候。全く君子なれば、全く小人のためにはあはざる事多し。其謗そしりは君子の美にして疵にあらず。其人にあらざれば此二ふたつの道を知るべからず候。
一 來書略。我等われらの國には江西こうせい〔近江なる中江藤樹の學風なり〕の遺風をしたふ者餘多候へば、貴老御おん弟子の内一人申し入れ度く存じ候。
返書略。拙者には弟子と申す者は一人もなく候。師に成べき藝一としてなき故にて候。醫者の醫業を習ひて一生の身をたつるか、物よみの博學を學まなびて物よみを産業として一生をおくるか、扨さては出家などの其宗門を繼つぎて寺を持ちなどするは、おのづから師弟の契約なくて不るレ叶は事に候。拙者は麁學そがくにて、人に文字讀もじよみにてもはか/〃\しく敎うべき覺悟なく候へば、何にても人の一生をおくるたよりになるべき事を不レ存ぜ候。少し文武の德に志ありて、聖學の心法を心がけ候へども、自己の入德の功さへおぼえなければ、まして人の德をなし道を達して門人あらん事は、思ひもよらぬ事なり。
世に愚がおよばざる才力あり氣質の德ある人々の志の相叶ひたるは、語りて遊び申し候。其人々愚ぐが少し心がけたる心法を尋ねられ候へば、ものがたりいたし候。高かうをする〔高を欲する者の高處に上るを云ふ〕者の丘陵による如く、美質故に少し聞れても、愚が多年の功に勝り候へば、かた/〃\以て皆益友に候。武士の歴々弓馬の藝を敎へらるゝも同じ事に候。先へ學びて巧者なる人は、後より習ふ人にをしへられ候。武士は相たがひの事にて候へば、をしへて師ともならず恩ともせず。國のため天下のため武士道のためなれば、器用なる人にはいそぎをしへたてられ候。習ふ人も其恩を感じて忘れざるばかりなり。醫者・出家などの如くに、師弟の樣子はなく候。只本よりのまじはりにて、志の恩をよろこび思ふのみなり。
我等道德の議論をしてあそび候心友しんいうも、又かくのごとし。心友なるが故に、たがひに貴賤をば忘るゝ事に候。全く師と不ずレ存ぜ、弟子ていしにても無く候。我等學問仕らざる以前より、常の武士にて奉公致し居り申し候故にこそ、右の如く人々にものがたりも仕り候へ、もし牢人〔浪人―頭注〕にて學問致し、學問の名を以て奉公に呼び出いだされ候はゞ、罷出まかりいで申すまじく候。似合敷にあはしき武士の役儀を勤る奉公ありて、其上には苦しからず候。今時歴々の武士の奉公に出らるゝも同前に候。武藝のあるは其身の嗜たしなみにて、世のつねの奉公人にて、其上に志の相叶あひかなひてかたり候人に、おぼえたる事を敎へらるゝは、苦しからざる事なり。初めより藝能をおもてにしては、歴々の武士は出いでられず候。
一向いつかうに物讀ものよみと成なつて出いづるか、武藝者と成て出る事は、又一道にて候。心法は五等の人倫の内々に用ひる身のたしなみなり。武藝は武士の役儀の嗜にて、其嗜にする人の内にて、勝れたるは人の手本となるまでに候。手本とはならでも、巧者なる者は器用なる人を取立て候事も候。
一 來書畧。道に志ある者の、時として飮食いんしい男女だんぢよの欲にうつる事あるは、志の實ならざる故ならんか。又道に志なくても(*ママ)行儀よき者あり。先生いづれをかとり給はむ。
返書畧。心は無聲無臭〔書經に上天のことは無聲無臭とあり〕のものに候へば、見がたき事に候。志ありといふ人も、隱微の地の實不實不レ存ぜ候。又志なくて行儀よき人も、隱微の所しるべからず。去さりながら父母兄弟けいてい妻子を古鄕こきやうにおきたる人は、一旦他國に遊び候へども、終つひにはもとに歸るべく候。形氣けいき衰ふるにしたがひて、道より外に行く所有あるまじく候。
志の不實と申すにてはなし。實はあれども明めいのしばし蔽おほはるゝ所ありてなり。只今飮食いんし男女の欲もうすく行跡かうせきよくても、心志しんしの定さだまる所なき人は、父母兄弟妻子のあつまりたる古鄕なくて、只一人身のうきたる如くなり。しからば往々ゆく/\何國いづくにとゞまるべきやらん、はかりがたし。今日のよきは、精力強くして、愼みの苦にならざるか、名根みやうこんの深くてなすわざか、もしは生れ付ついて形氣けいきの欲うすき者もあれば、其たぐひなるべく候。
形氣おとろへ行ゆくにしたがひて、本の志たる道德は無し心は昧くらし、あぢきなくして後世ごせなどに迷ふもあり。愼みおとろへて亂るゝもあり。行過ゆきすぎて異風になるもあり。一旦のよきはたのみにならず。月夜つきよのしばし曇たると、闇の夜よの晴はるるとの如し。雲ありともたのむべし、雲なしとも賴むべからず候。
一 來書略。此比このごろ爰元こゝもとにて、友の喧嘩仕出しいだしたる所へ行ゆきかゝり、見すぐし難くて助太刀致し候處に、先の者多勢おほぜい故に、兩人ともに討たれ申し候。本人は定業ぢやうごふとも可くレ申す候。行ゆきかゝりたる者は無き二是非一事に候。非業の死たるべく候や。〔定業・非業―定まれる業報と非命の死と〕
返書畧。定非ぢやうひの事は不レ存ぜ候。總じて喧嘩はよき武士はせざることに候。大かた禮儀のたしなみなきか、また怒氣の爲にをかされて仕出しいだす事に候。然れば人爲じんゐの禍わざはひにて、命めいとは申されず候。行ゆきかゝりたる人は何心もなく候へども、友の難を見ては過ぎられぬ義理にて、助太刀したるにて候へば、撃たれても其人のあやまちにあらず候。是こそ誠まことの命ある事と可くレ申す候。死すべき義理なくて、我あやまちにて作り出いだしたるは、喧嘩によらず命にては無く候。義ありて死するはこれ命にて候。是を以て君子は巖墻がんしやうのもとにたゝず候。〔孟子に、命を知る者は巖墻の下に立たず、と〕
一 來書略。祭る事はそれ/〃\の位にしたがふ事と承り候。天地三光〔日、月、星―頭注〕天下の名山大川たいせんは、天子これを祭り給ひ、其國の名山大川、國に功ありし人をば、諸侯これを祭り給ひ、聖賢をば其子孫をたてゝ祭らしめ給ふ。大夫・士庶人各品あり。しかるに日本にては、上下じやうか男女なんによともに天照皇太神てんせうくわうたいじん(*原文ルビ「てんせうくわうだいじん」)へ參り候。天子の外は國主とても成なるまじき事にて候に、非禮ひれいなるかと存じ候。しかるに貴老其非禮にしたがひ給ふ事は心得ず候。
返書略。もろこし人の、禮あるの外には神を祭らざる事は、利心りしんを以て神を汚けがす事を禁じ、且かつ邪術をしりぞけたり。しかのみならず、罪を天に得ては祈るに所なき道理をあかし、情欲の親おやに仕つかふるまどひを解きて、人々の親則ち至神しいしん至尊しいそんなり。尊神そんしんの子なれば、我が身則ち神の舍やどりにして、我が精神則ち天神と同じ。仁義禮智は天神の德なり。從つて行おこなふは常に天に仕へ奉るなり。其禮を用ひて祀れば福さいはひあり。其道にそむきて祭る時は禍わざはひ至るの義なり。日本は神國しんこくなり。むかし禮儀いまだ備らざれども、神明の德威嚴厲げんれいなり。在いますが如くの敬を存して惡をなさず。〔論語に、祭るには在すが如くす。神を祭るには神の在すが如し、とあり〕神に詣でては利欲も亡び邪術もおこらず。天道にも叶ひ、親にも孝あり君にも忠あり。
只時・所・位の異なるなり。それ天子に直ぢきにもの申し奉る人は、公卿侍臣のともがらなり。それより下したは次第のつかさ/\ありて、可きレ奏すことは其つかさに達するなり。况して土民などは、其御門内の白砂しらすを踏む事だにせざるに、帝堯は鼓〔前出の諫鼓なり〕をかけおかせ給ひて、「農工商によらず直ぢきに可き二申し上ぐ一子細あらば、此鼓をうて。吾出て聞む。」と詔みことのりあり。下しもにてことゆかずいきどほりある者は、皆直ぢきにまゐりて其いきどほりを散ぜしなり。民の心に、たゞ父母にものいふ如く思ひたり。日本の太神宮御治世ごぢせいの其むかし、神聖の德あつく、よく天下を以て子とし給ひ、下民かみんに近くおはしましたる事、堯舜の如くなりし、其遺風なり。後世の手本として、茅葺かやぶきの宮殿くうでんの殘り給ふも同じ理にて候。其上神とならせ給ひては、和光同塵の德にて、帝位の其時とは違ひ、國の風俗にて誰たれもまゐりよき道理にて候。野拙はたゞ其聖神せいしんの德をあふぎ奉るばかりなり。
太神宮は御治世のみならず、萬歳ばんぜいの後までも生々しやう/〃\不息ふそくの德明かにおはしまして、日月の照臨せうりんし給ふが如し。參りても又おもひ出しても、聖師に對むかひたるがごとく、神化しんくわのたすけすくなからず。古の聖王は君師くんしと申して、尊たつとき事は君なり、親しきことは師なり。只聖王のみならず、靈山川れいさんせんのほとりに行きても、道機だうきに觸ふるるの益すくなからず。これ又山川の神靈の德に化する故なり。其上祈ると祭ると義ことなり。天をば天子ならでは祭り給はねども、祈るに至りては士庶人も苦しからず。其例ためしもろこしにも多し。
一 來書略。先度せんど勸請くわんじやうの宮社きうしやを、非禮なりと承り候へども、神道しんだうの意はしからずと存じ候。鳥居を入いるより、誠敬せいけい自然と立たちて心新あらたなり。社前に至りて拜する所に傳受あり。此心をだに存養そんやういたし候へば、家ごとに孝子、國皆忠臣と成て天下平たひらかなり。所々に勸請なくて不るレ叶は義と存じ候はいかゞ。
返書略。たとへば洛陽〔京都―頭注〕にては賀茂の御社みやしろ一所にても、人の敬けいを立つることは足り候べし。昔は數々の勸請なかりし證據ども候。其勸請の習おほく候はゞ、さしも天下の奢をきはめし平淸盛、藝州の嚴島をば、疾く都のあたりに勸請して、おびたゞしく美を盡さるべく候へども、はる/〃\と西海まで詣でられしこと、淸盛には奇特きどくなり。いにしへも原廟げんべうを作るとて、大に忌みたる事なり。昔たまさかに原廟を作れるも、靈地を見たてゝ移し、卒爾にはせざるだに非禮おほく候。其後は靈地をも撰ばず、みだりに多ければ、神を汚し威をおとし、敬するとて大なる不敬に至り候ぬ。佛家を以ても御覽候へ、塔〔舍利を藏むるため、供養のため、報恩のため、靈域を表する爲等にて建つるもの〕は佛舍利のある所を知て、禮拜らいはひ(*ママ)の心を生ずべきがためなりと申し候へども、むかし山林にある伽籃にたまさかに在るこそ、さもあるべく候。
今は町屋と爭ひ建ならべたる塔なれば目なれて、昔たま/\ありし僧法師の敬禮けいらいの心も絶はて候。其上聖人の敎は、其親しんを祭りて敬の本を立て候。親の神すなはち天神と一躰にて候。性命より見れば至尊しいそんの聖神なり。他たに求むべきにあらず。むかし老いひがめる親もちたる者あり。或時子に向ひ言ひけるは、「手足もたゝずしてかく養はるゝは、この家の貧乏神なり。早く死度しにたく思へども、つれなき命なり」と。其時子跪ひざまづき愼でいへるは、「我家わがいへの福神ふくじんは父君にておはしまし候。つかふまつること誠まことうすき故に福いたらず。しかれども斯くおはします故にこそ、とかくして妻子をも養ひ候へ。たゞいつまでもおはしますやうにと願ひ候なり。」老親笑ひて云ふ、「用にはたゝずして人を使ふのみならず、色々の好みごとをせり。我ほどの貧乏神はなきに、福神とは何としていふぞ」と。
子の曰はく、「昔より今に至る迄、色々の願をたて難行をして神佛に祈るもの多く候へども、福を得たる者一人もなし。親に孝行にて神の福をたまはり、君のめぐみを得たる者は、倭漢共に多く候。しかるに目の前にしるしある家内の福神には福を祈らずして、しるしもなく目にも見えぬ所にいのり候。親に孝行をして福を得ずとも害あらじ。神佛に祈りて福を得ざるのみならず其損多く候。今我わが福神にひがみ給ふ御心ある故幸さいはひなきにや。」と、顔色がんしよくをやはらげて云ひければ、其時老親うちうなづきて得心しぬ。それより後僻ひがみもやみ、いかり腹だつ事なし。家内のものも仕へ能よく成りぬ。
一 來書略。庶人の父母には、男女だんぢよの侍坐じざして仕ふる者なき故、子たる者夫婦みづから養やうを取り候。たま/\一二人男女の召仕ふべきありといへども、農事を務め食事にかかりなどすれば、近づき仕ふべきいとまなし。其上定さだまりたる祿なき故に、用を節し身をつゝしみて父母をやしなふを以て孝とすと御座候。士大夫より以上の人は定りたる祿あれば、養ふことは云ふに及ばず。また卑妾ひせふあれば、朝夕の給仕の心やすき事、子にかはる故に仕ふるにも及ばず。其身の位々くらゐ/〃\に道を行ひぬれば、父母の養ひも備り、父母の心安やすうして氣遣もなし。且祭祀におこたる事なし。是故に職分を務むるを以て孝行とすと承り候。まことにさやうになくて不るレ叶は事と存じ候。然るに文王みづから父母につかへ給ふが如くなるはいかゞ。
返書略。これも又時なり。いつもさやうに有るべからず。たま/\事なきの折ならん。天子は天下を順にし給ふが親おやの事なり。諸侯は其國をよく治をさむるが親の事なり。大夫は政事を任じて私わたくしなきが親の事なり。士は尊び二德性を一道よる二問學(*原文ルビ「ぶんがく」)に一〔禮記に出づ〕(*中庸か。)が親の事なり。農は天時てんのときをあやまたず地理ちのりを精くはしうして、五穀生長するが親の事なり。工は職を上手につとめ、商はよく財を通ずるが親の事なり。其事に當つて其事をつとむるは、皆親につかふまつるの事なり。時としていとまあらば、父母のあたりに侍らでも叶はず。吾身もと親の身なり。吾れ立てレ身を行ふはレ道を、皆親の立てレ身を行ふレ道をなり。千里を隔つといへども父母にはなれず。
一 來書略。論語の首章しゆしやう〔子の曰く、學んで時に之を習ふ、亦説しからずや。朋有り遠方より來る、亦樂しからずや。人知らずして慍いからず、亦君子ならずや〕、文理あらまし通ずといへども、心に滿たざる所あるが如し。
返書略。説よろこぶは自家の生意せいいなり。境界きやうがいの順逆によつて損益なし。樂たのしむは物と春を同じうす。一躰の義なり。不るレ慍いからは只に吾德を人の不ずレ知らといふのみに非ず。忠臣を不忠と云ひなし、直を不直と云ひ、信を不信と云ひ、しかのみならず流罪・禁獄・死刑に及ぶの逆も、人不るレ知らの内にあり。泰然として人をも尤とがめず、天をも怨みず。炎暑に霍亂くわくらんして死するが如く、極寒ごくかんに吹雪に遭ひたるが如し。
天道の陰陽・人道の順逆其義一なり。悅樂は順なり、人の不るレ知らは逆なり。人生の境きやう樣々ありといへども、順逆の二ふたつに洩れず。小人は順にあふては奢り、逆にあふては悲しむ。春秋を常として夏冬なからん事を思ふが如し。君子は順にあうては物をなし、逆にあうては己をなす。春夏にのびて秋冬にをさまるがごとし。富貴福澤ふくたくは春夏の道なり。貧賤患難は秋冬の義なり。四時しいじは天の禍福にして、禍福は人の陰陽なり。屋やsssの南面みなみおもては夏涼しくて冬?あたゝかなり。北面きたおもては夏熱くして冬寒し。人の南面は我が北面となる。屋を竝べ生をともにして、世にすむものゝ自然の理りなり。富貴、福澤、貧賤、憂戚いうせき、相ともなふ世の中なり。誰をかうらみ誰をかとがめむ。
卷第三 書簡之三
一 來書略。性、心しん、氣いかゞ見侍るべきや。
返書略。太虚は理のみなり。云へば只一氣なり。理は氣の德なり。一氣屈伸して陰陽となり、陰陽八卦はつけとなり、八卦六十四(*六十四爻)となる。それよりをちつかた〔遠方―頭注〕、一理万殊ばんしゆいひ盡すべからず。天地万物(*ママ)の理りつくせり。理を主しゆとしていへば、氣は理の形なり。動靜は太極たいきよくの時中じちうなり。吾人の身にとりていへば、流行するものは氣なり。氣の靈明なる所を心といふ。靈明の中に仁義禮智の德あるを性といふ。靈明と云ひて氣中別にあるにあらず。譬へば爐中ろちうの火のごとし。虚中なる所に至りて明かによく照せり。明かによく照す所に條理あり。
一 來書略。身死して後、此心はいかゞなり候や。
返書略。冬に至りては夏の帷子かたびらをおもふ心なし。夏に至りては冬の衣服を思ふ心なし。此形かたちあるが故に形かたちの心あり。此身死すればこの形の心なし。
一 再書略。しからば顔子〔孔子の門人、顔囘〕の死後も盜跖〔孔子と同時代の大盜〕が死後も同じきか。
返書略。此性此形けいを生じて、形けいのために生ぜられず。又形けいの死するが爲に死せず。惡人の心には今よりして性理をしらず。死後を待つべからず。君子の心は今よりして形色けいしよくに役えきせられず。死生を以て二にせず。又死後をまたず。
一 來書略。世間に人のほむる人に、さしもなき道を信ずる人はいかゞ。
返書略。それは善よきこと好きといふものにて候。定見ぢやうけんなき故に本の邪正じやしやうを深く考へず。心術をかり理りをかりて、さもありぬべくいひなせば、はやよき事として信じ候なり。君子もよきこと好きにては候へども、性命に本づきて善を好み候なり。かり物〔僞なり。衷心(*原文「患心」)より出でざる善事なり〕は是ぜに似たるの非なれば、大に戒められ候。
一 來書略。愚兄御存知のごとく、作法正しく慈悲に候へども、子孫おとろへ仕合あしく候は、いか成る故にて有るべく候や。
返書略。人見てよからざれども、天の見ることよきあり。人見てよけれども、天の見ることよからざるあり。貴兄を見申し候に、愛情もありと見え、行儀は隨分正しく候へども、作法の正しきは生付にて學によらず、愛情も婦人ふじん(*原文ルビ「ぶじん」)の愛にて、人民を惠むに至らず候。救はずしても苦しからざる者には施こし、下々の難儀をば知り給はざるが如くに候。百姓等をば水籠みづろう〔水牢なるべし。水を湛へ(*原文「堪へ」)たる牢屋〕に入いれなどして、病付たる者どもあり。
罪なきのみにあらず、貴兄を養ふものを却て苦しめられ候。其妻子の歎き、不罪ふざいの人のいたみ、天地神明をうごかすべく候。知らずといはば、其天職をわすれ天威をつゝしまざるなり。知りてせば不仁なり。大小によらず罪は上かみ一人にかゝり候。今の世の習ならひ、下々をば難儀させ、百姓をばいたむるものと思ひて、とがむる人もなく候。只行儀よきと姑息の愛とをみて、人はよしと申し候へども、天の鑑かんがみ明らかに候。神明の罸ばつにあたり、仕合しあはせあしきことわりにて候。
一 再書略。愚兄事、被二仰せ下さ一候通尤もつともに存じ候。去さりながら愚兄は姑息の愛なりとも御座候。作法あしく不仁無道ぶだうにて、下をなやまし民を苦め候人に、子孫も榮え仕合よきあり。又きはめてよき人も仕合惡しく候事はいかゞ。
返書略。人の氣質に、天地神明の福善禍淫を受る事、晩きあり早きあり。しかのみならず先祖の造化の功を助けたるあり、妨げたるあり。運氣の勢ひ餘寒殘暑あるが如し。先まづは聰明の人には、善に福早く惡に禍速すみやかなり。愚不肖ぐふせうには善惡に禍福おそし。平生物の合點がつてんの遲速にても知られ候なり。先祖の造化の神工を助けたる勢ひ未だやまざるには、子孫あしけれども仕合よし。先祖の造化を妨げたるは子孫よけれども、其逆命の勢ひ未だ避けがたし。打身頭痛の病ある人は、土用〔一期十八日にて一年四期あり〕(*立春・立夏・立秋・立冬の前各一八日間)、八專はつせん〔壬子より癸亥まで十二日間、一年六度あり〕(*干支の終わり一二日間。そのうち十干に重ねた五行と十二支に重ねた五行の重なる日が八日間あることからの名称)、雨氣あまけを感ずるが如し。之より下つかた樣々のことわり候。推して知らるべく候。
一 舊友に與へし書に曰はく、故者こしやには其故たる事を不レ失はといへり。久しく音問おとづれを絶たちたる事は無情に似たり。傳つたへ聞く貴老道德の勤にすさみ給ふと。道を厭ひて愚を疎み給ふか。愚を見おとして道をおこたり給ふか。道學を益なしとして道德を好む者までをしりぞけ給はゞ、是非に及ばず。若し(*原文「苦もし」)愚を不肖なりとして道學に遠ざかり給はば、あやまちなり。故者の至情を思ひ給はゞ、何ぞ愚が過あやまちをさとし給はざるや。さとして從がふまじくば、愚を捨てゝ道德を尊信し給ふべき事は、本のごとくたるべし。何ぞ人によりて道の信不信あらん。聖人の門にあそぶ人ならば、天下の聖學をする人、皆惡人不正なりとも、吾が聖學に於て疑ひなかるべし。たゞ己おのが定見ぢやうけんいかむとみるべきなり。人によりて信をまし、信をおとし給はむは、道をみるの人にあらず。
一 來書略。世に判官はうぐわん贔屓と申し候は、いかなる事にて候や。
返書略。君子に三のにくみあり。其功にほこり賞を受くる事おほき者をにくみ、富貴にして驕る者をにくみ、上かみに居て下をめぐまざる者をにくむ。判官義經は、其人がら道を知らず。勇氣によりて失ありといへども、大功ありて賞をうけず、人情のあはれむ所なり。賴朝卿福分ありて天下をとるといへども、不仁にして寛宥くわんいうの心なし。人情のにくむ所なり。賴朝、判官にかぎるべからず。驕おごりは天道の虧かく所、地道の亡す所、人道のにくむ所なり。謙は天道のます所、地道のめぐむ所、人道の好む所なり。〔易の謙の卦に、天道は盈を虧きて謙に益す、と〕
一 來書略。我等の在所に、蛇を神の使者なりと云ひて、手ざすこともせず候。さまざま氣の毒なる事どもに候。其上害も出來候。されども其通とほりにしたがひ候はんか、やぶり候はんか。分別定めがたく候。
返書略。神慮にしたがひて非法を改めらるべく候。神は形なき故に、時にあたりて何なんになりとも乘りうつり給ひ候。蛇を使者と定むべきにあらず。且蛇は叢に棲むものなれば、人居じんきよにまじはるは非道にて候。神明は非道を戒め給ふべく候。蛇の棲む深草しんさうに、用心もなく行きて害にあふは、人の非なり。人のすむべきあたりに蛇のをるは、蛇の非にて候へば、叢に驅りやり〔驅逐―頭注〕、行かざるをば打殺して可なり。なほも愚民疑ひあらば、御みくじをとりて神慮を御うかゞひ有るべく候。訴訟は此方に道理あれば、幾度いくたびも申すものにて候間、もし一二度にて御同心なく候はゞ、神の御同心被レ成まで、幾度も御みくじをとりてうかがはるべく候。かならず御同心有るべく候。其外かくの如きたぐひの神慮に叶はざる事を神慮として、人の尊きを以て禽獸にかふる樣なる事多く候。
一 來書略。「無學にして行ふはレ政を、如し二無くしてレ燈夜行くが一。」といへり。しかるに貴老、學者の政は心得がたしと宣ひ、又其筋目ある人か其備そなはりある人よしと承り候は、心得がたく候。
返書略。政の才ある人を本才と申し候。其人に學あれば國天下平治へいぢ仕り候。本才ありても學なければ、やみの夜にともし火なくして行くが如くにて候。然れどもありきつけたる道なる故ありき候。されど前後左右を見ひらきて自由のはたらきはならず候。又才知なくして學ある人の政をするは、盲者まうしやの晝ありくが如くにて候。聞たるまゝにありき候へども、不二分明なら一候。時、所、位の至善しいぜんをはかるべき樣なく候。不自由にしても、自ら見てありくと、見ずしてありくとは、見てありくはまさり可くレ申す候。軍法を知らでも、勇知ある大將は、おのづから勝負の利に通じ候故に、敵に逢あひて勝かつことを致し候。軍法知りても、勝負の利くらき大將は、敵に逢あふて斗方とはうなく〔手段方略を失するなり〕候。勝負の利よき人軍法を知り候はゞ、名將たるべく候。軍法知らでは名將とは成りがたく候。才と學との道理同じ事に候、古今のためし明白なる事に候。
一 來書略。經書を讀み候はでも學問なり候と承り候。左樣に候はゞつとめて見申し度たく候。書を讀まずして不ざるレ叶は事に候はゞ、老學といひ暇いとまなく候へば、成なりがたき事に候。
返書略。聖賢を直ぢきに師としては、書を讀までも道を知り德に入ること成り申し候。今の時聖賢の師なく候へば、中人ちうじんより以下の人は、書をまなび候はでは道を知ること成りがたく候。しかれどもよく心傳しんでんを得たる人に聞き候はゞ、善人とは成り申すべく候。扨はよき士と申すほどの人がらには及ぶ事にて候。聖人の言語にはふくむ所多く候。無極の躰たいなり。
其含む所は言外に候へば、我と(*自分から)經書を見て聖人の心をくみ申し候。則ち聖人に對し奉るが如くなる事候。其心には深きあり淺きあり、其品いひつくしがたく候へども、いかさまに〔成程と云ふに同じ〕書を見る人は、後までも學におこたりなく候。たゞに物語にて心術のみ聞き候人は、一旦はすゝみ候へども、言外の理を不レ知ら候へば、心ならず年を經てたゆむものにて候。中人以上の人は、少し心傳しんでんを聞ては、やがて天地を師とし、造化において學ぶ所あるは、書しよにも及ばず、道を行ひ德に入り候なり。中人以上にても、書を讀みたるばかりにて心傳を不るレ聞か人は、聖學に入りがたく候。
上知は心傳を不レ聞かして、書を見てもすぐに德を知り候なり。故に攸好德いうかうとく〔攸は所なり。德を好む人〕の幸福ある人は、次第を歴へて德を知るも御座候。尤も此人は書によりて聖人に對面仕り候。書を讀み給はでも、人の主人としては仁君といはれ、人の臣としては忠臣とよばれ、いづれによき士となりて、善人の品に入り候ほどの事はなり申すべく候。必ず名を後世にあぐべく候。
一 來書略。三皇、五帝、三王、周公、孔子は同じく聖人と承り候。伏羲ふくぎは文字もじも敎學もなき時に出給ひて、初めて畫くわくをなし、天下後世道學の淵源をひらき給へり。然るに孔子は末代に跡あることを學び給ひながら、韋しをりは(*又は「しをりがは」か。原文ルビ「をしりは」)の三度みたびきるゝまで、〔孔子易を讀んで韋編三たび絶ゆるに至る〕朝夕手をたたずして、いまだ易を得たりと思ひ給はず。神農は草根をなめて初めて醫藥をつくり給ふ。然るに孔子は末代醫術あまねき時に生れ給へども、藥に達せざるの語あり。かくのごとく大にちがひたる位を同じとは、いかなる事候や。
返書略。時にて候。孔子を伏羲、神農の時におき候へば、易を作り醫をはじめ給ひ候。伏羲、神農を孔子の時に置き候へば、又孔子の如くにて候。
一 再書略。しからば佛説に似たる所候。わざとまうけて神通、方便をなすが如くに候。空々として跡なき事をだに作りはじむる人の、又跡にしたがひて愚人とひとしく候や。
返書略。少しも心はなく候。三皇の時においては、空々くう/\として跡なき事もおこり候。心の感ある道理候。孔子の時には、迹ある事をもたづね學ぶ心の理御座候。上世は太虚を祖とし天地を父母とすること近し。聖人生れて其名殘らず、まどひなければ明者めいしやかくれ、不孝子なければ孝子をおどろかす、不臣なければ忠臣知れず、政刑なくして大道行はれ、敎學なくして人みな善なり。
後世にいたりて性情わかれ物欲生じぬ。人初めてまどひあり。此時に當りて伏羲氏ふくぎし出給へり。惻然として感慨あり。敎なきことあたはず。時に天道龍馬りうめを命じて、文を以て其志を助け給へり。〔易繋辭に、河圖を出すとあり。龍馬河中より文を負うて出でたる故事〕書畫しよくわく敎學のはじめなり。伏羲氏以前は物欲きざさず情性に合する故に、人に病疾へいしつなし。後世有欲うよく多事のきざし出來てこのかた病人あり。醫藥の術、耕作農政なきことあたはず。
天道、靈草美種を降くだして神農氏の業を助け給へり。是皆神聖廣大の知の緖餘(*原文ルビ「しやや」)なり。時によりて發するのみ。伏羲、神農は春のごとし。周公、孔子は夏のごとし。其摸樣はかはりあれども、同じく天理の神化しんくわなるがごとし。易は無極の理なれば、孔子のみにかぎらず、伏羲といへども是のみと思ひ給ふ事はなき道理にて候。
一 再書略。釋迦はえびすの聖人か。是も時によりて感ずる法なるか。
返書畧。神聖中行の道理にはあらず。中國に來りて孔子に學びば(*ママ)、よく聖人となるべき分量あり。仁心廣く厚き所あり。知勇も氣質に備はりて見えたり。其生國はすぐれて愚痴に、大に欲ふかく、至つて不仁なり。極熱の國なる故に、死せる肉を置きがたし。いけながら持ありき、切て賣る事なり。仁心深き者是を制する方を知らでは、殺生戒(*原文ルビ「さつしやうかい」)をなしたるもことわりなり。日本は仁國なり。此國に生れたらば、佛法をおこすべきの感慨もあるまじく候。若又釋迦、達磨を只今出して、今の佛者などを見せば、何者とも心得がたかるべく候。
佛祖の流りうと申し候はゞ、大に歎きかなしびて、其破却かぎりあるまじく候。我等は佛者ならざる故に、遠慮おほくおもふ樣にも申さず候。我子を敎戒する者は風諫〔露骨に言はず聽く者をして自然に悟了せしむる事〕するが如くにて候。釋迦、達磨に我等の佛を難ずる語を聞せ候はゞ、いまだ世情をはなれず道に專(*原文ルビ「せん」)ならざる故に遠慮おほきとて、心にあひ申すまじく候。
一 來書畧。俗に貧は世界の福の神と申し候は、いかなる道理にて候や。
返書畧。世の中の人殘らず富み候はゞ、天地も其まゝ盡き候なん。貧賤なればこそ、五?諸菜を作り、衣服を織出し、材木薪をきり、鹽をやき魚をとり、諸物をあきなひ仕り候へば、六月の炎暑をいとはず、極月ごくげつの雪霜を踏んで鹽薪野菜などを賣り候事、富み候はゞ仕るべく候や。農工商も貧よりおこりて、世の中たち申し候。たゞ農工商のみしかるにあらず。士といへども貧を常として學問諸藝を勵み才德達し候なり。生れながら榮耀ええうなる者は、多くは不才不德にして、國家こくかの用にたちがたく候。只士農工商のみならず、國天下の大臣國郡の主と雖も、吉きつ、凶、軍、賓、嘉〔軍の五禮と云ふ〕の禮用れいようを備へ、國土水旱の蓄たくはへをなし、君につかふまつるの役義なれば、富足る事あるべからず。
上かみは天下の主といへども、來らいを薄くして徃を厚くし、天下の人民の生を養ひ、死に喪もして恨みなからしめ、且異國の不意に備へ、天運の凶年飢饉をあらかじめ待ち給へば、天下の財物ざいぶつのおほきも、天下の人のために御覽ずれば飽足る事なし。其上に天下の主しうの第一に乏しく思しめさるゝは、賢才の人のすくなきなり。堯舜も之を憂とし給へり。是を以て同じく聖人なれども、孔子は人の師なれば、知を明かにして先達し給ひ、堯舜は人の君なれば、知をくらまして天下の賢才をまねき給へり。
寶は貧に生じ、知は謙に明かなる理を知らで、我わが知に自慢し、足れりと思へば、天下の才知みなうづもるゝ事なり。空々として謙退なればこそ、善政もおこり、美風も後世に殘る事なるに、下聞かぶんを恥とし天下の知を不るレ用ひ時は、物の本體は虚靈なるの道理にあらず。其恥にあらざるを恥ぢて恥心ちしん亡び、不善の名を得るものなり。それ天地の大なる、萬物を造化し出す所は太虚無一物の理なり。
目は五色〔靑・黄・赤・白・黑―頭注〕をはなれて五色を辨へ、口は五味〔辛・酸・鹹・苦・甘―頭注〕なくしてよく五味をあぢはひ、耳は五聲〔宮・商・角・徴・羽―頭注〕なくして五音を知り、心鏡空々として萬物に應ず。萬の物はみな無より生じ候へば、貧は世界の福神といふ俗語は、まことに人心の靈にて候。
一 再書略。しからば堯舜の民も貧乏をまぬかれず候や。
返書略。貧しくはあれども(*原文「れあども」)乏とぼしき事はなく候。人々分を安んじて願なければ、身は勞して心は樂めり。堯舜の民は康寧の福あるとは此理にて候。むかし田夫あり。毎日北に向つて禮拜らいはいし「淸福を給ふ。」といへり。其妻め笑つて曰はく、「軒には草茂り、床ゆかには稿わらの席むしろをしき、身にはあらきぬのこを著て、雜穀を食しよくとす。夫ふは田畠たはたに勞し、婦は食事にいとまなし。餘力あれば紡績織しよくじんす。春より冬に至り、旦たんより夜やに及ぶ。
是を淸福といはゞ誰か福なからむ。」夫が曰はく、「是皆賤男賤女せんだんせんぢよのことなり。我身上臈のおちぶれにもあらず、もとより賤しづの子にして、賤の家に居、賤の衣ころもを著ちやくし、賤の食しよくを食し、賤の業をいとなむは、天理の常なり。好事もなきにはしかず。思ひがけぬ幸は其願にあらず。身に病なく家に災なし、達者にして暇いとまなきは淸福にあらずや」と。人いへる事あり。流水は常に生いきて、たまり水は程なく死ぬ。柱には虫入るも、鋤の柄には虫いらず。俗樂の遊いうは憂又したがふ。
水くさり柱むしばむの苦しみほどなければ、美味あれども彼田夫の麁飯にもおとり、輕く暖あたゝかなる衣きぬあれども、寒をいたむこと賤のぬのこにおとれり。おほくは病苦にたえず。或は夭死す。よく思はゞ願ふべからず。人は動物なり。上かみ天子より下しも士民に至るまで、無逸ぶいつ〔逸は樂をすること〕をつとめとするは人の道なり。むかし許由は賢人なり。其身は農夫にして彼に同じ。堯の天下を辭して耳を洗ひしは、其心のたのしび四海の富貴にこえたり。德なきの富貴は浮べる雲のごとし。天爵は萬歳尊たうとし。又人いへる事あり。桀紂は中國の主なれば四海の尊位なり。其富天地の間にならびなし。
顔子は無位無官にして、衣やぶれ食たえ/〃\なり。しかも三十餘にして天年かぎりあり。人生の福是よりうすきはなし。しかれどもこゝに人ありて、桀紂に似たりといへば腹立ふくりうせり。尊きこと天子たり。富四海の内をたもてり、かゝる至極の人に似たるとて腹立せるものは、人々惡を恥ぢ善を好むの良心あればなり。又顔子に似たりといへば、中心悦ぶといへども、恥ぢおそれて謙退す。天子諸侯の富貴といへども其言葉にあたりがたし。人爵は其世ばかりにして、槿あさがほの露のごとし。
天爵のとこしなへに尊きにはならぶべからず。人爵には命分めいぶんあり、願ふべからず。天爵には分數なし、心の位なればふせぐものなし。心のたのしびは奪ふものなければ、人鬼じんきともに安し。吾人只顔子の徒とならん事を願ふべし。桀紂が徒たらん事を願ふべからず。
一 來書略。無欲のよき事は誰も存じ候へども、出家道心者などは無欲も立てられ候べし。世間に交まじり居候ては、左樣には成りがたき事にて候。又奢おごりはあしきと存じながら、人のする事をせざれば、吝嗇と云ひてそしり申し候。人竝に仕しては(*ママ)、欲有りて、とり蓄へも仕らではかなはず候。いかゞ仕るべきことにて候や。
返書略。貴殿無欲を何と心得られ候や。天理をとめて人欲とし、人欲をとめて天理とするのあやまり有るべきと存じ候。物を蓄へてつかはざるを欲とし、蓄へずして有次第につかひ、無くなれば何事をもせずして居るを無欲と思ひ給ひ候や。其ふたつは、しはきと正體なしとにて候。又人のする事をせざればあしく申すとの事は、數奇者すきしやには茶の湯をして見せ、謠ずきにはうたひの會をし、馬ずきには馬あつかひをして、傍輩の人々と一ぺんわたり給ふべく候や。左樣に仕り候人は有るまじく候。
若き内に藝を稽古するには、其師の所へ行き此方へ招きなどして、一藝づつ(*原文「つづ」)きはむるにて候。今は左樣にする人々も稀に候。只我心に叶ひたる人々と五人七人うちよりうちより往來してかたられ候。其五七人の内、弓にすきて弓をもてあそばるゝもあり。鎗・太刀・鐵砲・馬思ひ/\に候。扨は謡か、茶の湯か、酒か、連歌か、文學か、人ごとか、夫よりくだれるは、樣々のいやしき事も、又は奢もありと見え候。大身たいしんは大勢も寄合、小身は座敷もなく使ふ人もなければ、五人七人に過ぐべからず。其中間の人吝嗇とか淸白なるとか名をつけ云へば、かけもかまはぬ世間の人も聞傳へて申すにて候。互に一かまへ/\に候へば、一ぺんにわたるといふ事はなく候。
ここに三綱五常の道を修めて、其身の作法正しく、家内の男女をよくをさめ、人馬にんば軍役ぐんやくに應じてたしなみ、知行の百姓をもつよからずゆるからず、末長く立つべき樣にし、ひろき事すぐれたる事はなくとも、文武の藝にもくらからず、世間の奢にひかれず。親類知音相番あひばんのかた/〃\と交りをかゝず、屋作やづくりをかろくし衣服をつくろはず、諸道具をはぶき、飮食をうすくし、費つひえをやめて有餘を存し、親類知音のおちめをすくひ、家人けにん百姓をあはれみ、晝夜文武の務に暇なく、世上の品々のあそびは不るレ知らがごとく、忘れたるがごとくなる人あらば、世中には正人せいじんあり、類を以て來り友なふべし。
用をも節せず、不時の備へをもせず、わざとたくはへぬ樣にし、仁にも義にもあらずしてゆゑなくつかひ施すを、無欲と申し候はんや。それは名根みやうこんより生じて、欲心のいひわけにこしらへたるものなり。欲心ある故に、人の吝嗇といふべきかとて、淸白せいはくだてをするにて候。眞實無欲の人には、淸白もなき物にて候。眞實に無欲なれば、人が吝嗇なりといふべきかとの氣遣もなく候故に、心もつかず、家屋の美を好まざれば、おのづから儉約なり。衣服諸道具飮食いんしいの好なければ自然と輕かろし。
無欲無心の儉約なれば、我も勞せず人もとがめず。淡淸たんせいの好人かうじんといふべきなり。貴殿は、無欲ならば身代も續き難(*原文「艱」)く、世間の務もいかゞ有るべきと思はれ候へども、無欲なれば身代もつゞき世間の務もよく成る事に候。奢は陽の欲、しはきは陰の欲なり。無欲をつくるは名根の欲なり。三みつ共に大欲心にて候。君子の無欲といふは、禮儀にしたがひて私わたくしなき事なり。如きレ此のの正人あらば、今の世とても惡くは申す間敷候。たとひ無心得なる者ありて惡しく申すとも、あづからざる事に候。天道を我心の證據人とせらるべく候。此以前遠國をんごくの人語られ候。
在所に奇特きどくなる者あり。知行五百石の身上しんしやうに候。親類知音に申す樣、我等は下手にて候やらん、公役くやく軍役ぐんやくをつとめ、人馬をもち奉公を仕り候へば、やう/\事たり候。相番中ちうおもてむきの交りはかゝれず候。其上に親類知音中、折節の振舞をもしてあそび候へば、其分不足に候。さ候へば町人の物を借りてやらざる樣に成り候。しかれば親類知音中寄合て、町人の物を取りて飮食いんしよくするにて候。親類知音の心安き中なかは、か樣の事をも打とけいひて遠慮有るまじき事に候。各おの/\は上手にて有餘あらば振舞給ふべし。何方いづかたへも參るべく候。
此方こなたにても來かゝりの常住が催して寄合候はゞ〔常に來往する懇意の人々が寄合ならばの義〕、なら茶など可くレ仕る候。各も有餘なくば無用に候。我等の流りうにせらるべく候とて、親類知音中用ありて來る、物語などして時分までゐかゝれば、平生の麁飯そはんを振舞催して、寄合時よりあひどきもなら茶粥雜水の外は不レ仕つら候。奇特なる親類知音のまじはりなりとて、心ある者は感じ申すとかたり候き。
一 來書略。拙者せがれ、御存知の如くうつけ〔痴者―頭注〕にてはなく候へども、世間の習に入りて、氣隨我まゝにして道德を好まず、諸藝も根ねに不レ入ら、かへりて父の非をかぞへ、諸同志の非をいひ、利口にして其身の行跡あしく、まことの奢れる子の不るレ可からレ用ふにて候。いかゞ仕りてよく候はんや。
返書略。一朝一夕の故にあらず候。貴殿の年來としごろの養やしなひゆゑにて候へば、御子息の罪にあらず候。總じて父と君とは、心根しんこん〔心奧の底―頭注〕に仁ありて常は嚴なるがよく候。人生は水火の二にあらざれば一日もたちがたく候。水火の仁ほど大なる事はなく候へども、火ひは嚴なるものなれば人おそれて用心仕り候故に、心と火に近付て死する者はなく候。水は柔やはらかなる物故に、人々心やすく思ひ、近付て溺死おぼれしする者おほく候。貴殿の病やまひは柔和過たるにて候。
柔和過たるは人のほむるものにてよき樣に候へども、其門もんに不孝子ふかうのこいで其國に不忠臣ふちうのしんいで候。嚴なる主しう親おやは、無理を云ひても子も臣も怨みざる物にて候。さま/〃\〔たまさかの誤か〕少しのなさけありても、天より降ふりたる樣に喜び候、柔和なる主親は、道理ありても子も臣(*原文ルビ「おみ」)もうらみ申し候。いか程なさけ恩賞ありても、其當座ばかりにて、過分なりとも思はざる物にて候。
親の柔和なるは其子のならひあしく、主君の柔和なるは家中の風俗あしきものに候。水の仁は母のごとく、火の仁は父のごとし。貴殿は母の仁にして御子息あしく成り給ひ候。今に至りてはげしくせられ候はゞ、いよ/\戻もとりてよきことは有るまじく候。國家の政道を取りても、貴殿のごとくなる奉行の下もとには、罪人おほくて人多く死するものに候。又君子なれば、いか程柔和にても子も臣も恐るゝ物に候。
神武しんぶの德おはします故なり。水も大淵おほふちの靑みかへりて底知れざるには、おそれてほとりに立ちがたく、やはらかなれども大に威ある事に候。貴殿今より火の仁は成るまじく候間、水の仁にしてよく/\德を積み給ふべく候。
一 來書略。雷かみなりは何方へおち候はんも難くレ計り候へば、誰たれもおそるゝは尤もと存じ候。いかゞ。
返書略。雷聲らいせいをおそるゝ者は惡氣あくきと惡人となり。貴殿惡人ならずして惡人の徒と成り給ふ事は、まどひある故に候。雷聲は物の留滯りうたいを通ずる物なる故に、雷らいを聞きいては氣血流行し、相當の灸をし藥を服用したるよりも心地よきものに候。いまだ鳴る事のつよからざるををしみ候なり。たとへば盜賊いましめのために、夜廻りを出し辻番をおかれ候事は、常人じやうにんのためには悦よろこびにて候。しかるに盜賊は其いましめを聞ては肝をけし候。たゞ平生心に惡ある故に、雷聲を聞ておそるゝにて候。
一 來書略。聖人に夢なしと申し候へども、孔聖周公を夢みるの語あり〔論語述而篇に、子の曰はく、吾復夢に周公を見ず〕、兩楹えいの間かんに祭らるゝ(*孔子最晩年に両柱の間に奠られた夢を見た故事。〔礼記・檀弓〕)の夢あり。
返書略。たゞ世俗につきて夢といへり。是夢にあらず。聖人の心には正思せいしあり前知ぜんちあり。周公を夢見給ふは夜の正思なり。兩楹の間に祭らるゝは夜の前知なり。今日こんにち吾人といへども、聖人に同じく夢なき事あり。士たるものは、常の産〔孟子に見ゆ。定まれる財源〕なけれども常の心あり。盜たうをせざる(*原文「盜せをざる」)の心は死に至るまで變せず。
學問せざれども幼少より其義を精く習ひ來りたる故なり。しかるゆゑに盜をしたるといふ夢は終に見ず。此一は聖人と同じ。間思かんしもなく夢もなし。致知のしるしなり。昔より物を格たゞすの功こうなり。下下しもじもの盜ぬすみをしてはあらはれん事を恐れてせざるばかりにて、恥の心うすき者は、時ならず欲する念慮も有るべし。しからば夢にも盜ぬすみをしておはれなどし、又捕へられたるなどとある夢も見るべし。
常に思はぬ事をも夢には見るなれども、大かた其類に觸ふれたる事を見るなり。車に乘て鼠穴ねずみのあなを通りたると云ふ夢は、見たる者なしとなり〔理に於て有るべからざればなり〕。
一 來書略。人の身の心中にあるは、魚の水中にあるが如し。此心より此身生れ、又身の主あるじと成ると承り候。たとへば車をつくる者の、車を作りて乘るがごとし。然るに人の天地の中うちにあるは、人の腹中に心のあるが如しと仰せられ候。心は内外なし。腹中に有ると一偏ぺんに〔一概に―頭注〕云ふべからざるか。
返書略。天地人を作りて、又人を以て主あるじとす。其天の作る所の理り、すなはち人の性命なり。人性もと無極なり。天地を入れて大なりとせず。故に人は天地の德、神明の舍しやともいへり。心の臟の虚中きよちう、おのづから一太極あり。又腹中にありと云ふも害あらず。心に内外なき事は本よりの義なり。
一 來書略。臨終の一念とて、命終る時の心持を大事とする事は、さも有るべき事にて候や。
返書略。細工は流々とやらん申し候間、其理こそ候はめ。それも造化を輪廻りんゑと見て、生れかはるの見けんより生じたる事なるべく候。緩々ゆる/\と死なばこそ其一念も可くレ存ず候へ、思ひがけぬ事にてふと死に候はゞ、何として左樣の事成り候はんや。其上晝の心がけは夜の夢と成り候。晝一日惡事を思ひ惡事をなして、寢いねざまに善事ぜんじを思ひ候とも、其心にもなき作善念さぜんねん〔善を行はん(*原文「行けん」)とする望〕は、夜の夢とは成るまじく候。
只終日の實事のかげならでは見え申すまじく候。誰も晝夜の理に惑ひうたがふ者はなく候。目さめておき、ねぶたくて寢いね候。何の心もなく候。生死しやうしは終身の晝夜にして、晝夜は今日の生死にて候。生死の理も晝夜を思ふごとく常に明かに候へば、臨終とても無く二別儀一候。薪つきて火滅するがごとく、寢所ねどころに入りて心よく寢ね候が如く、何の思念もなく、只明白なる心ばかりに候。
一 再書略。晝夜の道に通じて知ると候へば、生涯の心がけもまた鬼神の境界きやうがいと可くレ成る候や。
返書略。生きて五倫〔君臣、父子、夫婦、長幼、朋友〕の道ある者は死して五行〔木、火、土、金、水〕に配す。本死を以ていふべからず。明めいには五倫あり。幽には五行あり。明も造物者と友たり。幽も造物者と友たり。生には人心あり。死には人心なし。人の字に心をつけ候へば明白なる事に候。
一 來書略。大舜たいしゆんの故事をのべ給ふこと、孟子の書に異なるは、如何いかゞしたる事にて候や。
返書略。孟子の語勢を知り給はざる故にて候。孟子の語勢は本の虚實をとはず。それにしても此道理と滯とゞこほりなく道德を發明し給ひたるものなり。いかに質素の時なればとて、天子の二女をつかはし壻にし給ひし人に、藏をぬらし井を掘らしむる事やあるべき。我とひとしく賤しき者を殺してだに、助けておくといふ事は無き理なり。たゞ類をおして義の精きに至り、若もし如くレ此のありても如しレ此のと、至極いひつめたる論なり。不レ告げして娶るの論〔孟子、萬章上篇に出づ〕は、若後世不心得なる親ありて、告げて同心すまじき者あらば、子孫相續は孝の第一なれば、不レ告げして娶りても苦しからじ、告こくの禮を不るレ用ひ事は小節なり。
子孫を嗣ぎ人の大倫たいりんを立つるは大義なればなり。舜の本より情欲の父母につかへ給はずして性命の父母につかへ給ひし事、孟子に至りて明かなり。瞽?の本心は、告げて必ず娶るの本心なり。天子の命なれば、愚痴なる事をいはせらるべきにも有らねども、愚なるを知りながら、通ぜざる事を云ひ聞せて同心なき時、おしてやぶるも舜の爲に心よからざれば、一向初めより不レ告げして娶れと詔ありたるなるべし。大舜は如きレ此のの叡慮ありと、竊ひそかに告げ給ふ事もあるべし。
一 來書略。大王は仁人じんじんなり。しかるに貨くわを好み〔孟子、梁惠王下篇に見ゆ〕色を好むといへるは如何。
返書略。是も孟子の語勢なり。國に三年の蓄たくはへなければ國其國にあらずとて、後世の人の己おのれがために貨をたくはふるとは違ひて、國人のために積置るゝ事にて候。一國の一年の藏入くらいりを四に分わけて、三を以て萬事を達し、一を殘して兵事水旱の用に備へ候。天道の四時しいじも冬一時ときを不レ用ひして貯たくはへとなるが如し。三年積みて一年の餘あまりあり。九年積みて三年の餘あり。籾にて置き干飯ほしひにして置き、あまり久しきは段々に入れかへなど仕り候。
如くレ此のなれば異國の兵亂ひやうらんありても、内堅固にして危あやふき事なし。水旱の運に逢ひても、人をそこなはず盜賊おこらず。國人のために貨を好みて、みづからの爲に好むにあらず。後世には貯ふれどもみづからの爲のたくはへなれば、多くても飢饉の用には不レ立た。大明たいみんの韃靼にとられしも、國に三年の蓄なかりし故、飢饉に逢ふて盜賊起り、それよりやがて兵亂に成りて、つひにとられたり。國に三年の蓄なきは國其國にあらざるの至言明かなり。
又大王の色を好み給ふにはあらず。もし好み給ふにしても、大王の時のごとく婚姻の禮を明かにし、事物を輕くして男女時を不レ失は、三十の男はかならず婦をむかへ、二十の女はかならず嫁する樣やうならば、王道において尤も重き事なり。今齊王〔宣王―頭注〕色を好まるゝとも大王のごとくならば、王道にさまたげなしとなり。
一 來書略。孝子は日を愛する〔楊子法言の語〕の道理承り度く候。
返書略。孝子は父母の命めいを愛せずといふ事なく候。父母己をたのしましむる時はたのしみ、つとめしむる時はつとむ。今日こんにちの日は天命なり。天地は大父母なり。君子は父母天地へだてなく候。天道既に今日の日を命じて、或は勤勞せしめ或は遊樂せしむ。故に日として愛せずといふ事なし。凡人は貧賤なる時は憂苦し、富貴なる時は逸樂す。ともに日を空うして愛することを不レ知ら。目前の利を心として千載の功をわする。君子は貧賤なる時は勤學きんがくし、富貴なる時は人を愛す。月日上かみに遊びて形體下しもに衰ふ。忽然として萬物と遷化せんくわす。尺璧せきへきを輕くして寸陰を重んずる者は、既に時に及ばざらむ事を恐れてなり。〔淮南子、原道訓に、聖人は尺の璧を重んぜずして寸の陰を重んずと〕
一 來書略。天下を取るといへるは俗語にて候や。聞きにくく候。有たもつといへばおだやかに候は如何。
返書略。德を以て天下を知しるを有つといひ、力を以て天下に主しゆたるを取ると申し候。王代は有ち武家は取るにて有るべく候。然れども兵書に云はく、「無きレ取ること二於民に一者は、取るレ民を者也。無きレ取ること二於國に一者は、取るレ國を者也。無きレ取ること於二天下に一者は(*ママ)、取る二天下を一者也。無きレ取るレ民に者は、民(*原文「者、民は」)利とすレ之を。無きレ取るレ國に者は、國利とすレ之を。無きレ取る二天下に一者は、天下利とすレ之を。」といへり。この意にて候へば、取るの字も苦しからざるか。
一 來書略。爰元こゝもとに、此方より禮すれども禮せざる者有りレ之れ候。今は心得て誰も禮不レ仕つら候。言葉ばかりをかくるか、彼が如く笑つて過ぎ候。かやうの者には如何いかゞ可くレ仕る候や。
返書略。敎なく禮式れいしきなき故に、左樣の人何方にも多く候。介者かいしやは拜せずとて、軍中にて甲冑しては拜せざるを禮と仕り候。「古は者、國容こくよう〔通常の服裝して―頭注〕不レ入らレ軍に、軍容不レ入らレ國に。軍容不ればレ國に、則ち民の德廢すたる。」と御座候。左樣の無禮人を拜せず、言葉ばかりをかけて過ぐるがくせになりて、常の人にも互ひに其通りに成り候。しかれば國の禮儀みだれ候て、人の德すたれ候。治國ぢこくに禮儀みだれ候へば、軍令は尚以て行はれず候。亡國の基もとゐにて候。治國は敎へて禮儀ある事を尊び候なり。
一 來書略。鬼門〔家の東北隅を云ふ。此方角に鬼屋あり〕金神こんじん〔陰陽家にて祀る神。其所在方角を愼しむ〕へ屋やを出し、屋うつりする事を忌み候事は、道理有るまじき事の樣に覺え候。世間にやぶる人も有りレ之れ候へども、主人妻子などにたゝりたるも多く候。あしき方はうならば家内不レ殘らたゝるべきに、家主かしゆ妻子をとがめ候は、鬼も心ある樣に御座候。此理分明ならず候。
返書略。日本は福地なる故に、田畠たはた多く人多し。山澤これに應じがたく候。人々欲するまゝに屋作やづくりし木を伐きらば、山林ほどなくあれて人民立ちがたく候はんか。此故にいにしへ神道しんだうの法として、三年ふさがり金神鬼門を忌む事出來候。此分の堪忍にても、日本國の山林を養育し家財をやぶらざる事大なり。むかしは人のいまざりし事も、法度出來て後は之を忌むなり。
法を犯すは不義なれば之を罰する物なり。况や日本の水土によりて立てられたる神道の法なれば犯しては神罰あるべく候。神道の本は義理なれば、義理有りては苦しからじ。たゞに欲するにまかせてやぶるべからず。此國に生れながら此國の神道をおし、或は年來惡心惡行など有りし者、神罰いたるべき時節に、金神鬼門の方を犯して災害に逢ふも有るべく候。年來不屆の者なれば、小過によりて罪に行はるゝ事、人道にも有るが如し。人の罪すべき惡人を罰せざれば、鬼きこれを罰する者ありと、古人も被レ申候。
一 來書略す。
返書略す。
一 内に向ふと外ほかに向ふとの義理、言語げんごを以て申しわけがたく候。たゞ心術のおもむきにて候。内に向ひたる師友と學問仕り候へば、吾知らず心術内に向ひ候。外ほかに向ひたる學者を師友といたし候へば、志は實まことにても心術は外に向ひ候。是を以心傳心とも可くレ申す候。書にむかひ義論講明の時は、かはりなき樣に候へども、國家こくかの事五倫の交り世俗にまじはりては、學び候處用に立ちがたく候。跡になづみて用ひ候へば、そこなひ出來候。是みな外に向ひたる故にて候。
一 さし當りなすべき事は義理にて候へば、善をするの一にて候。書を見るをのみ學問として、つとめを缺くは、本心を失ひたるにて候。
一 板垣信形のぶかた〔武田信玄の家臣〕事、信形にしては奇特きどくに候。是を道とは被れレ申さ間敷候。なみの武士にて一役つとめ候者は、其役だに仕り候へば、君の善惡にはかまひ不レ申さ候。筋目ある臣しんは、或は諫め或は其身を正しく行ひ、知をくらまして時を待つかの二たるべく候。
一 位牌も本は神主しんしゆに似せて仕りたる者に候。いける親の髪をそり、法體ほつたいと成りたる同じ事に候。法體とて親を拜せざる事なく候。心の誠をだに存し候はゞ、神主も同じ事たるべく候。時の勢ひ次第に可くレ被るレ成候。
一 人に對して隔心きやくしんある事は、一體流行〔普遍的―頭注〕の仁にあらず候。我を以て人を見候へば、不る二相叶は一事のみにて、いよ/\へだたり候。人を以て人を見候へば、此人は元來如しレ此のと思ひてとがめもなく候。一體の本然ほんねん同じき親みをさへ不レ失は候へば、五倫ともにむつまじく候。天下我に同じき人のみならば、一家も立ちがたかるべく候。同じからぬ人寄合よりあひて萬事調ひ候。不る二相叶は一は皆我にまさる處なり。却て好よみすべく候。
一 存養そんやう省察〔天理を存養し、自己の心中を省察するなり〕は同じ工夫にて候。存養は靜中せいちうの省察。省察は動中の存養に候。ともに愼獨の受用なり。天理の眞樂しんらく其中に御座候。
一 我死體も親の遺體なれば、遺言しておろかにせざる道理との事、尤も類をおし義のくはしきに至り候へば、左樣にも被レ申さ候へども、少し穿鑿に落入りてくはし過ぎ候。太虚、天地、先祖、父母、己、子孫、生脈絡一貫にて候へば、子孫とても先祖の遺體なれば、己が私わたくしの子にあらず候。生脈つきて死體となりたる時は、土に合がつするを本理ほんりといたし候。上古の人は本理にまかせ候。後生の人は情によりて死體ををさめ候。父子、夫婦等の死體ををさむるは、己が情をつくすにて候。己おのれが身においては、跡にのこる者の情と時處ときところの勢いきほひにまかせ置き候へば、遺言に不るレ及ば事に候。又遺言せずして不るレ叶は事も有るべく候。
一 來書略。古今鬼神きじん有無の説、きはまりがたく候。
返書略。聖人神明不測ふしぎと宣ひ候。明白なる道理にて候へども、不測ふそくの理に達せざればにや、愚者は有いうとし知者は無とす。言論の及ぶところにあらず。よく知る者は默識もくしき心通しんつうすべく候。
卷第四 書簡之四
一 來書略。いにしへは人に取りて善をなし、人の知をあつめ用ふるを以て大知たいちとす。今は、人の善をとる者をば人のまねをするとてそしり、人の知を用ふればおろかなりとあなどり申し候。又たま/\貴人きじんの人の言を取り用ひ給ふもありといへども、善なるさたもなく、却つて惡しき事ども候。いにしへの道は今用ひがたきと見え申し候。但し何とぞ受用のいたし樣もあること候や。承り度く候。
返書略。昔今川の書〔「今川了俊子息仲秋に對して制止の條々」といへるものを指すなるべし〕をだに、病に利ある良藥として諸國にも取り用ひたり。人々我がといふもの有る故に、善なれども人の云ひたる事は用ひざるの爭ひあり。聖人には常の師なしとて、善を師とし給へり。古は人の善を擇んで之を取り用ふるを知とし、己を立てゝ人の善を取らざるを愚と申し候。善を積んで德となり、善人の名をなす時は、人にとりたる事を言ふ者なし。爭を積て不善の名をなす時は、己が損なり。
人に取らざる事をほむる者なし。大舜たいしゆんは問ふ人を好んで、人の知〔知惠―頭注〕を用ひ、人の善を擧げ給へり。天下古今の師とする所にして大聖人なり。桀紂は人の知を嫉みて用ひず、人の善をふせぎていれず、己一人才知ありと思へり。〔紂紀に、智は以て諫を拒ぐに足り、言は以て非を飾るに足る、の類を謂ふ〕しかれども天下古今のそしる所にして大惡人なり。かくの如く善惡の道理分明ぶんみやうなれども、凡情ぼんぜいの習にて、桀紂が行にならふ者は多く、大舜の德を學ぶ者はすくなし。思はざるの甚しきなり。又人の言ことばを用ひてよからずと申し候は、己にしたがひ媚びる者の、告げ知らする小知の理屈などにて、事はよきに似たれども、人情時勢に合はざる事どもなれば、用ひて却つてあしき事となり候。
賢知の者は己に從はず媚びず、まされる名のある故に、爭の心ありてふせげり。小人の言げんを取つて賢知の言をふせがば、何を以てか善かるべき。燕王が堯舜の子に讓らずして、賢に讓り給ひし善名ぜんみやうを羨みて、子之に國を讓りて亂れたるが如し。〔易王?、在位十年にして子之に惑はされて位を讓る〕子之は小人なれば、うけまじき人情時勢を知らで受けたり。故に亂に及べり。小人の言はいかで人情時變に叶ひ候はんや。
一 來書略。貴老は道學を以て天下に名を得給ふ人なり。しかるに一向の初學の者の樣に、博學の者に逢ふては、字をたづね故事を問ひ給ふとて、人不審申し候。
返書略。予本より文學なく候。然れども字は字書にたづね、故事は史書などに尋ね候はゞ事すみ可くレ申す候へども、左樣に勞して物知だてする事は、何の益なき事に候。幸に博識の人候はゞ、たづぬべき道理に候。世人予を以て、おして道學の先覺〔孟子に出づ。人に先だち道理を覺る者〕とせられ候。予に先覺と成るべき德なく候。たゞよく人にくだりて不るレ知ら事を尋ぬる事のみ、少し人の先覺たるに足りぬべく候。
一 來書略。先日たま/\參會仕り候へども、何の尋ね問ひ可きレ申すたくはへもなく別れ申したる事、殘念に存じ候。
返書略。疑ひなき故にて候。實に受用する者は行はれざる事あり。是をたづねて行はるべき道を知るを問學と申し候。人倫日用の上において、よく心を用ひ手をくだし給はゞ、必ず疑ひ出來可くレ申す候。
一 來書略。士は賢をこひねがふ〔周敦頤曰く、聖は天を希ひ、賢は聖を希ひ、士は賢を希ふと〕と承り候間、いにしへの賢人の行跡を似せ候へども及びがたく候。たま/\少し學び得たる樣にても、心根は凡夫にて候。外ほか君子にして内小人とや可くレ申す候。いかゞ受用可くレ仕る候や。
返書略。予近比いにしへの賢人君子の心を察し、自己に備はれるところを見て、學舍の壁に書付おき、小人をはなれて君子となるべき一の助たすけにいたし候を、則ち寫し致し二進覽一候。
君子
一 仁者の心動きなきこと大山の如し。無欲なるが故によく靜なり。
一 仁者は太虚を心とす。天地、萬物、山川、河海皆吾有いうなり、春夏秋冬、幽明、晝夜、風雷、雨露、霜雪皆我行なり。順逆は人生の陰陽なり。死生は晝夜の道なり。何をか好み何をか憎まん。義とともに從ひて安し。
一 知者の心、留滯なき事流水の如し。穴に滿ち、低ひききにつきて、終に四海に達す。意こゝろをおこし才覺を好まず。萬事不レ得レ已むをして應ず。無事を行つて無爲ぶゐなり。
一 知者は物を以て物を觀る。己に等からん事を欲せず。故に周しうして比ひせず。〔論語、爲政篇に、君子は周して比せず、小人は比して周せず〕小人は我を以て物を觀る。己に等からん事を欲す。故に比して周せず。
一 君子の意思は内に向ふ。己知るところを愼んで、人に知られん事をもとめず。天地神明とまじはる。其人がら光風霽月の如し。
一 心地虚中なれば、有する事なし。故に問ふ事を好めり。優れるを愛し、劣れるをめぐむ。富貴をうらやまず、貧賤をあなどらず。富貴は人の役えきなり、上かみに居るのみ。貧賤は易簡いかんなり、下しもに居るのみ。富貴にして役せざれば亂れ、貧賤にして易簡ならざればやぶる。貴富なるときは貴富を行ひ〔中庸の貧賤に素しては貧賤に行ふの義〕、貧賤なる時は貧賤を行ひ、すべて天命を樂みて吾あづからず。
一 志を持するには伯夷を師とすべし。衣を千仭の岡にふるひ、足を萬里の流ながれに濯ふ〔晉の左思が詩句〕が如くなるべし。衆をいだくことは柳下惠を學ぶべし。天空うして鳥の飛ぶにまかせ、海ひろくして魚のをどるにしたがふ〔古今詩話に此句見ゆ〕が如くなるべし。
一 人見てよしとすれども、神の見る事よからざる事をばせず。人見て惡しとすれども、天のみること、よき事をば之をなすべし。一僕の罪輕きを殺して郡國を得る事もせず。何ぞ不義に與くみし亂に從はんや。
小人
一 心利害に落入りて暗昧あんまいなり。世事に出入して〔世俗の小事に拘泥して―頭注〕何となくいそがはし。
一 心思の外に向つて人前にんぜんを愼むのみ。或は頑空、或は妄慮。
一 順を好み逆をいとひ、生を愛し死をにくみて、願のみ多し。
順は富貴悅樂の類るゐなり。逆は貧賤艱難の類なり。
一 愛しては生きなん事を欲し、惡んでは死せん事を欲す。總て命を不レ知ら。
一 名聞深ければ誠すくなし。利欲厚ければ義を不レ知ら。
一 己より富貴なるを羨み、或は嫉そねみ、己より貧賤なるを侮り、或はしのぎ、才知藝能の己にまされる者ありても、益をとる事なく、己に從ふ者を親しむ。人に問ふことを恥ぢて一生無知なり。
一 物ごとに實義には叶はざれども、當世の人のほむる事なれば之をなし、實義に叶ひぬる事も、人謗そしれば之をやむ。眼前の名を求むる者は利なり。名利の人之を小人といふ。形の欲に從ひて〔精神を棄てゝ專ら物質的欲求を恣にするなり〕道を知らざればなり。
一 人の己をほむるを聞いては、實に過ぎたる事にても悅びほこり、己を謗るを聞いては、有ることなれば驚き、無きことなれば怒る。過を飾り非を遂げて改むる事を不レ知ら。人みな其人がらを知り、其心根こゝろねの邪よこしまを知りてとなふれども、己獨ひとり善くかくして知られずと思へり。欲する所を必ひつとして、諫を防ぎて納れず。
一 人の非を見るを以て己が知有りと思へり。人々自滿せざる者なし。
一 道にたがひて譽ほまれを求め、義に背きて利を求め、士は媚こびと手だてを以て祿を得ん事を思ひ、庶人は人の目をくらまして利を得るなり。之を不義にして富み且つ貴きは浮べる雲の如しといへり〔論語、述而篇の語〕。終に子孫を亡すに至れども不レ察せ。
一 小人は己あることを知りて人あることを不レ知ら。己に利あれば、人そこなふ事をも顧ず。近きは身を亡ほろぼし、遠きは家を亡す。自滿して才覺なりと思へる所のものこれなり。愚これより甚しきはなし。
一 來書略。志は退くとも不レ覺え候。隨分つとめ勵まし候へども、氣質柔弱じうじやくなる故に進みがたく候。志の親切ならざる故とも被れレ存ぜ候。
返書略。つとめられ候處は、氣の力のみをはげますにて候。たとひ強力ありて一旦つとめすくやかに進み候とも(*原文「候もと」)、德の力ならざれば、根に入りて入德にふとくの益にはならず候。氣力は時ありて衰へ候。又根に不明なる所あればくじき易く候。德の力は明かなる所より出候へば、氣質の強柔によらず候。知仁勇ある時は共にあり。德性を尊びて問學ぶんがく(*ママ)によるは、これを明かにする受用にて候。知明かになりぬれば、止やめんとすれども不るレ已まの勇力自然に生じ候。私欲の煩もくらき所にある事に候。明かなる時は、天理流行して一體の仁あらはれ候。明かに知り候へば則ち親切の志立ち候。之を明かなるより誠あると申し候。誠より明かなるは〔中庸に出づ〕聖人にて候。これを明かにする功を受用せずして、たゞに志の親切ならん事を願はれ候は、舟なくて海をわたらんとするが如くにて候。故に大學の道〔大學に「大學之道在明明德、在親民、在止至善〕は、明德を明かにすることを先にし候。親民至善しいぜんは、みな明德の工夫受用にて候。
一 來書略。よき學者に成り申し度きと心懸候へども、志の薄き故にや、おこたりがちにて空しく光陰を送り候事、無念に存じ候。
返書略。よき學者に成り給ひ候事は無用の事に候。本より武士にて候へば、よき士になり給ひ候樣に晝夜心がけられ尤もに候。たゞ名字なしによき人と申すがまことの人にて候。まことの人は、公家なればよき公家と見え、武家なればよき武士と見え、町人なればよき町人、百姓なればよき百姓と見え申し候。よき學者と申し候には風ふうありくせあり。其類るゐに於てはほめ候ても、其法なく其習なき所へ出で候へば、却て人の目にたて耳を驚かし候。其故は、よき學者と申すには外の飾は(*原文「外の飾ほ」)多く候。其飾の除のけて見候へば、實はかはる事なく候。只實義ある人のみ、松栢しようはくの凋めるにおくるゝ〔論語、子罕篇の語〕たのもしき所御座候。とりわき武士たる人の肝要にて候。
一 來書略。淨土宗、日蓮宗申し候は、大乘の學者は戒かいを保つに及ばず、たとひ惡をなしても彌陀を賴み妙法を唱れば、成佛疑なしと云ひ、善行ぜんぎやうをするをば雜行ざふぎやうの人なり、地獄に落つべしと説き候。尤も本願寺宗同前に候。法然坊〔僧源空が事。淨土宗を創む〕・日蓮法師〔日蓮宗の開祖〕など、斯樣の筋なき事を云ひて、一宗を弘め候を、能く弘めさせ給ひたる事に候。今は數百歳のならはしとも可くレ申す候。初めに斯樣の事にておこりたるは不審に存じ候。
返書略。法然坊制禁敎示けうしの書を見侍れば曰はく、「可し二停止ちやうじす一。於て二念佛門に一レ號することレ無しと二戒行かいぎやう一。專ら勸め二淫酒食肉を一、適たま/\守る二律儀を一者は、名づく二雜行人ざふぎやうにんと一。憑たのむ二彌陀の本願を一者は、説くレ勿れとレ恐るゝレ造なすことをレ惡を。事戒じかいは是佛法の大地也。衆行しうぎやう雖もレ區まち/\と同じく專にすレ之を。是を以て善導和尚をしやう〔宋の高僧〕は、擧げてレ目を不レ見二女人を一。
此行状之趣、過ぎたり二本律制ほんりつせいに一。淨業之類、不んばレ順せレ之に者、惣じて失し二如來之遺敎を一、別して背く二祖師之舊跡に一。旁かた/〃\無きレ據よりどころ者か歟。」日蓮坊の云く、「十七出家の後は不レ帶せ二妻子を一、不レ食はレ肉を。權宗ごんしうの人尚可しレ然る。况んや正法の行人をや哉。」二組如くレ此のに候へば、末流まつりうの坊主とは大に異なり。
法然坊は學力戒行共に優まさりたる體ていに候。「日蓮不レ帶せ二妻子を一。」と書き候所は尤も奇特きどくに候。持つ程ならば妻子とて可くレ持つ候。かくれたる事は有る間敷候。然れども出家となり候上は、戒なくては出家にあらず候との事に候。世間の坊主の説法は、己おのが破戒無慙のいひわけと見え申し候。渡世の事に候へば、とかくの批判に不レ可からレ及ぶ候。
一 來書略。思おもひに思索、覺照かくせうのたがひある由承り候。委く承りたく候。
返書略。古人心をくるしめ力をきはむるは、鑿さくにいたり易しといへり。〔思索に過ぐれば、却つて迷を生ずるの義〕是思索の事にて候。心の本然ほんぜんふさがりて至理しいりてらさず候。藝は其術の功を積んで後に成り、世俗の分別は理窟より出たる分別と見え候。寛裕温厚にして涵ひたし養ふときは、心本然を得て明睿めいえいの照す所あり。これを覺照と申し候。分別は自然に出て自得し、藝は從容として其品たかしともいへり。詩歌に至るまで巧なるは本意にあらずと承り候。又「世事は其事になれ、藝は其術を知らざれば、鏡前きやうぜんに白布を張りたるが如し。」といへり。不るレ知らをば不レ知らとし、知れるをば知れりとす。眞知其中うちにあり。知者はまどはざるのみ。
一 來書略。聖人の言は、何れの國何れの人にもよく相叶ひ候と承り候。然れども喪祭の禮儀などは、今の時、處、位、に行ひ難き事多く候。三年の喪はとりわき成し申す間敷候。學者の我と思ひ立ちてつとめ候だに名實かはり申し候。とぐる事は十に一二と見え候。それだに其人の得たる事か、境界きやうがいのしからしむる樣なる事ばかりに候。若上かみより法に定められ候はゞ、僞いつはりの端となり、罪人多く出來可くレ申す候。往年聖人の法を少々國に行はれし人御座候へば、國人悲びて、「孔子と云ひし人はいかなる惡人にてか、かゝる迷惑なる事を作り置きて人を苦しめられ候。」と申したる由に候。今も儒道の法を立て、しひてつとめさせ候はゞ、是にかはり申す間敷候。まことに僞の初め亂の端とも可くレ成る候。
返書略。聖人の言ことばは何れの時とき處ところ位くらゐにもよく應じ候へども、採用とりもちひやうあしきによりて害になる事に候。喪もの事は、死を以て生をほろぼさずとある一言ごんにて、行ひやすき道理明白に候。病者か、無き二氣力一か、情(*原文ルビ「せい」)うすく習ひたるか、如きレ此のたぐひの人に、法のごとくつとめさせ候はゞ、たちまち親の死を以て子の生を亡し可くレ申す候〔死者に厚うせんが爲に、生者傷ましむべからずとなり〕。近世は人の生付氣根きこんよわく、體たいやはらかに成り來り候。たゞ人のみならず、竹木金石も又おなじ。無心の物だに運氣につれては斯くのごとし。
况や人においてをや。今の人の氣體よわく情せいうすくなりたるには、世間の定法の五十日の忌精進にて相應に候。もし氣根つよく、志、學力共にありて、其上に心喪しんさうを加へんと思ふ人あらば、又五十日も祝言等の席へ出ざるほどの事にて可なり。神前の服は日本の古法の如くなるべし。是より上のつとめをしひ候はゞ、學者といふとも堪へざる者多かるべし。其人の罪にあらず。人情時變を不レ知らしてしひる者の過なり。物極れば必ず變ずる道理なれば、百年の後は人の氣根もまし、形體きやうたいつよくなり、世中質素の風にかへりて、情も少しあつく、道德の學も興起し、至治しぢの澤たく〔結構に治まる御世の御蔭―頭注〕をかうむる時いたりなば、予がいひ置きし事をすくなしといひ、薄しとしてそしる者あらん。
今だに誠を大事と思はざる學者は、法によりて非とする者あり。然りといへども道のおこらんとするめぐみ〔芽生―頭注〕の時に當りて、誠を亡し僞をなさむ事は、予が心にをいてしのびず。予いまだ凡情ぼんぜいをまぬかれずといへども、狂見ありて大意を見る故に、世のそしりにひかれず獨立てり。他の學者は狂見なければ、そしりをもやぶり得ず、氣躰よわく情叶はざれば、法をも行ふこと不レ能は、名聞ふかき者は、身を亡し、淺き者は學まなびともに廢せり。まことに惜むべし。故に世に器量あり實義ある人は、多くは聖人の道を尊ぶといへども、大難たいなんあるによりさけて寄らず。
其人々の言ことば信ずるにはあらざれども、表むき佛法によりて宗旨をたて、常の武士なれば難なし。學者と成る時は、其法を行はざれば其流ながれにそしられ、本なき惡名あくみやうをかうぶれり。行ふ時は身くづをれ〔弱り果つるを云ふ〕、武士のつとめもならざる樣なれば、實は不忠にも陷るなり。道は五倫の道なり。就レ中忠孝を學ぶといへども、忠孝の實はなきに似たり。道に志なきにはあらずと云へり。是非なき事に候。今の時大に志ある人は、たとひ其身根氣つよく愛情あいせいふかくして、三年の喪をつとむべき者なりとも、人の師父兄となりて子弟をみちびくべきならば、己ひとり高く行ひ去りて、人の續きがたき事はすべからず。くゝりつきて〔一致して―頭注〕衆と共に行ふべし。武將の道も同じ。
一人ぬけがけして高名するは獨夫の勇なり。人に將たる者は、總軍勢のかけひきすべき程をかんがへて進退す。己が馬の速きが爲に、ひとり往かず。俗に異なる者は一流となりて俗をなさず、天地の化育を助くべからず、終に小道せうだうとなれり。異端と是非を相爭へり。道の行はれざる事常にこゝにあり。俗にぬきんづべきは、民の父母たるの德のみ。
一 來書畧。天子にあらざれば禮樂を不レ作さと候へば、儒法の喪祭をおこすも、禮を作るの類たぐひにてあるべく候や。
返書略。古來日本に用ひらるゝ禮樂、官位、衣服の制にいたるまで、そのかみ遣唐使、もろこしより習ひ來りし聖代の遺法なれば、これすなはち儒法なり。喪祭の事は、古は神道しんだうの法ありき。中比佛法に移りて神道絶えたり。社家に少し殘れる事ありといへども、平人へいにんはとり用ひがたき樣にいひならはして、世人よるべき所を知らず。予は年來神道により行ふべき喪祭の法だにあらば、用ひたく候へども、成りがたきよしに候へば、無く二是非一候。扨は儒法と佛法と、古より人々の心のより次第に用ひ來り候。佛法は釋迦より初めて火葬にしたる事なれば、こと/〃\く火葬なるべく候へども、貴人と社家とは大かた土葬にして、髪をも不るレ剃ら者あり。是又儒法なり。上代にも神儒佛まじへ用ひられ候故に、東照神君も、神儒佛三みつながら用ふと宣ひ候。然れば上代、武家共に用ひ來れり。何ぞ作ると可けんレ申すや。中絶して見なれざるゆゑに、夏の虫氷を疑ふにて候。古は日本にも盛んになりし學校の敎へ、釋奠の祭なども、中興せば珍らしかるべく候。
一 來書畧。「主とす二忠信を一。」の語、諸儒の説を聞き候といへども、文義に依りて理を云ふ所はきこえたる樣に候へども、今日の受用に取りては、しかと得心仕りがたく候。
返書略。大學の傳に誠にすレ意をといへるは、則ち主とする二忠信を一の工夫なり。主二忠信一は本躰の工夫なり。誠意は工夫の本躰なり。主二忠信一は未發の時に誠せいを養ふなり。誠意は已發いはつの時に誠を存するなり。誠は天の道なり。誠を思ふは人の道なり。〔中庸に、誠は天の道なり。之を誠にするは人の道なりと〕誠を思ふ心眞實なれば、誠則ち主となりて、思念をからずして存せり。是主二忠信一なり。又先儒の説に、眞心に發するこれを忠といひ、實理を盡すこれを信といふといへり。此解おもしろく覺え候。
一 來書略。親しんの喪をつとむるは、學者の大義と承り候へども、行ふこと成りがたく候。少し道を悅び候甲斐もなく、恥はづかしく存じ候間、一向に學をやめ申すべきと存じ候へども、之も又御恩空くするにて候へば、何とも辨へがたく候。
返書略。古人は欲薄く情じやう厚く、世事すくなく、氣力つよく無病なりし故に、三年の喪をつとめられ候。いまだ三年を不足と思ひし人あり。又少しはつとめて及びたる人もあり。後世の人は世間多事にして、欲の爲に心を奪はれ、情せい薄く氣力弱し。このゆゑに勤めてなりがたく、企ても及びがたし。大國だにもしかり。况や日本は小國にて、人の魂魄の精うすく、堪忍の力弱し。聖人おこり給ふとも、日本の今の人には、しひて三年の喪をなさしめ給はじ。世のならはしのくだれること千載に及びぬれば、今の世に生れては、道を悅び法を行はんと思ふ志ありとも、氣力叶ひがたかるべし。
賢君繼ぎ起り給ひ、世事せいじ次第にすくなく、人の利欲年々薄く、禮儀あつき風俗と成りて、豐ならば、風雨時をたがへず、寒暑節せつを不レ失はして、物の生長かたく成りなば、人の形躰も健すくやかになりて、人情厚くなるべし。然らば喪のつとめのみならず、萬事の行業ぎやうごふ厚くなりて、其世の一年は今の百日よりも勤めやすかるべし。今の世愛子に別れて、五年七年歎き暮し、病氣になる者も、平生の事は喪の躰ていならず。これ哀情餘ありといへども、氣根弱く堪忍の精なきゆゑなり。况や哀情の薄き者、つとめてなすべきや。たとひ少しは哀情ありても、氣躰弱く病める時は、養生よりおのづから薄くなりゆくものなり。又人の氣質品々あり。生付の得たる方には、つとめも人に異なり。禮儀の法は得たれども、利心深き者あり。仁愛ありて人を惠み財ををしまぬ者も、禮法には疎おろそかなるものあり。
勇武ようぶあれども不仁なる者あり。才覺にして眞實薄き者あり。如きレ此のの人々、己が生付の得たる所に自滿して、足らざる所をわきまへず、互に相助くる事あたはざるのみならず、却つて相爭ひ相敵とす。貴殿は勇ようなれども、仁を好んで人を愛し給ひ、利心すくなし。仁と無欲と勇とは、道德において長ぜるところなり。禮の格法にたへざる〔式作法を行ひ得ざる―頭注〕ことは、流俗の習にして、天下みなしかり。貴殿一人の罪にあらず。一の不足を以て三の德を廢すべきことは、上世といふともあるべからず。况や末代においてをや。貴殿の德を以て上代に生れ給はゞ、必ず禮にも厚かるべし。
それ太古には禮の格法なし。只誠に專なり。伏犧神農の代よには、三年の喪なく哀情數なし。心地しんち光明にして飾なかりき。仁勇じんよう無欲は伏犧氏の時に生れて、必ず尊びらるべし。禮の格法一事を以て儒者の道を盡せりと思ひ、凡情ぼんぜいの名利伏藏するものは、堯の代にいれらるべからず。貴殿此格法者のそしりに逢うて、天性の德を廢せんと思ふは大に不可なり。それ喪もは終を愼むなり。祭さいは遠きを追ふなり。民の德厚きに歸す。〔論語、學而篇に、曾子曰はく、終を愼み遠きを追へば、民の德厚きに歸す〕尤も人道の重んずる所なり。然れども喪祭ともに時處位をはかるべし。
只心の誠を盡すのみ。格法に拘りて不るレ叶はをしひ、不るレ能はをかざらば、必ず其本をそこなふべし。格法の儒者の世に功ある事すくなからず。予が如きものも恩德にかゝれり。しかれども心法にうときが故に、自己の凡情ぼんぜいを不レ知ら。又行ふこと日本の水土に叶はず、人情にあたらず。儒法をおこすといへども、つひに又儒法を破る事を知らず。貴殿三年の喪の法はあたはずとも、心情の誠は盡し給ふべし。追ふレ遠をの祭まつりも、又なるべきほどの事を行ひて、自己の誠を盡し給ふべし。
一 來書畧。喪の中うち魚鳥を食せざること、生類を忌むの義ならば、佛家ぶつけの流に似たり。祭禮に肉を用ふる時は、又生類を忌むにてもなく候。拙者若く無病なりし時は、年中蔬食そし水飮すゐいんしても何とも不レ存ぜ候ひき。近年は年寄り病者に成り候故か、五日生魚なまうをを食せざれば氣力乏しく、十日食せざれば腹中あしく成り候。か樣にては、三年の喪はいふに及ばず、三月も成り申すまじく候。何とも辨へがたく候。
返書畧。喪に一の主意あり。憂うれひのうちなればすべて靜にして事にあづからず。肉食にくじきの味あぢはひを求むるも、樂びの類たぐひなれば食せず。蔬食そしいして命めいを養ふのみなり。只酒肉を忌むのみならず、五辛しん其外何にても相火しやうくわ〔情慾―頭注〕を助け精を増すべき物を食せず、腎水堅く閉て人道の感をいださじとなり。蔬食そしい味あぢなければ腹にみたず、力なければ杖つきて起居す。喜怒ともに發することを不レ得。これ皆壯年の者生樂せいらくをふせがんがためなり。
故に老いて小兒のごとくなる者は、肉を食し酒を飮む。たゞ喪服の身にあるのみなり。病人も又しかり。これを食して樂みとせず、只生を養ふばかりなり。氣血盛さかんにして精神つよき者は、厚味こうみを忌むのみならず。蔬食そしいといへども腹にみたしめず、夏涼しくせず、冬暖にせず、著て安からず、寢てやすからず。これは古の人の氣血健すこやかに筋骨すぢほねつよく、無病にして、精神盛なりしかば、聖人其人の位に依りて制し給へる法なり。今の世の人此法のごとくつとめば、生を滅さんこと眼前なり。生を養ふ時は喜怒の情發し易く、生樂の念動き易し。常の食しよくを食し常の衣きぬを著し常の居を安んじて、不レ怒ら不レ笑は不るレ樂ま事は、聖人、大賢たいけん、さては天質の美にあらずしては、いかで成るべきや。
このゆゑに古の人喪にはかならず法あり。法なくては勤むることあたはず。今の人其法は身の位に不レ叶は。又法を不レ立てしては行はるべからず。しかれば俗にしたがひ給はんより外は有るまじく候。世俗定法の五旬の忌の間も、元氣をそこなはざるためならば、藥を服用する如く思ひ、折々干魚ひうをなどを用ひらるべし。貴殿年寄り給ふとても、いまだ五十にて候へば、七十の人の如くにも成るまじく、又壯年無病の人の樣にも成るまじく候。其間御料簡あるべく候。
一 來書略。三年の喪は今の人の情には不レ叶はと承り候へども、律僧行人ぎやうにんなどを見候へば、又成るまじき事とも不レ被れレ存ぜ候(*原文「不レ被レ存ぜら候」)。淨土宗・日蓮宗などの中うちに居ては、立てられまじく候へども、律〔戒律を所依とする佛敎の一宗〕とて別に立て候へば、同じ凡僧ながら戒をも持たもち候間、喪も居處衣服飮食いんしいに至る迄別に出て仕り候はゞ、とかく三年は勤め過すごし可くレ申す候。又心喪しんさうとて、外むきはかはらずして心に喪を勤むると申し候へども、是は一向に急度きつと立つるよりも成りがたかるべきと存じ候。
返書畧。律僧行人などは、喪の勤ほどなる事もある躰ていに候。然れどもそれは後世の極樂へ生れんといふ迷ひに牽かれ、又は渡世のためなどに、みな據所よりどころありてなす事に候。今の百姓の律僧の一食じきと申す物をあたへ候はゞ、よき振舞と可くレ存ず候。坊主には大方貧しき者なり候へば、しひて苦勞とは存じ(*ママ)まじく候。又不婬戒などは、律僧ならでも、かせ奉公人〔束縛を受くる奉公人の義歟〕などは大方無く二是非一つとめ候。拙者も氣根よき時分は、名聞まじりに三年の喪は勤むべきと存じ候ひき。
いかにも貴殿の氣ざしにては成り可くレ申す候。古の心喪しんさうとまうすは、身に服を著せざるばかりにて、作法はみな喪の掟と見え申し候。今時心喪をなすと申され候は、尤も志は殊勝にも候へども、しかと仕したる事にてはなく候。大道を心とする者は、たとひ其身は喪を勤むべき道を得たりとも、時の人のなるまじきことなれば、光を和やはらげ塵に同じくして〔老子の和光同塵に出でたり〕、萬歳まんざいを見ること一日のごとく、誠せいを立て無事を行ひ、業を創め統をたれ、衆と共に進むべし。
己ひとり名譽をなすべからず。衆のなすまじき事を行ふ者は、天下の師たるべからず。法に落ちて一流となり、俗とはなれては、いづれの時か道をおこすべきや。後世人の氣體つよく情せい厚くなりたる時は、予が言を薄しとし、そしる者あるべし。誠に願ふ所なり。只一念獨知どくちの所において、天を師とし神しんを友とせば、法のごとく勤を以てすぐれたりとせず、やはらぐるを以て惰おこたれりとせず。名をさけ氣勢をしづめて誠を思ひ給はゞ、幸甚たるべし。
一 來書略。今の世多藝小術の者も、師となれば郡國の君と同座し、無禮至極なる者多く候。師となるうへは如くレ此のあるべき道理にて候や。
返書畧。天下に達尊たつそん〔孟子に、天下に達尊三あり、爵一齒一德一と〕三あり。德と年と位となり。朝廷において、衣冠正しく貴賤の次第を分つべき所にては位ある人を尊び、鄕里の常の交にて、孝弟を專とすべき所にては年を尊び、世を助け民に長たるの德を慕ひ、迷ひ辨へ心法を明かにする所にては德を尊ぶなり。故に古は王公といへども民間の賢者に降りたまへり。しかるに彼一藝の師たる者、自己の分を辨へず、小藝をしらで道德仁義も同じ事の樣に心得たるは昧き事なり。貴人きじんも亦あやまり給へり。有德いうとくは禮を以て來きたし、小藝は祿を以て招き給ふべくば、おのづから爭ふ事あるべからず。
一 來書畧。世間に、すゑ物〔罪科ありて斬に處せらるゝ者〕斬りたる者の子孫は絶ゆると申し候。罪ありて斬らるゝ者なれば、我が斬らでも人これを斬り候。昔物語に、竹の雪をふるはしめて、其下知したる者にはかゝらで、おとしたる者にかゝりたる事など申し候へども、理窟にて候へば、心得がたく候。
返書畧。世中にしわざこそ多かるべきに、人を斬るを事と仕り候は、不仁なる心にて候。其不仁の心に天罸當るにて候。我等もすゑ物斬りたる者の子孫絶えたるを、二人まで見及び候。常の武士にて候へば、斬らざるとても誰誣しふる人もなく候。好んで上手をするゆゑにこそ、主人も命ぜられ朋友も賴み申す事に候。しかのみならず能く斬る者あれば、罪の輕き者もきらるゝ樣なるあやまりもある體に候。其上すゑ物によりて、打やうあらみ〔新刀―頭注〕の昔にかはり、當分きるゝ樣にばかり仕り候故、後世のちのよまで用に立ち候はすくなかるべく候。古は今のやうに樣物ためしもの(*ママ)は不レ仕ら候へども、人々かねよき刀をさし、今に傳へて古身ふるみは重寶ちようはうと成り候。
一 來書略。下學上達じやうだつ〔論語、憲問篇の語〕の義、下しも人事を學んで上かみ天理に達すと承りて、理通ずるが如くに候へども、受用となり難く候。
返書畧。易に、形より上かみなる者を道といひ、形より下しもなる者を器きといへり。此語にて上下のこゝろ分明に候。總じて形色けいしよくある者は皆器きなり。故に五倫も器なり。父子、君臣、夫婦、兄弟けいてい、朋友の交は、形より下なるの器なり。父は慈に子は孝にして父子親しんあるは、形より上なるの道なり。故に五倫の交において、道を行ひ德をなすは下學上達なり。
理を窮め性を盡し、命に至ること其中うちにあり。五倫を本とせずして、空に理を窮め性を見るは、異學の悟りといふものなり。高しといへども虚見なるが故に、德に入る業を立つることあたはず。其悟と云ふものも眞まことならず。人道を明あきらかにせざるが故に造化を不レ知ら。造化の神理しんりを辨へざるが故に跡のみ見て惑へり。下學せずして上達を求め、上達も亦得ざるものなり。
一 來書略。此比このころ末書まつしよにて「君子不ればレ重から不レ威あら。」の章〔論語、學而篇の語〕の説を得候。君子は學者の稱なり。學問は學んで君子となるの道なれば、學者を指して君子といへり。在位の君子と云ふも同じ理なるべし。古は人の上かみたる人は皆道德あり。故に在位の人を君子といへり。重おもきと不るレ重からとは氣質にあり。生付靜にして輕々しからぬ人は、おのづから人の狎れあなどらざる所あれば、威あるが如し。學ぶ所の道も、能く受用して堅固なり。氣質輕く浮氣なる者は、あなどりやすくして威あらず。學ぶ所の道も得心とくしんたしかならず。故に學者の人品靜重せいちようにして威嚴なるは、たとへば田畠でんぱたの地福ちふくよきがごとし。しかれどもよき種を植ゑざれば、地福の厚きも詮なし。主二忠信一は美種よきたねを植うるなり。己にしかざる者を友とせず。〔論語、學而篇、前掲君子章の下文〕過つては速すみやかに改めて憚らず、吝やぶさかならざるは、耕作の道をよく勤むるがごとし。
返書略。此章の文義説得がたし。此發明聞えやすきのみ。予が見候は誠の心にあるを忠といひ、事に行ふを信と云ふ。中心を忠とす。天理自然の誠心にありて、空々如たるものなり。所謂未發の中うちなり。人言を信とす。人の言はかならず實まことあるべきものなり。僞るものは私欲これを害すればなり。忠は德の本なり。信は業の始なり、人身の主しゆなり。故に忠信を主とすといへり。
心友を友といひ、面友を朋と云ふ。人を擇び捨つるにあらず。己にしかざる者をも面友として、禮を以て交をなすべし。小人をしたしみ、心友として德をそこなふべからざるのみ。君子の過は日月の食のごとしと云へり。速に改むるを尊しとす。善是より大なるはなし。平人より君子に至るの道路なり。たとひ氣質靜重せいちようなりとも、内に德業の本たる誠なく、外ほか過を改むるに憚らば、一旦威重ちようなるが如くなりとも、終には恐るべきことなきの實を人皆知るべし。たとひ氣質輕々しくして浮氣に近づくとも、忠信を主とし過を改め善にうつらば、浮氣の煩ひ除のぞきて、天然の淸く明かなる本に歸るべし。
人皆是をよみして其誠あるに恥おそるべし。威これより重きはなし。學これより堅きはなし。君子の重きを以て學をかたくし、威を以て外邪ぐわいじやをふせぐ事は文武の道なり。恭敬にして禮儀正しきは重おもきにあらずや。死生貧富の間、其心を動さず其志を奪ふべからざる〔孟子、公孫丑の上篇に此語あり〕は威にあらずや。氣質の輕重によるべからず。己にしかざる者を友とし親み、今の凡位を安んずるは平人の常なり。賢を師とし善を友として、過を改め義に移るは、日新成德の業なり。只學者の憂は不るレ重からにあり。
不るレ重から者は内に主なきが故なり。生付の靜しづかなると動うごくとにはよるべからず。心に主あるを重しとす。主ある時はおのづから威あり。家に主人あると主なき家とを見て分明なり。
一 來書略。經書を見候に、始中終しちうしう悉く解げせんと仕り候へば、心氣勞して却て塞ふさがる樣に覺え候。一經けいの中、肝要の所を見得て可なるべく候。
返書略。始はじめより終をはりまで句々皆解げせんとするは、書を解かいするにて候へば、心を勞して受用の本意にあらず候。又要を得たりと思ひて、他を疎かにするも弊つひえあり。情性を吟詠し道德を涵養する事は詩のみにあらず候。道理本行は我心なり。經傳は我心の道理を解したる者なり。經傳をよみ得て悅ぶものは、我心の道理を見得たればなり。我心の道理は無きレ窮りなり。書中の一章を肝要として止るべからず。又甚はなはだ解げすべからず。甚解する時は、書を本行ほんぎやう〔本然の主要目的―頭注〕として我心を失ふの弊つひえあり。吾心の位と學術の進むとにしたがひて、受用の要と思ふ所は時によりかはりあるものに候。故に時に我心に受用の要を得ばよきなり。廣くわたりて道德を涵養し、日新の功を積みて氣質を變化し給ふべし。
一 再書略。廣くわたり候とは、いか程の書を讀みてよく候や。
返書略。予が廣くと申し候は、無極ぶきよくの理に體ていして、心を是のみと止とゞめざるを申し候。古へ書のすくなかりし時に却つて聖賢多し。經傳は貴殿の心次第に、孝經大學中庸にてもたりぬべし。論語孟子にても足りぬべし。五經にてもたりぬべし。其中十が七八までも解げし殘すとも妨なく候。要は書中にあらず我心にあり。大意を得る時は天下に疑ひなし。何ぞ書の文義を事とし候はんや。
一 來書畧。道本もと大いなり。何ぞ大道と稱し候や。
返書畧。世の道をいふ者すこしきなり。故に大道の名あり。大道とは大同なり。〔道は同なり。=德を得義を宜と解する類の一説なり〕俗と共に進むべし、獨拔んづべからず。衆と共に行ふべし、獨異なるべからず。他人惡事をなさば己のみせざるにてよし、人を咎めそしるべからず。善の行ふべき事あらば己一人なすべし、人に責むべからず。三軍の將の士卒と共にかけひきして、獨夫の勇ゆうを用ひざるが如し。衆のしたがふべき氣を見ては先だちてすゝむる事あり。己氣力ありとも人の從ひがたき事はなさず。世の道學の小道なる事、言はずして知りぬべし。
一 來書畧す。
返書略す。
一 器うつはものに水を十分入れて持するたとへの事、人心の危あやふきを知りて、怒りにうつらず欲に落いらず。本心の靈明を不るレ失は事、右のごとくにて候はゞ、よき受用たるべく候。しかれども大事と思ふ念を常に存するにてはなく候。常に心とすれば、善ながら本心の靈明をふさぎ候。主意眞實に立ち候へば、常は無心にて、事あればかならず用ひられ候。天下生を好まぬ者はなく候。身を大事に存じ候主意まことに候。故に其念慮はとゞめず候へども、危き所にのぞみては必ず愼み候。
一 事物にうたがひある時、心を盡し工夫被レ成候へば、自得の悅よろこび御座候由、人の生付種々しゆ/〃\候へば、左樣にて心の煩わづらひにもならず氣のとゞこほりもなく、益を御おん覺え候はば不レ苦しから候。拙者若き時、田舍に獨學いたし、聖言せいげんを空に覺え、山野歩行の時も、心に思ひ口に吟じ候へば、意味の通じがたきも、ふと道理うかみよろこばしく候ひき。左樣の事にて候や。たゞに事物の不審に心をつくさるゝ事は如何いかゞと存じ候。心上しんじやう意欲の妄まうをはらひ候事、
當然の工夫にては候へども、そればかりにて凡根の亡び候事はなく候。意欲の妄は皆凡心に付きたるまどひにて候。凡心は意念私欲の泉源せんげんにて候。其本をたゝずして末ばかりをさめては、終に功なきと申す事にて候。我を他人にして我わが人がらの位いかんと見候へば、心上しんじやうの受用は大方よきも、全躰の人がら小人なる者多く候。此凡位をまぬかれて、人がら君子の心地しんちに近く候へば、凡根より出づる意妄はわすれたるが如く、ひとり無く成るものにて候。それより前は、身のあつ火びをはらふと申す諺の如く、心上しんじやうに浮み候意妄は先却しりぞくるにて候。惑解け心の位のぼり、凡情をはなれ君子の地位に至り候を、入德と申し候。
一 初學より德の力は及びがたからんとの事、尤もに存じ候。眞實よりおこりてなすことは、初學より德の力にて候。眞實は明かなる所より生じ候xzzzzzzzzzzz武士よりは臆病なる者と申し候へども、利を見ること明かに、好む心眞實に候へば、風波をしのぎ遠路をへて、危き難をかへりみず候事は、武士よりもまさり候。君子道を見ること明かに、德を好むこと眞實に候へば、如くレ此くのに候。それより前は、さし當りてはしひてつとむる事もなくて不レ叶は候。
一 孔子十有五より七十までの次第の事〔論語、爲政篇に、子曰はく、吾十有五にして學に志し、三十にして立ち、四十にして惑はず、五十にして天命を知り、六十にして耳順ふ、七十にして心の欲する所に從つて矩を踰えず、と〕、他の聖學をする人の受用にとりて申し候はゞ、志すレ學には道を學び德に入らんと志し、心内に向つて獨を愼むにて候。三十にして立つは心志しんし堅固に成つて、文武の才德成就したるにて有るべく候。四十にして惑はざるは、守り務むるの力いらずして、心を動かさゞるの位たるべく候。
五十にして天命を知るは、天道に順從じゆんしやうし運命に出入して、造化を助くる大賢たいけんの心地しんちたるべく候。天をもうらみず人をもとがめず、四時しいじに應じて小袖かたびらを用ふるごとく、順逆に好惡なきこと其中うちにあり。六十にして耳したがふは、大だいにして化するなり。聖人に至りたるにて候。是よりは少すこしの淺深熟未熟は候へども、生知の聖にかはり無く候。孔子の志は吾人にあらば、大方三十にして立つの心地たるべく候。石針しやくしん〔磁石針―頭注〕の南北をさす如く、義理より外に他念なきにて候。
立たつは天地人とならび立にて候。不るレ惑はは學士の天地萬物にまどはざる如き事にては無く候。賢人の心を不るレ動かさをも越えて、死生順逆一致に候へば、富貴ふつき貧賤夷狄患難、入いるとして自得せずといふ事なきにて候。〔中庸の語なり〕知る二天命を一は知行ちかうするの知の意にて、天命を吾ものとするなり。陰陽五行も我わがなすなり。運氣もわれより進退すべき所御座候。他たの死生有りレ命、富貴ふつき在りレ天に等の命を知るにてはなく候。耳したがふは精微を盡す所たるべく候。
五十にして知る二天命を一までは、廣大に至る處にて候へば、言語げんごを以て解げせられ候。六十耳順じじゆんよりは、言語ごんご文書ぶんしよの及ぶところにあらず候。從容として道に當る。形色は天性なり。形をふむの位たるべく候。耳を以て口鼻眼こうびがん四躰をかね給ひ候。一身の中うちにて神明に通ずるものは先まづ耳なり。五聲〔宮、商、角、徴、羽〕十二律〔六律六呂の稱〕の精微を盡すも耳にて候。七十にして心の欲するにしたがつて矩を踰えざるは、道器一貫義欲一致、天道無心に動に同じきにてあるべく候。口をひらけば則のりとなり、足をあぐれば法となること、其中に御座候。
一 曾子三省〔論語、學而篇に、曾子曰はく、吾日に三たび吾身を省みる云々〕、初學の時の事たるべく候。如くレ此の人倫日用において篤實に受用ありし故、やがて大賢に至り給へると知らせたる者にて有るべく候。忠は己を盡すなり。我事には誰も心を盡し候。人のためには十分不レ盡さ候。人我へだてあるは仁ならず候故に、仁に至るの受用にて候。朋友は眞實無妄むばうの天道を父母としたる兄弟なれば、其誠まことを思ひて相交るを信と申し候。内外一なるや一ならざるやと省るにて候。傳へたる道理を受用せざるは學者の病にて候。師友に問ひ、學びたる所を日用に試むるや、受用せざるやと省みたまひ候。
一 勿れレ正する〔孟子、公孫丑の上篇に、必ず事あり。正す勿れ。心忘るゝ勿れ。助け長ずる勿れ、と〕はしるしをいそがざるなり。勿れレ忘るは怠らざるなり。勿れ二助け長ずる一は才覺を用ふべからざるなり。百姓の農業をつとむる如く、職人の職をつとむる如く、いそがずおこたらず才覺を用ひず、常になすべき事をして自得を待つにて候。入德にふとくは善を行ひて積んで德となる事に候。經傳を見、弓馬禮樂を學び、自己の非をよく知り、過を聞くことを悅び、五倫道ある等とうの事、みな善を行ふにて候。不義をにくみ惡を恥づるものゝ吾にあるを、天眞と申し候。これを主人公としてなす事は、皆善にて候。これを必ず事とすることありと申し候。
一 克己復禮こくきふくれいは、天理人欲ならび不レ立た候。禮は理なり、己は私わたくしなり。私に克ちたる所則ち天理なり。則ち天下我が心の内にあり。尤も平人の己おのれ、學者の己、賢人の己、高下淺深各別たるべく候。大方御おん書付の如くにて候。「三月不レ違はレ仁に。」〔論語、雍也篇に、子の曰はく、囘や其心三月仁に違はず、と〕の語は克己こくきの後たるべし。四時しいじ三月にてうつりぬれば年中の事なり。年中たがふ事なしといへども、不レ違はと候へば、いまだ力いり候。化して聖せいと成る時は、不るレ違はの力もいらず、無心にして天理流行いたし候。
卷第五 書簡之五
一 來書略。同姓を不るレ娶らの法、未だ日本において掟なき事なれば、從昆弟いとこよりは俗に隨ひて不レ苦しからと許し給ひ候へども、近年同姓を忌むの義を聞傳へて、其禮を守る者少少出來候。是程までの禮儀を知ることも又大義なり。少しひらけたる知覺を空くして、不レ苦しからと許し給はんことは本意なきことなり。且從昆弟を許さば叔母姪めひにもおよびなん。それより後は禽獸に近くなるべし。只此勢に從ひ、儒法としてかたく同姓を忌む禮儀の則のりを、廣く仕り度き儀に候。
返書畧。誠に願ふ處なり。然れども此禮を云ふ者は、貴殿など親み給ふ人十人か二十人か、扨は格法〔忠實に法則を嚴守する者〕の學者二三十人の外には過ぐべからず。纔に相交はる人を以て、天下の數限なき世俗の、人情を知らず時勢を考へずして、時至り勢よしと思へるは不知なり。今天下の人皆聖人と同姓同德なれども、未だ聖人の學を不レ聞か。貴賤に衰世すゐせいの俗に習ふ事百千歳なり。何ぞ禮儀を習ふに暇あらんや。古の聖人伏犧氏よりこのかた相繼で起り給ふ。其間近きあり遠きあり。伏犧より神農に至る迄一萬七千七百八十七年、神農より黄帝まで五百十九年。黄帝有熊氏いうゆうし在位百年なり。是迄を三皇と號す。
少昊金天氏在位八十四年、黄帝の子なり。高陽氏在位七十八年、黄帝の孫そんなり。帝?高辛氏少昊の孫なり。在位七十年にして崩ず。子し摯し位を繼て不德なり。九年にして廢せらる。天下帝摯の弟放勳はうくんを尊みて帝とす。此帝堯なり。帝堯陶唐氏在位一百歳なり。帝舜有虞氏在位四十八年なり。是迄を五帝〔數説あり。下文は孔安國の尚書序に據れり〕と號す。合せて三百八十九年なり。禹湯武を三王と號す。禹より湯に至るまで四百三十九年なり。湯より武王に至る迄六百四十三年なり。
伏犧氏起り給ひしより始て學ありと雖も、未だ禮儀法度なし。神農氏繼ぎおこり給へども、耕作醫術の民を養ふべき事をさきとす。黄帝の時、禮樂の器うつはもの現れ文章略ほゞ見えたりと雖も、未だ期數きすう〔冠、婚、葬、祭等に就て年月を限定する事〕の定なし。五帝の時、禮儀法度大概ありと雖も易簡いかんにして行ひ易し。人民の情に逆さかはず、德化により善に勸みて、人の欲するに隨つて制法出來ぬ。夏商を歴て周に及び、文明の運極り、器物飮食いんしい大に足り無事至りてなすべき事なし。茲に於て人情を溢れしめざるそが爲に、禮儀の防ぎ多く出來、數期すうきこまやかにかたし。皆時所位に從ひて行ふものなり。
今の時器物多く人奢れる事は、周の盛世の豐なるにも越つべし。然れども人民の心の禮儀に習はざる事は伏犧の時の如し。伏犧の民は禮犧を不レ習はといへども、質朴純厚にして情欲せいよくうすく利害なし。今の人情欲厚く利害深き事、其習十百年にあらず、根固く染せん深し。俄に世俗の人情を抑へ急に利害を妨げば、道行はるべからず。今の世の民を敎ふることは、幼少のものを導くがごとし。童蒙は養うて神知の開くるを待つべし。
世俗は學を先にして禮儀を欲するを待つべし。三四五歳の童わらべは、義の端はし〔孟子に見えたる四端を謂ふなり〕すこしあらはれて物恥ものはぢする所あり。知の端すこしひらきて美惡をわかつ心あり。しかれども未だ義不義を辨へず、善惡是非をしるには及ばず。
六七歳におよびて辭讓の心生ず。故かるがゆゑに聖人八歳に至るを待ちて小學に入れ給ふ。しふることなくて、其固有と時とにしたがふなり。五六百歳このかたの世俗は五六歳の童の時のごとし。先學校の政まつりごとをもつて是非善悪を辨ふる知をひらきて、恥をしるの義を勸むべし。數十年數百歳を歴て、後の君子を俟ちて禮儀をおこさしむべきなり。伏犧神農の德の周公孔子に劣れるにあらず、周公孔子の知の伏犧神農に優れるにあらず、時とともに行ふなり。只時に中ちうせざるをおとれりとし、時に中するをまされりとすべし。三皇五帝三王周公孔子、共に時を知りて時に中するの知は同じかるべし。
德は三皇五帝をすぐれたりといふべし。天地ひらけ人道あらはれて、則ち時に行ふべき禮ならば、何ぞ三皇五帝同姓をめとらざるの法を立てずして周を待つべきやとの學者、時にあらざるの禮をしひつとめて、人情時勢に戻り、たま/\道の興るべきめぐみ〔萌芽―頭注〕あるに、實をつとめずして末をとり、つひに本末共にうしなひなば、後世かならず時を知らざるの笑はれあらんか。よく幼童を養育するものは、吾童蒙に求むるにあらず、童蒙我に求む。
今十五以下の童子どうし百餘人を聚め敎ふる者あらん。其中の秀才一二人、知覺はやくひらけたるありて、成人の法を立てんことを望むとも、師たる者知あらば、一二人のために大勢たいぜいの能はざる事をなすべからず。知覺はやき者には、いよ/\内に省み實をつとむることを示すべし。衆童の才長じ知ひらけて、もとめ催す志をむかへて、大人の道を習はすべし。しからば秀才の者も、才にひかれず識に滯らずして實の德をなすべし。衆童はなほ以て明かなるより誠あるべし。若秀才を好よみして衆童のあたはざることをしひば、秀才は己が人に優れるにほこり、才にはせ知識にひかれて、つひに不祥人ふしやうじんとならむ。
衆童は學に倦み道を厭ひて、學校の政のやみなむことをねがふべし。其君師くんしさり其時過ぎなば、あとかた無くならむか。今我同志の人々と他家の格法者とは天下の秀才なり。此輩はいの聖人の法を行はむことを望むことは、九牛が一毛〔極多數中の極少數を喩ふ。漢書、司馬遷傳に出でたり〕なり。天下の世俗貴賤はいまだ聖學の道理をだにも不レ聞か、况や法を行はん事はおもひもよらず。縱ひ其中うちすこし法に心ある者有りとも、彼百人の童蒙の中の一二人にもしかじ。たとひ世俗より學者にしふるとも、學者知あらば許容すべからず。况や世俗の中うちより願ふ者なきをや。しかのみならず世俗の人いまだ學を不レ聞か、いまだ法を不レ行はといへども、學者の道を任ずると思ふものよりも人がらよき者あり、天性の德のすぐれたるあり。
今の學者は物知りたるばかりにて、彼好人かうじんにはおよぶべからず。學者世俗のいまだ知らざる道學を學び、いまだ行はざる禮を行ふことありといへども、數代の習の汚れをも不レ洗すゝが、利害をだにも免かれざる有り。意氣甚高くして世俗を見下すといへども、實は平人にも劣れる事あり。毀譽利害根こん深ければ、格たゞすべきことあれども、至情を告げ難し。世俗みな良知良能〔孟子、盡心上篇に見ゆ〕あれば、學者の非を見ることこまやかなりし心に竊に慢あなどり輕しめらる。しかのみならず。時處位にあはざる法を持來りて行はんとす。天下千百年のならはしにあらず、神道王法の敎にあらず、只唐風の學者の一流として、彼一派のごとくするのみなり。槇雄まきのを〔槇尾の誤。山城國愛宕郡高雄の傍に在り〕の僧は戒を持ち、禪宗は座禪するがごとし。世俗と二になりて孤獨の道となりぬ。異端と相爭はんのみなり。何の時にか道を行はんや。
それ慈父は幼童と共に戯れ、不レ知ら不レ識ら善を導き、知覺のひらくるに隨ひて、ともにおとなしく成るがごとし。聖人は俗と共にあそぶ。魯人獵較れふかう〔獵を相競ふなり。孟子、萬章下篇に出づ〕すれば孔子も亦獵較す。衆とともに行ふをもつて大道とす。善なるべき時は衆とともに善なり。時至らざる時は衆とともに愚なり。故に學者俗を離れず、道衆を離れず。德至り化及び、行はるべき時は天下とともに行はる。衆勸めて悖るものなし。 昔堯舜の民は、未だ三百の禮儀を見ず三千の威儀を行はずといへども、渾然として禮儀の本全し。比屋ひをく〔軒を比べたる人々悉くの義〕可きレ封ずの善人なり。純厚朴素眞實無妄むばうの風俗なり。周の禮儀備りし時の土民よく及ぶことあたはず。
周何ぞ上古の至治しぢをねがはざらんや。時文ぶん明あきらかに德衰へたれば、やむことを得ざるの義なり。堯舜周公共に大聖人なり。みな時なり。然れども今の人堯舜を學んで不レ及ばとも、誠に近き風俗ならん。周を學びて不レ及ばば、輕薄無實の人となるべし。孟子の曰はく、堯舜を師として誤てる者はあらじ。其上今の學者周の同姓を忌むの法を行ふといへども、周の法にもかなはず。如何となれば、尊氏の世の末より織田家・豐臣家に及びて百餘歳このかた、天下の武士の姓氏紛れてしられず。たま/\系圖をなすといへども、證據なく傳なくして、文字に依よりて彼は此ならんといへるばかりなり。
戰國久しかりしより今に至りて、數代の間に大形おほかた系圖を失へり。又姓氏なき者は心々の氏を名のり、姓氏ある者も我が好ましき氏にかへぬれば、同氏とても同姓にあらず。天下氏系しけい傳へて慥なるは、千人の内纔に十人なるべし。それだに中間娘の孫を養子とし、妹の子を跡に立つればいつのほどにか他姓となりぬ。十人の中にも七八人は慥ならず。公家は昔より動き給はで、慥なる樣なれども、これも藤氏の家に源氏を養子にし給ふ如くなれば、又慥ならず。目まのあたりしられたる同氏の中を以て、同姓と名付て忌む事をすれども、周以前の五服〔斬衰三年、齊衰二年、大功九月、小功五月、麻三月を五等の喪服という〕の忌きにも及ばず。
今の勢いきほひにては立ちがたし。立たざるをもつて、百が一二を用ひて同姓めとらずと過言くわげんす。實は如何ともする事なくして時所に隨ふなり。迚も全く用ひられずして時所にしたがはんとならば、何ぞ時、所、位の中ちうを擇ばざるや。何ぞ全からざるの法をもつて衆に悖り、大同の道の行はれんとするめぐみを妨ぐるや。夫れ禮法は漸ぜんをもつて起るものなり。其間しふるものあれば、かならず大道を害す。伏犧・神農・黄帝の大聖たいせい、忌み給はざりし事を忌みてなさしめず、三皇の神聖いまだ行ひ給はざりし事を行ひ、これより後は此法に背くをもつて不義無禮とすといへば、先聖を非とするがごとし。謹まざるべけんや。
然れども人情時變によつて時のしからしむるなれば、古に違ふにあらず。今の時人情進まず時變未だ至らず。何を以てか伏犧、神農、黄帝、堯、舜、禹を非として周を是とせんや。先に云ふ如く、周法を行はんと欲すとも迚も行はれざる處あり。是より後賢君相繼いで出世し給はゞ、姓を賜り族を別ち給ふべし。數代をへて時至らば、五服の忌を定め服のかゝる分は娶らざる樣になるべし。是則ち周以前の列聖の古法なり。
之だに漸ぜんをもつてしかり。初よりしかるにあらず。天地ひらけ氣化によりて生れし人は、天地を父母として兄弟なり。〔我諾冊二神の如きを謂へり〕男女だんぢよ有りて後父子あり兄弟有り。此時の人兄弟夫婦となるがごとし。しかるに萬物は明德なく、人は明德有り。父子親しんあり、君親義あり、夫婦別あり。故に父子麋びを共にせず、相交はらず。鳥獸と異なるの條理を本として、野處やしよ穴居の内男女別あるべき道理を知れり。
上古の聖人此の明覺めいかくの知に基もとづきて、兄弟夫婦となるべからざるの禮法出來ぬ。天下兄弟相恥づるの知明かに禮普くしてのち、伯父姪叔母甥も快からざる萠きざしあり。その次の聖人この靈明を本として、伯父姪叔母甥夫婦となるべからざるの禮法を立て給へり。兄弟伯父甥は天倫の親したしみちかく、長幼の禮深くしてかくのごとし。從昆弟は他人の始はじめの如し。
長幼の禮も朋友齒よはひし相讓るがごとし。故に上古には忌いみなし。後世の聖人五服を叙ついでて、君子小人の澤たく〔孟子、離婁下篇の語〕五世にして盡くる所を見給へば、父方は再從昆弟いやいとこまでに服有り。いよ/\一本の親したしみを厚うし、男女有別いうべつの禮を明かにせんがために、服のあるまでは婚姻不通の禮を立て給へり。母方は從兄弟の近きといへども、服なければ本のごとく婚姻をなせり。
妹の子は同姓ならずといへども、親したしみ近ければ服有り。かるがゆゑに忌むあり。再從昆弟いやいとこの外は同姓たりといへども、服なければ婚姻の忌いみなし。是禮や上古よりはこまやかにして義備れり。末世よりは易簡いかんにして禮缺けず。日本において後世聖主賢君繼ぎおこり給はゞ、此禮を以て至極とし給ふべきか。今の世においては、聖賢の君起り給ふとも、未だ此禮をもたて給はじ。同姓をゆるさば親きに及ばんかとの遠慮は、げにさも有るべき樣に聞ゆれども、往古よりの次第を見ればしからず。
日本神代のむかしは、兄弟も夫婦となり給ひき。後世文明あきらかなるに隨つて、誰法を立つるともなく鳥獸に遠ざかり道理を知りて、兄弟を忌み伯父姪叔母甥をいみ來れり。今利心ふかき者、家財を他人にゆづらん事ををしみて、弟を聟とする者あるをば、人道にあらず禽獸なりといみ憎めり。
法なく敎なけれども、人心の靈にて文明の時至れば、漸々ぜん/\久しうしてかくの如し。先にもいふごとく、從昆弟は他人の交のごとし。法いまだおかれざれば、父方母方おなじくあひ忌まず。世の中の風俗たること數千歳なり。義において害あらず。上古の聖神だにも、時ありて忌みたまはず。法に泥みて時を知らず大道を知らざる者は、太古の兄弟伯父姪夫婦たりしを甚非なりとおもひて、其時の聖神をば信ぜざらんか。百世といへども同姓娶らざるの周人しうじんを是として、其時の聖賢をのみ信ぜんか。
先聖の後聖に劣れるにあらず。太古の民の末世の民より愚なるにあらず。後聖の先聖に優まされるにあらず、末世の民の太古の民より知有るにあらず。それ法は時をもつて義ありておこれり。法をかりて後に背くは不義なり。日本神代王代武家の代よ、つひに同姓を忌むの法なし。法なければ從昆弟をめとりて不義といふべき樣なし。後世法をかれば再從昆弟いやいとこを娶るも不義ならん。法なけれども從昆弟より近きは天理人情ともに忌出來るは無法の法なり。文明の時の人心に通じてしからしむるなり。
上代は德厚くして文未だ開けず。末代は德衰へて文明かなり。此病あれば此德あるなり。上古の人は僞りなく利害なし。君子たる人は至誠純厚なり。小人たる者は質直朴素なり。後世の人の疑ふ所の法未だ無かりしばかりなり。其代の非にあらず、其民の罪にあらず。今の學者利害深く僞りをだにもまぬかれず。〔前漢の張禹成帝に對へて曰はく、新學小生道を亂り人を誤る。宜しく信用すること無かるべし、と。
亦下文の義なり〕古の常人じやうにんにもおよぶべからず。末代の君子たる人は驕奢利欲なり。小人たる者は姦かたましくして相凌ぎ、相諛ひて相僞れり。いまだ法を立つるにいとまあらず。况んや法は道より出るといへども道にあらざるをや。今の時に當りて大道をおこさんものは、學校がくかうの政を先にして、人々固有の道德をしらしめ道理をわきまへしむべし。法は望む人有りとも抑へていまだ出すべからず。誠に專にして無欲に至らしむべし。
禮文法度はおこりやすきものなり、抑ふるとも後世必ず備そなはるべし。立ちがたきものは誠なり。至りがたきものは無欲なり。たとひ周法大かた行はるゝといふとも、驕吝けうりん相交まじりて欲あり。多事博文にして誠なくば、周公・孔子何ぞこれに與し給はんや。
卷第六 心法圖解
卷第七 始物解
卷第八 義論之一
孝経の心法は、正レ心修レ身、天命の分を安じて、人々処所の位に随て、道を行なり。天の、人を生ずること、物あれば則あり。天子の富貴にはをのづから天子の則あり。公・侯・伯・子・男、をのをの則あり。卿・大夫・士、其道あり。農・工・商、其務あり。其行ふ所の大小は各別なれども、孝の心法はかはりなし
士といふものは、小身にて徳行のひろきものなれば、上下通用の位にて、上は天子・諸侯・卿・大夫の師と成、下は農・工・商を教へ治るものにて、秀れば諸侯・公卿ともなり、くだれば庶人ともなり、才徳ありながら隠居して庶人と同じく居を処士といへり。大道を任じて志大なるものは士なり
まづ人の初は農なり。農の秀たる者に、たれとりたつるとなく、すべて物の談合をし指図をうくれば事調りぬる故に、其人の農事をば寄合てつとめ、惣の裁判のために撰びのけたるが士の初なり。在々所々ありて後、又秀たる者に、惣の士が談合しひきまはされて諸侯出来ぬ。又諸侯の内にて大に秀たるあり。其徳四方へきこへ、をのをの不(レ)及所は此人より道理出る故に、寄合てつかねとし、天子とあふぎたるものなり。扨士の中より公卿・大夫と云ものを立、農のうちより工・商を出して、天下の万事備り、天地の五行に配して五倫五等出来たるなり
卷第九 義論之二
天下の理の重きものは斉家・治国・平天下なり。其中の一事一事は天の与たる才知あり。君も其質の得たる所を察し給ひて、其職を命じ給ひ、臣もみづからの天を尽すものなり。身を修にとく、人を責るにゆるやかに、知さとく行篤き人を選て、教を掌らしめ給ふ
卷第十 義論之三
卷第十一 義論之四
卷第十二 義論之五
卷第十三 義論之六
予が先師に受けて違はざるものは実義なり。学術言行の未熟なると、時処位に応ずるとは、日をかさねて熟し、時に当りて変通すべし。大道の実義に於ては先師と予と一毛も違ふこと能はず。予の後の人も亦同じ。其変に通じて民人うむことなきの知もひとし。言行の跡の不同を見て同異を争ふは、道を知らざるなり。
不義を悪み、悪をはづるの明徳を固有すればなり。此明徳を養ひて日々に明かにし、人欲の為に害せられざるを心法といふ。是れ又心法の実義なり。先師と予と違はざるのみならず、唐日本と雖も、違ふことなし。此実義おろそかならば、其云ふ所皆先師の言に違はずとも、先師の門人にあらじ。予が後の人も、予が言非とし、用ひずとも、此実義あらん人は、予が同志なり。先師固より凡情を愛せず、君子の志を尊べり。未熟の言を用ひて先師を贔屓するものを悦ぶの凡心あるべからず。先師存在の時変ぜざるものは、志ばかりにて、学術は日々月々に進んで一所に固滞せざりき。其至善を期するの志を継ぎて日々に新にするの徳業を受けたる人あらば、真の門人なるべし。
一には、大都・小都共に河海の通路よき地に都するときは、驕奢日々に長じてふせぎがたし。商人富て士貧しくなるものなり。二には、粟を以て諸物にかふる事次第にうすくなり、金銀銭を用ること専なる時は、諸色次第に高直に成て、天下の金銀商人の手にわたり、大身・小身共に用不足するものなり。三には、当然の式なき時は、事しげく物多くなるもの也。士は禄米を金銀銭にかへて諸物をかふ。米粟下直にして諸物高直なる時は用足ず。其上に、事しげく物多ときはますます貧乏困窮す。士困ずれば民にとること倍す。故に豊年には不足し、凶年には飢寒に及べり。士・民困窮する時は、工・商の者粟にかふべき所を失ふ。たゞ大商のみますます富有になれり。これ、財用の権、庶人の手にあればなり。夫国君世主はかりそめにも富貴を人にかすべからず。富貴を人にかすときは、権を失ひて国亡び天下乱る
故に、商日々に富て、士日々に貧し、士の貧乏きはまる時は、民にとること法なし。士・民共に困窮する時は、天下の工・商、利を失て衣食を得べき便なし。よき者はわづかに富商の数十人のみ也。これを四海困窮すと云。堯曰、四海困窮セバ天禄永終ヘンと。君の禄福もながくたえて、天下やぶると也
卷第十四 義論之七
卷第十五 義論之八
卷第十六 義論之九
【集義外書】
愚が若き時分までは、武士たる者、金銀米穀の事、利得のものがたり、料理ばなし、色欲の言を恥とす。
文武の二道ならざればいやしと思へり。詩歌管弦のあそび、弓馬のわざ、代々の名将勇士の物がたりなどなりき。
今の武士の物がたりはあき人の会のごとし。
文学は儒者坊主のわざとし、詩歌管弦は公家の事といひ、武勇は武芸によらずといひて、衣服飲食家居諸道具等に美を尽し、酒色にふけり、用たらざれば下をくるしめ、民をむさぼるのはかりごとを心とするのみなり。
生れ出るより是を習の外、道ある事をしらず。
まことに妙壽院(藤原惺窩)以後の儒者は、甚だくだれり。実は商人のいやしき心根ありて、外には聖経の威をかりたかぶれば、人のにくめるも理りなり。人の悪しくいひなすにあらず、自ら己を賤しくせり。
問学して心を正し身を修め、上は賢君のおこり給ふを待。下は凡夫のまどひをさとし、武事をよくして凶賊をふせぎ、天下を警固す。是を文武二道の士といふ。人を愛するの事也。
愚が和書の主意は、直にして近きにあり。無学の心にも通じ易く、文章の美なきものは、浅きがごとし。然れども近きと浅きとは、似て大いに異あり。
ただかす事能はず、かる事能はざるものあり。日本の水土によるの神道は、唐土へも、戎戎国へもかす事あたはず。かる事能はず。唐土の水土によるの聖教も、又日本にかる事能はず、かすことあたはず。戎国の人心による仏教も又然り。文字・器物・理学はあるべし、かすべし、かるべし。……有無をかへて用ふるは、道理の必然なり。文字の通ずる国は、中国・朝鮮国・琉球・日本なり。仏者は通ぜざるだに、かり用ひたり。況んや日本にはよく通じ、理学に便あり。其の上神代の文字は亡びたり。学は儒をも学び、仏をも学び、道ゆたかに心広く成りて、かり、かされざるの吾が神道を立つべきなり。
釈迦もし聡明の人にて、中国・日本へ渡られ候はば、茫然として新たに生まれたるが如く、後生輪廻の見も、何もわすらるべく候。唐土ならば聖人を師とし、日本ならば神道に従はるべく候。
中夏の聖人を日本へ渡し候はば……儒道と申す名も聖学と云ふ語も、仰せられまじく候。其のままに、日本の神道を崇め、王法を尊びて、廃れたるを明らかにし、絶えたるを興させ給うて、二度神代の風かへり申す可く候。
唐土の聖人は、是れを智・仁・勇の三徳と云ふ。日本の神人は、是れを三種の神器にかたどれり。神は心なり。器は象(かたち)なり。神璽・宝剣・内侍所の象を作りて、心の三徳を知らしむる経書とし給へり。其の外、神代の文字・言葉は絶えて伝はらず。ひとり三種の象のみのこりとどまり、至易・至簡にして、道徳・学術の淵源なり。高明・広大・深遠・神妙・幽玄・悠久、ことごとく備はれり。心法・政教、他に求めずして足りぬ。
名号文字は人の通じやすきものを用ふべし。かると云ふとも可なり。三種の神器の註解は、『中庸』の書にしくはなし。上古の神人出でたまふとも、此の書を置きて、別に註し給ふべからず。
巻二
愚拙十六七ばかりの時、すでにふとりなんとせしに、……かく身重くては武士の達者は成がたからん、いかにもしてふとらぬやうにとおもひ立、それより帯をときて寝ず、美味を食せず、酒をのまず、男女の人道を絶こと十年なりき」
「江戸づめにて山野のつとめならぬ所にては、鑓をつかひ、太刀をならひ、とのゐの所にも。ねつゞらの中に太刀と草履を入、人しづまりたる後に、広庭の人気なき所に出て、闇にひとり兵法をつかひ、火事の時にも、見ぐるしからじと、人遠き屋の上をかけり候へば、まれに見付たる者は、天狗やいざなはんと。申たるげに候
諸子は極りある所を学び、愚は極りなき所を学び候。其時には大小たがひなく候ても、今は大にたがひ申べく候。極りたる所は其時の議論講明なり。極りなき所は、先生の志こゝに止まらず、徳業の昇り進むなり。日新の学者は、今日は昨日の非を知るといへり。愚は先生の志と、徳業とを見て其時の学を常とせず。其時の学問を常とする者は先生の非を認めて是とするなり。先生の志は本としからず。先生いへることあり。朱子俟後之君子の語を卑下の辞と講ずる者あり。卑下にはあらず、真実なりと。
巻六
其頃中江氏、王子の書を見て良知の旨をよろこび、予にも亦さとされき。これによりて大に心法の力を得たり。
中江氏は生付て気質に君子の風あり、徳行を備へたる所ある人なりき。学は未熟にて、異学のついゑもありき。五年命のびたらましかば、学も至所に至るべき所ありしなり。中江氏存生の時は、予を始として皆粗学の者どもなれば、ゆるさるべき者一人もなかりしに、中江氏の名によって、江西の学者の、名の実にすぎたること十百倍なれば、つい之もまた大なり
巻七
凡夫より聖人に至るの真志実学は、たゞ慎独の工夫にあり。