かつての日本に、ダーウィンより40年も前に進化論を唱えた人物がいたことをご存じでしょうか。
中国、日本の古典文学に通じ、医学、天体力学、生物学といった分野にも精力的に取り組み、心理学的、科学的説明を備えた独特の理学を大成した、石門心学の心学者であり医師、そして、我が国における最初の経験的心理学者といわれている鎌田柳泓です。
心学の門流の中では、道話を主体とする手島堵庵・中沢道二の流れとは異なり、梅岩の理論的な面を継ぎ、『心学奥の桟』の他、「朱学弁」「心学五則」「理学秘訣」などを著している人物。
そんな柳泓は心学から独自の進化論にたどり着いたと言われています。
遺著『心学奥の桟』には、
「一種の草木変じて千草万木となり一種の禽獣虫魚変じて千万種の禽獣虫魚となるの説」
として、植物、動物の単一起源説を述べています。
「松樹には女松・男松・五葉・一葉など数種類がある。
白松という葉が皆白いものも稀にある。
また蝦夷松はその葉が杉に似ているというが、寒国ゆえにそうなったという。
また同じ松でもその形状は土地によって様々に変化している。
しかし、その初めはただ1種の松樹である。
土地が異なるため変化して、種々の形状となったのである。
近年浪花でアサガオを観賞するため、種々の花葉を変出し蔓延して数百種となり、その形状は千態にもなっている。
これから推理すると、およそ天下のあらゆる千草万木は皆1種の植物から変化したものということができよう。
また、禽獣・魚・スッポン・昆虫の類いも、みな異類が互いに交わって無量の形状・心を変化し出したものであろう。
これをもってみれば、天下の生物有情無常とも皆一種より散じて万種となったものであろう。
人身の如きも、その初めは禽獣であり、胎内で転々変化して生じたものである。
ただし、人間は万物の中で最も尊いものであるから、人間の発生は最も後だったのである。
その過程を論ずれば、ただ一虚の中から天地・日月・星・水火・禽獣・虫魚・草木・人類にまで変化したのである」。
いかがですか。
人も初めは禽獣であったものがやがて展転変化して人になったに違いないといった部分だけ見ても、環境による生物の世代を越えた変化と多様化を説いた、まさに進化論ですよね。
柳泓は、松などの樹木の種が土地によって少しずつ違いのあることや、当時流行したアサガオが品種改良されて多くの品種が作られたこと、外国産の犬と和犬の交雑によって新しい品種が生まれたことからこの説に至ったと言われています。
『心学奥の桟』は、1818年までに「究理緒言」としてまとめられていたものの改題なのですが、これはまさにダーウィンの『種の起源』が発刊された1859年よりも40年以上前のこと。
しかも柳泓は、得てして俗信・迷信・欲心に惑わされやすい世の人々に対し、世の中のことには全て「理」があるので、その理を悟り、理に則った生活をするべきであると説いています。
その上で、心学の「形は心である」という考え方に基づき、
「形があれば必ずこれに対応した気象がある」
とし、人間は進化の極地であるから、諸生物の「気象」をことごとく持っているという理念の基に、人はいかに生きるべきかの心構えを彼は説いているのです。
更に
「虚空は至つて精細の気なれば、一針眼の中にも無量の理を含蔵する事を思ふべし」
とあるように、「虚」の中よりすべてが生じるという、まるでビッグバンから人類の誕生までを簡潔に述べたような宇宙論が展開されています。
その流れの中で柳泓は、鬼神の存在とその役割を論じております。
この点を奇異に感じるかもしれませんが、デカルトですら、モンテーニュによる「我何をか知る」の言葉で象徴される思考の停止しか導かない「懐疑論の非生産性」の指摘で足下をすくわれた哲学界の恐慌状況の打破に専心した結果、「我思う故に我在り」で象徴される「生産的懐疑論」に至りました。
しかもデカルトはこの合理的思考の論理的帰結として、神の存在が証明されたと述べています。
つまり、柳泓のいう鬼神の存在とは、人の手では制御できない万物の流れを、デカルトと同じく神という領域で説いているに過ぎないのです。
要するに『心学奥の桟』は、今という時点における至細から至大までの理の貫徹を説き、歴史軸における一種から万種への進化を通しての理の貫徹を説いた上で、次々と世の中の不思議と思われる事象に潜む理を解き明かし、最後には「鬼神有無の説」で神仏をも理で解き明かす、という構成になっているのです。。
江戸時代にこうした理論を持っていた人物がいたことに、今更ながらに驚かずにはいられません。
そもそも東洋思想には、人だけが特別な存在ではなく、生きとし生けるもの全てが同じ生命を持ち変化していくという、進化論を受け入れやすい考え方を持っています。
仏教の輪廻思想では、私たち人間を含めたすべての生き物は六つの世界(地獄・餓鬼・畜生(動物)・人間・阿修羅・天)を生まれ変わる六道輪廻という考え方があります。
老荘思想では、「万物はみな同一の種子から生じて次々に変化転生してゆき、またもとの種子に帰ってゆく。というのが、この種子には『幾』すなわち万物を生成する微妙なはたらきがあり、この微妙なはたらきをもつ種子が水分を含むとケイとなり、(中略)この青寧という虫は豹を生み、豹は馬を生み、馬は人間を生み、人間はまたもとの種子の微妙なはたらきのなかに帰ってゆく。かくて万物はみな、種子の微妙なはたらきのなかから生まれでて、その微妙なはたらきのなかにみな帰ってゆく。」(荘子外編第)という考え方があります。
柳泓はこうした思想を基に、朱子学の「格物致知」を実践し、万物を観察・思索・実践することにより、進化論に行き着いたといわれています。
現代ではあまり知られることのない、知る人ぞ知る鎌田柳泓。
その奥深さを堪能してみてください。
最後に、柳泓の理論の基本となっている心を修養する学問・心学による、『心学五則』を纏めておきましょう。
『心学五則 鎌田柳弘』
第一則 『持敬』
持敬とは敬を持つという事にて、万事うかめず怠らず。
油断大敵という事をよく知りて、朝夕恐れ慎むことなり。
第二則 『積仁』
積仁とは仁を積むと書きて、常に慈善の心を抱きて人を利益する事なり。
かくのごとくつとめてその功を積むを積仁というなり。
第三則 『知命』
知命とは天命を知ることなり。
第四則 『致知』
致知とは知る事をきわむという事にておよそ天下の理を知り明る事なり。
然るに天下の理を明(あきら)めんと欲せば、まず人心の体を究知にあり。
人心の体を究知ればこの心即天理なり。
是聖人の学、致知を以てはじめとする所以なり。
第五則 『長養』
長養とは小児を養育して成長せしむるの義なり。・・・
以上の五則だが、第二則の『積仁』については、仁を積むためとして示した以下の『八則』を定めている。
一、第一に怒りの心を絶つべし。
一、第二に誹謗の言葉を出すべからず。
一、第三に驕慢の心を絶つべし。
一、第四にみだりに財宝を費やすべからず。
一、第五に人にまじわる時 常に顔色を柔和にすべし。
一、第六に言葉を慎んで妄に悪口などすべからず。
一、第七にもし家に害なき所の財宝あらば貧者または乞食などに施すべし。
一、第八に物の命を惜しむべし。