国内におけるコンビニと神社、お寺の数、果たして一番多いのはどれでしょう?
コンビニは、今では5万を超えていると言われています。
じゃあ神社やお寺は、というと、現在でそれぞれ約8万超とおよそ7万7千前後。
都市部にいれば其処ら中で目にするコンビニなんぞより、全国規模でみれば神社やお寺の数の方が圧倒的に多いことに驚かされます。
で、今回は、そんなお寺に祀られている仏様を具現化した仏像について整理してみたいと思います。
勿論、仏像といっても種類は豊富。
が、私達の感覚から見るといずれにしても仏様なので、(かなり興味を持っている方でない限り)普段は仏像の種類を事細かには意識していません
そのため、とりあえず”仏像”と抽象的に呼んでしまいがちですが、その仏像には日本独特の4つのクラス・階級分けがあり、とても明確な上下関係と役割が割り振られている点は会社組織とも良く似ているのです。
実は私も、仏像とそのキャラクターにはかなりの興味を持っており、日本人として仏教にもっと慣れ親しむためには、これらをもっと身近でわかりやすい形で理解して貰うことが手っ取り早いのではないか、と考えています。
(本流でしっかりと仏教を実践されている方々、ごめんなさい)
でも、ゆるキャラやアニメに熱中するくらいなら、(特に仏教というものを強く意識しないでも)多種多様なキャラクターが存在する神様、仏様の良さを知って貰い、まずは造詣を深めて貰いたいと思うのです。
仏教がファッション化するのを危惧される方もいらっしゃいますが、そもそも仏像文化は当時の最先端の流行であったはず。
それを現在に改めて見直すことで、日本の文化や宗教というものをきちんと知るきっかけになればいいな、という意味も込めて、ここでは改めて仏像のクラス分けを見てみることにします。
【第一のクラス、如来】
見るものを圧倒する大仏。この大仏が属すのが仏像界でもっとも位の高い如来クラスです。
会社でいうと、社長、会長といったところでしょうか。
如来とは、真理に目覚め、悟りを開いたもののことを指し、如来以外の仏像はすべて悟りを開いていない、要はまだまだ修行中の身ということになります。
一般に知られているところでは、釈迦像、本来の仏像で(釈迦)如来像とも呼ばれています。
それ以外にも、奈良の大仏で有名な毘櫨遮那仏(びるしゃなぶつ)、鎌倉の大仏で有名な極楽浄土の案内人・阿弥陀仏、密教の主仏であり太陽を神格化した大日如来、薬の壺をもった医療を司る薬師如来などがいます。
如来像は、釈迦が悟りを開いた姿を表したもので、大日如来を除いて衣のみをまとった姿で形象化されています。
その多くが座っている坐像であることも特徴ですね。
【第二のクラス、菩薩】
全ての人を救うには如来だけでは手が足りないため、如来の脇に立ちセットで作られることが多かったのが菩薩像です。
如来は難しい語り口で教えてくれるため理解しがたいのですが、菩薩はそれを優しく説いてくれる優しい存在です。
会社でいうと、部長など中間管理職といったところでしょう。
そもそも菩薩はお釈迦様が仏陀となる前の姿で、最高段階の修行に至っている修行者を意味しており、衆生の救済を担う信仰対象として位置づけられています。
代表的なものといえば観音菩薩ですが、これは
・世界中をもっと見渡すために顔を11に増やした十一面観音菩薩
・二本の手だけでは救えないために手を増やした千手観音
や馬頭観音といった具合にいろいろな姿に身を変えていますし、他にも
・未来に仏となって釈迦の救済に漏れたすべての衆生を救う弥勒菩薩
・巨大化して人を救う大船観音、高崎観音
・お地蔵様として有名な身代わり信仰が強い地蔵菩薩
・修行を司る普賢菩薩
・知恵を司る文殊菩薩
・日光、月光
などが有名です。
また、如来が座っているのに対して菩薩は動物に乗ったり立ったり腰を捻ったり片足を踏み出してる像が多いのですが、それは少しでも早く人々を救えるようにという想いから来るようです。
【第三のクラス、明王】
怒りの形相で仏教の教えを広める明王。
形姿としては大日如来の化身・分身で、ヒンズー教の神々が仏教に取り入れられて形象化した密教に独特のものです。
明王が救うのは難解の衆生ですので、すなわち度し難い民衆をしかりつけ教化する、悪を懲らしめる役割を持っています。
会社でいうと課長、係長かプロジェクトのリーダといったところでしょう。
従って、いつも憤怒の表情を持ち、激しい煩悩を背後の炎と剣で焼き尽くし、左手の縄で縛ってでも救う(慈悲の心ではなく怒りで仏教界を守る)厳しい武道派の存在なのです。
代表的なものが不動明王ですが、京都の東寺の講堂にはその不動明王を中心として、東西南北、4つの方向に4体の明王が配置され五大明王と呼ばれています。(私も結構好きな仏像なんです)
・東方:降三世(ごうざんぜ)明王
・南方:軍茶利(ぐんだり)明王
・西方:大威徳(だいいとく)明王
・北方:金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王
でも、武道派は明王だけではありません。
次も見てみましょう。
【第四のクラス、天部】
仏像界の第4クラス、天部、天も煩悩を切り捨てる武闘派集団の層になります。
とはいっても、天はインドの神話、ヒンドゥー教に出てくる神様で、仏教界の一員ではありません。
しかし、こうしたインドの神様を、仏教を守る役割として取り入れたのが天になります。
会社でいうと、非正規社員や協力会社、警備員や助っ人に近いものです。
主には、梵天、帝釈天、持国天・増長天・広目天・多聞天(毘沙門天)の四天王、弁才天(弁財天)、大黒天、吉祥天、韋駄天、摩利支天、歓喜天、金剛力士、鬼子母神(訶梨帝母)、十二神将、十二天、八部衆、二十八部衆などがいます。
そもそも仏教の守護神や特殊技芸を司る神が多いので鎧に身を固めた姿が多く、武器を持ち強そうな表情が特徴的です。
天部で最も有名なのが、お寺の本尊の四方を守護している四天王です。
インド神話の天帝であったインドラたる帝釈天(寅さんでも有名ですね)は、その四天王の天となります。
(お寺で門番をしている仁王様は二体ですが、本来は一体ものの分身姿で、本体は帝釈天になります)
仕える四天王には、
・持国天 – 東方を守護する。乾闥婆、毘舎遮を眷属とする。
・増長天 – 南方を守護する。鳩槃荼、薜茘多を眷属とする。
・広目天 – 西方を守護する。龍神、毘舎闍を眷属とする。
・多聞天 – 北方を守護する。毘沙門天とも呼ばれ戦の神様。夜叉、羅刹を眷属とする。
があります。
眷属というのは所属支配を示しており、四天王の眷属には八部鬼衆があたります。
(このあたり、とっても興味深いので、あらためてじっくり整理させて頂きますね)
また神話世界の神々のため、仏や菩薩とは異なり、性別があります。
有名なところでは弁天様や吉祥天などですね。
足の速さを形容する韋駄天、地獄の王の閻魔様も天の一員です。
また、四天王の多聞天は戦国時代に名前を毘沙門天と変え、さらに弁財天、大黒天とともに日本の神様と七福神を構成するようになっています。
芸能人が名前を変えて売れ始めたのでそのままソロ活動を続け、やがて売れている別の芸能人とユニットを組んで売り出したら更にブレークした、みたいなものですね。
【第五クラス、その他の像】
最後に、上記の4つのクラス以外の仏像を少し整理しておきます。
その他の像としては、
・釈迦の十大弟子像
・十六羅漢とか五百羅漢と呼ばれているいる修行者の羅漢像
・空海、鑑真などの高僧の像
などがあります。
4つのクラスだけですくい切れないものを、それぞれの時代に合わせて救いの形を進化させた結果、このような多種多様な仏像を生んだのかもしれません。
以上のような具合ですが、本来仏像はお釈迦様の像だけの筈だっだのですが、永遠の真理を悟った者がお釈迦様一人だけではない、また釈迦のたどった道を追うことによって悟りに至れるという仮定から数多の仏像が作り出されてきました。
仏教が民衆のものになり、それが大衆化しながら仏教(特には密教)と神道や民間信仰が融合して、いろいろな神様達が仏の世界に集められて人格化したことが、日本独特の仏像文化に至っているのだと思われます。
そういった型苦しい論理は少し脇においてでも、まずは身近に触れ合うことから興味を持ってみてはいかがでしょうか。
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