日本の生んだ最高の哲学書・正法眼蔵より学ぶ!真理とは何かを探求した道元禅師!

曹洞宗開祖・道元禅師が著した『正法眼蔵』は、道元禅師が32歳から54歳までの23年間に弟子や大衆に説示した教えを集めたもので、87巻(=75巻+12巻)に及ぶ仏教思想書です。
(87巻以降、拾遺として4巻が発見され追加されていたり、95巻本には『正法眼蔵』とは呼べない文章も混入していることもありますが、その旨はここでは割愛します)
日本曹洞宗のもっとも重要な根本教典であると同時に、日本の生んだ最高の哲学書ともいわれている『正法眼蔵』ですが、
・正伝の仏法とは何か
・坐禅の本質と普遍性
・日々の修行のあり方と意義
といった、仏教のあらゆる問題点が論じられ、科学や哲学も貫き、人間存在の尊厳性を垂示されています。
つまり『正法眼蔵』とは、仏の心・仏法そのものという「正伝の仏法」を指すものであり、体験的修行の実践を強く主張しながら、真に体験的修行によって得られた悟りの世界を示されたものであるため、単に「禅」とか「曹洞宗」という宗派教義以上の位置付けとなっているです。

仏教には五千七百の経典があるといわれます。
これらの経典がインドから中国へ伝えられたとき、どれが釈尊の真の教えであるかということが問題になります。
そこで多くの経典に序列を配置したため、ある経典が最高の位置を占め最深の意義を持つことになり、その他の経典はそれに従属するものとして体系づけられ、それが中国における宗派仏教へと成立していきました。
しかし、このような教宗の成立に対し、数多くの経典の中から特定の経典を拠り所とすることは、仏教全体を正しくとらえる道ではないとする思想が生まれてきます。
そこで、釈尊の根本精神は特定の経典にあるというのではなく、直接釈尊の精神を把握するところにあると説いたのが禅宗でした。
この禅宗からは「不立文字、教外別伝・直指人心・見性成仏」が教えの旗印とされました。
「不立文字」とは、文字や言葉を伝えるものではなく、「行」のありかたを伝えるべきとして示されます。
「以心伝心」の仏法とは、釈尊の仏法に還り、釈尊の仏法の心髄ををそのまま今日に伝えるという意味です。

『正法眼蔵』は、全仏法の根源である釈尊の自内証(悟りの原体験)に直結する道元の深い禅定体験を通して、坐禅を全一なる「正伝の仏法」と捉え、この坐禅の唯一絶対行こそが万人の拠るべき安楽の道であることを説きました。
この禅定に明証された「一切衆生悉有仏性」(すべての存在が仏のいのちであるということ)が、万人に共通普遍の現事実であるとし、この普遍的生命(本証)の事実に立って、広く一切の平等性と成仏とを強調して尊厳なる命への自覚を説いているのです。
それとともに、存在論にかかわる問題として、生死一如、有時相即(存在の生命活動そのものが時の様相)、行持道環(仏性の事実を不断に相続する実践)などの論、その他、現実生活面での種々の具体的真実のあり方が説かれていることから、日本思想の最高の哲学書ともいわれているのです。

では、ざっと整理してみましょう。

『正法眼蔵』の中心課題は、真理とは何かと言うことです。
そして人がどのようにして真理を発見し、行い現わしていくことができないかということです。
真理とは、人が生老病死の問題を解決するために不可欠な普遍的原理のことです。

人はどうすれば生や死の悩みから自由になるのか。
そして最も意義のある生き方をすることができるのか。
その為には、人生をどのように見ればよいか。
それがすべての人にとって最も緊要の問題であり、第一義の問題です。

仏教ではこうした根本真理、及びそれを説く教えのことを法(ダルマ)と呼んでいます。
釈尊によって説かれた根本真理とは、人が自分自身に対して持っている妄想を去って、正しい行いによって心を静めれば、叡智ある完全な人格者になって、全ての悩みから開放されるということです。
そして、あらゆる人がもともと仏になる可能性を具えているのであるから、修行を完成して仏になって人々を救う事が出来ると考えるのが大乗仏教の立場です。
『正法眼蔵』はこのような立場に立って解脱の問題を解くのです。

それでは解脱とは何なのでしょうか。

それは、全ての執着を離れ、解脱しようとする意図さえも捨てて、ただひたすら座禅修行することです。

このような修行の時期には、すでに悟りも迷いも問題にならないのであって、そうした境地そのものが、実は悟りの境地です。
つまり悟りとは神秘的でも瞬間的でもなく、悟りと迷いを区別する常識的な見解から自由になって、ひたすら正しい行いを現わしてゆくことです。

全ての人々がそもそも仏としての完全な人格を具有しているのですから、それを修行によって行い現わして行くこと。
つまり修行とは、自分のうちに隠れている真の自分を生かしてゆくことです。
そして悟りとは、修行の目的ではなく、修行の出発点となる訳です。

仮に釈尊の宗教活動を、悟りのための修行と、救いの為の教化の両面に分けて考えるならば、禅宗はまさに前者を基調としています。
経典に記された文字を越えて、釈尊と同一の手段によって、人本来の叡智にめざめようとするのが禅宗の立場です。

人はもともと一時的、個別的な存在でありながら、普遍的永遠性を得たいという強い願望を持っています。
宗教はそのような人の願望に根ざしているもので、他者からどうこう左右されるものではなく、自らがどうあるべきかを追求していくための手段のひとつとも言えます。

滅びゆくべき人が、どうしたら永遠に生きることができるのか。
この問題に対して道元禅師は次のように答えています。

「時間というものは一瞬一瞬にたえまなく流動するものであるが、流動の中にも不流動の相がある。
 一瞬のうちに永遠の相がある。
 現在この一瞬が無ければ、過去もありえず、未来もあり得ない。
 つまり永遠をあらしめているのが、現在のこの一瞬なのです。」

つまり今の一瞬が、この我々の全生命です。
そのことに気付き、あらゆる相対的差別観を打破して、現在の一瞬を賢明に最高に生きてゆくことが永遠を生きることだということなのです。
それを可能にするのが無礙なる自己であり、無礙なる自己は現在の一瞬を疎かにしないことによって産まれてくるのです。
こうして『正法眼蔵』は、日常の修行生活を実践るための具体的な徳目や方法を述べていくのです。

そんな『正法眼蔵』ですが、これまでに整理してきた親鸞などとの対比の観点で、今少しみてみましょう。
※)歎異抄より学ぶ!日本人に生きる力を与えてきた親鸞の思想!

『正法眼蔵』の成立した13世紀前半は、古代律令国家が崩壊し、中世封建国家が形成されつつある一大変革の時代でした
この中世文化には人の主要な関心が、外面から内面に移ってきたことです。
・自分とは何か
・自分の真に求めているのは何か
・自分を最高に生かすとはどういうことか
という自己の問題を明瞭に意識して、その問題に理知的に、意識的に立ち向かってゆこうとしたところです。

それはとりもなおさず、国家のための仏教、学問のための仏教、芸術のための仏教、呪術のための仏教が後退して、それを継承しつつも否定してゆく、純粋な信仰の仏教、行の仏教が生まれたことにほかなりません。
現実の世は末法の世であり、そこで人は罪悪深重の存在です。
そこで、末法相応の念仏行に依らなければならないと主張する法然が現れる。
その著書「選択本願念仏集」の題名からも窺えるように、法然にとって真理とは人が現実に即して選ぶべきでものでした。
そして親鸞も、法然の立場をさらに純化していきました。

ところが道元は
・現実の人のあり方にかかわりのない本物の真理とは何か。
・あらゆる時代や人をこえた普遍的なものは何か
を問うたのです。
自分にふさわしい真理を選ぶのではなく、真理を得るのにふさわしい自分になろうとする、それは正に真理中心の理想主義の立場です。

人の弱さを自覚して、そこから出発した人が法然だとすれば、人の弱さを徹底して生きぬき、貫いていった人が親鸞であるといえます。
そういった意味では、弱い人としての苦しみと克己といったものが、当時の人には親鸞の偉大さや魅力となって写っていたのかもしれません。

一方、道元は親鸞とは対照的です。
そこには、一刻の修行もおろそかにしない緊張した気迫と、首尾一貫した強靭な思索力があるのみ。
二人の所管を見ても、親鸞のそれは奔放な行書体で温かみがありますが、道元のそれは峻厳な張り詰めた楷書体で少しの隙もない。
道元の周りには常に、わたくしたち凡俗のものには近寄りがたい雰囲気が漂っていたのかもしれません。

それは無論、脱俗超世を理想とする禅の特殊性にも因ります。
多数の救済を目指して、民衆の中には入って行った法然や親鸞と、多数の救済のためにこそ少数の指導者の育成に心を打ちこんだ道元の立場の違いでもあります。
しかしそれは、人の弱さに徹していった人と、人は元々救われているという信念に徹した人との、人観の違いということになるのでしょう。

それでも両者に共通なのは、絶対的な自己放棄の体験です。
法然・親鸞においては己を空しくして阿弥陀如来に帰依し奉ることですが、道元においては己を空しくして己に対面することです。
一方が他者のうちにある自己の発見であるとすれば、一方は自己のうちにある他者の発見ともいえるものです。

機会があれば、一度これらを見比べてみてはいかがでしょうか。

43094071964003331907456981270841408137844062127253439315021X

以下、参考までに概要と現代語訳にて一部抜粋です。

序【辨道話】
これは『正法眼蔵』本文には付いていないが、長らく序文のように読まれてきた。
「打坐して身心脱落することを得よ」とある。
この言葉こそ、『正法眼蔵』全75巻あるいは全95巻の精髄である。

諸仏と如来は、ともにふしぎな教えを自分自身から学びながら伝えて (単伝) きましたが、さとり (阿耨菩提、あらくぼだい) があることを理解するためには、最も上質でありしかもあれこれと考える必用のない不思議な方法があります。これは単にこころの中のほとけが一般に拝まれている佛に授けたもので (ほとけ佛にさづけて) 邪悪な考えなどとは無縁のもので、すなはち自分の心のありさまを観察してそれに浸る (自受用三昧) ことが一般に実践されています。

この自分のこころの中に浸って (三昧) それを楽しむ (遊化) ためには、きちんと座り禅の教えを学ぶことを (端坐參禪) 正しい入り口としています。この教えというのはじつは人それぞれ (人人の分上) に本来豊かに備わってはいるのですが、まだ学んでいなければ (修せざる) おもてに現れることはなく、それがあると理解できなければ (證せざる) その良さを得ることができません。放り投げれば逆に手にいっぱい満ちていて (はなてばてにみてり)、一つと多数の境目 (一多のきは) があるわけではありません。言葉で語れば口にいっぱいの数になってしまうでしょうし、縱や横という区別も定まってはいないのです。諸々の仏の本体は常にこの中に住んでいて、いろんなかたちで知覚とは隔絶され、衆生 (群生) といわれる人たちも永遠にこの中に住んでいるのですが、五感のような現実の知覚を使ってもそれらがおもてに現れることはありません。

いまから話すあれこれ工夫をした説明の方法は (功夫辨道)、そのものをはっきりさせるためにいろいろな教えが出てきますが (證上に萬法をあらしめ)、その出口はすべてひとつの場所 (一如) に集まっていて、入り口にある関所をこえて心身が抜け落ちた (超關脱落) とき、このとある場所 (節目) に出会うことになるでしょう。

わたしが思い立って仏教の勉強を始めて (予發心求法) 以来、日本の国のいろいろなところに (わが朝の遍方に) 知識を求めて訪れましたが、たまたま立ち寄った建仁寺で明全和尚に出会い (ちなみに建仁の全公をみる)、そのまま弟子として従って霜や花の季節があっという間に九回も過ぎてしまい (あひしたがふ霜華すみやかに九廻をへたり)、その間にいくつかの臨斎宗の説法や教えなども勉強していました (いささか臨濟の家風をきく)。明全和尚は日本禅宗の祖師でもある栄西禅師の高弟として、その仏法を正しく伝えられた人で、同門の人たちとは同列に並べられない方でもあります。

わたしはたびたび大宋國 (南宋) におもむき、知識を求めて浙江省のなかの浙東から浙西 (兩浙) まで訪れました、家風を訪ねて法眼・為仰・曹洞・雲門・臨済などの宗派 (五門) の説法も聴き、最後には天童山 (大白峰) の如淨禅師のもとで修行をつとめ、ついに求めるものを得ることができました (一生參學の大事ここにをはりぬ)。そのあと南宋国にいう紹定のはじめころ 日本に帰り着き、すぐにこの教えを一般の人々に広めたい (弘法衆生) という思いがあり、さらに重い荷物 (重擔) を肩にのせるつもりです。

そうではあるけれど、教えを広めたい (弘通) こころはとりあえずおいておき、その時期が来る(激揚) のを待つために、しばらくあちこちに立ち寄って (雲遊萍寄、萍は浮き草のこと)、じかにすぐれた先輩 (先哲) の説法 (風) を聴いてみました。ただし最初から有名かどうか (名利) にはこだわらず、道を求めるこころを大切にし、真実を学べる場所があるだろうかと考えていました。いたづらによくわかっていない師匠にとまどってしまい、わけもなく正解を隠されたりすれば、むなしく混乱 (自狂) するばかりで、長いあいだ迷いの里 (迷郷) に沈んでしまいます、なにをたよりに智慧 (般若) の正しい種を育て、道を得る時にいたるのでしょう。まだわからない者たちは (貧道) はいま時あちこちとふらふらする (雲遊萍寄) のがふつうのことで、どこかの山や川を訪れているところでしょう。こんなありさまを気の毒に思うからこそ、南宋で目のあたりにした禅宗の教えやしきたり (風規) を見聞きし、その知識のよくできた話 (玄旨) として伝わった (稟持) ものを記しあつめ、勉強はしているがまだそこに至っていない (參學閑道) 人たちにのこし、仏の世界を教える者 (佛家) の正しいやり方 (正法) として示そうというもので、これはわたしの極意 (眞訣) とでもいうものであります。

曰く、お釈迦さま (大師釋尊) は、法華経にある霊鷲山の法会 (靈山會上) にてその教え (法) を弟子の迦葉にさずけ、それが代々正しく伝わって (祖祖正傳) 、禅の祖師であるダルマ (菩提達磨) 尊者へと至ります。尊者はみづから神丹國におもむき、その教えを慧可大師に授け、このことがインドより東の土地に仏法が伝来したはじめなのです。

このようにしてそれぞれが教えを完成させながら (單傳) 、導かれるように六祖慧能 (六祖大鑑禪師) へと至ります。このとき、真実の仏法がまさに東漢の地に広まって (流演) 、転機 (節目) が訪れるようなしるしがあらわれます。そのとき六祖には二人のすぐれた高弟 (神足) がいて、南嶽の懷讓と青原の行思の二人でした。ともに仏を理解した証を伝授され (佛印を傳持)、おなじように大衆や権力者にも説法をしています (人天の導師なり)。その二人の流派が広まるにつれ (流通するに)、大きく五つの宗派 (五門) にわかれました。いわゆる法眼宗、為仰宗、曹洞宗、雲門宗、臨濟宗となり、いまでは (見在) 南宋には臨濟宗だけが天下に広く知られています。五つの宗派 (五家) はそれぞれ異なってはいますが、その教えはただひとつの仏のありようを示すだけです (一佛心印)。

南宋でも後漢が終わってこのかた、教えの系列は代々つづいて (教籍あとをたれて) 天下に広まる (一天にしけり) といへども、その優劣 (雌雄) はいまだ定まっていないようです。達磨祖師が中国にやってきた (祖師西來) のち、こころの迷い (直に葛藤) の根源を切り離し、純粋でたった一つの仏法が広まりました。わが国もまたこのようになる事を乞い願っているのです。

いはく、仏の教えとともに生きる (佛法を住持せし) 祖師たちと、さとりを得た仏その人たちは (諸祖と諸佛)、ともに自分のこころに浸りながら (自受用三昧) きちんと座り修行する (端坐依行) ことを、そのさとりを開くためのもっとも良い方法 (開悟のまさしきみち) としました。インドから中国に至るまで (西天東地)、さとりを得た人はみなそのやり方 (風) に従っていました。これは師匠から弟子へと表にはあらわれない教えを正しく伝え (師資ひそかに妙を正傳し)、その真意を表にあらわす (眞訣を稟持せし) ことによってできることなのです。

宗派に伝わる教え (宗門の正傳) によると、この代々正しく伝わってきた (單傳正直) 仏法は最上のなかでもさらに最上のもので、修行や学問 (參見知識) のはじめから、一切の儀礼的なしきたり (燒香禮拜念佛修懺看經) を使用しません、ただしひたすら打たれたり座る (打坐) ことのみをして、体とこころが抜け落ちる (身心脱落、しんじんとつらく) ことを得ようとするものです。

もし人がたとえ一時なりといへど、身体や口やこころ (三業) に仏のしるしを刻み (佛印を標し)、こころの中の世界に浸ってきちんと座る (三昧に端坐) とき、あの世もこの世も (遍法界) すべてに仏のしるし (佛印) が現れ、この空が尽きるすべてのところ (盡空) までことごとくさとりに満たされることでしょう。そうしたわけで、さとりを得た人々とそれを実践する人たち (諸佛如來) は教えの中に本来ある楽しみが増し (本地の法樂) 、さとりに至る道をあらたに飾りつけ (覺道の莊嚴をあらたにす)、あらゆる仏の世界 (十方法界)、地獄や輪廻に生きるものたち (三途六道の群類)、すべてともに一時に心身が明るく清らかに (明淨) になり、疑問の解けた場所を明らかにし (大解地を證し)、真理を見ることができるもともとの顔と眼 (本來面目) が現れるとき、その教えはすべて正しいさとりを明らかにするでしょう (法みな正覺を證會し)。万物はともに仏の体 (佛身) を使用し、すみやかにさとりに出会った場所を一気にとび超え (證會の邊際を一超して)、菩提樹の下に座し (覺樹王に端坐し)、一瞬にして比べるもののない教えの大車輪を回しはじめ (一時に無等等の大法輪を轉じ)、行き着いてなにもなくなったところにある深い智慧 (究竟無爲の深般若) が現れ説法をはじめます (開演す)。

これらさとりの段階 (等正覺) は、さらにこころの中に還って、もとからあるうす暗い道に出会いますから 、この座禅をする人は、しっかりと (確爾) と身心を脱落し、以前からの細かい汚れのような (從來雜穢の) 知識や思い込みを切り捨てて (知見思量を截斷して)、ほんものの仏があるという確信に出会い (天眞の佛法に證會し)、すみずみにある微細なちりの中にもあるという (あまねく微塵際)、無数の仏と如来が修行する道場 (そこばくの佛如來の道場) ごとに仏が現れることを助け (佛事を助發)、広く最上の仏に出会う恩恵にあずかり (佛向上の機にかうぶらしめて)、よく最上の仏の教え (佛向上の法) を現わすことになるでしょう (激揚す)。

このとき、すべての仏の世界 (十方法界) から見た土地草木は、レンガの壁が壊れて瓦礫となってしまった (牆壁瓦礫、しょうへきぐわりゃく) 喩えのように、それぞれ仏の本体が現れ (佛事をなすをもて)、その起こすところの功徳 (風水の利) にあづかる人たちは、みななんとも言えない不思議な (甚妙不可思議) 仏のあり方にぼんやりとさせられて、さとりがごく身近にあったことを知るでしょう (ちかきさとりをあらはす)。この功徳 (水火) を受け取る (受用) こころの一部分 (たぐい) は、みな仏の本当のありさまを明らかにする手助けをするので (本證の佛化を周旋する)、これらのこころの部分を利用 (共住) して話す人 (同語) は、またことごとくこころにも身体にも (あひたがひ) 窮まることのないほとけの良さが備わっています (無窮の佛徳そなはり)。転がりながら世界を生じ (展轉廣作)、尽きることなく、絶えることなく、不思議なものであり、測ることもできない (無盡無間斷不可思議不可稱量) 仏の教えを、世界のすみずみ (遍法界の内外) に行き渡らせ (流通) るものです。

そんなであっても、このもろもろの当人が知覚を断絶していない (昏ぜざらしむる) ことは、静かに座禅をして何もない状態 (靜中の無造作) の中でそれがあきらかに現れる (直證) ことでわかります。もし、ふつうの人 (凡流) が考えるように、学んで明らかにする (修證) 二段階 (兩段) であるなら、それぞれの知識を覚える (覺知) べきでしょう。ところがもし知識を覚えたとしても (覺知にまじはる) それは明らかになったこと (證則) にはならず、あきらかになるとは (證則) 迷ったり不安になったりしない世界でもあるからです (迷情およばざるがゆゑに) 。

また、こころや五感 ともに静謐な中に証しやさとりが現れても (靜中の證入悟出)、こころの中を観察しながら五感を使えば、世界は微動もしないし (一塵をうごかさず)、一体でもあり (一相をやぶらず)、広大な仏の世界 (廣大の佛事) が現れ、こころの奥深くにある (甚深) 微妙な仏と一体に (佛化) なるでしょう。この仏と同化したとき (化道) 功徳の及ぶところの草木土地は、ともにその本来のひかり (大光明) をはなち、深くて不思議な説法 (深妙法) を説いても、それが尽きることはありません。草木やれんがの壁 (牆壁) は、よく仏のいろいろな顔 (凡聖含靈) をあらわしているし (宣揚し)、その仏の側面 (凡聖含靈) から見れば逆に草木牆壁をのんびりと眺めているだけです (ために演暢す)。自分の内を意識することと外側を意識することの境目は (自覺覺他の境界)、もとよりほとけの現れるところ (證相) を備えていて完全であり (かけたることなく)、つねにほとけが現れていて (證則おこなはれて) 一時も休みがありません (おこたるときなからしむ)。

ここが大事なところで、わづかに一人でたったひとときの座禅をしたとしても、ほとけと出会いそのぼんやりとした場所を知り、時間の流れとはなにかを知る (時とまどかに通ずる) ために、尽きることのない仏の世界 (無盡法界) のなかに、過去未来現在に (去來現)、つねに久しくある (常恆) ほとけのはたらきや功徳 (佛化道事) を実践することになります。座禅をする人たちは (彼彼) ともに最上の修行をしていることになり (一等の同修なり)、同じように仏の証しを見ています (同證なり)。ただ座るという修行 (坐上の修) のみにあらず、虚空を打つひびきを聞き、鐘の音の前後にもふしぎな声がつらなっていることを知るでしょう 。こういった高い段階に限らず (このきはのみにかぎらむや)、修行する人々 (百頭) はみな仏本来の顔と眼 (本面目) に座禅の行 (本修行) を組み合わせ、余計な考えをあれこれと思ってはいけません (はかりはかるべきにあらず)。

そして知るべきです、たとえ果てしなく無数にある河原の砂の数ほどの仏 (十方無量恆河沙數の佛)、がともにちからを合わせ (はげまして)、仏の知慧を使って、一人で座禅する功徳を推量し極めよう (はかりしりきはめん) としても、あえてその行き着く果てというものはないのです (ほとりをうることあらじ)。

いま私が説明し、この座禅の功徳がとても高くて大きいものであることを聞き終わりました。おろかでない人であっても、やや疑いをもって言うでしょう、仏法には多くの流派 (門) があり、どんな理由で一番に座禅をすすめるのでしょうか? と。

示していはく、これが仏法の正しい流儀 (門) であることによります。

問うていはく、どんな理由で座禅のみを正しい流儀とするのでしょう。

示していはく、

お釈迦さまは (大師釋尊)、まさしく道を得る不思議な方法を得てそれを正しく伝えましたが、また三世の如來も、お釈迦さまとともに座禅より道を得ることになりました。このゆえに正しい方法 (正門) であることが伝わっているのです。それだけでなく、インドから中国までの師匠たちは (西天東地の緒祖)、すべての人が座禅より道を得ています。というわけでいま正しい方法を (正門) を大衆から指導者まで (人天) に示したいのです。したわけで、それを追体験することでほとけを明らかにするのが達磨 (だるま) 大師の伝えた禅の基本スタンスです

問うていはく、あるいはそのやって来るものの微妙さを正しく伝え (如來の妙を正傳)、または師の真似をすることもせず (あとをたづぬるによらむ)、まことにふつうの考えでは (凡慮) 及びもしないことです。そうではあっても、経を読んだり念仏を唱えたりすることは、おのづからさとりのもと (因) となるはずです。ただなにもせずにすわっていても (むなしく坐して) なすところはないでしょう、なにをたよりにしてさとりを得る知らせ (たより) とするのでしょう。

示していはく、あなたはいまほとけの世界に浸り (緒佛の三昧)、この上ないほとけのはたらきを (無上の大法)、ただ座っているだけでなにもしていないと思っているのでしょうが、これを大きなほとけの乗り物を信じない人と言います (大乘を謗ずる人)。迷いがかなり深く、大海のなかにいるのに水が無いと言ってるようなものです。すでに片寄ることも無く (かたじけなく)、ほとけのなかに浸ってゆったりと座っているのです (緒佛自受用三昧に安坐せり)。これこそ無限の功徳をなしているのではないでしょうか (廣大の功をなすにあらずや)。気の毒なことで (あはれむべし)、目玉を (まなこ) いまだひらけないのであり、こころなほ永遠の場所に (ゑひに) あることを知りません。

おほよそ佛の境界は不可思議なり。こころのはたらきの (心識) およぶべきにあらず。まして (いはんや) 信じないしあさはかな知識で (不信劣智) しることを得られるでしょうか (えむや)。ただ正しく信じるその大きなはたらきでのみ (正信の大機)、よく入る (いる) ことを得ます。不信の人は、たとへ教えても (をしふとも) 得ることは難しく (うくべきことかたし)。法華経の霊鷲山に説法の途中で退いた五千人のようなもので (靈山になほ退亦佳矣のたぐひ)。おほよそ心に正信おこらば修行し參學すべし。しかあらずは、すぐにやめるべきでしょう (しばらくやむべし)。むかしより法をえるための理解 (ほひ、本意) がないことを恨んでください。

また、読経や念仏 (讀經念佛) 等のお勤めで得られる功徳を、あなたは知っているのでしょうか。ただ舌を動かし、声をあげることを、ほとけの功徳と (佛事功徳) おもっています、それは頼りないことで (いとはかなし)。佛法に集中するためには逆に遠ざかってしまい (擬するにうたたとほく)、いよいよはるかかなたになります。また、経典 (經書) をひらくことは、ほとけが即座にあらわれまたはゆっくりとあらわれる修行の規則を教え (頓漸修行の儀則ををしへ)、あきらかにし、教えのごとく修行すれば、かならずその証拠を捕まえることとなります (證をとらしめむとなり)。いたづらに思いや念じることに時間をついやし (思量念度をつひやし)、ほとけを手に入れ功徳を手に入れることに (菩提をうる功に) 執着すること (擬せん) ではありません。おろかに千萬回の経文を読むことばかりをやっていて (誦の口業をしきりにして) 佛道に到達しようとするのは、なほこれ牛車を北にむけて (ながえをきたにして)、ベトナムに (越に) 向かおうとするようなものです。または丸い穴に四角い木を入れようと (圓孔に方木をいれん) することにも同じで、文章に照らしながら (文をみながら) 修行する方法をわかってなく (修するみちにくらき)、それは医者が薬の調合を忘れてしまったようなもので (醫方をみる人の合藥をわすれん)、どんな利益があると言うのでしょう (なにの益かあらん)。口から声を休みなくだし (口聲をひまなく)、春の田の蛙のように、一晩中鳴いているようなものです (晝夜になくがごとし)、結局なにも益するところはなく、ましてや名声や利益にふかく惑わされているものたちは、これらのことを捨てることとが難しく、利益を求める (それ利貪の) こころはなはだ深いために、昔はすでにあったけれど (むかしすでにありき)、今の世には失われてしまった (いまのよになからむや)、などという考えそのものが情けないことです (もともあはれむべし)。

ただまさにしるべきで、お釈迦さま以前の七人のほとけが伝える (七佛の) 妙法は、その道を得てこころのありようを明らかにした師匠に (得道明心の宗匠)、従うと決めそのものがあるという確信に出会った (契心證會) 學人が師匠にしたがいその正しいやり方を伝えられれば (正傳)、的を得た意味が (的旨) あらはれてそれを身につけるようになります (稟持せらるる)。文字学問の法師たちの知り及ぶものではなく。そうであればすなはち、この疑い迷うことをやめて、正しい師匠の教えにより、坐禪をしことばを工夫して (辨道) 内側にいるほとけに浸った世界の (佛自受用三昧) 証しを手に入れます (證得)。

問うていはく、いまこの日本の国に (わが朝に) 伝わっているところの法華宗や (法花宗)、華嚴教はともに庶民向けの仏教としてはすぐれたものです (大乘の究竟)。まして真言宗のごときは、大日如来をはじまりとし (毘盧遮那如來したしく) 金剛薩多菩薩へとつたわり師弟の関係は (師資) 乱れることなく伝わっています。その内容は (談ずるむね)、そのままのこころがほとけであり (即心是佛)、このこころがほとけをあらわします (是心作佛) と言って、長いあいだにわたる年月の (多劫の) 修行を経ることなく、一枚のマンダラの中に大日如来と四大如来を配置して正しいさとりをあらわし (一座に五佛の正覺をとなふ)、佛法の極まった妙とでも言うものです。そうであっても、いま言うところの修行には、どんなすぐれたところがあって、それらの教えをさしおいても、ひとえにこれを薦めるのでしょうか。

示していはく、知るべきで、仏教を信じる人たちは (佛家) その教えが勝れているか劣っているか (教の殊劣) を議論 (對論) することなく、その中身の (法) 浅い深いを選ぶことがありません、ただし修行の真偽は知る必要があり、草花山水にひかれて佛道に流入することがあったり、土石沙礫をにぎりしめるようにほとけのあらわれたもの (佛印) を身にまとう (稟持) こともあります。まして無数にある文献は (廣大の文字) 世界のあらゆる現象より (萬象) も数が多くなほゆたかにあり、これらのいろいろな仏説を説法することも (轉大法輪) また舞い上がったひとかたまりの砂塵 (一塵) に含まれているのです。そうであればすなはち、こころが即座にほとけである (即心即佛) ということばは、なほこれ水面に映った月のようであり (水中の月)、すわればそくざにほとけと成ることの意味は (即坐成佛のむね)、さらにまた鏡の中にある虚像のようなものです (かがみのうちのかげ)。ことばを上手に使うことにこだわってはいけません。いままさに明かすほとけの (直證菩提) 修行をすすめるために、内なるほとけが伝わっていることの不思議なありさまを (佛單傳の妙道) 示して、真実の道を求める人となろうとします (眞實の道人とならしめん)。

また佛法を伝え授けることは (傳授)、かならずそれを理解した証拠を持つ人 (證契の人) をその教えの師匠 (宗師) とすべきで、文字を読んでいるだけの (かぞふる) 學者を探して (もて) その導くための師とするには物足らず、一人の盲人が多くの盲人の手を引いているようなものです。いまこのほとけが正しく伝わっている一門の人たちは (佛正傳の門下)、みなその道を得たというハッキリとした証しをもった良くわかる師匠を (得道證契の哲匠) 敬って、佛法を守り維持 (住持) しています。こんなような事情ですから、陰陽の道士 (冥陽の道も) がやって来て帰依したり、ほとけを明らかにしてそれがなにかわかった坊さん (證果の羅漢) もやって来てあれこれ問答を交わすけれど (問法するに)、おたがいがそのわかったことの (心地を開明) 手の内を隠す (手をさづけず) ということがありません。よその宗派では (餘門に) いまだにあまり聞かない話で、佛弟子はただ佛法を習うべきなのです。

また知るべきで、わたしたちにはもともとこの上ない仏が備わっていて (無上菩提かけたるにあらず)、常にそれを受け取っている (とこしなへに受用) のだけれど、それを見る方法を知らないために (承當することをえざるゆゑに)、間違った見方が習慣となってしまい (みだりに知見をおこす事をならひとして)、こういうものだと理解してしまうことによって (これを物とおふによりて)、ほとけの大道はむなしく目の前をとおりすぎるのです (いたづらに蹉過)。こういった見方に (知見) よれば、いろいろな煩悩があらわれ (空花まちまちなり)。あるいは十二に分類したこころのはたらきや (十二輪轉)、二十五種の世界のあり方 (二十五有の境界) があると思い、修行の過程の分類や (三乘五乘)、ほとけがあったりなかったりという見方となり (有佛無佛の見)、それらを区別する事はきりがありません (つくることなし)。この見方 (知見) を習い、佛法修行の正しい道であると思ってはダメであり、そんなことなので (しかあるを)、いまはまさしくほとけをあらわすとされる修行の形式にしたがい (佛印によりて) 萬事を捨て去り (放下)、集中して (一向) 坐禪するとき、迷いや悟りといったものの目安や境い目を気にせず (迷悟量のほとりをこえて)、凡人や聖人のあるべき姿にもとらわれず (みちにかかはらず)、すみやかに決まりごとの外側で自由になり (格外に逍遙)、大きなほとけを感じ取ります (大菩提を受用)。かの文字文献に頼っているだけの人たちが (文字の筌にかかはるものの)、肩を並べることはとうてい及ばないのです。

問うていはく、戒定論 (三學) のなかに定學があり、布施持戒忍辱精進禅定智慧という六つの行法(六度) のなかに禅定 (禪度) があります。ともにこれすべての菩薩といわれる人たちが、最初から (初心より) 学んでいるやり方で、素質にも関係なく (利鈍をわかず) こんな修行をします。いまの坐禪もそんなひとつであって、どんな理由によるのか、この方法のなかにお釈迦さまの正しい行法がすべて備わっていると言います (如來の正法あつめたり)。

示していはく、お釈迦さまの教えるとても大事な正しい眼目とでも言うべきもの (如來一大事の正法眼藏)、この上ないほとけのはたらきを解説するものとして (無上の大法)、禅宗 (禪宗) と名ずけられるために、この問いがあるのです。 しるべきで、この禅宗という呼び名は (禪宗の號)、中国の秦王朝より東の地方に (神丹以東) 起こりインドでは (竺乾) 聞きません。はじめは達磨大師が嵩山にある少林寺において九年間の壁に向かって座禅をする修業 (面壁) をしているあいだ、道教のものや俗人は (道俗) いまだ正しいほとけの修行法 (佛正法) を知りませんでした、坐禪することをその教えとする僧侶集団 (宗とする婆羅門) と名ずけられ、その後代々つたわる師匠たちは (緒祖)、みんな常に坐禪をはっきりとその教えとし (はらす)。これをみるよくわかっていない人々は (おろかなる俗家)、じっさいの様子をしらずに (實をしらず)、よくわからないまま (ひたたけて) 坐禪宗と言っていました。いまの世では坐のことばを省略して (簡) ただ禪宗と言っています。その意味するところは (こころ)、昔の師匠の語った言葉が伝わっていて (緒祖の廣語) そこに明らかにされています。六度や三學に示されている禪定という言葉とは少し違う意味です (ならべていふべきにあらず)。 このほとけ知る修行法が師匠から弟子に伝わるその意味は (佛法の相傳の嫡意)、お釈迦さまそのひとが隠すこともなく (一代にかくれなし)。お釈迦さまは (如來)、むかし霊鷲山の法会において (靈山會上)、正しい教えは目玉のウラにしまわれていて、それはこころが静まったふしぎな様子であるという (正法眼藏涅槃妙心)、この上ないほとけの教えを (無上の大法)、ただひとり迦葉尊者だけに後を託した (付法) その儀式は、現在も上の世界にいて天衆とでも呼ぶべき人たちは、その儀式を目の当たりに見て知っています (みしもの存ぜり)、疑うべきではなく、およそ佛法というものは、彼ら天衆が、永遠に守り維持しているものなのです (とこしなへに護持)、その功徳はいまだ下の世界に降りてきません (ふりず)。 まさにしるべきで、これは佛法のすべてであり (全道)、比較するような物もないのです。

問うていはく、仏教の人は (佛家) なにを理由に、行住坐臥 (四儀) と四つのものがあるのに、どうして座禅のみすると言い (ただし坐にのみおほせて) 座禅でこころの静まった状態の先にほとけ世界に入る証しがあるとするのでしょう (禪定をすすめて證入をいふや)。

示していわく、むかしからそれのわかった人たちは (緒佛)、つぎつぎといろいろな (あひつぎて) 修行をししたけれど、ほとけの証しやその世界へ入る (證入) 道は、究めたり知ったりすることが難しかったのです。そのやり方 (ゆゑ) を聞くとすれば、ただ仏教の人たちの (佛家) 利用しているものが (もちゐるところ) その方法 (ゆゑ) であると知るのです。この他に探し求める (たづぬ) べきではあるません。ただし、だるま大師が (祖師) ほめて言うには、坐禪はすなはち安樂の法門であり、分別で計算することはできず (はかりしりぬ)、日常の行住坐臥 (四儀) のなかに安樂が含まれているためでしょうか。まして一人二人のわかった人が (一佛二佛) 修行したやり方 (みち) ではなく、あらゆるわかった人やあらゆる宗派の祖師なども (緒佛緒祖) みなこのこのやり方 (みち) をしています。

問うていはく、この坐禪の行法について、いまだほとけのあり方を (佛法) 明らかにしそれに出会った (證會) ことのないものは、座禅をしたりいろいろな解説を読んで (坐禪辨道して) そのてがかりを探るべきです (證をとるべし)。いままでに (すでに) ほとけの正しいあり方を (佛正法) 明らかにできなかった人は (あきらめえん人)、座禅をしないで待っているどんな理由があるのでしょう (坐禪なにのまつところかあらむ)。

示していはく、疑っているひとに夢のような感覚を説明しても理解はされず (癡人のまへにゆめをとかず)、山に住む人に船のさおを渡しても使い道がないとはいえ (山子の手には舟棹をあたへがたしといへども)、さらにあれこれ説明をするぺきで (訓をたる)。そのあらわれ方は人それぞれと (修證は一つにあらず) 思うことは、すなわち仏教ではないものの理解であり (外道の見)。仏教ではやり方もその結果も一つのものに決まっているのです (佛法には修證これ一等なり)。いままさにほとけの証しがあらわれたためにそれを修めようとするのであり (證上の修なるゆゑ)、はじめてほとけを志すことが (初心の辨道) すなはちほとけが姿をあらわしたことの全体像なのです (本證の全體なり)。こんなリクツなので、修行の心得を (用心) 授けるときも、やりかたを修めようとする以外にはほとけの証しを (證) 待つ思いがないようにと教えます、ほとけを直接示すことができないためでもあります (直指の本證なるがゆゑなるべし)。すでにやり方にほとけの証しが含まれているので (修の證なれば)、ほとけの証しというはっきりしたものはなく (證にきはなく)、ほとけの証しはやり方にすでに含まれていて (證の修なれば)、そのやり方には始めもなかったのです (修にはじめなし)。ここを理解すれば (もて) お釈迦さまや弟子の迦葉が (釋如來、迦葉尊者)、ともにほとけの現われるやり方を自由に使いこなし (證上の修に受用せられ)、達磨大師や六祖慧能 (大鑑高) などもおなじくほとけがあらわれたやり方に呼ばれるようであり (證上の修に引轉せらる)、佛法が根づいた (住持) あとは、みなこのような様子なのです。

すでにほとけがあらわれている状態があり (證をはなれぬ修あり)、わたしたちには幸いにわずかだけれどビミョーなこの感覚がすでに身についてもいて (われらさいはひに一分の妙修を單傳せる)、はじめてほとけをこころざしたとき (初心の辨道) 即座にわずかなほとけの本体の証しを (すなはち一分の本證を) なにも思わないという意識の中に持っているのです (無爲の地にうるなり)。知るべきで、その感じにくっ付いているほとけの証しを (修をはなれぬ證) 俗物な感覚で汚さないために (染汚せざらしめんがために)、お釈迦さまは (佛) しきりに修行をゆるくしてはいけませんよと教えます。そのふしぎな感覚さえも意識しなくなれば (妙修を放下) ほとけの本体は手の中にあり (本證手の中にみてり)、そしてほとけという感覚すらもなくなれば (本證を出身)、そのふしぎな感覚は全身に行き渡ります (妙修通身におこなはる)。

また、まのあたりにした南宋の国 (大宋國) を見てみれば、あちこちの (緒方) 禅院はみな座禅堂をかまえ、五百人六百人および一千二千の人をいつも集めていて (安じて)、日夜に坐禪を行っています (すすめき)。その指導者 (席主) とされるほとけを伝える相承を受けた師匠に (傳佛心印の宗師)、仏法の意味を一言で言い表せばという質問をすれば (佛法の大意をとぶらひしかば)、行法そのものやほとけがあらわれた感覚のどちらにも存在しないと言います (修證の兩段にあらぬむねをきこえき)。 このために、門下に集まって学ぶ人だけでなく (參學のみにあらず)、ほとけを求めて修行して歩くレベルの高い人たちや (求法の高流)、佛法の中にある眞實を知りたいと願う人たち、はじめてだったり経験があったりにかかわらず (初心後心をえらばず)、俗物だったり欲のない人だったりを議論せず (凡人聖人を論ぜず)、佛の教えによって、教えの上手な人の (宗匠) 道をたどって (おうて)、座禅やあれこれの工夫をすべきなのです (坐禪辨道すべしとすすむ)。 聞いたことはないでしょうか (きかずや)、六祖慧能はいいます (祖師のいはく)、ほとけの本体のようなものはまるで無いというわけではなく (修證はすなはちなきにあらず)、俗な意識では捕らえられないというものです (染汚することはえじ)。 また言います、ほとけの道を見ているものは、その道を身につけようとします (修すと)。知るべきなのは、ほとけを得られるやり方の中で (得道のなかに) 修行すべきであることということです。

問うていはく、日本国でも先の時代に (わが朝の先代)、教えを広めた師匠がいますが、これらの人々はすべて (ともに) 唐の国まで行ってその法を伝えようとしたのに (入唐傳法せしとき)、なぜこの座禅のやり方 (このむね) を差し置いて、ただその他の教えのみを伝えたのでしょう。

示していはく、むかしの師匠たちが (人師)、この座禅の法を伝えていないことは、時節がいまだ至っていなかったということなのでしょう。

問うていはく、それら昔の時代の師匠は (上代の師)、この法を会得したのでしょうか (會得せりや)。

示していはく、理解しているならば良く知っていることでしょう (會せば通じてむ)。

問うていはく、ある者が言うには、生死をなげくことはないと言い、生死からはなれ飛び出すために (出離するに) すぐにできる方法があります。いわゆるこころの持つ性質の中に変わらずにありつづける様子が存在することを (心性の常住なることわり) 知るのです。その意味というのは、このからだは (身體)、すでに生あればかならず滅した状態に移されてゆくことではあるけれども、このこころの中にある性質 (心性) は決して滅する事がありません。よく考えて生滅に影響されないこころのはたらきが (うつされぬ心性) 自分の身体にそなわっていることを知れば、これを本來の性質であると思うために、体はこれは仮の姿であり、死がここにあって生があちらという決まりもなくなります (死此生彼さだまりなし)。心はこれつねにここにあり (常住なり)、時間によって (去來現在) 変わるものではなく。このように理解することを、生死を離れるというのです。この意味を (むねを) 知ったものは、從來の生死の思いが完全に絶えて (ながくたえて)、このからだを引き伸ばすとき (身をはるとき) 仏性の海にいて (性海にいる)。このほとけの海を初めて知るとき (性海に朝宗)、お釈迦さまの言うふしぎものが (佛如來のごとく) まさにそなわります。いまはたとへこのことを知ったといえども、いままでの俗物な考えもまだ残っているので (前世の妄業になされたる身體)、聖人と同じというわけではありません。いまだこの意味をしらないものは、永く生死のあいだをさ迷うでしょう (ひさしく生死にめぐるべし)。そうであればすなわち、ただ急いで心の中に不変なものがあることを確認すべきで (心性の常住なるむねを了知)。いたづらにあてもなく座り (閑坐) 一生をすごすようなことは、なにを待っている必要があるのでしょう。 このようにいう意味は、これはまことの仏の道にかなうのか、いかがでしょう。

示していはく、いま言うところの見方は、まったく佛法ではありません。仏教ではない人たちの見方です (先尼外道が見なり)。 もっと言うとすれば、そのような外道の見方は、自分のからだの内側に一つの魂のような感覚があり (ひとつの靈知あり)、その感じが (かの知)、すなはちはたらくように思い (にあふところに)、よく良い悪いを意識し (好惡をわきまへ)、これとかそうでないを意識し (是非をわきまへ)、痛さ痒さを知り、苦痛や樂しみを知ります、みなこの魂のようなものの (靈知) はたらきです。そんなことで、その魂は (靈性)、この身が滅するときに、体から抜け出していろいろな場所に生まれるために (もぬけてかしこにむまるるゆゑに)、ここに体が滅したように見えるけれど、その魂のようなものが生きていれば (かしこの生あれば)、永遠に滅びることなく (ながく滅せず) かわらずに生きているのだと (常住なり) 言います。この外道の見方というのは、このようなものです。 そんな様子であり、この見方を習って佛法とするのは、壊れたカワラのかけらを (瓦礫) 握りしめて金銀財宝だと (金寶) 思うことよりもなお愚かなことです。癡いがあり迷っていて恥ずかしいことで、たとへるものもありません。大唐国國の慧忠国師はこれをふかく戒めていて、いまこころは常に不変であり世界のみが生滅するという (心常相滅) まちがった見方をつかい (邪見を計し)、ほとけのふしぎなはたらきと同じであるとし (緒佛の妙法にひとしめ)、それが生死のほんとうの原因だとし (生死の本因をおこして)、生死をはなれることができると思うのは、愚かなことではないでしょうか。もっともあはれむべきことではありますが。ただこれは仏教でない (外道の) まちがった見方と知るべきで (邪見なりとしれ)、耳を貸すべきではありません (みみにふるべからず)。

まだそんな考えを捨てることができず (ことやむことをえず)、いまなお気の毒なことであると思い、あなたがそのまちがった見方をただそうと思うなら (なんぢが邪見をすくはば)、知るべきです、佛法はもとより身心が一つのものと見るので (一如にして)、心と世界の区別はないとして話をします (性相不二なりと談ずる)、インドから中国まで (西天東地) おなじく知られていることなので、あえて違えることもないでしょう。言うまでもなく不変のあり方を語る教えなら (常住を談ずる門) 世界のすべてはみな不変であり (萬法みな常住なり)、身と心とに分れることもありません。心の静まった様子を語る教えでは (寂滅を談ず門) 世界の様子はすべて静まっていて (緒法みな寂滅なり)。こころと世界を分けることはなく (性と相とをわくことなし)、そんな風であるのに、なぜ身体だけが滅してこころが不変というのでしょう (身滅心常)、正しい理くつに背くのでしょうか? そうであるだけでなく、生死はすなはちこころの静まった感覚の内にあると (涅槃なり) 理解すべきで、いまだ人の生死とは離れた場所に (ほかに) 涅槃を談じることもないでしょう。まして、心は身体をはなれて常に存在する (常住) と解釈 (領解) することで、生死を離れたとする仏教の智慧をカン違いして理解するわけで (佛智に妄計すといふとも)、このわかったり確信したりする (領解智覺) 心も、すなはちなお生滅して、まったく不滅の存在ではありません (常住ならず)。これが束の間だけではないものでしょうか? (はかなきにあらずや)。 味見するように観察すべきで (嘗觀)、身心一如という意味は (むね)、佛法ではいつも語られることで (つねの談)。そうであるのに、なぜ、この身体が生まれ滅するときに、心だけがひとり身体をはなれて、生滅をしない不変の世界にいるのでしょう。もし、身心が一つの状態であるときがあり (一如)、ひとつの状態ではないときがあれば (一如ならぬときあらば)、お釈迦さまは自分でまちがったことを言っていたことになり (佛説おのづから虚妄にありぬ)、また、生死は別あつかいにするルールである  (のぞくべき法ぞ) と思えるのは、佛法を嫌うような罪なのです (いとふつみとなる)。注意して慎んでください (つつしまざらむや)。 しるべきで、佛法にいうこころの本体の性質を使い世界のすべてを理解するやり方は (心性大總相の法門といふは)、意識できるすべての世界を含み (一大法界をこめて)、こころと現象世界を分けず (性相をわかず)、生滅について語ることもありません。ほとけの感覚やこころの静まった境地 (菩提涅槃) におよぶまで、こころの本質が作り出したのでないものはなく (心性にあらざるなし)。すべてのはたらき (一切緒法)、ありとあらゆる現象なども (萬象森羅)、ただこれひとつの心の本質であって (一心)、その中に含まれないとかそのはたらきでないといったことはありません (こめずかねざることなし)。このもろもろのありかたは (法門)、みな平等であり一つの心の本体です (平等一心)。あへて異なったり違ったりしないと説明します、これがすなわち仏教に言うこころの本質を (佛家の心性) 理解した樣子なのです。 そうであるのに、この仏教の教えの中に (一法に) 身体と心を分別し、生死と涅槃とを分ける必要があるのでしょうか (わくことあらむや)。すでにほとけの子であり (佛子なり)、外道の見方を語る狂人の舌のひびきに、耳を傾けてはいけません。

問うていはく、この坐禪をもっぱらするような人は (もはらせむ人)、かならず戒律を厳格に守るべきでしょうか (嚴淨すべしや)。

示していはく、戒律を守るほとけの修行は (持戒梵行)、すなはち禅宗の決まりであり (禪門の規矩)、お釈迦さまから伝わる家のしきたりのようなものです (佛祖の家風)。いまだ戒を受けず、また戒を破ってしまうものは、あまりしっかりしてるとは言えませんね (分なきにあらず)。

問うていはく、この坐禪を日常にする人が (つとめん人)、さらに真言宗や天台宗の (眞言止觀) 行を重ねて修行したら、なにか妨げがあるでしょうか。

示していはく、わたしが中国にいたとき (在唐のとき)、教えを受けている師匠に (宗師) このことを聞いて見ましたが (眞訣をききしちなみに)、インドから中国にいたるいままでに (西天東地の古今に)、ほとけのあらわれた証しを正しく伝えたむかしの師匠たちは (佛印を正傳せし緒祖)、いづれの宗派もいまだ禅宗のようなやり方を (しかのごときの行) 一緒に行っているとは (かね修す) 聞いたことがないと言います。まことに、一つの事をマジメに取り組まなければ (こととせざれば) そのほとけの智慧に (一智) 達することもないでしょう。

問うていはく、この行法は、在家の俗人である男女がやってもよいのでしょうか (つとむべしや)、または出家の人だけがやるものでしょうか (ひとり出家人のみ修するか)。

示していはく、師が言うには、佛法に出会って理解するのに (會する)、男女や身分地位のちがい (貴賤) を選んではいけませんとおっしゃいます。

問うていはく、出家した人は、俗世間のあれこれから (緒縁) すぐに離れることができ、座禅やその他の修行がジャマされることはあれません (坐禪辨道にさはりなし)。ところが俗世間に在る人たちは日常のわずらわしい雑用があるので (繁務)、どのようにしてひた向きに (一向) 修行すればなにも為さないほとけの道に行き着くことができるのでしょう (無爲の佛道にかなはむ)。

示していはく、おおざっぱにいえば、お釈迦さまは (佛祖) あはれみのこころで、無限に広いほとけの門をひらきました (廣大の慈門をひらきおけり)。これは一切衆生にほとけの証しを見せるためで (證入)、大衆や指導者のだれが (人天たれか) 必要としないなどというでしょう。ここをもって、むかしや今のことを尋ねてみれば、その良い例が (證) 多く。たとえば、代宗や順宗といった皇帝の位についた人たちは (帝位にして)、日常があれこれと忙しいのに (萬機いとしげかりし)、座禅やその他の工夫をして (坐禪辨道) 佛の大道に出会い理解します (會通)。李相國や防相國は、ともに皇帝の輔佐をする大臣の位にいた人で、天子の手足でありながら (一天の股肱)、座禅やその他の修行をして (坐禪辨道) お釈迦さまが示したほとけのあり方 (佛祖の大道) を明らかにしてそこに入ることができました (證入す)。ただこれこころざしのありなしによるもので、立場が (身の) 在家か出家かには関係ありません。また深い意味でものごとの優劣 (殊劣) を見分ける人は、おのづから信ずることがあります。言うまでもなく世間の俗事が (世務) 佛法の修行をジャマする (さふ) と思うものは、ただ俗世間の中には (世中) 佛法がないものだと半分だけ知っていて、佛の中に俗な感覚がないことは (世法なき事) いまだ知らないのです。 ちかごろ南宋に (大宋に) 馮相公という人がありました。ほとけの道に通じた地位の高い官吏で (道に長ぜりし大官)。のちに詩を作り自分のことをこう言います、

仕事のあいまに座禅を楽しみ、
かつて枕をかかえ床の上に横になって眠ることも少なく。
そうこうするうちに大臣ともなり、
長老としての名が中国全土に伝わります。

これは、地位の高い公務で (宦務に) ひまが無い身体であるけれど、仏道を志す気持ちが深ければ、道を得ることができるのです。これらの例をして (他をもて) 自分を顧みたり、むかしのことをひもといて今のことに移し変えてみます (かがみるべし)。 南宋の国では (大宋國)、いまの世にある国王大臣、坊さん俗人男女、みんなが心をほとけの道に気を使わない (とどめず) ということがなく、武門でも文家でも、どちらも座禅やほとけを学ぶ (參禪學道) ことがふつうです (こころざし)。それを目指すものは、かならずほとけの境地を理解することも (心地を開明) 多く、これは世間の雑事が (世務) 仏法の修行をジャマすることがないと (さまたげざる)、おのづからわかるでしょう。 国家に真実の仏法が広まれば(弘通)、そのほとけを体現した指導者たちがいつでも (緒佛緒天ひまなく) 国を守るために (衞護)、国王は太平に力を尽くし (王化太平)。宗教家も太平に力を尽くすので (聖化太平)、仏法も本来のその力を得ることができます。 またお釈迦さまの (釋尊) 在世には、反対するものや間違った考えの人々も (逆人邪見) も道を得て (みちをえき)。だるま大師の教えを受けたものには (祖師の會下)、植木屋やきこりが (葛者樵翁) さとりを開きます。その他の人については言うべきも無く、ただ正しい師匠の示すやり方を探すのです (道をたづぬべし)。

問うていはく、この行法は、いまの末代で悪世とも言われるこのときに、修行してもほとけに出会えるでしょうか (證をうべしや)。

示していはく、いろいろな宗派では名前や教えのカタチが違いますが (教家に名相をこととせるに)、それでも大乗と呼ばれるものの価値ある経典には (大乘實教)、正像末という三つの時代を分けた記述はありません (法をわくことなし)。修行すればみな道を得られるといい。ましてこの内側に本来持っている正しいほとけには (單傳の正法)、そのほとけの感覚に入るときは身体を意識することがなくなり (入法出身)、おなじく自分の内側にある珍しい宝を見ることになります (自家の財珍を受用)。ほとけの証しを得られるかどうかは (證の得否)、修行しないものは、自分ではわからず、水を触った人が (用水の人) その冷たさ煖かさを自然に感じ取るのと同じことです (みづからわきまふるがごとし)。

道元さんは末法の根拠になる文献が無いと言ってますが、禅の考えそのものもこの末法否定になっていて、ほとけは時代や人の種類にかかわりなく、すべての人の内側に意識の一部としてすでに存在するけれどなかなか気ずかれないものでもあり、禅はその存在のあり方を指摘してほとけが見えるように指導してるだけなので、もともと時代や年代によってほとけが消え去ることはありませんよ。というのがその主張です。天台で言えば本覚思想にチカイもので、ハスの花はすでに目の前に開いていて、あとはそれが見えるようにトレーニングするだけです。

問うていはく、あるが人が言うには、仏法では、自分のこころがほとけである (即心是佛) という意味を理解した (むねを了達しぬる) 人は、口で経典を読むことをせず、身体でほとけの修行をすることもないけれど、それでも仏法に欠けているところはありません。ただ仏法はもとから自分の中に在ることを知っていて、これを完全な道を得たようすといいます (得道の全圓)。これの他にはさらに他人に向かいなにかを求めるべきではありません。それなのになぜ座禅などの行法をわざわざやらなけれればいけないのでしょうか (いはむや坐禪辨道をわづらはしくせむや)。

示していはく、このことばは、もっともであるけれど危うくもあり (もともはかなし)。もしあなたが言うようであるならば、こころないことで、だれもこんな話を (むね) 教えなければ、知ることもなかったでしょう。 知るべきで、仏法はまさに自他の区別という見方をやめて学ぶものです。もし自分こそほとけであることがわかった (自己佛としる) としてそれが道を得たことであるならば (得道)、お釈迦さまがその昔かん違いのものたちにわずらわされることもありませんでした (釋尊むかし化道にわづらはじ)。そこで少しの間むかしのおもしろい話を使って (古の妙則をもて)、このことを説明したいと思います (證すべし)。

むかし、則公監院という僧が法眼禅師の指導を受けていましたが (會中にありし)、法眼禅師が質問して言います 「則監寺さんは、あなたがこの寺に居てどのくらいのときがたちましたか? 」
則公 「わたしがあなたの寺に来てすでに三年です 」
法眼 「あなたはまだ若いのに (これ後生)、なぜいつもわたしに仏法について質問しないのですか? 」
則公 「わたしは和尚をだますことはできません。かつて青峰禅師のところにいたときに、仏法において安楽の法門と呼ばれるところにすでに理解して到達したのです (了達)」
法眼 「あなたはどんな言葉によって、その場所に入ることを得たのでしょう 」
則公 「わたしはかつて青峰和尚にこんな質問をし、『ほとけを学んでいるひとの自分の本体とはどんなものでしょうか? (學人の自己なる)』 青峰和尚は言いました 『火の兄と火の弟である二人の子供がやって来て、火を探しているところです (丙丁童子來求火)』」
法眼 「良い言葉ですね。ただしおそらくはあなたはそれを理解してはいないでしょう 」
則公 「丙丁は火に屬すものです。火をもって来てさらに火を求める、自分で自分を探していることに似ていると理解しました (自己をもて自己をもとむるににたり)」
法眼 「よくわかりましたが、あなたはわかっていないようですね。仏法がもしそのようにカンタンなものであるならぱ、今日まで伝わってはいないでしょう 」

ここにで則公は怒ってしまい (懆悶)、ずぐに寺を出ていってしまいます。しばらく行ったところでふと思うには (中路にいたりて)、法眼禅師は天下に聞こえた大和尚です (善知識)、また五百人もの僧侶をみちびく師匠でもあり (大導師)。わたしが間違っていることを指摘するのは (いさむる)、きっとそれなりの正しい理由があるのだろうと (長處あらむ)。法眼禅師の寺に (みもと) に帰り、お詫びと礼拝をし (懺悔禮謝) そして質問します、 則公 「いかなるかこれ學人の自己なる 」
法眼 「丙丁童子來求火と 」
則公はこの言葉の中に、納得するものがあり、ほとけを理解することができました (おほきに佛法をさとりき)。

火を探すのなら、兄は弟をみればよく、弟は兄を見ればよいだけ、というのが正解でしょうけど、そもそもあちこちと探しまわる必要がない、というとこまでは則公さんも当たってたようですね。たとえばカーブミラーで横道の車を確認するようなもので、ほとけという対象物は直接見ることができないという 「リクツ」 を言ってるわけで、それはなぜかと言えば・・

あきらかにわかることは、自分の内側にほとけがあると理解したことで (自己即佛の領解をもて) 仏法がわかったことにはならないということです。もし自分という意識がある状態を仏法と定義するならば (自己佛の領解を佛法とせば)、法眼禅師は最初に出た言葉のくり返しで (さきのことばをもて) 指導することはなく、またこの問答のように戒める必要もありません。ただまさに言えることは、最初から良くできた話を知っているよりは (はじめ善知識をみむより)、修行のルールを一問一答して (儀則を咨問)、ひたむきに座禅をし考えて (一向に坐禪辨道)、生わかりの状態にとどまらないようにしてください (一知半解を心にとどむることなかれ)。仏法のふしぎなおもしろさは (妙術)、それはカラッポではないのです。

問うていはく、乾元 (758-760年) といわれたころの唐の国のようすをひもとくと (乾唐の古今をきく)、あるいは竹の声を聞いて道をさとり、あるいは花の色を見てこころのようすを明らかにするものがあり、いうまでもなく、お釈迦さまは (釋迦大師)、明星を見て道をあきらかにし (證し)、阿難尊者は、はたざお (刹竿) が倒れたときにほとけを (法を) あきらかにしたのみならず、六祖慧能の後も (六代よりのち)、五家に分かれていたころにも、たった一言で (一言半句のしたに) ほとけの感覚を (心地) 表現したものは多く、かれらはかならずしも、かつて座禅やそれにともなう行法 (坐禪辨道) をしたものだけではありません。

示していはく、古今に現象世界を見てほとけの在り様をあきらかにし (見色明心)、音でない声を聞いて道がなにか理解したまさにその人は (聞聲悟道せし當人)、ともに仏教のやり方に疑いをはさむことなく (辨道に擬議量なく)、意識の中にもう一人の別人はいないことを知るべきです (直下に第二人なきことをしるべし)。

それと 「直下に第二人なき」、は世界を見ている自分をもう一人のクールな自分が見ている、というよくある表現の否定なんですけど、このもう一人の自分である第二人を意識の中から消すために具体的にはどうやるんでしょうかね?

問うていはく、インドや中国では (西天および神丹國)、ひとびとは素直な性質を持っていて。中華という文化レベルの高さにも助けられ、仏法を教え指導するのに (教化)、とてもはやく理解しなじむことができます。ところがこの日本は (我朝)、むかしから人々に義理のこころや知識そのものが (仁智) すくないので、正しいほとけの教えがなかなか伝わりません (正種つもりがたし)。文化が遅れていることによるもので (蕃夷のしからしむる)、ザンネンなことです (うらみざらむや)。またこの国の出家者たちは、南宋の坊さんでない仏教のもの (大國の在家人) にも劣っていて、世の中すべてが考えのない風潮で (擧世おろかにして)、自分のコトしか考えませ  (心量狹少なり)。じっさいにある利益にのみ深く執着し (ふかく有爲の功を執し)、目にはっきりと見える善行だけを好みます (事相の善をこのむ)。このような人たちが、たとへ座禅したとしても、たちまちにしてほとけのあり方を (佛法) 明らかにしてそれを得ることができるのでしょうか (證得せむや)。

示していはく、言われるとおりで、わが国の人たちには、いまだ義理も知識も (仁智) 行き渡っているとはいえず、人々はまた混乱のなかでまわり道をしています (迂曲)。たとえ正しく伝わったほとけの教え (正直の法) を説明したとしても、その心地よさが (甘露) 却って毒となってしまいます。名声や現実の利益に気持ちが向いてしまい (名利)、迷いや執着を取り除くことがむずかしく (惑執とらけがたし)。そんなようすではありますが、ほとけを明らかにしその世界に入ることは (佛法に證入)、かならずしも世の中の知識ある人として立身出世の道具とするようなものではなく (人天の世智をもて出世の舟航とするにはあらず)。お釈迦さまの生きていたころにも (佛在)、てまりをつくたびに四つのレベルをクリアしてほとけがなにかわかり (四果を證し)、袈裟をかけて坊主の真似をしただけなのに大道を明らかにし、ともに愚かで仏法にも暗い人たちでもあり、乱れた動物のような生活をしていたものたちですが (癡狂の畜類なり)、そんなであっても正しく信じるこころに助けられ、迷いをはなれる道に行き着いたという話です。また良くわかっていない年寄りの坊さんが座禅をしているところを見ただけで (癡老の比丘默坐せしをみて)、おときを運んできた信者の女人がさとりを理解した話もあり (設齋の信女さとりをひらきし)、これは知識によらず、文章にもよらず、言葉にたよることもなく (またず)、説明を必要ともしませんが (かたりをまたず)、結局これらが正しい確信に助けられるということになるです。

また、お釈迦さまの教えが世界中に (釋教の三千界に) 広まったことは、わづか二千余年のあいだのできごとであり (前後なり)。仏教の広まったおおくの場所は (刹土のしなじななる)、かならずしも礼儀正しく知識の行き渡った国ではないし (仁智のくににあらず)、人もまたかならずしも利智聰明のみの人だけではなく。そうであっても、お釈迦さまの正しい教えは (如來の正法)、もともと不思議な功徳を (大功徳力) を備えていて、そのときがやってくれば仏国土としてひろまります (刹土にひろまる)。人がまさに正しい確信をもって修行すれば、頭の良し悪しにかかわらず (利鈍をわかず)、みなひとしく道をえることになり (得道)、わが日本は (朝は) 礼儀も知識もまだまだの国ですが (仁智のくににあらず)、そこに住む人たちの知識や理解が足りないからといって、仏法を理解できないと思ってはいけません。まして、人はみなほとけの智慧が内側に充分備わっていて (般若の正種ゆたかなり)、ただそれを意識したことがないために (承當することまれに)、その使い方もいまだにわからないということなのです (受用することいまだしきならし)。

ここまでの問答を行き来して、客とあるじが交じり合ったように込み入っていますが (賓主相交することみだりがはし)。多少でも、花の無い空中に花が咲いたことがわかるでしょうか (はななきそらにはなをなさしむる)。そうは言っても、この国は座禅のやり方において (坐禪辨道におきて)、いまだその教えの意味は (宗旨) 伝わらず、知らなければ志すことも無く (しらむとこころざさむもの)、ザンネンに思うことです。こんなわけなので、いささか外国で (異域) 見聞きしたことを集め、ほとけのわかる師匠の解説を (明師の眞訣を) 書きとめる事で、修行や勉強をしたい人たちの知りたい気持ちに答えたいのです (參學のねがはむにきこえむとす)。このほかにも、禅寺の規則や (叢林の規範) 寺のあれこれ (寺院の格式)、いま解説しようとしたいけれど時間がなく、またそのうちに (又草草) やってみることにします。

おほよそわが日本の国は (我朝は)、中国からみれば龍が住むといわれる東シナ海のさらに東に位置し (龍海の以東にところして)、雲や煙がはるか遠くに見えるような位置ではあるけれども、欽明天皇 (539-571年) や用明天皇 (585-587年) のころより (前後より) インドではやや廃れてきた (秋方) 仏法がすこしづつ東に進みます (東漸する)、これはすなはち日本の国の人にとっては良いことであり (さいはひ)。そうではあるけれどやり方がバラバラで (名相事縁しげくみだれて)、修行するところでつまずいてしまいます (わづらふ)。いまはやぶれたころもに割れ茶碗を (破衣綴盂) 生涯の友として、青巖白石という湖のほとりに茅ぶきの庵を結び、きちんと座り修行を怠らなければ (端坐修練)、ほとけのレベルに上がることが (佛向上の事) たちまちにあらわれて、生涯かけて知りたかった真実が (一生參學の大事) すみやかに理解できる (究竟する) ことになります。これはすなはち龍牙和尚のいましめであり (誡敕)、鷄足和尚の家風のようなものです (遺風)。その坐禪あれこれの規則は (儀則)、少し前の嘉祿のころ (1225-1228年) 撰んで集めたものを普勸坐禪儀に示したのでそれを参考にしてください (依行すべし)。

ありがたくお礼をし (曾禮)、仏法を国中に広め流通させることは (弘通)、国王の命を (王敕) 待たなければいけないけれど、ふたたび靈山でお釈迦さまから迦葉に受け継がれたものを (遺囑) 思えば、いま百萬億の国土に (刹) 現われ出でたる王様と貴族が手をたずさえ (王公相將)、みなともに感謝しながらほとけの示したものを  (かたじけなく佛敕を) 受け取り、子供のころから (夙生に) 仏法を護り維持するキモチを (素懷を) 忘れずに、ずっとやって来たものです (生來せる)。その変化が行き渡って栄えれば (化をしくさかひ)、どんな場所であっても仏国土でない場所は無く、このために、お釈迦さまのやり方を (佛祖の道) 流通させるのです、かならずしも場所を選んできっかけを (縁) 待つ必要が無く、ただ、今日からはじめようと思うだけです。

そうであればすなはち、こんな人たちを集めて、仏法が広まることを願う考えの深い師匠たちにも (哲匠)、いっしょに道を探し (あはせて道をとぶらひ) 諸国行脚の人たちを (雲遊萍寄せむ) 集めて学ぶための中国からのお手本として書き残します (參學の眞流にのこす)。ときに、

喜ばしいことで、1231年八月十五日、南宋から仏教の法を相伝された坊主である、道元が書きました (喜辛卯中秋日 入宋傳法沙門道元記)

一【現成公按】
有名な冒頭巻だが、「悟上に得悟する」か、「迷中になお迷う」かを迫られている気になってくる。
道元は、仏祖が迷悟を透脱した境涯で自在に遊んだことをもって悟りとみなした。
それが「仏道を習ふといふは自己を習うなり、自己を習ふといふは自己を忘るるなり」の名文句に集約される。

この世界を (諸法の)、ほとけの教えそのものであると見れば (佛法なる時節)、そこには迷いと悟りがあり、修行や生死や諸佛衆生といったものがあらわれます (すなはち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸佛あり、衆生あり)。もし世界のありさまやほとけの教え (萬法) といったものをともに私たちが意識しなくなれば (われにあらざる時節)、迷いはなくさとりもなく、諸仏もなく衆生なく、生滅すらないことがわかります。

仏道はもともと金持ちや貧乏といった世間の俗事 (豐儉) から抜け出すため (跳出) のものなので、そこには生滅も迷悟も衆生も仏も存在します。しかも俗事から抜け出したように見えても、花は惜しまれて散り、草は邪魔者あつかいされて枯れてゆくのみというのが現実の様子なのです。

自分で外面としての世界や仏についてあれこれ考えて (自己をはこびて萬法を) それを明らかにしようとする (修證する) ことは迷いです、むしろ世界のあり方やほとけという考え方を利用して (萬法すすみて) 自分の内面を解き明かすことが (自己を修證する) さとりなのです。迷いの在りかたをよく理解している (迷を大悟する) のは仏であり、逆にさとりを求めて迷ってしまう (悟に大迷) のが衆生です。さらにさとった上にもう一段の理解 (悟上に得悟) をする人 (漢) もいれば、迷いの中でさらに右往左往している (迷中又迷) 人も (漢) います。仏がまさしく仏であるときは、自分は仏であると意識しないけれど (自己は佛なりと覺知することをもちゐず)。そうであっても仏のありさまは明らかになっているので (證佛なり)、仏の功徳を実践できる人ということになります (佛を證しもてゆく)。

感覚を意識しながら (身心を擧して) 風景を見たり (色を見取し)、感覚に注意しながら (身心を擧して) 音を聞いてみると (聲を聽取するに)、よく見えたりよく聞こえたり (したしく會取) はするけども、かがみに姿を映す (影をやどす) ようなものではなく、水面に月が映っているようなものでもなく、一方がはっきりとしていればもう一方はぼんやりとしています。

ほとけのありさまを知ることは (佛道をならふといふは)、自分の内面を観察することであり (自己をならふ也)。内面を観察するというのは (自己をならふといふは)、自分という意識をなくすことであり (自己をわするるなり)、自分がないということは (自己をわするるといふは)、世界やほとけの教えといった外にあるものが内面にあるほとけの本体をあきらかにすることであり。ほとけが明らかにされれば、そのとき自分という意識やそれ以外のすべての存在は (自己の身心および他己の身心) きれいに抜け落ちてしまうでしょう (脱落せしむるなり)。そこにはさとりの足跡が残る (悟迹の) しずかな場所があり (休歇なるあり)、そのしずかな場所にある (休歇なる) さとりの足跡を (悟迹を) 長く保つようにすることが大切なのです (長長出ならしむ)。

人が、はじめてほとけの教え (法) を求めるとき、ほとけの居る場所から離れてはいません (離却せり)。ほとけの教えが (法) すでに自分に正しく伝わっているときは (おのれに正傳するとき)、即座にその人がほとけとなります (すみやかに本分人なり)。

人が舟に乗って行くとき、目で岸の動きを追ってみれば、岸が移動していると間違えてしまうでしょう。逆に船に注目すれば (目をしたしく舟につくれば)、船が進んでいるのを知るように、からだやこころといった想いが混乱して (身心を亂想して) からだやこころを含めた外側の世界 (萬法) が存在するとして説明すると (辨肯するには)、自分のこころや自分の本質 (自心自性) がいつも変わらず存在する (常住なる) かと間違ってしまいます。もし禅堂で行李とともに修行し (したしくして) 箇裏で生活や仕事をすれば (歸すれば)、すべてのものが (萬法) 自分の内にないことがはっきりするでしょう (われにあらぬ道理あきらけし)。

たきぎは灰となるけれど、そのあとたき木にもどることはありません。こんな様子を、灰があと、たきぎは先と見てはいけません。知るべきです、たき木はたき木のありかた (法位) として存在し (住して)、先きがありあとがあり。前後ありといへども、前後は断絶 (際斷) されています。灰は灰のありかた (法位) として存在し、あとがあり先があるのです。かのたき木は火となってそのあと、さらに薪にはもどらないように、人が死んだあと、さらに生きることはありません。そんな様子を、生の死になると言わないのは、仏法で決まっている習慣のようなものです。こんなわけで生まれていない (不生) と言い。死が生にもどらないのは、教えの車輪 (法輪) として決められたほとけの言い伝えで (佛轉)。このために不滅と言われます。生も一時の位であり、死も一時の位です。たとへば、冬と春のように。冬が春となると思わず、春が夏になると言わないようなものです。

人がさとりを得るというのは、水面に月が映っている (やどる) ようなもので。月は水に濡れず、水面に波も立たず (やぶれず)。月は広くて大きな光ではあるけれど、一尺や一寸の水にも映るし (やどり)、月のすべてや空のすべても (全月も彌天も)、草の露に映り、わずか一滴の水にも映ります。さとりが人のこころを静めることは (人をやぶらざる事)、月が水面に穴を開けて水底に映ったりしないようなもので (うがたざるがごとし)。人とさとりの間に網を張って妨げるものがないのは (さとりを罫礙せざること)、草葉につく水滴 (滴露) が他のものに遮られることなく月を映す (天月を罫礙せざる) ようなものです。深いということは大きな容量 (分量) をもつことでもあり、時間の (時節の) 長短は、大きな器の水を小さな器の水に計りながら流し込むことですから、たとえば天にある月が大きく見えたり小さく見えたりする仕組みをこれで説明 (辨取) するとよいでしょう。

身心にほとけの教え (法) がいまだ飽きるほど身についていないときは (參飽せざるには)、自分では法がすでに充分身についたと勘違いします (たれりとおぼゆ)。法がもし本当に充分身について理解もできれば (身心に充足すれば)、逆にもう少し物足りないと感じることでしょう (ひとかたはたらずとおぼゆるなり)。たとえば、船に乗って陸の見えない大海原に出て (山なき海中にいでて) 四方を見渡してみれば、海はただ円く見えるだけで (まろにのみみゆ)、さらにそれ以上の変わったものが見えるわけではありません (ことなる相みゆることなし)。そうではあるけれど、この大海は円い形にはあらず、四角 (方) でもなく、見えない残りの海の部分にどんな恵み (のこれる海徳) があるかまですべてわかるわけではありません (つくすべからざるなり)。その恵みは宮殿であるかもしれないし、宝石 (瓔珞) であるかもしれなくて、それでもわたしの目に見える範囲は、とりあえず円く見えているだけなのです。これと同じように、目に見える世界 (萬法) もまたそうであって。ちっぽけなものや並外れているもの (塵中格外)、それぞれに性質をあらわしているけれども (おほく樣子を帶せりといへども)、修行で身につけた観察力 (參學眼力) のおよぶ範囲でしか見抜いたり真理を会得したりすることができません (見取會取するなり)。すべての世界の説法を (萬法の家風を) 聴くためには、世界は円か四角 (方圓) と見るだけでなく、それ以外にも際限がないほどの世界とその恵みが連なっていて (のこりの海徳山徳おほくきはまりなく)、無数の世界が存在することをしるべきです (よもの世界あることをしるべし)。そしてこうした例はひとつだけではなく (かたはらのみかくのごとくあるにあらず)、自分の足元にも (直下) 一粒の水滴にもこんな無数の世界があると知るべきでしょう。

魚が水の中を泳ぐとき、泳いでいても水のなくなる境目を意識することはなく (ゆけども水のきはなく)、鳥が空を飛ぶときも、飛んでいて空がなくなる境目を意識することはありません (とぶといへどもそらのきはなし)。そうであっても魚鳥は、いまだにむかしから住んでいる水や空をはなれません。水空を広く使いたい (只用大) ときは大きく使い (使大なり)。あまり必要がなければ (要小) 少しだけ使います (使小なり)。こんなようにして、それぞれが (頭頭に) 水や空の果てまで行ってない (邊際をつくさず) わけではなく、水空のいろいろな場所 (處處) にまだ行ったことがない (踏翻せず) わけでもないけれど、鳥がもし空を跳びだせばたちまちに死ぬでしょうし、魚も水を跳びだせば同じことです。水を命のもととは知らず空を命のもとと知ることもないからで (以水爲命しりぬべし、以空爲命しりぬべし)。これは鳥も魚も命そのものである (以鳥爲命以魚爲命)。または命が鳥であり魚でもなる (以命爲鳥以命爲魚)。という風に言い換えることもできます (このほかさらに進歩あるべし)。考えて明らかにするとすれば (修證あり)、ほとけやわたしたちの間がらというのは (その壽者命者あること) 、こんなようなことなのです (かくのごとし)。

そんなわけで (しかあるを)、水や空の果てにある境目に行き着いたあと (水をきはめ、そらをきはめてのち)、さらにその向こう側へ行こうと思う (水そらをゆかんと擬する) 鳥や魚がいたとしても、水にも空にも道を得ることができず、その居場所すらないことを知るはずです (ところをうべからず)。このりくつを理解すれば (このところをうれば)、禅堂の修行に (この行李) したがって真理がすがたをあらわし。この方法を身につければ (このみちをうれば)、禅堂の生活がそのまま真理となるでしょう。この方法やりくつは (このみち、このところ)、大きくもなく小さくもなく、自分でもなければ他者でもないし、昔からあるわけでなく、いま現れたわけでもないので、このような言い方となります (かくのごとくあるなり)。

このように (しかあるがごとく)、人がもし仏道を勉強してこれをあきらかにするとすれば (修證するに)、一つの法だけを得、一つの道だけに通じ、一つの法だけに出逢い、一つの法だけを理解することになります (得一法、通一法なり、遇一行、修一行なり)。これはこころの中のある場所であり (これにところあり)、そこへ行く道を良く知れば (みち通達せるによりて)、世界の端にあるまだ知られていない領域というのは (しらるるきはのしるからざるは)、この場所であることがわかり (しることの)、そこは仏法の窮まって尽きることのない真理 (究盡) と同じ場所でもあり (同生し)、同じはたらきをする (同參する) こともわかるでしょう (ゆゑにしかあるなり)。ここで得たものは (得處) かならず自分の理解となり (自己の知見となりて)、知識として知らなくても習う必要がなくなります (慮知にしられんずるとならふことなかれ)。もうこれ以上証明する必要のないほとけが即座にあらわれるとはいえ (證究すみやかに現成すといへども)、そのほとけは (密有) かならずしも目の前に現れるわけではなく (現成にあらず)、ほとけを見ることができる (見成) というそのことが必要なのです (これ何必なり)。

麻浴山宝徹禪師が、扇を使っているところに (あふぎをつかふちなみに)、僧がやって来て問う、
「風や空気の性質というのは常にここにあって、しかもその存在する場所もなければ、周りめぐることもないと言われています。和尚はどんなわけで扇をあおがれているのでしょうか? 」 (風性常住無處不周なり、なにをもてかさらに和尚あふぎをつかふ。)
宝徹師がいわく、「あなたはただ風性常住の意味がわかるだけで、(風性常住をしれりとも)、いまだところとしていたらずといふことなき、の意味を知りませんね (道理をしらずと)。」
僧いはく「これ無處不周底の道理とはどんなものでしょうか? (いかならんか)。」
ときに宝徹師、扇をあおるのみ (あふぎをつかふのみなり)。
僧、禮拜す。

仏法をあきらかにしてそれを調べ (佛法の證驗)、仏の教えを正しく伝える方法を探すのは (正傳の活路)、宝徹禅師の教えのようなものです (それかくのごとし)。風性がそこにあるなら扇であおぐ必要はなく (常住なればあふぎをつかふべからず)、扇がなくても風の音に耳を傾ければよいではないかというのは (つかはぬをりもかぜをきくべきといふは)、いつもある (常住) という意味を知らないし、ほとけが持つ空気の性質 (風性) をも知らないからです。ほとけというのは (風性は) 常にここにいる (常住なる) ために、ほとけを体現するものの (佛家の) 説法は (風は)、大地を黄金色に輝かせ (現成せしめ)、長江の発酵乳をおいしい味に変えるようなはたらきがあるのです (長河の蘇酪を參熟せり)。

正法眼藏見成公案第一

これは天元年中秋のころ、かきて鎭西の俗弟子楊光秀にあたふ。

建長壬子拾勒

二【摩訶般若波羅蜜】
『正法眼蔵』は般若心経を意識している。
しかし道元は「色即是空・空即是色」をあえて解体して、「色是色なり、空是空なり」とした。
『正法眼蔵』はあらゆる重要仏典の再編集装置であるといってもいい。

観音さまが (觀自在菩薩)、 智慧を使って彼岸を見る修行をしながら深く没頭していたとき (行深般若波羅蜜多時)、その全身の光で照らして見た (渾身の照見) 五蘊ごうんはすべて意識から切り離すことができることを知りました (五蘊皆空)。五蘊というのは現象世界と、それを感受するこころ、想うこころ、実行するこころ、認識するこころから成り立っています (色受想行識なり)、それには般若の面のように五枚の顔があり、それに光を当てて照らして見ることは智慧でもあります (照見これ般若なり)。この教えの大事なところが (宗旨) 説法としてじっさいに示されるときこう言われます (開演現成するにいはく)、現象世界は意識とつながっておらず (色即是空なり)、逆に世界を意識してそれとつながることもでき (空即是色なり)、意識は世界そのものとして現実に存在し (色是色なり)、世界と切り離されたこころもそれだけでまた存在することができるのです (空即空なり)、無数の風景があり (百草なり)、あらゆる事象が存在しているということなのです (萬象なり)。

十二枚の般若があり (般若波羅蜜)、これは眼・耳・鼻・舌・身・意の六根と、色・声・香・味・触・法の六境であわせて十二となります (十二入)。また十八枚の般若というものもあり、十二入に (眼耳鼻舌身意、色聲香味觸法)、眼耳鼻舌身意識等の六つをさらに加えたものです。また四枚の般若というものもあり、これは苦集滅道となり、また六枚の般若もあって、それは布施、淨戒、安忍、進、靜慮、般若となります。また一枚の般若波羅蜜ならば、それは今この目の前にあり (而今現成)、それはさとり (阿耨多羅三藐三菩提) とも言い、また般若波羅蜜が三枚あって、過去現在未來となり、また般若が六枚あれば、地水火風空識であり、さらにまた四枚の般若は、世の常に行はれる、行住坐臥であります。

お釈迦さまの弟子の中にひとりの僧侶がいて、ひそかにこんな風に考えていました。わたしは般若波羅蜜多という智慧のその奥深いところを敬い礼を尽くそうと思います。この智慧の中に世界が (諸法) が生滅してるのを見ることはできないけれども、それでも戒を守り、定を維持し、知慧を知り、またこの世の意識から抜け出し、その抜け出た状態から智慧を見るという別の方法 (施設可得) を使うことができます。またすべての認識を断ち (預流果)、その場所に行ってみたり (一來果)、この現世感覚にもどってこないようにしたり (不還果)、さとりを身につけた人となる (阿羅漢果) ように修行を設定 (施設可得) することもできます。またたったひとりでさとりを知る (獨覺菩提) ことも可能だし (施設可得)、またはほとけと同等のさとりを (無上正等菩提) 知ることもでき (施設可得)、またほとけと法とすぐれた僧侶を師とすることも (佛法僧宝) よいでしょう (施設可得)、または世界が存在し、生き物が活動している様子を見て (轉妙法輪度有情類) それを理解することもできるのです、と。

お釈迦さまは弟子のその考えを知って、こう言いました 「そうそう、まったくそのとおり。般若波羅蜜の奥深い智慧は、微妙であり、この世の知識ではなかなか測ることができないものです。」

(道元注) このような (而今) 弟子の考えは (一必蒭の竊作念)、この世のありさまを (諸法) 注意深く観察する (敬禮) ことで、生滅が消えた状態となり (雖無生滅の般若)、これに敬禮と名ずけたようで、このまさに敬禮の状態となったそのとき (正當敬禮時)、すみやかに智慧の仮のすがたがあらわれます (ちなみに施設可得の般若現成せり)。いわゆる戒律そのものや定のこころの状態、深い智慧、またはいのちのありさまといったもので、これに無と名ずけ、その仮のすがたとしての無は、このようにして得ることができ、これが奥深く微妙でしかも測りがたい (甚深微妙難測) 般若波羅蜜というものなのです。

天帝釋が、具壽善現に問うていわく、
「大徳よ、もし菩薩やさらにもっとすばらしいものたちが、甚深般若波羅蜜多を学ぼうと思ったら、どうすればよいのだろうか。」

善現が答えていわく、「橋尸迦 (天帝釈の前世の名前) よ、もしそのようなものたちが (菩薩摩訶薩)、甚深般若波羅蜜多を学ぼうと思うのなら、まさに虚空のように学ぶべきでしょう。」

(道元注) そうであれば、こころの奥深くにある智慧 (般若) を学ぶことがこの虚空というものであり、虚空の状態を理解すれば、それがまたこの智慧を学んでいることにもなるのです。

天帝釈はまたあらたまってお釈迦様に言います。世尊よ、もし善男子善女人たちが、いまここで話をしている甚深般若波羅蜜多について、それを受け継ぎ自分のものとし繰り返し読み、その理に従って考え、他のもののためにそれを説法するのであれば、わたしはまさにこれをどうやって守護すべきでしょう。ただ願はくは世尊よ、慈悲をもってご教示ください。

そのとき具壽善現が天帝釈に向かってこう言いました、橋尸迦よ、おまえはその法を守護する必要が有るとは見ないのか。

天帝釈がいわく、そうです大徳よ、わたしはこの法に守護すべき必要があるとは見えません。

善現が言う、橋尸迦よ、もし善男子善女人たちが、それを守る必要がないと知れば、それがそのまま甚深般若波羅蜜多を守ることになるし。もし善男子善女人たちが、世間で言われるようにそれを大切に守ろうとすれば、逆に甚深般若波羅蜜多は常に遠離しないことになってしまいます。まさに知るべきでしょう、一切の人であり人でないものたちが、甚深般若波羅蜜多をなにかのきっかけとして求め、損や害にならないように利用しようと欲せば、結局最後までそれを得ることができないのです。

橋尸迦よ、もしそれを守護しようと欲するならば、世間で言われるようにそれを守ればよいでしょう。甚深般若波羅蜜多と諸菩薩はすこしも異なることがなく、守護しようと欲することはそのまま虚空となることでもあるのです。

(道元注) しるべきです、法を受け継いでそれについて考えること (受持讀誦如理思惟)、これがすなはち般若を守護することになり。守護したければそれは受持読誦やその他いろいろなやり方になるのです。

天童山の如浄禅師がいわく、
(その風鈴は) 全身が口のようなもので、しかも虚空に引っかかっていて、
東西南北どこからの風でもよく音がなり、
自然やその他いろいなものと般若の智慧についてを談じています。
その音はチリンチリンと鳴っていて・・。

(道元注) これがほとけとともに代々伝わってきた智慧の本体です (談般若)。全身が般若であり、他のものが般若であり、自分が般若であり、東西南北が般若なのです。

お釈迦さまが言う、舍利子よ、これらもろもろの生きているものたちは、この般若波羅蜜多にたいして、ほとけがそこにいるかのように供養し礼を尽くし敬うべきです。般若波羅蜜多を思惟することは、まさにほとけを供養し礼敬するようなもので、そうする理由というのは、般若波羅蜜多は、ほとけとちがわないものであり、逆にほとけも般若波羅蜜多とちがわないものだからであり、般若波羅蜜多は即ちこれほとけそのもので、ほとけもまたすなわち般若波羅蜜多そのものなのです。

なぜそうなるかと言えば、舍利子よ、一切の如來應正等覺といった感覚のようなものは、みな般若波羅蜜多の智慧から出現することを得るわけであり、舍利子よ、一切の菩薩摩訶薩、独覺、阿羅漢、不還、一來、預流などといった修行の段階も、それらはみな般若波羅蜜多によりて出現することを得るということであって、舍利子よ、一切世間の十善業道、四靜慮、四無色定、五通といったこころやこの世の側面も、またみな般若波羅蜜多によって出現することができるものなのです。

(道元注) そういうことであるならば、ほとけは (佛薄伽梵) 智慧でもあり (般若波羅蜜多)、般若波羅蜜多は目に映る世界そのもの (是諸法) でもあります。この目の前の世界は中身が空っぽであるという側面も持っていて (諸法は空相なり)、現れたこともなく滅ぶこともなく (不生不滅)、きれいでも汚れてもいないし (不垢不淨)、増えたり減ったりすることもありません (不増不減)。この般若波羅蜜多の智慧が目の前に現れることは (現成) ほとけが現れることでもあります (佛薄伽梵の現成)。ぜひこの問題に取り組んでそれを身につけてください (問取すべし、參取すべし)。その智慧に供養し礼を尽くし敬意をはらうことは、これこそがほとけに (佛薄伽梵) あいまみえ、その真意を受け継ぐことであり、じっさいに出会ってみることこそが、ほとけそのものであると言ってもよいでしょう (奉覲承事の佛薄伽梵なり)。

正法眼藏摩訶般若波羅蜜第二

爾時天元年夏安居日在觀音導利院示衆
元二年甲辰春三月廿一日侍越宇吉峰舍侍司書寫之 懷弉

三【仏性】

四【身心学道】

五【即心是仏】

六【行仏威儀】

七【一顆明珠】
39歳のときの1巻。
道元の好きな「尽十方世界是一顆明珠」にちなんでいる。
よく知られる説教「親友に譲るものは最も大切な明珠であるべきだ」というくだりは、仏典の各所にも名高い。

八【心不可得】

お釈迦さまはこう言いました(釋牟尼佛言)、

過去を感じる心は得られず、現在を感じる心も得られず、
未来を感じる心も得られません。
(過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得。)

これがお釈迦さまの行きついた考えで、不可得という言葉は、過去現在未來を閉じ込めるために洞窟や籠を持って来たようなもの。とは言っても、それは自分の中に最初からある籠を持って来たということです。いわゆる自分の中(自家)と言うのは、心を得ることができない状態があり、そのため今ここで思量分別していても、心を得ることができないものはあります。一日二十四時間全身にあらわれるもの、これが心を得ることができないというものです。仏と呼ばれるものがやって来れば、心を得ることができないことがなにかを理解し、いまだ仏がやってこないのならば、心を得ることができないものに(それがなにか)聞くこともありません。道もわからないし、見聞することもありません。経典講釈師や学者の連中、まだ入り口にいるような連中は(聲聞覺のたぐひ)、まだ夢を見ていてそれを見てはいないのです。

そのあらわれた話は近くにあり、いはゆる徳山宣鑑禅師が、そのころ金剛般若經を完全に理解したと自分で称していて、または自分で周金剛王などと名乗っていました。とくに龍疏と呼ばれる注釈を得意と言っていて、さらに十二かつぎもの書籍を撰集していて、肩を並べる講釈師は他にいないという勢いです。そうであっても文字解釈の坊さんの流れの人です。あるとき、南方に代々相承されたこの上ない仏法があると聞いて、腹立ちまぎれに我慢できず、経典の注釈書を抱えて山や川を渡りそこへ向かいます。たまたまそこに龍潭の信禅師という寺があると聞き、そこで議論してみたいと向かいますが、その途中で休憩をしていると、そこに老婆がやって来て、徳山よりも路の側に休憩します。これを見た徳山は老婆に聞きます 「あなたはなにをしている人ですか? 」

老婆は言います「わたしは餅を買ってきた、ただの老婆だよ 」
徳山は言います 「わたしのために餅を売って貰えませんか? 」
婆 「和尚は餅を買ってどうするのかね? 」
徳山 「餅を買っておやつに(點心)しようかと」
婆 「和尚がそこに持っているものはなにかね? 」
徳山 「あなたは知らないでしょうけど、わたしは自分のことを周金剛王と言っていて、金剛經の解釈が得意なんですよ。解らないところはまずなくて、わたしがいま携えているのは、金剛經の解釈本です 」

徳山がそういうのを聞いて、老婆が言います 「この老婆に一つ質問があるけれど、和尚はこれを許すかどうか? 」
徳山 「許しますよ、あなたの心のままに質問してください 」
婆 「わたしが以前に金剛經を聞いたときにはこう言っていて、過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得とありました。いまこのうちどの心で、その餅をこころに食べさせる(點ぜん)のでしょうか? 和尚がもし道にかなった答えをできれば、餅を売るけど、和尚がもし道にかなった答えをできないならば、餅は売らないよ 」

徳山はこれを聞いて茫然としてしまい、なにも答えることができません。老婆はすぐに袖をさっと払って行ってしまい、結局餅を徳山には売りませんでした。

恨むべきでしょうか、数百軸もあるお釈迦さまの言葉、数十年にもわたる勉強の講釈師が、たかがよれよれの婆さんの一つの質問を受けただけで、あっという間に負け犬のようになってしまい、答えを見つけられないこと。正師を見ただけなのと正師について正しく教えを受け継ぐのと、正法を聞いたことがあるのと、いまだ正法を聞かないし正法を見たことがないのは、かなりな違いがありそのために、こうなるもののようです。

徳山はこのときはじめて言います、絵に描いた餅で、飢えをしのぐことはできないと。 いまは龍潭和尚の法を継いでいると称しています。

つらつらこの老婆と徳山との問答の意味を考えれば、徳山がこれ以前にわかったと思うことは、この話にあるようなことで(答えられない程度でしかない)。龍潭和尚に出会った後も、なお老婆を恐れることでしょう。このことは勉強を始めてから後で気がついたようなもので、証明の必要もない古仏というわけでもなく、老婆がそのとき徳山の口をふさいだとしても、本当にその古仏だっかはよくわかりません。その理由は、心不可得の言葉を聞いて、心は得られないし、心はあるはずがないからとだけ思って、こんなように質問したのかもしれません。徳山がもしよくわかった人ならば、老婆の意図を見破る力をあらわし、すでに見破っているのならば、その老婆が本物の古仏のような人である道理もあらわれたことでしょう。徳山がいまだ(後の)徳山でないのならば、老婆が古仏であるかどうかもいまだわからないということです。

現在の南宋にいる禅僧たちは、よくわからないまま徳山が答えられないことを笑い、老婆のふしぎな鋭さ(靈利)を誉めているのは、やや頼りないし、おろかなことです。そのわけは、老婆を疑ってみる理由もないわけではなく、いはゆるその時はまだ徳山は道を得てはいないので、老婆はなぜ徳山に向かって、和尚はまだ道がなにかわかっていないと言わないのか。さらに老婆に聞きたいのは、老婆は逆に徳山和尚のために(道について)なにか言うべきです。

もしこのように言えば、徳山もまた質問を返し、徳山に向かって道とはこういうものであると言うならば、老婆こそほんものの古仏のような人であることがわかったでしょうに。徳山がたとえなにか問うことができたとしても、いまだ道に至っていないし、むかしからいまだ一語も道について理解していないのに古仏その人であると言う言い方はあり得ません。無駄に自分が道を理解した人であると自称しても、結局はこの徳山のようになるだけなのです。いまだ道がどこにあるか解らないものに厳しくあたるのは、この老婆の様子を見て知ることでしょう。 ためしにわたくし道元が徳山のかわりに言うとすれば老婆がまさにそのように質問するならば、、徳山は老婆に向かってこう言うべきで、「それなら餅を買うのもやめましょう (恁麼則莫與吾賣餠) 」と。もし徳山がこのように言うことができれば、良くできた答えとなることでしょう。

老婆にもし徳山が逆に質問したとして 「現在心不可得、過去心不可得、未來心不可得。いま餅をどの心に食べさせるのか? 」

こんなように聞いてみたら、老婆は徳山に向かって言うべきで 和尚はただ餅の心を食べることはできないとだけ知っていて、心の餅を食べることを知らないし、心を心にそなへて食べさせるようなことも知らないのです 」

このように言えば徳山はきっと固まってしまい、まさにその時、もちひ三枚を徳山に手渡しすべきです。徳山がそれを手にとろうとしたまさにその時、老婆は言うべきで 「過去心不可得、現在心不可得、未來心不可得 」と。

もしまた徳山がその伸ばす手を躊躇するならば、餠を手に持ってそれで徳山を打って言うべきで 「それでは魂のない屍、ぼーっとしていてはいけません (無魂屍子、莫茫然) 」と。

このように言ったとして、徳山はなにか言うことがあれば良いのですが、もしなにも言うことがないのなら、老婆はさらに徳山のために言うべきです。ただ袖を打ち払って去ることは、袖の中に蜂がいるとも思われず(痛烈な皮肉がある)。徳山も自分は言うことができないし、老婆も自分のためになにか言ってくださいとも言いません。そうであれば、言うべきときに言わないだけでなく、質問すべき時にも質問することができない、同情すべきことなのです。

老婆と徳山の、過去心、未來心、現在心、を質問したり道を探ったりすることは、未來の心がまだ得られないということだけです

おおよそ徳山はそれより後も、さしたるアイデアがあるようにも見えないし、ただ粗雑なふるまいが伝わるのみです。もし長いあいだ龍潭和尚を訪ねて教えを請わなければ、頭に生えた龍の角が折れることもなかったでしょうし、龍の首の玉を正しく伝えられるチャンスもなかったでしょう。わずかにローソクの消えた後の闇を見る(吹滅紙燭)だけでは、仏の明かりを伝えるには不足なのです。

そうであれば修行にやってくる雲水は、かならず学ぶことに励まなくてはいけないし、カンタンにわかるものは仏ではないし、学ぶことに励めばそれが仏です。おおざっぱに言えば心不可得というのは、絵に描いた餅一枚を手に入れて、一口で噛み砕くことを言います

正法眼藏第八

爾時仁治二年辛丑夏安居于雍州宇治郡觀音導利興聖寶林寺示衆 (このとき1241年かのとうしの年、夏休みに京都宇治にある宝林寺にてみなのものに示します)

九【古仏心】

【大悟】
いったい何が悟りかと、仏教に遠い者も近い者も、それをばかり訊ねたがる。
しかし道元は、「仏祖は大悟の辺際を跳出し、大悟は仏祖より向上に跳出する面目なり」と言ってのけた。
これでわからなければ、二度と悟りなどという言葉を口にしないほうがいいという意味である。

  
十一【坐禅儀】

十二【坐禅箴】

十三【海印三昧】

十四【空華】
ここは世阿弥の「離見の見」を思い出せるところ。
道元はそれを「離却」といった。

十五【光明】
ここにも「尽十方界無一人不是自己」が出てくる。
尽十方界に一人としてこれ自己なるざるなし、である。
華厳は十方に理事の法界を見たのだが、道元は十方に無数の自己の法界を見た。

十六【行持】
「いま」こそを問題にする。
「行持のいまは自己に去来出入するにあらず。
 いまといふ道は、行持よりさきにあるにはあらず。
 行持現成するをいまといふ」
さらに道元は
「ひとり明窓に坐する。たとひ一知半解なくとも、無為の絶学なり、これ行持なるべし」とも書いた。

十七【恁麼】
「いんも」と訓む。
「そのような、そのように、どのように」というようなまことに不埒で曖昧な言葉だ。
これを道元はあえて乱発した。
「恁麼なるに、無端に発心するものあり」というように。
また「おどろくべからずといふ恁麼あるなり」というふうに。

十八【観音】

十九【古鏡】

二十【有時】
道元はつねに「無相の自己」を想定していた。
その無相の自己が有るところが有時である。

  
二一【授記】

二二【全機】

二三【都機】
ツキと読む、月である。
「諸月の円成すること、前三々のみにあらず、後三々のみにあらず」
道元は法身は水中の月の如しと見た。

二四【画餅】
「もし画は実にあらずといはば、万法みな実にあらず。
万法みな実にあらずば仏法も実にあらず。
仏法もし実になるには、画餅すなわち実なるべし」という、絶対的肯定観が披瀝される。

二五【渓声山色】
前段に「香巌撃竹」(きょうげんきゃくちく)、後段に「霊雲桃花」を配した絶妙な章だ。
百丈の弟子の香巌は師が亡くなったので兄弟子の為山(イはさんずい偏)を尋ねるのだが、そこで、「お前が学んできたものはここではいらない。
父母未生已前に当たって何かを言ってみよ」と言われて、愕然とする。
何も答えられないので、何かヒントがほしいと頼んだが、兄弟子は「教えることを惜しみはしないが、そうすればお前はいつか私や自分を恨むだろう」と突っぱねた。
そのまま悄然として庵を結んで竹を植えて暮らしていたところ、ある日、掃除をしているうちに小石が竹に当たって激しい音をたてた。
ハッとして香巌は水浴して禅院に向かって祈った。
これが禅林に有名な香巌の撃竹である。
「霊雲桃花」では、その竹が花になる。

二六【仏向上事】

二七【夢中説夢】

二八【礼拝得髄】
41歳のころの執筆。
きわめて独創的な女性論・悪人論・童子論になっている。
7歳の童子に対しても何かを伝えたいなら礼をもってするべきだというのだ。

二九【山水経】
曰く、「而今の山水は古仏の道、現成なり」「空劫已前の消息なるがゆゑに、而今の活計なり」「朕兆未萌の自己なるがゆゑに、現成の透脱なり」
これ以上の何を付け加えるべきか。

三十【看経】

  
三一【諸悪莫作】
ふつう仏教では「諸悪莫作」を「諸悪、作(な)す莫(なか)れ」と読む。
道元はこれを「諸悪作ることなし」と読んだ。
もともと道元は漢文を勝手に自分流に編集して読み下す名人なのだが、この解読はとりわけ画期的だった。
諸悪など作れっこないと言ったのだ。

三二【伝衣】

三三【道得】
禅はしばしば「不立文字」「以心伝心」といわれるが、それにひっかかってはいけない。
言葉にならずに何がわかるか、というのが道元なのだ。
それを「道得」という。
道とは「言う」という意味である。

三四【仏教】
「仏心といふは仏の眼精なり、破木なり、諸法なり」と、3段に解く。
道元の得意の編集だ。
そのうえで「仏教といふは万像森羅なり」とまとめた。
ここには十二因縁も説く。

三五【神通】

三六【阿羅漢】

三七【春秋】
しばしば引かれる説法だ。
暑さや寒さから逃れるにはどうしたらいいかという愚問に、正面きって暑いときは暑さになり、寒いときは寒さになれと教えた。
絶対的相待性なのである。

三八【葛藤】
かつてここを読んで愕然とした。
「葛藤をもて葛藤に嗣続することを知らんや」のところに刮目させられたのだ。
煩悩をもって煩悩を切断し、葛藤をもって葛藤を截断するのが仏性というもので、だからこそ仏教とは、葛藤をもって葛藤を継ぐものだというのである!
三九【嗣書】

四十【栢樹子】

  
四一【三界唯心】

四二【説心説性】
心性を説く。
しかしそこは道元で、一本の棒を持たせて、その棒をも持ったとき、縦にしたとき、横にしたとき、放したとき、それぞれを説心説性として自覚せよとした。
そこを「性は澄湛にして、相は遷移する」とも綴った。

四三【諸法実相】

四四【仏道】

四五【密語】
密語とは何げない言葉のことをいう。
その微妙に隠れるところの意味がわからずには、仏心などとうてい見えてはこないということ。

四六【無情説法】

四七【仏経】

四八【法性】
道元は37歳で興聖寺をおこしたが、比叡山から睨まれていた。
そこで波多野義重の助力によって越前に本拠を移す。
そして44歳のとき、この1巻を綴った。
「人喫飯、飯喫人」
人が飯を食えば、飯は人を食うというのだ。
飯を食わねば人ではいられぬが、人が人でいられるのは飯のせいではない。
飯を食えば飯に食われるだけである。
道元はこれを書いて越前に立脚した。

四九【陀羅尼】
ここは陀羅尼の意味を説明するのだが、それを道元は前巻につづけて、寺づくりは「あるがままの造作」でやるべきこと、それこそが陀羅尼だということである。

五十【洗面】

五一【面授】
いったい何を教えとして受け取るか。
結局はそれが問題なのである。
いかに師が偉大であろうと、接した者がバカチョンになることのほうが多いのは当然なのだ。
しかし面授は僅かな微妙によって成就もするし失敗もする。
道元は問う、諸君は愛惜すべきものと護持すべきものを勘違いしているのではないか。

五二【仏祖】

五三【梅花】
「老梅樹、はなはだ無端なり」
老いた老梅が一気に花を咲かせることがある。
疲れた者が一挙に活性を取り戻すことがある。
「雪裏の梅花只一枝なり」
道元は釈迦が入滅するときに雪中に梅花一枝が咲いた例をあげ、その一花が咲こうとすることが百花繚乱なのだということを言う。
すでにここには唐木順三が驚いた道元による「冬の発見」もあった。

五四【洗浄】

五五【十方】

五六【見仏】
自身を透脱するから見仏がある。
「法師に親近する」とはそのことだ。
相手を好きになるときに自身を解き、相手に好かれるときに禅定に入る。

五七【遍参】
仏教一般では「遍参」は遍歴修行のことをいう。
しかし道元は自己遍参をこそ勧めた。
そこに遍参から「同参」への跳躍がある。

五八【眼晴】

五九【家常」
六十【三十七品菩提分法】

  
六一【竜吟】
あるときに僧が問うた、「枯木は竜吟を奏でるでしょうか」
師が言った、「わが仏道では髑髏が大いなる法を説いておる」

六二【祖師西来意】

六三【発菩提心】
越前に移った道元はいよいよ永平寺を構えるという事業に乗り出した。
その心得をここに綴っている。
そしてその事業の出発点を「障壁瓦礫、古仏の心」というふうに肝に銘じた。
そこにあるものを寄せ集めた初心を忘れるなということだ。

六四【優曇華】

六五【如来全身】

六六【三昧王三昧】
仏教が最も本来の三昧とする自受用三昧のことである。
道元は三昧を一種としないで、つねに多種化した。

六七【転法輪】

六八【大修行】

六九【自証三昧】
ここにも岩田慶治が好んだ「遍参自己」が出てくる。
【遍参知識は遍参自己なり」と。

七十【虚空】

七一【鉢盂】

七二【安居】

七三【他心通】

七四【王索仙陀婆】
寛元4年(1249)、大仏寺は日本国越前永平寺となった。
開寺にあたって道元は寺衆に言った、「紙衣ばかりでもその日の命を養へば、是の上に望むことなし」と。

七五【出家】
道元は53歳の8月に入滅した。
遺偈は「五十四年、第一天を照らし、趺跳(ふちょう)を打箇して大千を触破す。
噫、渾身もとむる処なく、活きながら黄泉に陥つ」というものだった。