東洋思想と西洋思想の違い 一考!

ブログの再構築を通して一環しているのは、日本文化の美しさや東洋思想の素晴らしさを軸にした整理です。
見直しを始めて数か月余りということもあって、内容としてはまだまだ概略の触りぐらいにしかなっていませんが、その対比を図る想定で、今後は少しずつ西洋思想に絡んだものも整理の対象として加えていきたいと考えています。

では、そもそも東洋思想と西洋思想の大きな違いとは何なのでしょう?

がっつりと大きく全体を俯瞰してみてみると、その違いとは宗教観に基づく思想観です。

そもそも東洋においては、宗教や哲学という境界線が曖昧です。
もともとそういった考え方がなく、一体となった思想体系を為し、分けて考えられてきていないといったほうが正しいのかもしれません。

他方西洋においては、宗教と哲学の境界線が明確で、神の存在を証明しようとする神学がその境界線を繋いだ上で成り立っています。
そのため、宗教が異なっても原則として一神教であり、聖書・聖典というものすら共有しているため、そこで構成される世界観すら非常に似通っているのです。
神を唯一絶体の存在とし、教義が聖書であるためその存在や立場が何一つかわらないため、そこに論理的矛盾や整合性に支障を来たしても、それを補完したり教義の矛盾を解消するために見直したり修正することが出来ません。

しかし東洋の宗教は多神教であり、神様の数だけ教義も存在しますし、教義を創始した存在を超える神すら存在し、教えもどんどん成長・進化していきます。
大別すれば仏教、儒教、道教がありますが、
・仏教:お釈迦様という存在がありながら、その存在を超えた大日如来などの仏が数多存在する。
・儒教:孔子を創始者としながらも、その教えは発展し数多の教義と解釈が存在する。
・道教:老子を基点としながらも、こちらもその教えは数多展開し変化している。
といった状況です。
こうしてみた場合、東洋には神様・仏様が数多存在しており、その数以上に教えや考え方、物事の捉え方が存在していることがわかります。
教えや考え方、物事の捉え方が数多あるということは、教義上の矛盾もその中で見直したり解釈を補完したり問題点を解消することができるということです。

そんな東洋思想に代表される禅(ZEN)や瞑想、タオイズムなどが西洋から注目されるのは必然です。
そのため、西洋思想の哲学(心理学や精神学など)や文化・芸術(小説、映画、音楽、絵画、彫刻、建築物など)に多くの影響を与えています。
一神教世界観として確立しているため、宗教としてその教義を変えることは出来ませんが、そこで抱えた矛盾や問題解決は、東洋思想のエッセンスを利用して解消しているともいえます。

こうした柔軟な東洋思想の奥は広く、壮大な宇宙観を為しています。
このサイトで東洋思想のひとつひとつを取り上げて整理していく目的は、その宇宙観をひとつに纏め上げることではなく、精神性の幅を限りなく広げるための支援に外なりません。
今後は西洋思想にもその範囲を広げながら、更にその裾野を広げていきたいと思っています。

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