武経七書とは、北宋・元豊三年(1080年)、神宗が国士監司業の朱服、武学博士何去非らに命じて編纂させた武学の教科書です。
当時流行していた兵書340種余の古代兵書の中から『司馬法』『孫子』『呉子』『六韜』『三略』『尉繚子』『李衛公問対』の七書が選ばれ、武経七書として制定されました。
その中の『孫子』は、中国古典兵法書として知られる「武経七書」の中でも最も有名な兵法書であり戦略書です。
『孫子』は中国で最も古い兵法書でありながら、十分な内容を持っているので「孫子以前に兵書なく、孫子以後に兵書なし」とまで言われます。
しかも、他の中国古典の中でもこれ程日本人に親しまれ、活用されてきたものはないくらいの書物です。
おそらくは世界でも最も著名な中国古典になるのではないでしょうか。
ここ数年だけ見ても数多の関連書籍が出ていますので、どれかしら目に触れたり手に取られたりしていることかと思います。
『孫子』は黄帝の兵法書に孫武自身の経験に基づいた兵法を加えており、処世哲学の書としても不朽の名著とされています。
孫武は教養の低い兵士を機能させるために、人間心理の機微をつくことで、どんな人間でも使いこなせる統御術を考え出してまとめました。
こうした分かり易い点が、未だに親しまれている一因ともいえるでしょう。
なお『漢書』芸文志には「孫子兵法八十二篇圖九卷」とあり、篇数が現行本とはずいぶん異なっています。
なお現代では、13篇が経文で、残り69篇は注釈などではないかと言われているようです。
13篇から成る『孫子』。
前六篇が戦略、後七篇が戦術にかかわる内容で構成されています。
以下、各篇のポイントです。
第一 始計篇
・戦争の前によく熟慮すべきこと
・状況判断の大切さについて。
・戦争とは国家の大事であるから、熟慮せよ。
・五つの条件で戦おうとする相手と自分の実情を比べ、勝敗を判断せよ。
・戦争は騙し合いである。実情を相手に見せてはならない。相手を騙して動かせ。
第二 作戦篇
・戦争を始めるについての軍費、計画、状況判断の基準となる金とモノ
・戦争にはとにかく金がかかるので、長引くと損害が増えるだけでいいことはない。
・食糧は現地調達し、俘虜も優遇して味方にせよ。
・戦争の有害な面を熟知しておかねばならない。
第三 謀攻篇
・謀による攻撃つまり「戦わずして勝つ」為の戦略について
・戦わずに勝つのが最善である。
・相手と自分の規模に応じて戦い方を変えよ。
・君主はやたらに軍に口出ししてはいけない。
・相手と自分の情況をよく理解することが大事である。
第四 軍形篇
・攻守の態勢について
・相手に勝利を与えない態勢を作って待ち、相手が敗北の態勢になる機会を掴め。
・優勢な軍事力を集中させ、かつそれを勢いよく動かして加速し力を得るのが「形」である。
第五 兵勢篇
・その態勢から発動する勢いについて
・究まりない「奇」「正」の運用によって勝利を得る。
・すばやい運動により生じる「勢」と瞬発力の「節」によって勝利を得る。
第六 虚実編
・主導制の把握について
・機先を制して主導権を握り、相手をこちらの思いのままに動かせ。
・相手にこちらの態勢を知られないようにすれば、相手の力を分散させられる。
・相手の態勢に応じてこちらの態勢も変えるので、決まった形の勝利というものはない。
第七 軍争編
・戦術の原則
・機先を制するために競うことが重要であるが、危険もともなう。
・相手の心理状態を利用して戦え。
・武田信玄で有名な「風林火山」もこの編からの引用で、軍隊をどのように動かすべきかが記載されています。
「その疾きこと風の如く、そのしずかなることは林の如く、侵掠することは火の如く、動かざることは山の如く」(其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山)
第八 九変編
・戦時における各種矛盾の解決策について
・臨機応変に対処せよ。
・必ず利害両面のことを考えよ。
・将軍の性格に起因する五つの危険に注意せよ。
第九 行軍編
・合理的な情報活動
・駐屯地には土地に合わせて有利な場所を選べ。
・敵の様子によって情況を判断せよ。
・兵士には普段から規律を守らせ将軍と心を一つにさせよ。
第十 地形編
・リーダーシップの本質
・合戦する場所の地形による対処方法を熟知しておくべきである。
・軍隊・兵卒の管理には注意せよ。
・敵味方の情況と天地の情況を理解し判断することが重要である。
第十一 九地編
・人間と組織の管理について
・戦場の種類によって対処方法に注意せよ。
・兵卒を戦わざるを得ない情況に追い込み、率然(大蛇の名)の如く戦わせよ。
第十二 火攻編
・火攻めの論、戦争の哲学
・火攻めには種類があり、ふさわしい時期を考えて行え。
・戦争とはとりかえしのつかない損害をともなうものであるから、必ず慎重にせよ。
第十三 用間篇
・スパイに関する論、情報の本質
・勝つために信頼できる情報を得よ。
・五種類の間諜をうまく使って敵情を知ったり、敵を混乱させたりせよ。
『孫子』では、戦争とは騙し合いであり、戦わずして勝つ、それが最上の策であるとまで言わしめています。
これは、戦争の本質と実体にきちんと向き合っている内容となっている優れた兵法書というだけでなく、現代においても十二分に通用する考え方です。
・実戦前に自軍と敵軍の条件を冷静にして綿密に比較検討する
・準備万端に図り、自軍が勝てる状況とする策を練る
・敵軍の正確な情報を得る反面、自軍の情報は決して漏らさない
・実戦では臨機応変に対応し、柔軟な陣形にて望む
といった、非常に慎重で細かい配慮が行き届いた内容となっていますが、この軍を人や会社に当てはめてみた場合、腑に落ちることが満載されています。
これは、各編をそれぞれ読み進めてみると更に細かく参考にできることに気付かされることからも明らかです。
数千年前の兵法書であり戦略書である『孫子』が今の時代でも読み継がれているのは、そこに処世哲学の真理が分かり易く記されているからです。
古典に学ぶの言葉を噛み締め、この混沌とする時代の局面で状況を判断するための指南書のひとつとして活用していきたいものです。
以下参考までに、現代語訳にて一部抜粋です。
【第一 始計】
孫子曰く、戦は国の大事である。国の死活、国家の存亡に関連する。よくよく考えねばならない。
すなわち5つの条件ではかり、7つの条件で比較検討して状況を判断する。
5つの条件とは、道・天・地・将・法である。
道とは、民が統治者と心を同じにし、死生をともにすることをためらわないようにさせることである。
天とは、陰陽、寒暖などの自然現象のことである。
地とは、遠近、険易、広狭、死生などの地勢のことである。
将とは、智、信、仁、勇、厳などの将軍の能力のことである。
法とは、編制、服務規律、装備のことである。
この5つの条件は、将軍であれば誰でも聞いていることであるが、よく理解している者は勝ち、そうでない者は敗れる。
よく知るには次の7つの条件を検討して状況を判断する。
すなわち、どちらの君主がよい政治をしているか。
どちらの将軍が有能か。
自然現象と地勢はどちらに有利か。
法令はどちらがよく行われているか。
軍はどちらが強いか。
士卒はどちらがよく訓練されているか。
賞罰はどちらが明確に行われているか。
これらを検討すれば、私なら戦う前に勝敗がわかる。
この私の献策を将軍が採用すれば、必ず勝つ。
そうすれば私は留まって献策するでしょう。
採用しなければ、必ず敗れる。
そうすれば私は去るでしょう。
戦場でわたしの状況判断が採用されれば、勢いを生じ、廟堂の外、戦場における戦いが有利になる。
勢いとは、合理的判断の上に立ち、情勢に応じ臨機応変の処置を行うところに生まれる。
戦いには、敵をあざむく駆け引きをする必要がある。
例えば、能力があるのに能力がないように、ある戦法を用いているのに用いていないように、近くにいるのに遠くにいるように、 遠くにいるのに近くにいるように見せかける。 利益を見せて敵を誘い出し、敵を混乱させて勝ち、戦力が充実していても慎重策を取り、強いのに敵の攻撃を避け、敵を脅してその勢いをくじき、 下手に出て敵を驕らせ、敵が楽をしている時は、これを疲弊させる。敵の同盟国と親しくして、敵国との離間を謀る。
敵の備えがない所を攻め、敵の思いがけないことをする。
これが兵法家の勝ち方であるが、その前に合理的手法を取得することが必要である。
開戦前の宗廟での軍議で、勝利した者は、その軍議で勝利の見込みが多かった。
開戦前の宗廟での軍議で、敗北した者は、その軍議で勝利の見込みが少なかった。
つまり勝利の見込みが多ければ勝ち、少なければ負ける。
まして勝つ見込みが無いのに勝てることはない。
合理的に判断すれば、勝算の多少、有無は開戦前でも必ず分かる。
【第二 作戦】
孫子曰く、戦いにおいて、快速戦車1000輌、輸送車1000輌、武装兵10万を千里の遠くに遠征させ、これに糧秣を送れば、国の内外での軍費、外交費用、武具の膠や漆の購入費、 武装兵や馬を養う費用などのために、1日に1000金を必要とする。10万の軍を動かすにはこれだけの出費が必要なのである。
よって戦で勝っても長期戦になれば、兵力を弱め士気を衰えさせ、城を攻めれば戦力を消耗させる。
また軍を長い間、軍を戦場におけば、国費は不足する。
兵力を鈍らせ、士気を衰えさせ、戦力を使い果たし、国庫を窮乏させれば、諸侯はこの疲弊につけこみ、軍を起こして叛き、たとえ有能な臣がいても収めきれない。
それ故、戦いは速やかに戦って勝利をおさめることは聞いても、長くかかって、よい結果を得たためしがない。
まして長期戦になって国に利益をもたらしたということは、例が無い。
故に兵を用いる危険を知らない者は、兵を用いて利益を得ることを知ることが出来ないのである。
善く兵を用いる者は、二度と徴兵せず、糧秣を三度も戦地に送らず、軍費は本国で調達するが、糧秣は敵地で調達する。
ゆえに糧秣に不足することはない。
戦争で国が貧しくなるのは、遠征して輸送距離が遠くなるからである。
輸送距離が遠くなれば民は貧窮する。
軍の付近にいる者は足もとを見て、品物を高く売る。
高く売るので軍費は増大して、民は困窮する。
民の財が尽きれば労役に駆り立てられる。
力が屈し、国家の財は欠乏し、民の財は空になる。民はその財産の七割を失う。国家は破損した戦車、疲労した馬、甲冑、弓矢、大型矛、大楯、役牛、荷車などの補修のため、 国費の六割を失う。
故に智将はつとめて敵国の食糧によって軍を養う。
敵国の食糧1鐘はわが国の20鐘の価値があり、敵国の馬糧1石はわが国の20石に相当する。
敵を圧倒するには敵愾心が必要である。
敵の利を取るためにはその財貨を奪うことである。
戦車戦にて戦車10乗を奪ったら、真っ先にその者を表彰し、捕獲戦車の旗印を味方の物に代えて戦列に加え、敵の兵をよく待遇してそのまま使う。
これこそ敵に勝って、さらに戦力を増す方法である。
戦いは勝つことが大切であるが、勝っても長引いてはいけないのである。
速戦即決が戦いの要諦であることを知る将は、国民の生死、国家の安危を担うことのできる者である。
【第三 謀攻】
孫子曰く、戦いは国に損害を与えないことを上策とし、敵国を破ることは次策である。
軍に損害を与えないことを上策とし、敵軍を破ることは次策である。
旅師団に損害を与えないことを上策とし、敵の旅師団を破ることは次策である。
卒に損害を与えないことを上策とし、卒を破ることは次策である。
隊伍に損害を与えないことを上策とし、隊伍を破ることは次策である。
ゆえに百戦百勝することは、最善ではない。
戦わずして敵を屈服させるのが、最善なのである。
最上の戦い方は、武力行使前に敵の謀略を見抜くことである。
その次は、敵国を孤立させることである。
その次は、武力を使って攻めることである。
下策は、城を攻めることである。
城を攻めるのはやむをえない場合に限る。
城攻めの機器を整えるのには3ヶ月もかかる。
土を盛って城壁を登る路を作るのに3ヶ月もかかる。
将は耐えきれなくなって人海戦術で強攻し、軍の三分の一を失い、しかも城を落とすことができない。これが城攻めを忌む理由である。
戦い上手は、敵軍を屈服させるが、戦った結果ではない。
敵城を落とすが、それは攻めた結果ではない。
敵国を破るが、長期戦の結果ではない。
必ず損害を受けない方法で天下を争う。
したがって自軍に損害を与えることなく、完全に利益を得ることができる。
これが謀をもって敵を攻める戦法である。
戦い方は、戦力が敵に10倍であればこれを包囲し、5倍であればこれを圧倒し、2倍であれば敵を分散させ、同等であれば兵法を駆使して戦い、 少なければ逃げ、かなわないと思ったら最初から戦わない。
小兵力で大兵力の敵に戦いをしかければ捕虜になる。
将は国君の補佐役である。
将と君の関係がよければ国は必ず強く、関係が悪ければ国は必ず弱い。
軍が君主のことを患えるのは次の3つのことである。
戦況が進むべきではないことを知らずに進めと言い、戦況が退くべきではないことを知らずに退けと言う。これを軍を束縛するという。
軍政を知らない君主が、将軍の軍政に干渉すれば、将兵は迷う。
用兵を知らない君主が、将軍の用兵に干渉すれば、将兵は疑う。
全軍が迷い疑えば、諸侯はこの隙を見て反乱を起す。
これを自ら軍を乱して勝ちを失うという。
勝ちを確信できる5つの条件がある。
戦ってよい時と戦ってはいけない時を知る者は勝つ。
彼我の戦力比に応じた戦法を使うことのできる者は勝つ。
上下が共通の利害を認めている場合は勝つ。
よく配慮している者がそうでない敵に対する場合は勝つ。
将が有能であり、君主がこれに干渉しないものは勝つ。
この5つの条件は勝ちを知っている者にある。
故に言う、敵を知り己を知っていれば、百戦しても危ういことはない。
己を知っていても敵を知らなければ、勝敗は半々である。
敵を知らず己も知らなければ、必ず敗れる。
【第四 軍形】
孫子曰く、古の名将はまず負けないように備えてから、敵に勝つ隙を待った。
敵が勝てないようにするのは、自分のやり方次第である。
敵に隙ができるかどうかは、敵のやり方次第である。
ゆえに名将は、負けないようにすることは自分の努力でなんとかなるが、敵に隙を作らせて勝つことはなんともできないことがある。
よって古来、勝つべき方法は知ることはできても、実際に勝つことは難しいと言うのである。
勝てないものは守勢になる。
勝てるものは攻勢になる。
守りになるのは、国に不足があるからである。
攻めることができるのは、国に余剰があるからである。
守るには地の底に潜るようにし、攻めるときには高い天空から見下ろすようにする。
こうすれば敵に負かされることなく、よく敵に勝つことができる。
誰もが勝利を知ることができるような戦いは、善の善であるものとは言えない。
世の人が善い戦いであると評価した戦いも、善の善であるものとは言えない。
動物の細い毛を持ち上げても力持ちとはされず、太陽や月が見えるからといっていい目であるとは言われず、 雷の音が聞けても、よく聞こえる耳とは言われない。
古の名将は、勝ちやすいようにしておいてから勝つのである。
よって名将が勝っても、名作戦という評判や手柄を立てるということがない。
よって敵と戦って勝つことは間違いない。
間違いないとは、戦えば必ず勝つということである。
なぜならすでに敗れている敵と戦って勝つからである。
名将は不敗の立場にたって、敵の敗北の要素を失わないのである。
勝つ軍は、まず勝つ見通しをつけてから戦い、敗れる軍は、まず戦いを始めてから勝つ見通しをさがす。
名将は、道・天・地・将・法を理解して実行する。
よって勝敗を思うようにすることができる。
兵法には手順があり、度、量、数、称、勝がある。
戦場の地形を利用するのが度。
度は量(投入する戦力の判断)を生み、
量は数(軍の編成を定める)を生み、
数は称(配備の重点を決める)を生み、
称は勝(勝ちの見通しをつける)を生む。
すなわち勝兵は、鎰(20両の重い物)をもって銖(24分の1両の軽い物)の兵力と戦うようなものであり、敗兵は銖をもって鎰の兵力と戦うようなものである。
名将は蓄えた水の堰を切り、深い谷に流し落とすような戦い方をして勝つのである。
【第五 兵勢】
孫子曰く、少数の兵を統率するのと同じように多数の兵を統率できるのは、編成がよくできているからである。
少数の兵を戦わすのと同じように多数の兵を戦わすことができるのは、命令系統がよくできているからである。
軍が敵の攻撃を受けても絶対に敗れないようにするのは、奇と正の使い分けである。
軍を敵に差し向けると、固い石を卵にぶつけるような威力を発揮させるのは、虚と実をよく見分けることである。
戦いは正をもって敵にあたり、奇をもって勝ちを決すものである。
奇に熟達した者は、次々と妙手を出して、天地が万物を生み出すようであり、黄河や長江の水のように尽きることが無い。
終わったと思えばまた始まるのは月日のようである。
死滅してまた生起するのは春夏秋冬の変転のようであり、音は五音にすぎないが組み合わせによってできる曲は無限である。
色も五つにすぎないが、組み合わせによってできる色は見極められない。
味も五つにすぎないが、調理によってできる味は無限である。
戦の基本は奇正の二つにすぎないが、その組み合わせは無限である。
奇正が生じ、その変転循環して終わるところが無く、
その終始は誰にもわからない。
激流が石を浮かし流すようなことができるのは勢いである。
猛鳥が軟らかい羽で小鳥の骨や翼を砕くことができるのは、打撃の時機が適切であるからである。
このように名将の攻撃は、勢いが激しく、瞬間的な威力を発揮する。
勢いは張っている弓矢のようであり、好機を狙ってその一瞬に発射するようなものである。
戦でわが軍は非常に入り混じり混乱しているように見えるが、
その実は統制がとれているから、円を画いて陣を展開するから破られないのである。
乱と治、怯と勇、弱と強は元来同じもので、容易に変わりやすい。
治乱は編成の良否によって決まる。
勇怯は軍勢の有無によって決まる。
強弱は軍形の状態によって決まる。
敵を動かす名将は、敵をこちらの動きに応じて動かせ、こちらが利益を示せば敵は必ずこれを取ろうとする。
ゆえに利を見せて敵を誘い出し待ち構えた本陣がこれを討つ。
名将は勢いよって勝ちを得ようとし、将兵の努力ばかり依存しない。
すなわち個人をあてにしないで、集団としての勢いを重視する。
このような名将が軍を動かすと、木石を転がすように自然であり、軽快である。
木石というのは、安定すれば静止するし、傾けば転がり、方刑にすれば静止し、円刑にすれば転がる。
名将が円石を高い山から転がすように軍を動かすのは、勢いの活用を知っているからである。
【第六 虚実】
孫子曰く、敵に先んじて戦地に到着して敵を待ち受ける者は有利に戦うことができ、 遅れて戦地に到着する者は、消耗した戦力で戦わなければならない。
よって名将は、自分の思うように戦況を動かして敵に動かされることはない。
自軍に有利なところでも敵が好んでやってくるのは、利益をかざして戦うからである。自軍に不利なところでも敵がやってこないのは、 損害を与えるようにしむけるからである。
よって敵を苦労させ、満腹でいる敵を飢餓に落としいれ、平静にしている敵を動揺させることができる。
敵の必ず行く所へは先手を取り、敵の予期しないところへ行って意表をつくことができる。
千里の行軍をしても疲労しないのは、敵の抵抗のない所を行くからである。
攻撃すれば必ず取るのは、敵が防御していない所を攻めるからである。
防御して必ず堅固なのは、敵が攻撃できない所にいるからである。
ゆえに名将が攻めれば、敵はどう守ってよいかわからないのである。
名将が守れば、敵はどう攻めたらよいかわからなくて困惑する。
微妙なるかな、微妙なるかな、このような軍は敵に見えなくなってしまう。
神秘なるかな、神秘なるかな、このような軍は敵に聞こえなくなってしまう。
ゆえに敵の死命を制することができるのである。
進軍して敵が防御できないのは、敵の備えのない所を攻めるからである。
撤退するのに敵が追撃できないのは、行動が迅速で敵が追いつけないからである。
わが軍が戦おうと思えば、たとえ敵が城壁を高くし堀を深く掘っても、それを棄てて出撃しなくてはならなくなるのは、 敵がどうしても救わなければならないところを攻めるからである。
わが軍が戦うまいと思えば、地に線を引くことだけで防御しようとしても、敵に攻められないのは、敵が攻めるべきでない所にいるからである。
敵の作戦を暴露させ、わが軍の作戦を秘匿すれば、わが軍は戦力を集中して分散した敵を攻めることができる。
自軍がまとまって一となり、敵が分かれて十となれば、自軍の十をもって敵の一を攻めるようなものである。
すなわち自軍は衆で、敵は寡となる。
衆をもって寡を撃つということは、自軍が戦いたいところで戦うことができることである。
自軍が戦いたいところは、敵が知らないところである。
敵が知っていれば、敵はそれに備えて衆となる。
敵が備えて衆となれば、必然と自軍は寡となる。
すなわち前方を備えれば後方が手薄となり、後方を備えれば前方が手薄となり、左を備えれば右が手薄となり、右を備えれば左が手薄となり、 すべて備えようとすれば手薄にならない所がなくなる。
受身になっているから兵力が足りなくなるのである。
主導権を握れば、敵を寡にして自軍を衆にすることができる。
ゆえにあらかじめ戦の地を知り、戦う日を決め、主導権を握ることができれば、千里の地でも有利に戦うことができる。
戦いの場所も時日も知らなければ、左右の部隊が互いに救援できないし、前後の部隊が互いに救援ができなくなる。
まして数十里、数里も部隊を分散させてしまえば、各個撃破される。
私が見るところ越軍は多数であるが、多数であることが勝ちにつながるとは限らない。
わが軍は多数の力を発揮させないような作戦で勝つべきである。
敵が多数といっても、戦うことができないようにさせるのである。
あらかじめ彼我の利害得失を検討し、敵の反応を見て、敵の態勢を暴露させて、地形の有利不利を知り、敵と接触して配備の厚薄を知る。
軍の最高の形は、敵にわからなくさせたものである。
こうすれば深く侵入する間者でも、わが軍の事情を窺い知ることはできないし、敵の知恵者も策を立てることができない。 敵の現わした形に応ずる戦法によって、衆に勝つのであるが、多くの人にはそれがわからない。
人は皆、わが軍が勝った状況は知っているが、勝った要因である無形の妙を知らない。
同じような勝ち方を繰り返さず、敵の形に無限に応じるのである。
軍のとる形は水に似ている。
水は高いところを避けて低い所に流れ、軍は抵抗の多いところを避けて抵抗の弱いところを攻める。
水が地形によって流れを決めるように、軍は敵情に応じた勝ち方を決める。
軍に決まった能勢なく、水に常形はないのである。
敵の変化に対応して勝ちを収めることこそ、神技というものである。
五行は互いに勝ち負けを続け、春夏秋冬も常に変化し、日も短長を繰り返し、月も満ち欠けを繰り返す。兵に常勢がないのはこのようである。
【第七 軍争】
孫子曰く、戦いにあたっては、将軍は君主の命を奉じ、軍隊を集め、国民を徴兵し、出征軍を編成して集中し、態勢を調える。
軍が戦って利を争うことより難しいものはない。
軍が利を争うのが難しいのは、回り道を近道とし、不利を有利に変えることである。
敵よりも回り道を進む時は利益で敵を釣って遅らせたり、出発が敵より遅れても敵より早く到達することができるのは迂直の計を知る者といえる。
軍争の目的は利益獲得だが一歩誤ると多きな危険をともなう。
全軍を挙げて前進すれば行動が遅くなり利を得られない。軍を各部隊に分ければ速度の遅い輜重隊は捨てられる。
甲冑を捨てて昼夜かまわず走り続け、行程を倍にして強行軍をして百里も前進すれば、三軍の将は敵の捕虜となり、体力の弱い者は脱落し、 10人に1人の者だけ残る。
五十里の行軍で利を争えば、前軍の将は戦死し、兵の半分は脱落する。
三十里の行軍で利を争えば、戦場に到達できるのは三分の二である。
軍は糧秣がなければ戦えない。
糧秣を集積した倉庫がなければ戦えないものである。
諸侯の考えていることがわからなければ外交はうまくできない。
山林、険阻、河川湖沼などの地勢を知らないものは、軍をまとめることはできない。
道案内を使用しない者は、地形を有利に活用することができない。
用兵の要点は自分の作戦を敵に察知されず、利を求めて動き、状況に応じて兵力の配分を行うことである。
軍の行動は、風の如く迅速に、林の如く整然と緩徐に、火のように激しく攻撃し、山のように泰然として動かない。その姿や計画は暗闇のようにわからず、 行動は雷鳴のように激しい。
物資を調達するには軍を分散し、土地を占領した時には各部隊に有利な地を守らせ、兵力はなるべく分散させない。
このように迂直の計を知る者は勝つのである。
これが軍争の要訣である。
戦場では、指揮官の声は遠くまで届かないから、鐘や太鼓を信号とする。
指揮官の位置、行動は遠くから見えないから、旗で合図をするのである。
鐘や太鼓、旗は将兵の情報を斉一にし、意図統一をはかるものである。
将兵の心気を専一にすれば、勇者も一人で勝手に進まず、卑怯者も勝手に退くことをしない。
これが多数の人間を指揮する方法である。
夜の戦いには松明や焚火を多くし、昼の戦いには旗を多く用いるのは、敵の耳目を疑わせるためである。
よって戦いは敵の気と敵将の心を奪うことが肝心である。
人の気力は、朝は新鋭で、昼は鈍り、夜は衰える。
だから善く兵を用いる者は敵の気の新鋭なときを避け、衰えるときに撃つのである。
これを気を治めるという。
自軍の将兵の心を治めて敵の乱騒に乗じる。
これを心を治めるという。
近くに布陣して遠くからの敵を待ち、安楽にして疲労した敵を待ち、給養をよくして悪い敵を待つ。
これを力を治めるという。
正正と進軍する敵を撃ってはならない、堂々と構えている敵陣を攻めてはならない。
これを変を治めるという。
高地に陣する敵を攻めてはならない。
高地を背後にしている敵を攻めてはならない。
いつわり逃げる敵を不用意に襲ってはならない。
鋭気のある敵を攻めてはならない。
餌兵につられてこれを攻めてはならない。
整然と戦場を去ろうとする敵を攻めてはならない。
敵を包囲してもわずかに逃げ路を空けておかなければならない。
死にもの狂いの敵に迫ってはならない。
これが兵を用いるやり方である。
【第八 九変】
孫子曰く、戦いにあたっては、将軍は君主の命を奉じ、軍隊を集め、国民を徴兵する。
戦では、作戦困難な地に宿営してはならない。
交通上の要地は外交によって支配下に入れる。
交通連絡が不便な地に軍をとどめてはならない。
山川に囲まれた地に入ったら、脱出する工夫をせよ。
危ない地に入ったらただ戦え。
道があるからといって、進まねばならないというものではない。
敵を見たからといって、戦えばよいというものではない。
城があるからといって、攻めればいいというものではない。
戦略上の要地だからといって、取ってはならないものもある。
君命も状況によっては、従わないこともある。
このように地形とその利用法にはいろいろあり、これに精通する将こそ、用兵を知るといえる。
たとえ地形をよく知っていても、その利用法を知らない将は、地形の利を知っているとはいえない。
また利用法をよく知っていても、実行する術をもたない将は、兵を率いて戦うことはできない。
智者は何事をするにも必ず利害を合わせて考える。
不利な時でも、有利な点はあるから、これを伸ばし活用する。
有利な時でも、不利な点はあるから、万全な対策をとる。
諸侯を思うようにするには、従わない者に害を与え、諸侯を働かせるには仕事を与え、諸侯を誘うには利をかざせばよい。
兵を用いるときは、敵が攻めてこないと期待して作戦をたててはならない。
また攻められては困るが、大丈夫だろうと期待してはならない。
将には乗じやすい弱点が5つある。
敵が必死であれば、これを容易に殺すことができる。
敵が生に執着するなら、捕虜にしやすい。
敵がカッとしやすい性格なら、思慮分別をなくさせることができる。
敵が廉潔過ぎる性格なら、これを馬鹿にして思慮分別をなくさせることができる。
敵が情に厚い性格なら、民兵に苦労をしいれさせば戦意を失わせることができる。
これらの欠点は、将として致命的なものである。
兵を用いるときの危険はこれに起因する。
戦いに敗れ、将が命を失うような大事は、必ずこれに起因する。
これらのことを十分に理解しなければならない。
【第九 行軍】
孫子曰く、軍の行動と配置、敵の兆候について述べる。
山地を通過するには、谷沿いに進め。
敵に近づいたら、高所を占領して有利な態勢を整え。
高所の敵を登りながら攻めるようなことをしてはならない。
これが山地に対処する方法である。
河を渡ったら、必ず河岸から離れよ。
敵が渡河してきたら、これを水上で攻めてはならない。
半分渡らせてから攻撃すれば有利である。
戦おうとすれば、河岸に直接布陣して敵を迎えてはならない。
有利に展開するため高所に位置せよ。
また上流に向って進軍してはならない。
これが河に対処する方法である。
沼沢湿地帯は速やかに通り過ぎてしまえ。
もしその中で戦うことになったら、水草のある所を選び、林を後にして布陣せよ。
これが沼沢湿地帯に対処する方法である。
平地では行動容易な所を選び、高地を右背にし、不利な地を前に置き、有利な地を後ろに置くように布陣せよ。
これが平地に対処する方法である。
この4種の方法によって黄帝は四帝(蒼帝・炎帝・白帝・黒帝)に勝つことができたのである。
軍は高所を選んで低地を避け、陽のあたる南面を選んで北面を避け、給養をよくして気力体力を充実させておけば、病気や災害を防ぐことができる。
これを必勝の用兵という。
丘陵や堤防のあるところでは必ず陽のあたる所に布陣し、高い所を右後に置け。
これが兵法上有利であり、地形を効果的に利用するというのである。
上流で降雨のため水流が増してきたら、渡ろうとしても、その鎮まるのを待つべきである。
両側が断崖である深い谷川、井戸のような低地の湿地帯、牢獄のように山に囲まれた狭い土地、草木が繁茂して動きが取れない土地、大地の割れ目のような谷地があったら、 速やかに通り過ぎて、この付近にいてはならない。
このような地形は、自軍は遠ざかるが、敵軍を近づけるようにし、自軍はこれを前面にし、敵軍はこれを背後にさせるようにする。
付近に険阻の地、沼沢地、芦などの繁茂地、森林、草木の密生地があれば、必ず入念に捜索しなければならない。
敵の伏兵が隠れていることが多いからである。
わが軍が近づいても静かでいる敵軍は、布陣している地形に自信を持っているからである。
わが軍が近づく前に挑戦してくる敵軍は、わが軍を誘い込もうとしているのである。
動く気配のない敵軍は、現在の地に何かよいことがあるからである。
多くの樹木がざわざわ動くのは、敵が潜行しているからである。
草木によって視界をさえぎっているのは、わが軍に疑念を抱かせようとしているのである。
鳥が飛び立つのは、伏兵がいるからである。
獣が驚いて走り出るのは、敵部隊が隠れているからである。
砂塵が高く舞い上がって尖っているのは、戦車が来るのである。
砂塵が低く広がっているのは、歩兵が来るのである。
砂塵が散らばって細長いのは、敵の小部隊が炊事用の薪を集めているのである。
砂塵が少なく往復移動するのは、敵が野営準備をしているのである。
敵の軍使の言葉はへりくだっているが、背後の軍が戦闘の準備をしているのは、攻撃するつもりである。
敵の軍使の言葉が強硬で、背後の軍が進撃の気勢をしているのは、退却するつもりである。
戦車を先頭に出し、側に歩兵を配備するのは、戦うつもりである。
条件もなしで講和を請うのは、敵が何かたくらんでいる。
敵が右往左往しているのは、何かをしようと決めている。
敵が進むのか退くのかはっきりしないのは、わが軍を誘い込むつもりである。
敵兵が武器を杖にして立っているのは、食糧不足である。
水を汲んですぐ飲むのは、敵の水が欠乏しているのである。
進めば有利なのに進まないのは、敵兵が疲労している。
鳥が集まっているのは、すでに敵兵は去っている。
夜、敵の人声が高いのは、将兵が不安にかられている。
敵の軍営が乱れて騒がしいのは、将の威令が行われていない。
旗がむやみに動くのは、敵軍の秩序が乱れている。
幹部が怒声をあげるのは、敵兵が戦意を失っている。
馬を殺してその肉を食べているのは、敵の食糧はつきている。
炊事具を使っておらず兵が宿舎に帰っていないのは、窮迫している。
幹部がねんごろに部下に話しかけているのは、信頼を失っている。
賞が多すぎるのは、軍の動きが取れなくなり、将が苦しんでいる。
罰が多すぎるのは、兵が疲労している。
将の言動が、最初は乱暴で後に部下を恐れるようになるのは、統率を知らないのである。
敵の軍吏が低姿勢で接してくるのは、敵軍が休息を欲している。
敵が決戦する勢いを見せながら、長い間動かないときには、必ず敵情判断をせよ。
軍は、兵力が多いのを貴ぶのではない。
多数を頼んで暴進のではなく、よく統率し、戦力を統合発揮するとともに、敵情を判断して勝つことに努めなければならない。
配慮が無く無謀な戦いをすれば、将自ら捕虜とされるだろう。
兵が将に親しんでいないのにこれを統率しても、兵は服従しない。
服従しなければ、これを用いることはできない。
兵が将に親しんでいるが、将がこれを統率しなければ、使いものにならない。
まず法令をよく教えてから、威力をもってこれを守らせる。
これができれば必勝の軍となれる。
法令が行われていて、それを以て民を教育すれば、民は服従する。
法令が行われていなければ、民を教育しても服従しない。
平素から法令が行われていてこそ、将は衆の心をつかむことができる。
【第十 地形】
孫子曰く、地形には通、挂、支、隘、険、遠の6つに大別される。
彼我両軍とも戦闘行動が自由な地を通という。
通形においては、よく見えて南面した高地に陣し、補給路を確保して戦えば、勝機がある。
彼我両軍の間に密林などの障害があり、前進はよいが退却が難しい地を挂という。
挂形において、敵が戦備を整えていなければ、攻めれば勝てる。
挂形において、敵が整備を整えていれば、せめても勝てないし、退却が困難となる。
彼我両軍の間に河川沼沢などがあり、両軍とも前進が難しい地を支という。
支形において、敵の誘いに乗って、先に攻撃に出てはならない。
戦場を去り、敵がつられて出てきて兵力が分散されたところを撃てば有利である。
隘形において、わが軍が先に到着したら、必ず十分な兵力を配置して、敵を待ち受けるのがよい。
敵が先に占領している場合は、戦わないほうがよい。
しかし敵が十分に兵力を配備していなければ、戦え。
険形において、わが軍に先に進出できたら、南面の高い地を占領して、敵の出てくるのを待つ。
敵が先に進出していたら、戦場を去って、敵の徴発にのってはならない。
遠形において、戦力が同等であれば、戦いを挑むことは不利である。
これら6つのものは、地形に応ずる用兵の原則であり、将としての重大責務である。
十分に理解しなければならない。
敗軍には、戦わず逃げる、将の統率不足、兵自体が弱い、無謀な戦いをする、組織的な力が発揮できない、将に智謀が無い、に分けられる。
これら6つのものは、不可抗力ではない。
将の過ちである。
勢いが均しく10倍の敵と戦って敗北する軍を走という。
兵が強く、官吏が弱い軍を弛という。
官吏が強く、兵が弱い軍を陥という。
官吏と兵の意見が合わず、腹を立てた官吏が敵に向かい勝手に暴進する。
将が部下の能力を知らないためである。
これを崩という。
将が弱くて賞罰の執行が厳正でなく、指揮も正確でないため、官吏も兵も軍律を守らず、軍が烏合の衆となることを乱という。
将の敵情判断能力が不足し、少数の兵で多数の敵に当たらせ、軍内に特別精鋭部隊がないことを北という。
これら6つのものは敗戦を招く例である。
これをわきまえて失敗しないようにするのは、将の重大責務である。
十分に理解しなければならない。
地形は重要であるが、補助手段にすぎない。
敵情を把握して勝ちを制し、険阨遠近の地形を適切に判断するのは、上将の条件である。
このことを知って戦う者は必ず勝ち、これを知らずに戦う者は必ず敗れる。
戦いにおいては、将が必ず勝つと判断したら、君主が戦うなと言っても、戦ってもよい。
戦においては、将が勝てないと判断したら、君主が戦えと言っても、戦わなくてよい。
進軍しても自分の名誉を求めず、敗退しても責任を避けることをせず、ただ将兵の命を無駄にせず、君・国の利を第一に考える将は、国の宝である。
将が兵を赤子のように愛すれば、
兵は深い谷でもついてくる。
将が兵を愛する子のように扱えば、
兵は死の危険もかえりみない。
厚遇するだけで働かせず、愛するだけで罰しなければ、乱れても治めることができず、わがまま息子のようになる。
こうなっては用いることはできない。
わが軍に敵を攻撃する戦力があるのを知っていても、敵がわが軍の攻撃を破る戦力があることを知らなければ、勝ちの見込みは半分である。
敵にわが軍を攻撃する戦力があるのを知っていても、わが軍が敵の攻撃を破る戦力があることを知らなければ、勝ちの見込みは半分である。
敵を攻撃すれば勝てることを知り、わが軍に攻撃能力があることを知っていても、地形を知らなければ、勝ちの見込みは半分である。
ゆえに兵を知る者は、行動を起しても迷わず、戦えば行き詰まることはない。
すなわち彼を知り己を知れば、勝ちはまちがいない。
そのうえ、天の時、地の利を知れば、完全に勝てる。
【第十一 九地】
孫子曰く、用兵は地形を散地、軽地、争地、交地、衢地、重地、?地、囲地、死地の9つに大別する。
自国領内で戦う場合の戦場を散地という。
敵国領内であり、国境に近い戦場を軽地という。
彼我ともに占領すれば有利であり、争奪戦が起きやすい要地を争地という。
彼我ともに進撃しやすい戦場を交地という。
諸侯と国境を接しており、先立って占領すれば諸侯を制することができる地を衢地という。
敵国領内に深く侵入し、後方に城邑が多くある地を重地という。
山林、湿地、湖沼など行動困難で、軍を消耗させる地を?地という。
入る道は狭く、出る道は遠回りで、少数の敵に苦しめられるような地を囲地という。
すぐ戦えば活路を見出すことができ、戦わなければ全滅する地を死地という。
それゆえ、散地では戦ってはならない。
軽地に止まってはならない。
争地は敵より先に占領せよ。
交地では補給路を絶たれないようにしなければならない。
衢地では親交工作によって諸国を味方にせよ。
重地では物資を徴発して、糧秣を確保せよ。
?地では早く通り過ぎよ。
囲地では工夫せよ。
死地ではとにかく戦え。
古の名将は、敵の組織破壊に努めた。敵の前後の部隊が相互策応できないようにし、主力と各部隊の相互援助をできなくさせ、上司と部下の心を分断し、 兵を分散させ、整備された戦いをさせないようにする。
有利ならば戦い、有利でなくては戦わない。
それでは問う。
敵の大部隊が整然と進軍してきた。
これに対応するにはどうすればよいか。
答えて、まず敵がすてておけない急所をつけば、勝つことができる。
およそ戦いは機敏迅速を第一とする。
先手を打ち、敵の意表に出て、その備えのないところをつくことである。
敵国に侵攻すれば、わが軍は戦いに専念できるが、敵は帰郷の心が強くなるため勝ちにくくなる。
侵攻軍は豊穣な土地を占領し、将兵の給養を十分にしなければならない。
戦力を貯えて持久を図り、攻勢に出られる力を保持する。
作戦を練り、敵が対応できないような戦法をとる。
兵を死地に投ずれば、死の危険にさらされても全力を尽くして戦う。
死を覚悟すれば、どうして人は力を尽くさないことがあろうか。
兵士は窮地に陥るとかえって懼れなくなり、脱出するところがなければかえって固く守り、敵国に深く侵入すれば団結し、他に方法が無ければ必死に戦う。
それゆえ、兵は教育しなくても自ら戒めて、要求しなくても軍紀を守り、要求しなくても任務を守り、誓約しなくても忠実であり、法令を設けなくても誠実である。
占いを禁じ、迷信を追放すれば、士卒は心奪われることなく死ぬまで戦いに専念できる。
幹部は最小限の財貨しかもたない。
それは財貨が欲しくないからではない。
幹部は命を投げ出して戦う。
それは命が惜しくないからではない。
戦闘の命令が下ると、座っている士卒は、涕で襟を濡らし、寝ている者は頤まで涕をこぼす。
このような兵を死地に投げ込めば、全員が勇者になる。
名将の統率する軍は、率然のようである。
率然とは常山の蛇である。
その首を打てば尾が攻撃し、尾を打てば噛み付き、中を打つと首尾がともにかかってくる。
敢えて問う。
兵を率然のようにすることが可能なのか。
可能である。
例えば、呉人と越人は非常に仲が悪い。
しかし同じ舟に乗っていて、大風にあって舟が転覆しそうになれば、両手のように協力する。
馬をつなぎ合わせて戦車を備えても十分ではない。
兵を激励して、全員一様に勇者にするのがその方法である。
適切な軍の編成と九地に適用する。
ゆえに名将は、全将兵が手をつないでいるかのように使うことができるのは、そのように仕向けるからである。
将軍の態度は、冷静で奥深く、厳正で適切でなければならない。
兵士の耳目を利かせないようにし、意図を悟られないようし、作戦内容や変更を知らせないようし、駐屯場所や進路などを知らせないようにする。
戦いに臨んでは、兵を高いところに登らせて、その後に梯子を取ってしまうようにし、
敵地に深く侵入して攻撃する場合には、乗ってきた舟を焼き、釜を壊し、背水の心境にして死地の覚悟を決めさせる。
羊の群のように飼い主の意のままに駆り立てられ、自らはどこへ行くのか知ろうともしない。
このようにして全軍をまとめて、行く所がないところに投ずる。
これこそ将帥の統率である。
将帥は九地の変、消極積極策の採用、環境に反応する将兵心理の法則などをよくわきまえなければならない。
敵地に深く侵入すれば、戦うことに専念し、浅い場合には、他の事に心が分散される。
国境を越えて敵と戦う時は、本国との連絡が不便で、絶地である。
交通便利な要地は衢地という。
深く敵領内に入った地は重地という。
あまり敵領内に入らない地を軽地という。
後方が険阻で、前方が隘路である地を囲地という。
逃げられない地が死地である。
散地においては将兵の心を戦うことに専念させるようにする。
軽地では陣頭に立って部下の掌握を確実にし、
争地では陣後に立って軍を後方から追いたて、
交地では守りを厳重にし、
衢地では友好を固め、
重地では糧秣の補充追加につとめ、
?地では早く通り過ぎ、
囲地ではあえて逃げ道をふさいで将兵を必死にさせ、
死地では、死戦するほかないと宣言すべきである。
戦場における兵士の心理は、完全に包囲されれば防戦し、他に方法がなければ進んで戦い、敵国内に侵入すれば、命令に従う。
諸国の国家戦略を知らなければ、外交に成功しない。
山林・険阻・沮沢の地を知らなければ、軍を進めることはできない。
土地の人を使わなければ、地形を利用することはできない。
九地のうちひとつも知らなければ、覇者の軍の将帥とはいえない。
覇者の軍というものは、大国を攻めても、その大軍を集結して対抗させるようにはしない。
諸国を威圧すれば、恐れて連合して防衛することはできない。
故に外交に気を使うこともなく、天下の権は自然に入ってくるので、ただ自分の思い通りに振舞うだけで諸国は威圧を感じて戦意を失う。
故にその城を陥し、その国を征服することが簡単に出来る。
破格の賞や、政令を無視した厳しい処罰を行使して、
大軍も一人を使うように意のままに運用する。
部隊を動かすには事実や行動によることに勉め、言葉や文章によることはしないようにする。
軍を亡地に投じ、死地に陥れ、必死の覚悟をさせる。
人間は危難に陥った時、初めて本来の能力を発揮し、勝敗を決することができるのである。
戦いにあたっては、よく敵の意図を把握し、
戦力を集中すれば、千里の遠くの敵将を大勝することができる。
これこそ善く戦う者といえる。
すなわち会戦の廟議が決したならば、直ちに国境の関所を閉鎖し、通行手形を破棄し、使節の往来を禁止する。
廟堂において厳粛精励に軍事を議す。
敵国の隙を見つければ、速やかにこれに乗じる。
ひそかに好機を待ち、かねて計画したところにもとづき、
敵情に従って、一気に勝ちを決する。
最初は処女の如く慎重にし、敵の隙を見出したら、脱兎の如く突進して一気に勝ちを決するのが名将である。
【第十二 火攻】
孫子曰く、火攻めには5つある。
第一に、住民地や兵を焼くことである。
第二に、集積した軍需品を焼くことである。
第三に、輜重隊の軍需品を焼くことである。
第四に、倉庫内の軍需品を焼くことである。
第五は、軍隊を焼くことである。
火攻めを成功させるには、原則によることが必要である。
必ず一定の材料と準備しなければならない。
火攻めには、これに適する時がある。
火攻めには、これに適する日がある。
その時とは、空気の乾燥した時である。
その日とは、月が箕・壁・翼・軫の星座の方向にある日である。
この四星座は、風が起こる日にあたる。
火攻めは、ただ火をつけるだけでなく、必ず次の五火に対する敵の動揺に乗じて、適切に兵を用いなければならない。
敵陣内で火が出たら、速やかに外からも敵を攻める。
敵陣内で火が出ても、敵兵が騒がないときは、しばらく攻撃を待ち、
火の効果をよく確かめ、敵に隙ができたと判断したら攻撃し、敵に動揺がなければ攻撃を止める。
敵陣外に火を放つ場合は、敵陣内のことを考慮することなく、ただよい時を選んで行う。
風上で火が出た時は、風下から攻撃してはいけない。
昼に吹き続けた風は、夜になると止む。
軍は5つの火攻戦法の原則を知り、適切な技術でこれを管理しなければならない。
火は両刃の剣であり、これを管理できる者が善く使用できる。
一方、水攻めは即効性は無いが強力で持続性がある。
水は交通を遮断するものであるが、敵そのものを破壊することはない。
戦に勝って土地を取っても、土地が疲弊していれば功とはいえない。
これを空費滞留、すなわち国費を無駄使いするという。
よって、聡明な君主は戦争の重大さをよく考え、良将はよくその実行方法を管理するというのである。
軍は国の利益にならなければ動かさず、勝利を得る見込みが無ければ用いず、国が危うくなければ戦わない。
君主は怒りにかられて開戦してはならない。
将は憤りの感情にまかせて戦いをしかけてはならない。
勝機があれば動き、勝機が無ければ戦をやめる。
怒りは悦びに変わることが出来、慍りも悦びに変わることが出来るけれども、いったん滅亡した国をまた興すことはできず、
死者を再び生き返らせることは出来ない。
ゆえに明君は戦争を慎重に行い、良将は軍の発動をむやみにしないようにする。
これこそ国を安泰にし、軍をむやみに損傷させない方法である。
【第十三 用間】
孫子曰く、十万の大軍を動員し、国を出て進攻すること千里になれば、国民の費用、国家の出費は一日千金にのぼる。
そのため家の内外は大騒ぎとなり、輸送に使役されて道路で動けなくなったり、本業に携ることができない家は七十万にも達する。
軍を率いて数年になりながら、勝敗が決するのは一日である。
そのため、官位や俸給を惜しんで敵情を知ろうとしないのは、結局、民に対して思いやりがないことになる。
情報を軽視することは将帥の資格はないし、
君主の補佐として不適格であるし、
勝利を手にする人物ではない。
明君賢将が軍を動かして勝ち、他の人より優れた成功を収めるのは、まず敵情を知ることにある。
先に敵情を知るのは、祖先の霊に祈って得られるのではなく、占いによって得られるのではなく、日月の位置によって判断するのではない。
必ず人間を使って敵情を確かめなければならない。
敵情を知るには5つの間者があり、郷間、内間、反間、死間、生間がそれである。
五間を一斉に活躍させながら、それを敵味方にも知られない。
これを神業という。
これができる将は君主の宝である。
郷間はその地の住民を用いるもの、内間は敵国の官吏を用いるもの、反間は敵の間者を逆用するもの、死間はいつわりの情報を敵に与えるもので、 自分の間者はこれを知っていて敵に教えるのである。
生間は情報を得て、帰って報告するものである。
ゆえに軍において、間者ほど連絡を密接にするものはないし、
間者より重い賞を受け取る者はない。
間者ほど仕事を秘密にしなければならないものはない。
よって優れた智恵と洞察力をもっていなければ間者を用いることはできず、愛情と判断力に優れていなければ間者を使うことはできず、 人心の機微を知らなければ間者の利益を得ることはできない。
なんときわどいことか、間者を用いることの難しさは。
間者を発する前に、そのことが人の噂になるようであれば、間者とその噂をしている者を皆殺さなければならない。
わが軍が攻撃しようとする時、城を攻めようとする時、要人を殺そうとする時は必ずまずその主将、側近、取次役、守衛、雑用者などの姓名を知らねばならない。
そのためには間者を使って必ず諜報させる。
敵の間者が潜入しているのを察知して、利益を約束して、連れて来て宿舎を与えて優遇する。
これを反間として用いるべきである。
その口から敵情を得ることができる。
すなわち郷間や内間として使える人物を用いるべきである。
その口から敵情を得ることができる。
よって死間は偽りの情報を敵に伝えることができるのである。
その口から敵情を得ることができる。
よって生間は予定の時期に帰ることができるのである。
五間のことは、君主は必ずよく知っていなければならない。
反間の活用によって他の四間が活用できるのである。
とくに反間は重視しなければならない。
昔、商が建国されたときには、伊尹は夏におり、
周が建国されたときには、呂尚は商にいた。
このようにただ明君賢将だけが優秀な人物を間者とすることができ、大きな功績をあげることができる。
間者は軍の要であり、軍の行動はこれに依存するところが大きい。