学問のすすめより学ぶ!天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずの真意とは!

『学問のすすめ』は、福沢諭吉が著した十七編17分冊からなる書物で、人間の自由平等と独立の思想に基づいた明治啓蒙期の代表的著作です。
最終的には340万部以上売れたとされていますが、当時の日本の人口が3500万人であったことからすると、とんでもないベストセラーであった訳です。

そんな超メジャーな『学問のすすめ』ですが、
 「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」
という冒頭の言葉から、自由と平等を謳った書物だと捉えてしまう方も多いかもしれません。
しかし『学問のすすめ』は
・封建卑屈の精神を批判し
・人民が従来の卑屈・無気力な状態を脱却して、
・自由独立の気風を身につけるために「一身独立して一国独立する」ことを教え、
・そのために「人間普通日用に近き実学」を西洋から学ぶべきだ
と説いた、個と国家の変革を促す革命の指南書であり、日本の近代的合理主義的な人間観、社会観、学問観の出発を示す書なのです。

140年前の幕末当時と現代は、ある種非常に似た時代だと言われる傾向にありますが、それは
・海外から押し寄せたグローバル化の波によって、鎖国状態からいきなり世界との競争を強いられ、
・それまでに培ってきた封建的な制度が瓦解して、格差の問題が大きな課題となり、
・なんとか凌いで維持してきた国家の財政は危機的に状況に陥り、
・それに伴って、社会的な不安と問題が噴出して国家に対する不信感が積り、
・歴史的な大きな転換期にあって、その確たる方向性がはっきりとは見いだせない、
ということからも、多くの共通点が伺えますね。

想像するに、幕末期の日本は、現代日本とは比べ物にならない程の閉塞感と不安に脅かされていたはずです。
そんな中から未曽有の国難を乗り越え、約260年以上続いた旧幕府構造は刷新されて、明治という新しい統治体制を手に入れることができました。
現代の私達はこの社会不安の中、危機感ばかりを募らせて、何をどうしていいのかという未来への道筋を見つけられずに停滞しがちです。
しかし、先人が歩んだ道を振り返り、逃げ場のない状況の中で自らの手で新しい国や社会を作る、という明治維新の時代の人達と同じ意識を持つことから、まぶしい明日は始まるに違いありません。

明治初頭に出版されて当時の10人にひとりは持っていたと言われる歴史的名著『学問のすすめ』は、「何故140年前の日本は変われたのか?」というヒントと共に、自己変革と革新が学べる最適な書物のひとつであるはずです。
そういった意味からも『学問のすすめ』を改めて整理してみたいと思います。

【初編】

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずといへり」

人は生まれながら平等であると言われているが、現実には大きな差がある。
それは何故であろうか。
その理由は、学んだか学ばなかったか、である。

そのためには、学問を身に付け、自分の役割を果たし独立すべきである。
自由とわがままは異なるのである。
学問とはその分限を知ることである。

現在の日常に役立つ「5つの実学」こそ最優先で学ぶべきである。
(1)自らの日常に役立つ学問
(2)世界の見聞を広めてくれる学問
(3)実務を適切に処理できる学問
(4)物事の性質を見極める学問
(5)今日に必要とされる問題解決ができる学問

自分の行いを正し、学問を志し知識を広め、各自の立場に応じて才能と人格を磨き、外国と対等に付き合い、日本の独立と平和を守ることが急務である。

【二編】

学問の目的とは、知識・見聞を広め、物の道理を理解し、人間としての責任を自覚することである。

国民 :税金を払い 国法を守る 責任・義務を尽くす。
政府 :税金を正しく運用し、法令を定め、悪人を罰し、善人を保護する。

国民と政府の相互関係があってこそ、平等となるのである。

圧政の原因は国民が無知だからに外ならない。

問題は一人の権力者や暴君のせいではなく、国益にならないばかりか害になる恥知らずの愚か者に因る。
こうした者に対しては道理を説くよりも、止む無く力で脅して鎮めるしかない。

また圧政を逃れるためには、学問を志し、才能と品格を磨き、政府に対抗して、同等の資格と地位に立つ実力を持つことが肝要である。

【三編】

時代の変革期には過去勝者だった3つの存在が敗北することになる。
・古い身分制度に依存する者
・実際の効果を失った古い学問に固執する者
・直面する問題に当事者意識のない個人・集団・国家

道義を守る国と我が国は外交を広め、道義なき国とは勇気をもって交渉を打ち破ることが必要である。

個人が独立してこそ、一国の独立も可能なのである。

それぞれに独立の精神がないことから生じる害悪としては、以下のようなものがある。
1、独立の精神がないものは、国を愛する心も浅く、いい加減。
2、自分自身に独立の自覚がない者は 外国人に自分の権利を主張出来ない。
3、独立の気力なき者は 他人の権力に頼って悪に走る。

こうしたことを肝に銘じ、独立の精神を培うべきである。

【四編】

日本の将来に対する悲観論として、以下が挙げられる。
・今後の日本の盛衰は、人間の知恵では明確に予想はできないが、このままでは将来国としての独立を失ってしまうのではないか。
・日本の自主独立が守り切れるかどうかは、20年~30年経ってみなければわからないのではないかと、疑問を持つ者もいる。
・ひどく日本を蔑視している外国人の説に流されて「日本が独立してやっていくのはとても無理だ」と悲観論に染まる者もいる。

しかし、こうした悲観論を打ち破るべく、その実例を示すべきである。

勿論、個人としては知識人だが、公務員に属するとその個性を発揮できない者も多い。
個人で事業を興し、国民が頼り得る目標たる人物になるべきである。

事を始めるには、詳しく説明するに越したことはない。
そのためにも、自ら実例を示すのが最良の方法である。

【五編】

日本の国家的独立に関する悲観論の一方で、この国には慢心や過信が極めて広がりやすい傾向もある。

文明を起こすのは 民間人であり、保護するのが政府である。
文明や発明に国民が喜びを共感し、誇りに思う事で、気力を高め国の独立を助長するのである。

官と民間の力が均衡する時、国力は増大し、独立の確かな基礎が固まり、外国と同等に付き合う事ができる。

読書は学問の手段である。
また、学問は実践の方法である。
実地に臨み経験を踏んでこそ、勇気と力が生まれるのである。

その上で、以下のような、視野を広げて思考するリアリズムの上に立つ努力が必要である。

(1)現実を視るべし、学ぶ者とそうでない者の人生に差がつくのは当然である。
(2)政府も国も、国民の賢さに比例する。だから日本人は賢くなるべきである。
(3)グローバル化で、多くの物事が海外との比較で対処しなければならない。
(4)社会が変化する時には、特有の新しいチャンスが生まれる。
(5)井の中の蛙になるな、世界は広い。

【六編】

政府は国民の代理で、国民の思うところに従い、事を行うものである。
政府の務めは、罪ある者を捕らえ、罪なき者を保護することにある。

国民は、政府との約束を固く守り、法に従い保護を受ける。
もし政府の処置が間違い、犯した罪を曖昧なままとするならば、その不条理さを訴えるべきである。
間違っても、個人が政府を差し置いて、勝手に天誅を下してはならない。
国のためを思うなら、手段を選ぶべきである。

国法の尊さを知らない者は、法律の目をくぐり、陰で罪を犯しても恥とも思わない。
そのため、仮に見つかっても法を犯したという反省を持たず、見つかった身の不幸を嘆いているだけである。

国民は、法律が不便だと思えば、遠慮せずにこれを論じ訴えるべきである。
しかし、すでにその法が施行されている間は、その法を守るのが義務である。

【七編】

国民の義務
・法を守る   :国法は不正・不便と思っても、それを口実に これを破る道理はない。
・税金を納める ・政府はそれを国民の利益のために運用し、国民は政府の保護を受ける。

政府の暴政に対する国民の行動としては、以下のものがあげられる。
 1.自分の主義を曲げて政府に従う
  ⇒一度不正を認めると、その悪習は子々孫々に蔓延る。
 2.力で政府に対抗する
  ⇒内乱が起きると善悪などは問題外になり、戦力の強弱だけで勝敗が決まる。
 3.主張を貫いて身を捨てる
  ⇒議論すれば、良い法律や優れた政策は残り、政府は改善される。

事の軽重は、単に金銭の大小、人数の多少で論ずべきではない。
それが、世の文明に真に役立つかどうかが問題なのである。

【八編】

人間が鳥や獣と違う点は、子を教育し、人間としての交際の道を教えるということである。

人間には、身体・知恵・欲・良心・意思がある。
これら5つを上手く活用して適切なバランスを取ることが、良い人生の秘訣である。

他人の権利を妨げさえしなければ、自由に行動することができる。
人との付き合いにおいて自分の分限を超えないことが大切な生き方なのである。

良く生きるための4つの秘訣を以下に示す。

(1)物事を始める「欲」は必ずしもマイナスではない
(2)適切なバランスこそ最も大切なものがある(なくても困る、過剰でも困る)
(3)モノや他人の姿に支配されない独立した精神を獲得する
(4)社会の幸福を損なうだけの「怨望」を避ける

【九編】

衣食住の安定を求めるのは、自立した個人としては当然のことであり、それだけで満足してはならない。
社会の一員としての立場を自覚し、社会の発展に尽くさなければならない。

ただ他人に迷惑をかけないだけでは、世の中の役に立つことにはならない。
酒も飲まず、遊びもしない人間は、単に、世の中に害を及ぼさぬ人間にすぎない。

【十編】

多少なりとも長所があれば、それを世の中に役立てたいと思うのが人の常である。
ときには、世のためという意識がないのにもかかわらず、知らず知らずのうちに子孫がその恩恵を受けることもある。
文明は祖先が残してくれた莫大な遺産である。

世の中の有様は次第に進歩していく。
昨日便利とされていたものが、今日では不便になる。
去年の進歩も、今年はありふれたものになるように、日々物事は進歩し水準が上がる。
我々の責務は、現代社会に生きた痕跡を残し、これを後世に伝えることである。

【十一編】

上に立つ者の基本的な考えとは、以下である。
「世の民衆などは みな無知で、かつ善良である。
 だからこそ民衆を指導し、助力し、教育しなくてはならぬ。」

実現不可能な政治は、国民にとっては迷惑となる。
思いやりのある政治は理想的だが、政府の人間も国民も完璧な聖人賢人ではない。

こうした場合に重要なのは、地位身分ではなく、職務に伴う責任を果たすことである。
職務を確実に果たすならば、地位身分に伴う権限があっても差し支えない。

地位身分など無いと考えて勝手に国法を破ったり、役人が民間事業に介入しては混乱が生じる。
自主や自由は、無政府・無法ではない。

【十二編】

学問の本質は、自分がどう活用できるかにかかっている。
知識は、議論により交換したり、公開して広めるように努めなければならない。

人の見識・行動は、崇高・難解な理論を語るだけで高潔になるわけではない。
理論と実生活に大きな隔たりがある人間は、とても見識のある人間とは思えない。

では、人の見識、品格を高めていく方法にはどんなことがあるか。
その秘訣は物事のありさまを比較して自分を高め、自己満足に陥らないことである。
比較においては個々一点を比較するのではなく、こちらの全体とあちらの全体を比較して、双方の良いところ悪いところをすべて観察すべきである。

更に、有効な学問(=実学)を学ぶ前の前提となる3つの武器が必要である。

(1) 直面する問題への当事者意識を持つ
(2) 2つの疑う能力と判断力を磨く
(3) 怨望を避け、逆の行動指針を持つ

【十三編】

欲望は、発揮される場所・強弱・方向によっては、一概に悪徳とは言えない。
しかし、怨望は悪徳以外のなにものでもない。

怨望から生まれる行動事例には、以下のようなものがある。
・働き方が陰険、自分から積極的に何かを成すことがない
・他人の様子を見て自分に不平を抱き、自己反省ではなく人に多くを求める
・不平を解消して満足する方法は、自己の向上ではなく他人に害を与えること

世間との付き合いを嫌い他人との交際を避けている者は、相手の人物をろくに知ろうとせず、伝え聞いたことのみで判断し、勝手な思い込みで忌み嫌う。
こうした者は、お互いに競い合い、実際に話し合うことで怨望や嫉妬を根絶すべきである。

自分より優れた人、幸福な人に出会ったら自分に欠けている部分をまず補い、自らを向上させることで、優れた人と同じ高さに少しでも近づく努力をする。
相手が自分より幸せであれば、相手の足を引っ張ることなく、自分もより幸せになれる努力をする。

幸や不幸、名誉と汚名、貧富や貴賤などは、本人自身が選びとった結果であるようにしたい。

【十四編】

期限の長い計画は一見立派なことを予定しているようだが、期限が迫るにつれてその計画の具体的内容が説明できなくなる。
その問題は、実現の可能性や期間の正確な予測を考えず、気楽に事をみていたためである。
今直ぐ実行するという人間は稀である。

こうしたことから、普段から自分の仕事や学問の記録をきちんとつけ、できるだけ問題が出ないように心掛けねばならない。

どこまで成功したか、まずいところはないか、同じ方法で大丈夫か、ほかに工夫できることはないかといったことを点検することが必要である。

「世話」という語には、保護と命令の2つの意味がある

保護とは、金や物を与え、時間をさいて、利益や名誉を守ってやり面倒をみること
命令とは、人のために役立つことを指示し、損にならぬように意見すること

保護と命令とは、ともに目的が等しく、両方そろって一つの世話となる。
これが崩れると問題が生じる。
世間や政治においても、行き過ぎた保護が見られる。

貧困だからという単純な同情だけで保護してはならない。
貧困になった原因や、その人物が悪人かどうかを よく調べる必要がある。

人生全て計算ずくな理屈だけで割り切れるものではないが、慈悲の精神は その用いるところをしっかり判断することが重要である。

【十五編】

何を信じ 何を疑うか、選択する力が必要である。
学問とは結局のところ、この判断力を養うことにある。

日本の旧習を嫌って 西洋の文物をことごとく信用するのは、実に軽率の極みである。
新しい西洋文明を盲信し、欠点までも真似しようとしている。
無批判に妄信するくらいなら、いっそ信じないほうが良い。

西洋と日本の文明を比較し、信じるに足るものを信じ、疑わしい点に疑問を持ち、どれを採り入れ、何を捨てるのか、正しく選ぶことが大切なのである。

そのため、疑う能力を高めること、そして疑った上での判断力の重要性が大事なのである。
1. 従来の学説、常識、社会通念などの限定枠
2. 社会変化への不安から、新しいものを盲信する「開化先生」の言説

こうしたことから、学べる点は以下となる。
(1)最初に強い者が勝ち残るとは限らない
(2)「臆病さによる蛮勇」と「謙虚さを伴う勇気」では後者が勝つ
(3)「優れた学び」を続ける側が最後に勝ち残る

【十六編】

人の理想は高尚でなくてはならない。
理想が高尚であることで、活動も高尚になるからである。

人間の活動には、おのずから制約がなくてはならない。
また、行動するには時と場所をわきまえていなければならない。

活動の有用無用を見分けたり、行動を制御するにも、確かな判断力が必要である。

行動だけが活発で、判断力に欠けている者は、役に立たないどころか、害を及ぼすことさえ多いのである。
逆に、理想のみ高く、行動力が伴わない者は不平ばかり言っている。

独りよがりの高尚な理想を基準にして、他人の行動を評価するばかりか、そこに勝手な空想を持ち込むために 人に嫌われる。

【十七編】

およそ人の世界に人望の大小軽重はあるといって、かりそめにも人に当てにされるような人物でなければ、何の役にも立たないものである。

そのためにも以下の4つの人望論が望まれる。
(1)何事を成すにもその分野で人から当てにされる人望が不可欠
(2)あなたの想いを上手く伝える「言葉の技能」を学ぶべき
(3)表情や見た目を快活にして、第一印象で人に嫌われないこと
(4)交際の分野を常に新しく広げて、世間に友人知人を増やし続けること

栄誉と人望は 努めて求めるべきである。
自分の立場をはっきりと自覚し、自分に適した評価を求めるべきである。

話さず、感情を顔に出さないことが、奥ゆかしいことだと誤解してはならない。
生き生きとした人間社会に参加して、多くの事物・各階層の人々に交わり、他人を知り、他人にも知ってもらう必要があるのである。

自分の考えを知らせるには、言葉が特に有力である。
話す人間の意見を聴くだけではなく、話し方も学ぶことが必要である。

顔色や容貌を 生き生きと明るく見せることは、人間としての基本的なモラルである。
決して うわべを飾ることではない。
見栄を取り去り、率直になることが肝要なのである。

いかがでしょうか。

『学問のすすめ』を改めて見直すことで、困難を極めるこれからの時代にあっても、明日への希望を保持して努力を続けることが、やがて未来に到達する道だということがわかってきませんか。

確かに、誰にも明日は予測はできないし、そこから何をつかめるのかはわかりませんが、一歩一歩進むことで社会を進歩させるということを歴史は繰り返してきたことだけは間違いありません。

そういった意味では、歴史を作り上げるのは、今生きている私達ひとりひとりです。
未来につながるために、あなたは一体何ができるでしょうか。

そんなヒントは、『学問のすすめ』に隠れているのかもしれません。
改めて一読をお勧めします。

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