イエス (Yes) は、70年代ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、EL&Pらと共にプログレ四天王と呼ばれ、プログレ界で絶大な人気を誇った、イギリス出身のプログレッシヴ・ロックバンド。
1969年にデビュー。代表作に「こわれもの – Fragile (1971年)」、「危機 – Close to the Edge (1972年)」、「ロンリー・ハート – 90125(1983年)」などがある。
イギリスのロンドンでクリス・スクワイアのバンドにジョン・アンダーソン/が加入することからイエスの全ては始まる。
しかし、70年代にサウンドのkeyマン・イエス・サウンドだったのは、スティーブ・ハウであり、リック・ウェイクマンであった。
1971年にリリースしたサードアルバムは、新加入のスティーヴ・ハウの持つクラシックやジャズのセンスが融合されたサウンドと彼の恐るべきギター・テクニックが全英を揺るがすほどの話題を呼び、アルバムは全英7位の大ヒット、同71年に発表したアルバム「こわれもの」は全英7位、全米4位を記録し、彼らは一気に世界規模で活躍するビッグ・バンドへとのし上がった。
波に乗る彼らは、72年ロックの歴史的名盤となる「危機」をリリース。これも全英4位/全米3位の大ヒットとなり、いよいよ名実共にプログレ界のトップ・グループにまで上り詰める。
更に、73年に異例の3枚組ライブ・アルバムとしてリリースした「イエス・ソングズ」も全英1位/全米12位の大ヒットを記録、同年2枚組のスタジオ録音大作「海洋地形学の物語」も発表し全英1位/全米6位の大ヒットになった。
しかし、このイエスの黄金期もリック・ウェイクマンの脱退によって崩れ落ちる。
76年に出したアルバム「究極」は久しぶりに全英1位/全米8位と大ヒットし、続く78年の「トーマト」でイエスは完全に復活したかに見えた。
やがて、80年にリリースした「ドラマ」は全盛期のイエス・サウンド、すなわち大作志向に立ち返ったもので、全英2位/全米18位の大ヒットとなるものの、ついに81年イエスは解散。
イエス解散後、ハウと80年に参画したダウンズは元EL&Pのカール・パーマー、元キング・クリムゾン~ユーライア・ヒープ~ロキシー・ミュージック~U.K.のジョン・ウェットンとともにエイジアを結成。
83年、クリス・スクワイアとジョン・アンダーソンを中心に再結成された新生イエスは、YESとは名ばかりのまったく違うサウンド・アプローチをするバンドで、昔からのファンは戸惑ったもの、この年リリースされたアルバム「90125/ロンリーハート」からのシングル「ロンリー・ハート」はYES初の全米1位の大ヒットを記録。
ちょうどその頃勃発していた第2次ブリティッシュ・インヴェイジョン渦中の英若手アーチスト達に貫禄を見せつける結果となった。
その後ライブ盤とスタジオ盤1枚づつをリリースし、地道なツアー活動を重ねていた彼らだが、88年アンダーソンがまたもや脱退を表明。
翌89年は、アンダーソンが黄金期のイエスを復活させようと目論み、スティーヴ・ハウ、リック・ウェイクマンらを再び集結し、クリスの代わりに元キング・クリムゾンのトニー・レヴィン(b)を迎えてイエスと名乗り活動を始めようする。
これに猛反発したクリス率いる新生イエスは“YES”の名を譲らず、レコード会社間の問題にまで発展。裁判沙汰にもなり、結局冒頭でも記した通りの事情からクリスにYESの使用権が与えられることとなる。
断念したアンダーソン側は、ABWH(アンダーソン・ブラッフォード・ウェイクマン・ハウ)と名乗り、同年アルバム「閃光」をリリースし、ワールド・ツアーも決行。
しかし、ABWHのサウンドは実質イエスで、クリス側のイエスは“シネマ”と名前を変えざるを得なかった。
ABWHのこの時のツアーを収めたライブ盤は93年に「イエス・ミュージックの夜」という苦笑いもののタイトルでリリースされている。
結局この2つのバンドはシネマのレコーディングをアンダーソンが手伝うという形で90年暮れに合体し、イエス・ユニオンが誕生した。
またABWH側とシネマ側は完全に別々にレコーディングしながらも、91年にはそれらの曲を1つのアルバムにまとめ「結晶」としてイエス名義でリリースした。
このユニオンはそのままワールド・ツアーに出た後解体され、最終的には90125時代のイエスに戻っていく。
アルバム「イエス・サード・アルバム(The Yes Album)」 (1971年 全英7位、全米40位)
アルバム「こわれもの(Fragile)」(1971年 全英7位、4位)
シングル「Roundabout」(全米13位)
アルバム「危機(Close To The Edge)」(1972年 全英4位、3位)
アルバム「海洋地形学の物語(Tales From Topographic Oceans)」(1973年 全英1位、6位)
アルバム「リレイヤー(Relayer)」(1974年 全英4位、5位)
アルバム「究極(Going For The One)」(1977年 全英1位、8位)
シングル「Wonderous Stories」(全英7位)
シングル「Going for the One」(全英24位)
アルバム「トーマト(Tormato)」(1978年 全英8位、10位)
アルバム「ドラマ(Drama)」(1980年 全英2位、18位)
アルバム「ロンリー・ハート(90125)」(1983年 全英16位、5位)
シングル「Owner of a Lonely Heart」(全英28位、全米1位)
シングル「Leave It」(全英56位、全米24位)
アルバム「ビッグ・ジェネレイター(Big Generator)」(1987年 全英17位、15位)
シングル「Love Will Find a Way」(全英73位、全米30位)