『孫臏兵法』(そんぴんへいほう)は、紀元前4世紀頃の中国戦国時代の斉の武将 孫臏が著したとされる竹簡440枚、全30篇、11,000字からなる兵法書です。
古来、『史記』や『漢書』にその名が記載されながら、早いうちに消滅してしまったため、「幻の兵書」とされてきましたが、1972年に銀雀山漢墓から出土したおびただしい古典と竹簡の中から『孫臏兵法』が発見され、その混乱に終止符が打たれています。
この発見によって、孫武の『孫子』(呉孫子)※)、 孫臏の『孫臏兵法』(斉孫子)はどちらも実在することが明確になりました。
孫臏は孫武の子孫で、司馬遷『史記』で孫武・呉起と並び称されるほど稀代の兵法家です。
※)『孫子』を含めた武経七書については、以下も参考にしてください。
孫子から学ぶ!処世哲学の在り方
呉子から学ぶ!一兵家、一為政者のあり方
尉繚子から学ぶ!人間本位のリーダについて
六韜から学ぶ!太公望の虎の巻
三略から学ぶ!柔よく剛を制す
司馬法から学ぶ!司馬穰苴の兵法
李衛公問対から学ぶ!解説書、文献としての価値について
発見された『孫臏兵法』は、部分部分が読めなかったり損壊していたりで読めない部分も多々ありますが、紀元前三百十年頃の戦国時代、斉の軍師として活躍した”戦うからには必勝の構えで対峙する”という孫武の戦略戦術はしっかりと読み取れます。
従来の『孫子』は深い思想性を特色としますが、『孫臏兵法』は「孫子」すなわち孫臏と斉の威王や斉の将軍田忌との問答が記されており、孫武の兵法の特質を引き継ぎながらも戦国時代という社会状況を反映して、騎兵戦・攻城戦・陣法など、より具体的・実際的な戦術・兵法が展開されています。
優れた戦略家にして弁証的な思考を持つ孫武と孫臏は、相反する逆説的視点を同時に使いこなす複眼的発想の持ち主だったことが伺い知れます。
『孫子』と『孫臏兵法』を併せ読んでみてはいかがでしょうか。
以下、参考までに現代語訳にて一部抜粋です。
【上篇】
[擒龐涓]
昔、梁君(魏の恵王)が(趙の都)邯鄲を落とそうと、龐涓に八万の兵を与えて派遣した。
斉君(斉の威王)はこれを耳にすると忌子(田忌)に同じく八万の兵を与えて趙救援に向かわせる。
龐涓が趙攻撃の足がかりとすべく衛の国を攻めたことを知り、衛の救援に向かおうと西進を指示した忌子を孫子(孫臏)が制止した。
孫子曰く
「南進して平陵を攻めてください。平陵は城こそ小さいですが領土は広く人口も多いうえ戦力も高く攻略は困難です。南に宋、北に衛、途中に(梁の城邑)市丘がある東陽地方の要衝でありこちらは容易に補給路を絶たれるでしょう。まずここを攻めて軍事にくらいと思わせるのです」
斉軍は平陵へと急行する。
「兵法に疎い斉城と高唐二名にそれぞれわずかな兵を与えて二つの部隊に分け(平陵の守備軍を迂回して)平陵を直接攻めさせます」
孫子の思惑通り、斉城と高唐の部隊はたちまち(平陵軍と城邑の)挟撃を受けて大敗した。
「次に、身軽な兵車を梁郊(魏の都・大梁)まで派遣して魏軍を怒らせます。本隊は分散して(魏に侵攻し)兵が少ないように装うのです」
龐子(龐涓)は怒り慌てて取るものも取りあえず衛から休まず引き返した。
孫子は途上の桂陵で待ち構え、梁軍(魏軍)に休む暇を与えず大勝し龐涓を手玉にとった(仕留めた)。
[見威王]
孫子(孫臏)が(斉の)威王に謁見して曰く、
「兵(いくさ)は形勢が続くことをたのみません。戦って勝てば滅亡に瀕した国でも継承できることがありますが、勝てなければ領土を削られて国の存立が危うくなります。ですから兵はよくよく考えなければなりません。
兵をいたずらに興す者は滅び、勝利を貪る者は屈辱にまみれます。そもそも兵はいたずらにするものではなく、勝利は貪るものではありません。条件が調ったとき初めて動員するのです。
城が小さくても守りが固いのは蓄えがあるからです。兵数が少ないのに兵が強いのは大義があるからです。蓄えもなく城を守り、大義もなく兵を仕掛けるようでは、城も守れませんし強さを天下に見せつけることもできません。
堯が天子だったとき従わなかった部族が七つありましたが、堯は何もしなかったわけではありません。戦いに勝ったからこそ天下は堯に服したのです。神戎(神農)は斧遂(補遂)を討ち、黄帝は蜀禄を討ち、堯は共工を討ち、舜はを討ち、(夏の禹王)は苗をすべて辺境へ退け、湯(商(殷)の湯王)は桀(夏の桀王)を放逐し、(周の)武王は紂(商(殷)の紂王)を征伐し、商と奄が(周に)背いたとき周公(旦)はそれを滅ぼしました。徳は五帝にしかず、能は三王に及ばず、智は周公にしかずして、『我、仁義を積み、礼楽に則り、なにもしないで戦いを禁じるように』などとぬかす輩がおります。堯・舜もそれを望んでいましたが実現できませんでした。兵を挙げて天下を一つにしたのです」
[威王問]
斉の威王が用兵について孫子(孫臏)に問う。「兵力が等しく将もふさわしく、互いが守りを固めて対峙したまま膠着状態に陥ったときどうすればいいか」
孫子答えて曰く「身分は低いが勇敢な者に足の速い兵を与えて、あらかじめ敗走するよう言い含めて探りを入れます。追撃してきた敵兵の側背を衝くよう伏兵を配置するのが効果的です」
威王曰く「大軍をもって少数を叩く方法は」
孫子曰く「大軍にも慢心せず慎重に策をめぐらせます。わが軍の隊列をわざと乱して敵に付け入るスキを与え、敵から仕掛けさせる『賛師』という策です」
威王曰く「敵が多くてこちらが少なく、敵が強くてこちらが弱い場合は」
孫子曰く「長槍隊を最前線に刀剣隊をその後ろに配置し流弩(ボウガン遊撃隊)を組織してこちらから撃って出るぞという構えを見せたうえで敵の注意を引きつけ、後衛部隊は隠れて撤退の準備を整える『譲威』という策です」
威王曰く「戦闘状態に突入したが双方の戦力差が見極められない場合は」
孫子曰く「『』という策です」
威王曰く「進退窮まった(袋のネズミとなった)敵を叩くには」
孫子曰く「死に瀕した敵は手強いので、わざと生き残る道をあけておきます。敵は生を求めてそちらへなだれ込むので全軍で確実に数を減らしていくのです」
威王曰く「互角の敵を叩くには」
孫子曰く「敵軍を撹乱して分断し、わが軍は敵に気づかれないよう全戦力を集中してこれを各個撃破します。確実に分断できそうにないときは無理せず攻撃を中止します」
威王曰く「一をもって十を撃つには」
孫子曰く「敵の手薄なところを叩いて不意を衝くことです」
威王曰く「平地で兵も整然としているのに戦って敗れることがあるのは」
孫子曰く「突破口をひらく先鋒がいないからです」
威王曰く「民兵に軍律を徹底させるには」
孫子曰く「日頃から信頼関係を築いておくことです」
威王曰く「見事だ。戦況を語るに詰まることがない」
田忌が孫子に問いて曰く「兵を不自由にするには。敵を苦しめるには。塁壁が築けない場合はどうするのか。天を失うとは。地を失うとは。人を失うとは。この六つはどんな道理か」
孫子曰く「兵を不自由にするには地です。敵を苦しめるには険です。三里にわたる湿地帯は軍の自由を奪い、重装備の兵も進むに進めません。つまり兵を不自由にするには地(地形)、敵が苦しむのは険(険阻な土地)、塁壁を築けないときはまきびし(こちらに踏み込んでこられないようにする)、」
田忌曰く「備えが万全な敵には」
孫子曰く「備えが綻ぶようにします。敵将が態勢を整える暇を与えず全軍で撃って出て、二人で一人と戦って相手の攻撃意欲を削ぎ、ほころびが生じて手薄になったところを狙います」
田忌曰く「にはどうするのか」
孫子曰く「鼓を鳴らし勢いよく攻めかかって敵の戦意を挫き、さまざまな手段で敵の攻勢を誘うのです」
田忌曰く「戦闘態勢が整いいよいよ会戦が迫っているとき将兵を命令に従わせるには」
孫子曰く「軍律の厳しさと、手柄を立てたときの恩賞を示すことです」
田忌曰く「賞と罰が最重要なのか」
孫子曰く「いいえ、賞は人を喜ばせて死の恐怖を忘れさせ、罰は上官を畏怖させて軍を乱れさせないための手段にすぎません。勝利をもたらす要因になりますが最重要ではありません」
田忌曰く「では権(権威)、勢、謀、詐が最重要なのか」
孫子曰く「いいえ、権は人々を一つに集めるためのもので、勢は将兵の戦意をかきたてるためのもので、謀は敵を油断させるためのもので、詐は敵を苦しめるためのものであり、いずれも勝利をもたらす要因になりますが最重要ではありません」
田忌はムッとして声を荒らげた。「この六つは巧者のよくするところである。しかしそなたはこれが最重要ではない言う。ならば最重要なものはなにか」
孫子曰く「敵情を把握して険阻な地形を利用し状況を的確に判断してこれが将の道(なすべきこと)です。「必攻不守」つまり必ず先手で攻めにまわり、後手で守りにまわらないことが最重要と考えます。」
田忌が孫子に問いて曰く「敵が陣を構えているのに戦わないで済ませることはできるのか」
孫子曰く「できます。険阻な地形で塁壁を高くし防備を固めれば敵は策を弄することもできず挑発することもできません」
田忌曰く「敵が多くて攻撃意欲も高く、戦いが避けられそうにないときどうすればよいのか」
孫子曰く「あえて塁壁を低くして将兵の危機感を高め、軍律を厳しくして団結を高め、正面切っての戦闘を避けて敵を図に乗らせ、散発的な攻撃を繰り返して敵の疲れを待ち、手薄になったところに不意討ちをかけて持久戦に持ち込むのです」
田忌が孫子に問いて曰く「錐行とは。雁行とは。簒卒力士とは。勁弩雛発とは。飄風の陣とは。衆卒とは」
孫子曰く「錐行とは敵の備えを一点突破する構え。雁行とは敵の側面をとって半包囲する構え。簒卒力士とは敵陣を粉砕して敵将を討ち取る精鋭。勁弩雛発とは持久戦を維持するための飛び道具。飄風の陣とはをめぐらす。衆卒とは功を分かち勝利に貢献させる兵士とお考えください」
孫子曰く「明君、智将はただ兵の数だけをたのみにしません」
孫子が退出してくると弟子たちが曰く「威王、田忌、主臣の問いはどうでしたか」
孫子曰く「威王の問い九つ、田忌の問い七つ、ほぼ兵をわきまえているがいまだ道理に達しておられない。『信を重んじる者は栄え、義を重んじる者は、備えずして兵を用いる者は敗れ、兵を好む者は滅ぶ』という言葉がある。斉は三世を経ずして乱れるだろう」
[陳忌問塁]
孫子曰く「これは行き詰まった死地で苦しむ敵軍へ緊急に対応する策で、私が龐涓を手玉に取って(魏の)太子・申を捕虜にした方法です」
田忌曰く「過去のことで今ひとつ状況がよく思い出せん」
孫子曰く「まきびしを撒いた障害物は(進撃方向を限定する)城にめぐらせた溝や堀に、連ねた兵車は(進軍を鈍らせる)土塁に、(杭柵)は(土塁の上を守る)ひめがきに、連ねた盾は(隠れて身を守る)射窓をあいた矢狭間に相当します。長槍兵がその後ろで殺到する敵を防ぎ、(小さな)矛兵がその後ろで至近距離で長槍兵を助け、短(刀剣)兵がその後ろで敵の退路を絶って疲れた敵に追い討ちをかけ、弩がその後ろで投機(迎撃・追撃射撃)の役割を果たします。(陣の構えは外面に展開されるので陣の)中には人がいませんのでここに(士卒を)置くのが強い将の陣立てです。
士卒の心が戦いに向かって定まるよう法を発令するのです。制令には『まきびしの後ろに弩を置いて命令に従って射撃させ、土塁の上では弩と戟を半々に配置する』とあります。
法によれば「間諜が『来るぞ』と報告したら軍を動員し、陣から五里のところに斥候を配置して見張りにつける。高い場所では攻撃的な方陣を、低いところでは守備的な円陣を布く。夜は鼓を打ち鳴らし、昼は旗幟をかざして合図する」とあります。
戦いを始めるにあたり柧に書きつけるのは隊列が乱れないようにするためであり、乱した者を誅罰して軍紀を正す。陣立ての巧みな者は。勝つか勝たないかを先に知るのが筋で、戦えば勝てるのは敵を知る智将たるゆえんです」
[簒卒]
孫子曰く「適材適所は兵卒を戦(いくさ)に勝てる部隊にします。制令は兵卒を勇敢にし、「勢」は兵卒を戦上手にし、信義は兵卒を団結させ、道理は兵卒を規律に従うようにさせるのです。短期決戦は兵卒を損なわず、休息は兵卒を強くし、しばしば戦えば兵卒を消耗させます」
孫子曰く「規律に従わせるには兵に厚く積ませることです。信義には兵に賞を与えることです。戦いを憎ませるには兵に王の器を示すことです。人心を掌握するには(兵卒を損なわずに)勝つことです」
孫子曰く「恒勝(常勝)には五つあります。
一.将が君主から指揮権を委ねられている。
ニ.将軍が戦場でなすべきこと(道)をわきまえている。
三.人心を掌握している。
四.参加する将が結束している。
五.敵情を偵察させて分裂させられそうなところを知っている」
孫子曰く「勝利は(勢)を尽くし、賞与を明確にし、士卒を選び、敵の(スキ)に乗ずるところから得られる。これを泰武の宝(不落の砦)といいます」
孫子曰く「
「(権)」君主から委ねられなければ将が努めない。
「令」。
「信」賞与を明確に行なわなければ民衆が努めない(信賞)。
「忠」君主に忠誠を尽くさなければ用兵で罰することができない。
「敢」不善を罰して除かなければ民衆は畏れ従わない(必罰)。
[月戦]
孫子曰く「天と地の間で人間より貴いものはありません。戦いだけではありません。「天の時」「地の利」「人の和」がすべて整わなければ、たとえ勝利しても禍に見舞われるでしょう。それをよく踏まえたうえで戦うか決めるべきです。やむをえない状況になってから初めて(軍を挙げて)戦います。(農閑期などの)時節に従い、民衆を何度も動員してはなりません。よく考えないで戦えば目先の小さな勝利は得られるでしょうが兵力が消耗してかえって国を損ねる結果になります」
孫子曰く「十回戦って六回勝つのは星によるものです。七回勝つのは太陽によるものです。八回勝つのは月によります。九回勝つのは月の。十回勝つのは良いように見えますがその実、禍を生じるものです。」
勝てない要素は五つあり、一つでもあれば勝てません。
一.相手をより多く殺しても敵将卒を捕虜にしない。
ニ.敵将卒を捕虜にしても陣屋を獲得しない。
三.陣屋を獲得しても軍を陣営に加えない。
四.軍を陣営に加えても軍を率いた者を殺してしまう。
五.戦(いくさ)でなすべきことをわきまえていない。
相手も生き延びたいと思っているのですがそれも叶いません。(だから敵を追い詰めて全滅するまで戦わされて自軍の消耗が激しくなり、勝利から得るものがないのです)。
[八陣]
孫子曰く「智略に乏しい将は腕力だのみになります。勇気に乏しい将は虚勢を張ります。道(すべきこと)をわきまえず戦(いくさ)ばかり興す将はまぐれ勝ちを求めます。大国を安泰させ、王をさらに大きくし、民の安全を守れるのは道をわきまえた者だけです。
道をわきまえるとは、天の時をわきまえ、地の利をわきまえ、人民の信頼を得て、敵の状況を熟知することにあります。
陣立てには八陣の本質を心得て、勝利を確信したなら戦い、見込みがなければ動員しない。これが王者の将です」
孫子曰く「八陣をわきまえれば地の利に応じて適切な陣形を組めます。
陣を三つに分け、陣ごとに先鋒と後衛を設けて命令を受けてから動くようにしておきます。戦闘は一陣のみで行ない、残り二陣は順次休息をとって交代する機会をうかがうのです。(休息する陣、次の攻防の指示を受けて待機する陣、交戦する陣の三つに分ける)。
敵が弱くて陣立てが乱れていたら精鋭を繰り出して打ち破り、敵が強くて陣立てが整っていたら弱卒を繰り出して敵を誘い出します。
兵車や騎馬などの遊撃隊も三つに分け、本隊の左右後ろにそれぞれ配します。平坦な地なら兵車を、険阻な地なら騎馬を、狭間では弩を多くします。
地形には必ず生地と死地がありますので、生地を占めて敵を死地に誘き出して攻撃するのです」
[地葆]
孫子曰く「地は、陽の地を表に、陰の地を裏にします。
まっすぐな地を綱に、入り組んだ地を紀にします。綱紀が把握できていれば陣立てに迷うことはありません。まっすぐな地は活発に動きまわれますが、入り組んだ地は自在に動けません。必要に応じて使い分けるのです。
戦地では太陽がその精髄であり、風の吹き方についてもなおざりにできません。
一.川を渡って布陣する
二.丘に向かって布陣する
三.下流に布陣する
四.殺地に布陣する
五.森林に向かって布陣する
この五つの布陣では勝てません。
山の南斜面に布陣できれば(常に太陽を浴びられて疫病の心配がない陽の地)生山ですが、東斜面にしか布陣できないのは(朝にしか太陽を浴びられず疫病の心配がある陰の地)死山です。東に流れる川は(黄河は東に流れているため逃げやすい綱の地)生水ですが、北に流れる川は(流れが迂回している紀の地)死水です。流れのない水(湖沼沢)も死水です。
五つの地形の優劣は「山 > 陵(高い丘) > 阜(小さい丘) > 土盛りの丘(連丘) > 林および平地 」となります。
五つの草原で勝つのは「茂み > いばら > まがき > ちがや > はますげ」です。
五つの土壌で勝つのは「青 > 黄 > 黒 > 赤 > 白 > 青」です。
五つの敗地は「谷」「川」「沢」「沼」です(すべて水に関係する)。
五つの殺地は
「天井(自然の井戸)」四方が切り立った崖で上にしか出口がなく進退窮まる地
「天宛(自然の監獄)」険しい地形に囲まれて一つの困難な出口しかない地
「天離(自然の取り網)」草木が茂って容易に進めるが出るのに難儀する地
「天隙(自然の隙間)」でこぼこが激しく道のない地
「天陥(自然の落とし穴)」低い窪地
をいい、これらは五墓ともいうべき地なのでとどまってはなりません。
春には(雪解けで流れが速いので川を)降ってはなりません。秋には(長雨で水位や流れが変わりやすいので川を)登ってはなりません。
軍も陣も高地を右前方に置くべきではなく、高地を右に巻くようにすべきで左巻きにすべきではありません」
[勢備]
孫子曰く「牙、角、爪、蹄を持つ禽獣どもも機嫌のいいときは睦みあっているが、怒ればこれらを武器にして戦います。これは自然の摂理で止めようがありません。人間はこうした武器がないため道具を備えておかなければならず、これは聖人の仕事でした。
【陣】黄帝は剣を創った。
剣は朝夕腰に佩びているが必ずしも用いるものではない。剣に鋒(刃先)がなければ孟賁ほどの勇者でも斬り伏せることはできないだろう。剣に柄がなければどんな達人でも剣を振りまわすことはできない。
陣も同じで、布陣しても戦うとは限らない。陣に鋒がなく後続がなければどんな達人であろうと進軍するのは兵にくらいといえる。先鋒と後続を具えてこそ互いに信頼しあって動揺せず敵軍は必ず敗走する。先鋒も後続もおかなければ。
【勢】羿は弓弩を創った。
弓弩は肩と胸のあたりから出ていって百歩も離れた人を殺し、どこを通ってきたのかもわからない。近いところでよく見て遠いところに命中させる。
【変】禹は舟と車を創った。
高いところでは。
戦いを先延ばしにするためのことである。
【権】湯王と武王は槍や矛を創った。
その攻撃は高低を問わず、その柄は敵の肩を砕く。
昼間は旗幟を多くし夜間は鼓を多くして変幻自在な命令を伝達する手段である。
[兵情]
孫子曰く「兵の実情を弩にたとえれば、兵卒は矢、弩は将、射手は君主です。
弩を張った両側の腕木が正しく整っていないと撃ち出される矢は、いくら前が重くて後ろが軽くても安定して飛びません。将の心配りが一定の制令によらなければ兵卒を思い通りに操ることはできないのです。
矢も整い、弩が安定していても、射手が悪ければやはり的にはあたりません。したがって、すべきことをわきまえている者は将を煩わせず、将は戦いで功績をあげて君主を有名にします。
弩を放って的にあたるには四つのことが合うからであり、軍が功績をあげるのは「君主」「将」「兵卒」「武器」が整っているからです。
だから兵で敵に勝つのは弩を放って的にあたるのと違いがないのです」
[行簒]
孫子曰く「用兵で人民を動かすのは天秤で物を計るのと同じです。賢者を選んで良臣に抜擢します。
陰に適した人材、陽に適した人材と適材適所にするのは、衆人を一丸としてまとめ敵と戦うためです。天秤の重りをあれこれと載せ替えてじゅうぶんに忠実になり、行き詰まることがありません。方向を定めて天秤にかければそれでじゅうぶんです。私財や公財も元は一つです。人民は命を惜しんで財産を出したがる者もいれば、財産を惜しんで命を投げ出す者もいます。明王や聖人だけがそれを見抜いてそれぞれに役割を与えて民心をつなぎとめるのです。そうなれば戦死した者も恨まず、財を提供した者も恨みません。これが行き詰まることなく、人民はみな力を尽くしますが民心が背かなければ敵は何もすることができません。国庫にばかり富が集中すれば君主は安逸に流れて人民は恩徳を感じません。国庫にとらわれなければ天下の人民が付き従うようになります。人民が財産を集めているのは君主が財産を集めているのと同じなのです。そうなれば強力な軍をいつまでも保持できます。」
[殺士]
孫子曰く「爵禄を明確にして
士を捨て身にすれば
これをわきまえることです。信頼すべき士をわきまえて人々をそれから離れさせてはなりません。必ず勝てる状況を見てから戦い、他人にそれを知らせてはなりません。戦いにあたっては側面を忘れてはならずならない
必ず詳しく調べてから行ない、士が捨て身に…….。
[延気]
孫子曰く
「軍を興して兵力を集めるときは士気を奮い立たせることです。て全軍の士卒に示威して畏れさせます。
出陣に際しては兵卒を整えて士気を鋭くさせることです。将が命令を下してその命令をして士気を鋭くします。
国境そばまで来て敵に近づいたなら元気づけてやることです。将が短い着物で粗末な服装をつけて士卒の心を激発します。
会戦の日取りが定まったなら決心させることです。将が命令を下して軍人には三日ぶんの食糧を用意させ、領内の名家ごとにて準備させます。
そして会戦当日まで闘志を持続させることです。将が副官を呼び寄せ「飲食にはしてはならない」と言い渡します」
穏やかにそれを営み、多く集めて武を貴べば敵は必ず敗退します。士気がもし鋭くなければ挫けてじゅうぶんでなく利益を失い
士気が激発していなければ臆病になって衆人は、衆
して助けなければ、身は殺され家は壊されてしまう。将が使者を呼び寄せて勉励するとを攻撃し
[官一]
孫子曰く
「士卒を駐屯させるとき地形に合わせて陣を布きます。下を槌で打ち固めて軍隊を移すのは強敵に備えるためです。
高い地に布陣するときは方陣で攻めの姿勢を示し、陵(丘)に向かって陣取るときは圭陣(薄い陣)で正面衝突を回避し、地において不利であれば円陣で八方の守りを固めます。隊列は速やかに整え、集結を隠すには人
士卒を編成するには州単位でひとまとめにし、その長には郷の者を用います。
士卒を統率するにふさわしい人物を武官に起用して、(将としての能力)に応じて序列します。士卒が将に仕えることを考えないのは戦いの道理にくらいからである。
命令は武官へ伝え、そこから部下に伝えさせます。命令は旗幟で明確にし、鐘と鼓を叩いて合図します。夜の巡察には合札を用います。灯火に従い声を送るのは夜間の軍のためです。
鋒があれば錐行(くさび型の布陣)を用います。勇敢で敏捷な士卒を選んで訓練するのは敵のくちばしを迎え撃つためです。
士卒が少なければ防ぎ止め包囲するために合雑(密集の布陣)を用います。剛とは防ぎ止めて劫略するためです。更とはを過ぎるためです。とは防ぎ止めてするためです。
交戦中の部隊は敵を叩いて怯んだスキに交替させ、陣の臨むには方
遊撃軍を動かしてみて敵の素早い動きをはかります。
瞬時に斬り込むのは敵の疑惑に乗じるためです。隠れて密かに詐謀をめぐらすのは敵を誘い出すためです。行軍を緩慢にしてぐずぐずするのは敵に追いつかせるためです。竿をまばらにして旗をはっきりさせるのは敵を惑わすためです。軍を分断して手薄に見せるのは敵の目をくらますためです。
龍のように垂れ下がり伸び伏せるのは山で闘うためです。
で背いて行動するのは船着場を制圧するためです。
卒はのためです。
遏溝陳は少数と戦うためです。
陣を脅かして戦車をジグザグさせるのは敵の遺物を求めるためです。わざと遺物を残して少し逃げてみせるのはエサで敵を誘い出すためです。
佰奉離積は勝利をかためるためです。
とはを制圧するためです。
胡が退いてが入るのは困難を解くためです
侵入した敵は埋めてしまうのです。
敵陣に探りを入れて団結を挫き(寝返りさせ)、寝返ってきた部隊を前線に押し立て、危によって軍団を並べます。重ねて害するのは寝返った士卒を使うためです。
相手が恐れていればどっしりと構えてスキを見せず、怒っていれば罵って挑発し、疲れていれば半包囲して攻め立て、苦しんでいれば逃げ道をあけながら数を減らしていき、退却すれば弩で追撃し、山林に入り込めば出口で待ち構え、城邑に逃げこむなら敵兵もろとも水のようになだれ込み、夜に撤退するようなら目印となる木札を焼いて周りの状況を確認します。補給物資に火を放つなら車ごと燃やすこと。脱出困難な谷では火計を用い、草原沙漠には陽射しにさらして日干しにし、戦いに勝てば勝どきをあげます。
短(刀剣)兵は敵と接触したら勇気を振り絞ってただちに攻撃します。
遊撃軍として弩による騎馬射撃隊を配置し、本隊の前衛は守りを固めて後衛が速やかに敵を包囲して敗北を決定づけるのです。遊撃軍は味方の手薄なところへ救援に走り、混乱している敵に火を放ちます。くちばし(敵の先鋒)をへし折るには戦場を広げて湿地に誘い込み、軍の両翼を張って燧闘するのです。を用いてを正し、機動力を生かして逃げ散る敵を討ち、城を用いて攻めるかのように行ないます」
[強兵]
威王が孫子に問いて曰く「斉の士人で私に強兵のことを教える者はそれぞれ皆違ったやり方を教える。政教がたいせつだ、がたいせつだ、食糧をばらまくことがたいせつだ、静かにじっとしていることがたいせつだ。それらの教えをどう実行すればよいのか」
(孫子曰く)「どれも皆強兵のために重要なことではありません」
威王
孫子曰く「国を富ますことです」
威王曰く「国を富ますには」
厚い、威王と宣王はこれによって諸侯に打ち勝ち、までになった。
【下篇】
[十陣]
陣は十ほどある。
【方陣】中央の兵力を少なく四方を厚くして本営を後方に置き、前衛が食い止めている間に左右の部隊で敵を半包囲ののち分断して各個撃破する攻めの陣。
【円陣】[中央に]兵力を結集させてあらゆる方向からの攻撃を亀のように防御して敵陣のスキを待つ守りの陣。
【疎陣】部隊の間隔を広げて前進すると思わせて後退させ、攻撃すると思わせて守備させ、敵精鋭を翻弄する陣。浮き足立っているなら追い討ちし、疲れているならたたみかける。分散しすぎて本営に敵の接近を許したり密集しすぎて敵の包囲を許したりしてはならない。
【数陣】部隊の間隔を狭めて連絡を密にし、兵が動揺すれば落ち着かせ、つねに士気を鼓舞し陣地を奪わせないための陣。襲ってくる敵とは正面で当たらず、敵の不備を狙ったり出鼻を挫いたりして長期戦に持ち込んで敵の撤退を誘う。
【錐行陣】先鋒の精鋭を薄く尖らせて敵陣を力尽くで突破し分断する陣。
【雁行陣】敵の(錐行陣の)先鋒に対してこちらの先鋒が退きながら、両翼の騎馬隊の射撃で側面を脅かして先鋒を分断させて包囲殲滅する陣。
【鈎行陣】前列が方形を組んで敵の正面攻撃を食い止めている間に左右の部隊を再編して指揮命令系統を回復し態勢を整える陣。
【玄襄陣】味方を落ち着かせて指揮命令系統を確立し(三軍に分けた)部隊を矢継ぎ早に投入しては交替してを繰り返して一日中戦線を維持して敵の行動を阻む陣。
【火戦】戦場に塹壕などを掘って薪を積み上げ、勝てないと判断したときに火をかけて辺り一体を火の海にして敵軍を混乱に陥れる陣。混乱したならただちに矢を雨のごとく射かけて軍鼓を打ち鳴らしてこちらの士気を鼓舞し敵の不安を煽って「勢」に乗って攻めこむ。
【水戦】水上で陣を固めて敵が進んでくればこちらも進撃するが、敵が退いたらこちらから迫ることせず、時間をかけて敵軍を分断し各個撃破していって消耗させ撤退に追い込む。足の速い舟を伝令とし敵が潰走を始めたら船着場を確保しつつ舟に攻撃をかける。
[十問]
Q. 互いに準備万端、兵力も互角で互いに恐れている。このとき敵が円陣を組んで守りを固めているときどうするか。
A. 全軍を四つか五つに分けてその一隊で敵に打って出てあえて敗走して見せます。そこで敵が陣を解いて追撃してくるようなら全部隊で一斉に敵に迫るのです。
Q. 敵が万全で兵力も多くて強いうえ方陣で迫ってくるときどうするか。
A. 伏兵を忍ばせたうえでわざと逃げて敵の前衛と後衛を分断し、スキを見て伏兵で敵後衛を強襲して指揮官を討ち取ります。
Q. 兵力機動力に優る敵が鋭陣(錐行陣)を布いて待ち受けているときどうするか。
A. 軍を三つに分け、うち一隊を横長におしなべて残り二隊で側背を狙えば敵を混乱に陥れて瓦解させられます。
Q. 敵が多数で横ざまに展開しているときどうするか。
A. 軍を三つに分け、うち一隊は決死隊とし先鋒として正面から激突させ、残り二隊は雁行陣で両翼に張って側背を狙います。
Q. 歩兵戦力で勝るが兵車の数が圧倒的に足りないときどうするか。
A. 兵車が動きまわれない険阻な地形に布陣することです。
Q. 兵車の数で勝るが歩兵戦力が圧倒的に足りないときどうするか。
A. 平坦な地に敵を誘き出すことです。
Q. こちらは物資が足りず補給もままならない、敵が多数で圧倒的に不利なときどうするか。
A. 険阻な地に立てこもり、慢心している敵の備えが薄い補給路を絶ってこれを奪い状況を打開します。
Q. 敵が兵員物資で圧倒し慢心もせず補給路も確保されているときどうするか。
A. 抵抗する意志と能力がないことを示して相手が驕り高ぶるまで待ちます。敵がスキを見せたらそれに乗じて一気果敢に攻め立てるのです。敵は混乱に陥り態勢を整えようとするので暇を与えずに敵中枢を一気に撃破します。
Q. 敵は険阻な地形をたのみにして距離をとれば敵を倒せない。さりとて近づけば身動きがとれずに反撃を食らうときどうするか。
A. 敵が救援せずにいられないところを攻めて移動せざるをえなくし、敵の動きを想定して伏兵を配して移動する敵に襲いかかります。
Q. 敵が包囲殲滅を狙ってくる危機にあるときどうするか。
A. 味方は飲食を控えたうえで軍を三つに分け、二隊で敵の中央突破を図ります。残り一隊は精鋭を揃えて敵の両翼を攻撃して包囲の手を緩めさせるのです。して総崩れとなります。
[略甲]
略甲の法は、敵が方陣を布いてせず
これを攻撃したいが敵が揺さぶられないとき、これを下し
戦いたくて疼いているとき、陣所を少なくし
反撃するとき、多くの士卒でそれに従い、精鋭でそれに因り、必ず
精鋭でそれに因り、必ず
左右両翼で戦闘を交えたうえでどちらも引き上げるのを■鈎撃という。
の気は心にもたず、全軍がに従ってないことをわきまえ
将分軍は以てを、脩め少なく、そして民は
威その難しきことこれ将也。軍を分けてそのを乱し
陣立てが厳しくないから、隊列もせず
遠くにいてそれをからかっていると敵は飽き飽きして遠ざかる
治、その将軍を孤立させて動揺させてを攻撃し
その将軍は勇武であり、その士卒は多く
敵の大軍がまさにに行こうとして
士卒の道……….。
[客主人分]
攻め手は守り手より戦力が高くなければなりません。守り手は戦場を設定できる立場であり、有利な地形を占めて万全の態勢で臨めます。攻め手は険阻な地形を越え、敵が待ち受ける場所まで出向かなければなりません。巧者は敵が向かわざるをえない状況を作り出し、先に有利な地形を占めて有利な態勢を整えられる者を指すのです。
敵が数十万を擁して侵攻してきたらまず補給線を絶つことです。そうすればいかな大軍であろうと長期間運用することは不可能となり、多勢も意味をなしません。
数十万といえど部隊は千人ずつ一万人ずつで行動しているものです。巧者は敵を分断しそれぞれを釘づけにして少数で大軍に対抗します。
兵数・物資・武装で優っていたとしても勝利が約束されるわけではありません。勝敗を決定づけるのは「道(すべきことをなす)」ことです。
敵が多ければ分断して連携と連絡を断ちます。そうなればいかに強い軍といえども守りぬくことは不可能です。
だから賢君と名将はまずすべきことをし、戦う前に勝利を決定づけるので敗北がなく、仮に戦ったとしても確実に戦果をあげられます。巧者だからこそなしうることです。
焉。攻め手として敵領内に侵攻したら敵に先んじてをして
兵法の書にいう、守り手は攻め手を国境で迎え撃ち
攻め手が事を好むと
疲労させ、敵軍の士気を落とすことができれば勝利は確実なものとなります。敵の左翼を釘付けにして右翼を攻撃すれば右翼の危機となっても左翼はそれを助けられません。そこで軍は有利な状況に居座ったまま動かず、近いものは少数で用いるに足らず、遠いものは疎遠でできない
[善者]
巧者は敵を分散させて連絡・連携を断ちます。これには備えが万全だろうがかないません。
ですから巧者は険阻な地形を活用し、全軍一体となって俊敏に動かし、敵が多くても少数に分断し、敵に備蓄があっても使わせず、待ち構えていれば動かして疲れさせます。敵が天下を握っていれば民心を離反させ、団結が強固なら確執を起こさせるのです。
戦には進む・退く・左する・右するの進路を確保する「四路」と、進む・退く・左する・右するに動かないを加えた「五動」があります。進んでも行く手を遮られず、退いても退路を絶たれず、左右に入っても険阻な地に追いやられることもなく、動かなくても落ち着くことができるのです。
となれば逆に敵の行く手を阻み、退路を断ち、険阻な地へ追い込み、不安を煽ることです。
巧者は敵を奔命に疲れさせます。敵に遠い道のりを急がせてクタクタになっても休む暇を与えずに攻撃を仕掛ければ負けるはずがありません。こちらは満腹で敵が飢え、こちらはじっくり待ち構えて敵を疲れさせ、こちらは平静で敵の動揺を誘います。だからこちらの士卒は「勢」を得て危険を顧みず突撃して退くことを知らないのです。
[五名・五恭]
攻撃してくる敵兵には五つの名(性質)があります。
【威強】威勢がよく力だのみな敵にはやんわりと受け流してうまくあしらう。
【軒驕】驕り高ぶる敵には下手に出て時間を稼ぎ消耗させる。
【剛至】独善的な敵には誘いをかければすぐ乗ってくる。
【助忌】疑いの塊な敵には前方をあけて目標を与えず左右から威圧して前進を促し、一方では守りを固めて敵の補給線を絶つ。
【重柔】形だけで軟弱な敵には示威行動で恐れさせ、部分的に攻撃を加えてみて誘い出してみる。打って出てくれば一気に押しつぶし、出てこなければ包囲する。
兵には五段階の「恭」と五段階の「暴」があります。
敵領内に侵攻して「恭」であれば敵領民の顔色をうかがうようになる。
さらに「恭」であれば物資の現地調達が難しくなる。
それでも「恭」であればやることなすことすべて失敗する。
なおも「恭」であれば物資が底をつく。
最後まで「恭」であれば軍隊はまったく機能を失ってしまう。
敵領内に侵攻して「暴」であれば侵入者と呼ばれる。
さらに「暴」であれば迷惑がられる。
それでも「暴」であれば守り手は恐怖にとらわれる。
なおも「暴」であれば現場の士卒が敵の誘導にかかりやすくなる。
最後まで「暴」であれば軍隊は消耗しきってしまう。
だから「恭」と「暴」は適宜交互に使い分ける必要があるのです。
[兵失]
敵国民が不安としていることで世俗のしていることを正そうとする
敵軍のすぐれているところを阻もうとしても兵力を消耗するだけです。
自国の生産力に分不相応な大軍を擁して敵に対抗しようとしても長続きしません。
いくら備えを固めても敵の攻略兵器を阻止しないのは侮られるだけです。
味方の攻略兵器が劣っているのに備えの固い敵に歯向かえば必ず敗北します。
軍隊がせず明らかなものである。
陣立てもよい、進退も理にかなっている、地形もよくわきまえているのにしばしば苦戦するのは国家や軍にとって何が勝利の条件なのかに疎いからです。
領民が[条件も明確]なのに軍が勝利できないのは仕掛けるタイミングが悪いからです。
戦っても敵の民心を失うのはやりすぎるからです。
努力は大きいのに功績が少ないのは時節を知らないからです。
大きな困難を乗り越えられないのは民心を集められないからです。
戦って後悔を残すのは疑わしい情報を信じたからです。
判明するより以前に禍福を見抜けないのは準備を怠ったからです。
有利な状況を認めながら進めず、チャンスが到来していながらためらい、悪い点に気づきながら改めようとしないというのは「止道」といって発展はおぼつかず滅亡へ至る道です。
貪欲でありながら清廉さを求め、寵愛されながら慎み深さを忘れず、弱でありながら強、柔ありながら剛というのは「起道」といって敵にどんな力があっても繁栄する道です。
の軍である。国のによってしようとする
内に疲れた軍である。多くを費やしながら堅固でなく
敵を見て服しがたく、軍はなお天地のを乱して
そして軍隊は強く国家は
軍隊はできない
[将義]
将たる者「義」軍の頭が必要です。威厳が備わず兵卒は命を投げ出せません。
将たる者「仁」軍の腹が必要です。敵に勝てず軍功を立てることができません。
将たる者「徳」軍の手が必要です。兵の力量を発揮させることができません。
将たる者「信」軍の足が必要です。法令が徹底せず団結がなくなり功名をあげられません。
将たる者「勝利の智」が必要です。
将たる者「決」軍の尾が必要です。
[将徳]
(仁)~赤子、兵を愛することは若く美しい童子に対するようであり、尊敬することは厳格な先生に対するようであるが、働かせるときはゴミのようにするのが、将軍の
(勝利の智)失わないのが将軍の知恵である。敵が少数だからと軽視せず、強大だからと威圧されず、始めたときと終わりまでを同じく慎重にするのが、将軍の
(決)防御せず、君の命令は軍門に入らせないのが将軍の常法である。軍門に入り
(義)将軍は両方で生きることがなく、軍隊も両方で存続することがないのが、将軍の
(信)将軍の恵みである。賞を与えるにはその日のうちに済ませ、罰を下すにはすぐにその場で行ない、その人物をつなぎとめずせず
(徳)外辰、これが将軍の徳である……………。
[将敗]
敗れる将軍。
一.能力がないのにあると思っている
二.驕り高ぶる
三.地位に貪欲
四.財貨に貪欲
五.
六.軽率
七.くずくずする
八.勇気がない
九.勇気はあっても体が弱い
一〇.信が少ない(ウソつき)
一一.
一二.
一三.
一四.優柔不断
一五.ケジメがない
一六.いいかげん
一七.厳しすぎる
一八.残忍
一九.自分勝手
二〇.自ら規律を乱す
しばしば敗れる者は欠点が多いのです。
[将失]
将の過失。
一.行動目的を見失っている
二.人民を無理やり用い、逃げる士卒を引っ捕えてさらに戦わせるように、あてにできない戦力で戦う
三.意見の対立があって作戦を決定できない
四.軍令が徹底せず全軍一致しない
五.部下が命令に服せず将の意のままに動かせない
六.遠征の負担で人民が苦しんでいる
七.遠征が長期化する
八.遠征した兵卒が望郷の念にかられている
九.対決を避けてばかりいる
一〇.兵でしない
一一.戦々恐々している
一二.足場が悪い場所を行軍して疲れている
一三.兵卒が堅固な陣地づくりに追いまわされている
一四.備
一五.日が暮れても目的地まで程遠く兵卒の不満が募っている
一六.
一七.人々が恐れる
一八.軍令がたびたび変わって兵卒が実行に疎かになっている
一九.いがみあって兵卒と将との連帯感が欠けている
二〇.えこひいきが多くて兵卒がやる気をなくしている
二一.紛らわしいことが多くて互いに信用できない
二二.将が自分への批判を許さない
二三.無能な者を用いている
二四.野外で日や雨にさらされて士気が低下している
二五.いざ戦いというときに全軍の気持ちがバラバラ
二六.敵の士気が落ちることをあてにしている
二七.足の引っ張りあいばかりしている
二八.軍の兵車がしない
二九.下卒、人々の心が憎悪している
三〇.陣形を組めないまま隘路に踏み込む
三一.前進する際、後尾の精鋭部隊がすばやく前面に展開できない
三二.前に気をとられて後ろが手薄になり、後ろに気をとられて前が、左に気をとられて右が、右に気をとられて左が手薄になるというようにどこか気がかりなところを抱えている
[雄牝城]
以下は攻めるのが困難な「雄城」である。
【雄城】小さな沼沢に囲まれ付近に高い山や深い谷がなくても四方が段丘になっている。
【雄城】深い谷を前に、高い山を背にする。
【雄城】中央が高く、まわりが低くなっている。
【雄城】城内に段丘がある。
【生水】流水や湧き出る水を飲んでいる。
以下は容易く攻められる「牝城」である。
【牝城】大きな沼沢に囲まれて深い谷も段丘もない。
【牝城】高い山に挟まれて深い谷も段丘もない。
【牝城】深い谷を背に、高い山を前に、前が高く後ろが低くなっている。
【虚城】深い谷を背に、付近に高い山がない。
【死水】溜まり水を飲んでいる。
【死地】硬く痩せた土地。
陣を張ったり行軍したりするとき大きな河を避けずにビクビクしている。
[五度九奪]
援軍が来ても撃破されてしまう。
友軍と五〇里も隔てているときは助け合えません。まして数百里も離れていればなおさらである。
兵法書によれば
一.物資の蓄えが敵に劣るときは持久戦に持ち込んではならない。
二.兵卒が敵より少ないときは正面対決を避けなければならない。
三.。
四.長してはならない。
五.兵卒の訓練が不じゅうぶんなときは精鋭に立ち向かってはならない
とあります。
この五つを肝に銘じれば不敗に立つことができます。
また敵を敗北させるには次のものを奪わなければなりません。
一.敵の物資を奪う
二.水源を奪う
三.船着場を奪う
四.道路を奪う
五.険阻な土地を奪う
六.平坦な土地を奪う
七.
八.
九.敵が重きを置いているところを奪う
この九つの奪取は敵を敗走させる手段です。
[積疏]
密集すれば分散した敵に勝つ。
充実すれば空虚な敵に勝つ。
近道すれば大回りな敵に勝つ。
敏速ならのろまな敵に勝つ。
数が多ければ少ない敵に勝つ。
安楽なら苦労する敵に勝つ。
ですが、敗れるからといって無理をしなくてよいのです。
なぜなら対立する事柄は互いに転化するものだからです。
敵が密集していればいずれ分散するときがめぐり、充実していればいずれ空虚になるときがめぐってきます。すべての優位は必ずや劣勢に転化する可能性を内に秘めているのです。
[奇正]
天地の理とは何か。
【日月】極まったり衰えたり、満ちたり欠けたりを繰り返す
【四季】興隆したり衰退したりのを繰り返す
【五行】勝ったり勝てなかったりを繰り返す
【万物】生まれては死ぬを繰り返す
【生物】できたりできなかったりを繰り返す
【形勢】有利だったり不利だったりを繰り返す
形あるものには名前があり、名前のあるものには勝つことができます。聖人は「相勝(五行)」の法則を「万物」に適用するから常に勝ちました。
戦いとは形と形の争いです。いかなる形であろうとそれに勝つことはできるが、どの形なら勝てるのか、この肝心なことを知る者はいません。
形における「相勝」の変化は天地とともに尽きることがなく、楚・越の国に産する竹簡をもってしても書き尽くせないほどです。
形はすべて「相勝」の法則に従います。ですが、ある特定の形が他の形に勝つからといって、それをすべての形に適用することはできません。「相勝」の法則はすべての形に働いていますが、どの形がどの形に勝つか、その組み合わせは多様だからです。
巧者は敵の長所を見てその短所を察し、敵の不利を見てその有利を察知します。それゆえ勝ちを制すること、日月を見るがごとく、水が火に勝つごとくに明白です。
形で形に対するのは「正」、無形をもって形を制するのは「奇」である。「奇」と「正」の組み合わせは無限です。
。
敵の静を動に、安楽を苦労に、飽食を飢えに、治を乱に、衆を寡に転化させる。これが「奇」です。
「奇」が形となって現れても、敵にそれと気づかれなければ勝ちます。しかし「奇」を弄べば結局は敗れるのです。
関節一つ故障しただけで体全体が用をなさなくなるのはなぜか。それは同じ体だからです。先鋒部隊が敗れれば後続部隊まで用をなさなくなるのはなぜか。それは形を同じくしているからです。
戦いにおける「勢」とは、大きな陣は(分)断し、小さな陣は(溶)解します。先鋒部隊と後続部隊の役割分担を明確に定め、互いに相手の領分を侵さないようにすることです。そうすれば、進むも退くも自由自在の行動がとれます。
賞罰を行なわなくても人民が命令に従うのは、その命令が実行可能なものだからです。信賞必罰で臨んでも人民が命令に従わないのは、その命令が実行不可能なものだからです。死ぬとわかっていながら勇んで死地に赴き一歩も退かないとは勇猛で鳴る孟賁でも成しえません。それを人民に強制し、命令どおり実行しないからといって非難するのは、水を逆流させるようなものです。
勝てば増強し、敗れれば交替させる。疲れれば休ませ、飢えれば食を与える。これが「勢」というものです。そうすれば人民は人を見ても死を恐れず、いかなる危険にあっても勇敢に立ち向かっていきます。
水を流すのにその性質を心得ていれば、石を押し流し舟を破壊するほどの力を発揮させることができます。同様に、人民を動かすのにその性質を心得ていれば、命令は水が流れるように滞りなく実行されるものです。