今日(3月11日)は、あれからもう4年です。
思うように復興が進まないまま、月日だけが過ぎていくもどかしさ。
関東以西にいると感覚が鈍くなってしまいがちですが、現地の方々は今も先の見えない状況の中です。
「あの日のことを、どうか忘れないでほしい」~被災地 南三陸のいま~
3.11変わる風景、忘れぬ記憶
参加者6万人超、宮城・南三陸「語り部バス」の磁力
当時の自分のメモを見直すとお恥ずかし限りですが、結果4年間で自分ができたことといえば、細々と支援金を送るのみ。
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日本復興のために思うこと。
2011年3月21日 21:50
この度の東日本巨大地震で被災された皆様、ならびにそのご家族の皆様、
お見舞いと共に、犠牲者の方々へ心よりお悔やみを申し上げます。
311から早くも10日が経ち、震災地とそれ以外の地域との乖離が、徐々に出始めているように感じています。
メディアから1日に流れてくる震災関連の情報は、グッと減り、このままでは一ヶ月、数ヶ月、そして半年、一年と経つうちに、当事者とその関係者以外の心からは、過去の風景になっていく。
その危うさと脆さが、私にはもどかしくてなりません。
現地では、一日一日を必死で生きていくだけで精一杯で、まだ先の見えぬ生活を送られている方々が、何十万人にいらっしゃるというのに。
いやいや、関東だって、計画停電や品不足、仕事事情や諸々の影響で、日常生活がガラリと変わってしまい、そういった意味では同じく震災の2次、3次被害者だ、と言われる方々もいるでしょう。
でも、実際に震災に遭われた方々に比べれば、あまりにもレベルの違う、議論。
それは、当事者でもなく、まだ危機と不安の続く現地に踏み込んでいないながらも、物知り顔でそれらしく評論をされているTVのコメンテーターと、大差ない。
そう感じずにはいられません。
今、私がもっとも危惧すること。
それは、震災地で今を必死で生きている方々が、半年後、一年後、そして10年、20年後に、元通りに不自由のない生活を営んでいるのか、いけるのか。
そういった、少し先の未来に対してです。
今は、各種メディアで垣間見る惨状から、募金すらしたことのない人達でさえ、身銭を切って支援させてしまうような心になってしまう環境があります。
でも、
一ヵ月後に同じ気持ちでいられるのか、
半年後にその思いを維持して、募金や物資を送り続けていられるのか、
一年後の3月11日に、ああっ、そういうこともあったね、などといつの間にかひとごとのような風化した会話をしていることはないのか。
そう思わざるを得ないのです。
皆さん、それぞれが日々の生活を営ざるを得ない以上、それが必然的な流れになってしまうのは仕方ないという人もいるでしょう。
しかし、復興途上で義援金や援助が一定の期限を切って途絶えたら、どうなるのか?
未来永劫、被災者の方々の生活を支えるということが現実ではないのであれば、今から何をしなければならないのか?
それに対しての、本質的な議論が、絶対的に足りていないように感じずにはいられません。
今は、国を挙げて救済の手を差し伸べる流れが、出来つつあります。
暫くは復興という名の元に、自衛隊やボランティア、各国の援助や救援物資も更に大量動員される傾向が続くでしょう。
では、今を生き延びた方々が、その後どうやって生きていくのか、どうやって生きていけるのか。
それを考え、今から基盤を作っていくことも、日本復興の大事な糧ではないか、と思うのです。
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将来に向けた根本的な救済と復興の計画が、まさに今必要なとき。
2011年3月27日 10:36
(中略)
こうしたときに今政府・政治がやるべきことは、早急なる救済と復興のビジョンの打ち出し。
そのビジョンさえあれば、将来の希望に向かって、日本は今以上にひとつにまとまっていくはずです。
既に、今震災、ならびにその2次被害に遭われている方々のために、日本がひとつになろうという気持ちを(程度の差がありこそすれ)誰しもが持っているはずでです)。
今の危機に際しては、調整屋ではなく猛烈なる仕切屋の出現が必至。
国内の人材だと、調整諸々が優先されてどんな優秀な人でも身動き取れなくなる状況にしかならない。
そんな国内の政治情勢であるのならば、国外から門外漢でもいい。
被災地の方々の、人の命がかかっているのです、
そこを一斉に救う対応が出来るのであれば、広く人材を求めてもいい状況が、正に今そこにあるのではないでしょうか!
この危機に関わる官僚・政府が、目先の処理にあたふたして抜本的方針や対策を打ち出せず、いつまでも考え方を変えることが出来ないのであれば、日本国民は今こそもっと怒りを顕わにすべきではないでしょうか!
日本は、そして日本人は、礼節を重んじて天災に際しても静かに対応する、世界に誇るべき国民性ではあります。
が、今正に消えかかっている命、危険にさらされている命を、ひとりでも多くの人々の未来と共に救うことが出来るのであれば、相応の厳しさや怒りと行動も今は必要なはずです。
政府、政治を大きく動かす草の根運動が出来ないでしょうか?
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シェアは、今の日本にこそ必要なこと。
2011年3月31日 22:19
東日本大震災により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。
この未曾有の国難に際し、日本の復興に向けて、出来ることは何か、皆さんと考え行動していきたいことから、またひとつ問いかけです。
facebookで使っているシェア。
このシェアを「リアルな生活の中でも積極的に使っていきましょう」という運動と意識改革こそが、この震災被害への支援として、私たちに出来ることのひとつ、ではないでしょうか。
関東だけでも、今使用されていない空き家やマンション、アパートが数十万戸以上らしく、これが全国規模ともなれば、その数は優に被災された方々に手を差し伸べるに十分な数になることは必至です。。
今、全国で被災に遭われた方々に対するいろいろな動きが出ていますが、私は、こういうときは2系列の考え方が並行してあってもいいのではないかと思っています。
・短期的な視点として、直接間接的にでも義援金やボランティアなど、今まさに現場で必要な支援。
・長期的な視点として、数ヶ月、一年、数年先の将来を見据えた、被災者の未来にわたる生活基盤の準備。
前者は、今まさにそこにある危機として、国内外でも「自分に出来ることはなにか」を考えて、皆さんがそれぞれ出来ることをアクションとして行われていることかと思います。
しかし、なかなか後者の部分については、まだまだ具体的なビジョンや方向性が定まっておらず、その展開も方針もはっきりしていないように見受けられるのです。
このところ、被災した方々の、他県への移転や避難の動きが始まっていますが、動きたくても動けず、まだまだ明日をも見えぬ不安を抱えて、被災地で生活をされている方々の数の方が圧倒的であることも事実。
だからこそ、今こそはもっと自治体・国家規模での被災地からの移動が必要な時期だとは思いませんか。
具体的には、国家事業規模で、住まいをシェア出来る具体的な数値を集約し、自治体規模で現在の被災地から自治体規模での民族移動を図る。
その下支えとなる住居のシェアが、必要な時代なのではないでしょうか。
私がいう移動とは、今もっぱら行われている一時的な避難ではありません。
将来を含め、その移動先での長期的、恒久的な生活が営める基盤を含めた移動です。
現在の避難所に避難されている方々は、現時点で26万人とも27万人いわれています。
それが、半壊、一部破損したご自宅で避難されている(要は、避難所にいないために被災のカウントとして正確に数として把握されていない方々の)方々、一時的に他地域、他県に避難された方々となると、その数は更に3倍とも4倍とも言われています。
つまりは、100万人単位での安定した住居を確保出来ていない被災者が、今この日本の大地にはいる、ということになるのです。
ボランティアで行ったとしても、助けられるのはひとりあたりせいぜい数人。
自治体規模なら、それが数百、数千の単位に変わります。
ましては、それが国家規模であるならば、この100万単位の人々を救うことだって、きっと出来るはずです。
リアルなシェアが、今の日本にこそ必要なこと。
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4年経ったから今だからこそ、改めて未来を見据えた根本的な対策を打っていく時期にあるはずです。
これまでの延長だけでは根本的な解決手段はありません。
課題を積み上げるのではなく、WBS(Work Breakdown Structure ※)をもっと詳細に描くことと、それを実施推進する一括権限を持った組織と仕組みを望むばかりです。
※)WBS = プロジェクトマネジメントで計画を立てる際に用いられる手法の一つで、プロジェクト全体を細かい作業に分割した構成図のこと。
これをきちんとスケジュール化し、それをきちんと刈取り・推進できるか否かが、プロジェクト成功のカギとなる。
記憶の中に埋もれさせることなく、今何ができるのか。
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