『三国志演義』第十一回 劉皇叔北海に孔融を救い、呂温侯濮陽に曹操を破る

 策を献じたのは糜竺である。

 その策は、北海の孔融と青州の田楷に援軍を要請することであった。

陶謙は早速書状を書き、田楷に陳登を、孔融に糜竺を使者に送った。

 糜竺は孔融に会ったが、そこで黄巾の残党管亥が攻め入って来たためにこれを先にかたずける事になってしまう。
黄巾と戦っている所に老母の命を受けた太史慈が駆けつけた。
孔融は彼を劉備に援軍を要請する使者にした。
劉備らは精鋭3千を率いて駆けつけ、管亥を関羽が十合ほどで真っ二つに斬り、賊軍は大敗した。

 その後、太史慈は国へ帰った。
劉備は公孫瓚のもとに戻って、兵2千と趙雲を借りて陶謙の援軍に駆けつけ、孔融と田楷に合流した。

 劉備は、陶謙から除州を譲りたいと申し出を受けたが、これを断った。

そして、曹操に停戦の書状を書いて送ったが、曹操はこれをはねのけて攻め入ろうとした。

 しかし、そこに長安から落ち、各地を転々としていた呂布が攻め込んできた事が伝えられ、賈詡カの進言でこの場は劉備に恩を売って兵を引き上げた。

 劉備は、陶謙から再三除州を譲りたいと言われたがこれを断り続けた。

陶謙も諦めて小沛の城に兵をとどめておくことを提案し、劉備はこれに従った。

 一方兵を返した曹操は、呂布と対峙した。
呂布には陳矯が軍師についており、曹操軍に伏兵を使う事を進言したが、この言葉を聞かずに進撃した。
楽進と呂布が戦い、三十合ほどして夏侯惇が加勢に入った。

しかし、呂布の前に二人は敗走し曹操軍は総崩れとなった。

 曹操は夜襲をするが、陳矯に見破られて大敗し逃げたが、呂布もこれを追撃し、于禁と楽進が呂布の前に立ちはだかるがかなわず敗走した。
典韋が曹操を救いだし、諸侯も集まって来たので血路を開いて陣へ帰ろうとした。

 そこへ呂布が「曹賊逃げるな」と追いかけて来る。

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