『三国志演義』第二十回 曹阿瞞許田に打囲し、董国舅内閣に詔を受く

 張遼を救ったのは関羽であった。
曹操は張遼が忠義の士であることを知っていたので、戯れただけと言って剣を投げ捨てた。

 この後、呂布の手勢は次々と降伏した。

 劉備は大功を立てたので献帝に謁見を許された。
そこで中山の靖王の末孫であると名乗り、献帝が家系を調べさせると叔父にあたることがわかった。
劉備は左将軍宜城亭侯に封ぜられた。

 程昱が曹操に今こそ覇業を成すときであると勧めると、「朝廷にまだまだ股肱の臣がいるの。
様子をうかがってみよう」と言って献帝らと巻狩りに出た。

 劉備、関羽、張飛らも献帝に随行した。
献帝が「今日は皇叔の手並みを見たいものじゃ」と言った。
そこへ兎が飛び出し、劉備はそれをしとめた。
献帝はたいそう誉めた。
そして、丘を廻った時に鹿が飛びだした。
献帝は矢を三本射たがみな外れてしまった。
曹操は「そなた射てみられよ」と仰せつかって弓矢を拝借して鹿をしとめた。
諸侯は献帝の矢を見て献帝の射たものだと思って万歳を称えて集まってきた。
そこに曹操が献帝の前に出て万歳を受けた。
そして、そのまま弓矢は自分の腰にかけてしまった。
関羽は怒って曹操を切り捨てようとしたが劉備はそれを止めた。
そして、「万一仕損じて天子を傷つけてしまうとば我らが罪に陥されてしまうではないか」と言った。
関羽は「今日あの国賊を討たなかったこと、必ず禍根を残しましょう」と言った。

 献帝は還御して曹操の巻狩りの振る舞いを涙ながらに伏皇后に言った。
そこに伏皇后の父フクカンが現れ車騎将軍の国厩董承に密詔を託す事を進言した。

 翌日、献帝は董承を呼び、西都での功績をたたえて錦の袍と玉帯を賜り「帰宅の上、これを調べよ」とささやいた。

 董承はこれを着込み閣を出た。
そこに参内してくる曹操と出くわした。
曹操は恩賞の錦の袍と玉帯を見せろと迫り、董承はしぶしぶそれを渡した。
曹操は密詔がないか調べ、自分ではおり董承に「これを私に譲ってくれないか」と言った。

「恩賞の品ゆえ、私が別に作らせて差し上げましょう」
「いや、貴公が賜った物を取ったりするものか。
戯れを申しただけじゃ」
 曹操は董承に錦の袍と玉帯を返した。

 董承は帰宅して錦の袍と玉帯を細かく調べたが何もなかった。
疲れて机にうつ伏せになったところに燈心が玉帯に落ち、裏地を焦がしてしまった。
焦げ跡から献帝の密詔が現れ、急いで切り開いて取り出して読んだ。
そして、オウジフク、ゴシラン、チュウシュウ、ゴセキとともに打倒曹操モウトクを誓った。
そこに西涼の太守馬騰が現れ、巻狩りの一件に怒りを表しともに連判状に名を連ねた。

 馬騰は同士を集めるため職員録を調べた。
そして、劉氏のところまで調べたとき手を打って、「この人こそ、その人だ」

4004303486B00OKC2DCCB00PS2FMO4B00R3MUW60B00S5XTE8S449721009X