『三国志演義』第三十四回 蔡夫人屏を隔てて密語を聴き、劉皇叔馬を躍らせて檀渓を過ゆ

曹操は金色の光の立ったところから、一つの銅の雀を掘り出したので、荀攸に尋ねた。荀攸が吉祥の兆と言ったので曹操は喜んでこれを祝うために銅雀台の造営を命じた。そして、袁紹の兵を吸収し、五、六十万の軍勢を率いて許都に帰り、郭嘉に恩賞や上奏文を賜った。

劉表のもとに身を寄せた劉備は、陳羣と真聖の謀反を鎮めに兵を出した。趙雲は陳羣の馬が名馬であるのを見て
「あれは日に千里を行く名馬だ。」
と言ってすぐさま倒して馬を奪った。そして、張飛が真聖を討ち取り、乱は簡単に平定された。
劉表が劉備に信頼を寄せるのが気に入らない蔡瑁と蔡夫人は、劉備が禍いの種であると吹き込むが相手にされない。翌日、陳羣の名馬に劉備が乗っているのを見て、劉表はたいそう誉めた。劉備はこの馬を劉表に献上したが、カイエツが後でそっと劉表に
「的廬という馬相の凶馬です。これに乗る者は祟りがあります。陳羣もこのために身を滅ぼしております。」
と言ったので劉表はそれとなく返した。伊籍はこの事実を劉備に伝えたが、劉備は
「人に生死は定まったもの。馬に変える力はない。」
と言った。伊籍はこれに感服し、以来劉備と行き来するようになった。
建安十二年、甘夫人が劉禅を生み、阿斗と幼名を付けた。この時、曹操は北征していたので、劉備は劉表に許都を取ること勧めた。しかし劉表にその意志がなく、劉備もそれ以上は言わなかった。そして、劉表が思う事があると言いかけた時、蔡夫人が衝立のかげから姿を見せたので口をつぐんでしまった。
その冬に曹操が帰還してしまったので攻め込む機会はなくなってしまい、後悔した劉表は後継者に陳氏の長子劉琦か蔡夫人の次子劉琮にするかを劉備に相談した。劉備は、
「次子を立てるは騒動のもとでざいます。」
と答えた。劉表はそれには何も答えなかった。
衝立の裏でその事を聞いた蔡夫人は、蔡瑁とともに客舎を襲って劉備を殺そうとしたが、伊籍の知らせで事前に立ち去った。蔡瑁は劉表ョウに劉備に謀反の意志があると偽りを言うが、劉表は動かない。
その後、宴を開くという呼び出しがかかる。これは蔡瑁の陰謀のにおいがするので趙雲が同行した。しかし、趙雲は別席に案内され、三方を固められてしまう。そして、空いている西側は檀渓であり逃げられなくなってしまい、劉備は、
「的廬ついに祟ったか。」
と叫ぶと、的廬は檀渓を躍った。
追手の蔡瑁は追撃をあきらめ帰ろうとした。そこに趙雲が駆けつけた。

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