『三国志演義』第五十七回 柴桑口に臥竜喪を弔い、来陽県に鳳雛事を理む

周瑜は、左右の者に助けられて船に戻ったが、そこに、劉備と諸葛亮が前の山でうれしそうに酒を呑んでいると知らせが入り、
「おのれ、わしには西川が取れぬと思っておるのか。こうなったら誓って取って見せる。」
と悔しがった。そこに、諸葛亮から
「西川は兵が強く地堅固故、遠征をして魏に虚を突かれたら呉はおしまいだ。」
と書面が届いた。
周瑜は、深い溜息をついて
「何故、天下は諸葛亮を生まず、我一人にしなかったのか。」
と繰り返し叫んで息絶えた。

周瑜の遺書は、魯粛を後継に推挙したもので、孫権は悲しみで泣きながら、魯粛を都督にした。
諸葛亮は周瑜が死んだことを知ると、弔問に訪れた。その帰りに龐統に会い、「呉ではあまり重用されていないだろう。気が向いたら来ないか。」
と言って別れた。

魯粛は孫権に龐統を推挙した。しかし、孫権は周瑜の上を行く者などおらぬと思っており、また、龐統の容姿や態度もあまり気に入らなかった。魯粛は、連環の計を進言したのは彼だと言っても、
「曹操が勝手にしたことじゃ。」
と言って用いようとはしなかった。
魯粛は、龐統を訪ねて、劉備に推挙した。龐統は書面を持って劉備を訪れたが、この時諸葛亮は四郡の巡視に出ていて不在であった。劉備も孫権同様、容姿や態度があまり気に入らなかったので、とりあえず空いている県令の席を与えただけだった。龐統も諸葛亮が不在だったので、魯粛からもらった書面を見せずに下がった。
龐統は県令に着任しても一切の仕事をしなかった。そこである者からの知らせを聞いて、劉備は腹を立てて、張飛に巡視に向かわせた。
張飛が来ると龐統は、百日余りためていた仕事を目の前で片づけた。
これに張飛は驚いて
「先生の才を存じ上げず、大変無礼つかまつりました。それがしより兄者によく推挙いたします。」
と言った。そう言われて龐統は書面を渡した。
「何故、兄者と対面された時にこれを出されなかったのですか。」
「出せば、推薦状を頼りに仕官を求めるような形になるではござらぬか。」
と言った。張飛は荊州に戻り龐統の才を伝えた。
劉備は慌てて龐統を迎えた。諸葛亮が戻って龐統と再会した時、彼は諸葛亮からの推薦状を見せた。
劉備は龐統を副軍師中郎将任じた。

曹操は、呉と荊州が手を結んだので近々北伐の恐れがあると警戒した。そこで、以前流言のあった西涼の馬騰を警戒して、馬騰を召しだした。
しかし、馬騰は亡き董承ともに逆賊を討てという帝の密詔を持っており、息子の馬超の進言で、都に行ってから機を見て行動を起こせばよいとした。馬騰は馬休、馬鉄、馬岱を引き連れて許都に向かった。
曹操は馬騰が着くと黄琬の子黄奎に迎えに行かせた。
黄奎は馬騰を訪ね、
「我が父黄琬は李傕、郭汜の乱で命を落とし無念に思っていましたが、また逆賊に会うとは思いもよりませんでした。」
と言って、馬騰を驚かして、
「貴公は衣帯の密詔をお忘れか。」
と本心を言った。
そして、手を組んで曹操を討とうとした。しかし、黄奎はそれを妾に漏らしてしまい、妾はそれを曹操の耳に入れた。事が露見し黄奎と馬騰、その子馬休は首をはねられた。馬岱はやむなく軍勢を棄てて落ち延びていった。
一方、曹操は劉備が西川を取ろうとしている事を知り愕然とした。そこに
「それがしに一計あり。」
と策を献じた。

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