前回、”不精な若者の物語”からの続きです。
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エジプトのカイロの豪商「冠氏」には、ヌールと言う名の14歳になる美しい息子がいた。
ある日ヌールは悪友と庭園に遊びに行き、花々や果物を楽しみ、悪友にそそのかされ生まれて初めて酒を飲み、女を抱いた。
家に帰った酒臭いヌールは、イスラムの教えに背き酒を飲んだことを父から叱られ、酔った勢いで父を殴ったため、父から翌朝右手を切り落とすと宣言された。
母親は驚き、ヌールに1000ディナールと100ディナールの財布を渡し、アル・イスカンダリア(アレクサンドリア)に逃げるよう言った。
アル・イスカンダリアに着いたヌールは、ペルシャ人に連れられた美しい女奴隷に心を奪われ、後を付けて奴隷市場まで行った。
女奴隷は競りに掛けられるが、買いを入れた者を次々罵倒し競りは不成立になりそうになった。
女奴隷はヌールを見つけ、買うよう頼んだので、ヌールは1000ディナールで女奴隷を買い受けた。
女奴隷の名はマリアムと言い、コンスタンティニア(コンスタンチノープル)のフランク人(ヨーロッパ人)の王の娘で、船旅に出たところ、イスラムの海賊に襲われて捕まり、奴隷としてペルシャ人奴隷商人に売られたが、その奴隷商人が病気になり、親切に看病してあげたので、奴隷商人から「気に入らない人には売らない」との約束を得て競りに出されたもので、買いを入れた者が気に入らなかったので罵倒していたということであった。
ヌールとマリアム王女は互いが好きになり2日間愛し合った。
マリアムは信仰告白(シャハーダ)を行いイスラム教に改宗した。
その日の午後、ヌールが寺院に行き、マリアムがアル・イスカンダリアの名所で「檣の柱(ほばしらのはしら)」という高さ30mの石柱を見に行ったところ、コンスタンティニアの王が王女捜索に使わした大臣に出会い、帰国を断るも無理やり連れ去られてしまった。
マリアムが消えたことを知ったヌールは、コンスタンティニアに行く船に乗り、後を追いかけたが、船はコンスタンティニアの港で捕まってしまった。
マリアム王女が処女を失ったことを知った王は怒り「イスラム教徒を100人殺す」と宣言し、乗船していた者を次々処刑するが、ヌールが101人目だったので、命は助けられ、教会の下働きとなった。
7日後、マリアム王女が教会に籠ることになり、ヌールと再会した。
ヌールはマリアムの計画に従い、夜、教会の財宝を奪い、海岸で指定された小型船に乗った。
船の船長は船員を全員殺すが、船長は男装したマリアムであった。
二人は船を操りアル・イスカンダリアに着いた。
アル・イスカンダリアに着くとヌールはマリアムを船に残しベールと女用の服を買いに行ったが、その隙に、船は襲われマリアムはコンスタンティニアに連れ戻され、マリアムは大臣と結婚することになった。
一方、ヌールはコンスタンティニア行きの船に乗るが、コンスタンティニアで捕まり、殺されそうになったが、大臣の家の名馬である白馬サビク、黒馬ラヒクの目の病気を治し、命を助けられた。
その夜、マリアムは大臣を麻酔薬で眠らせ、マリアムはラヒクに、ヌールはサビクに乗り逃げ出した。
脱走に気付いた王は、大臣を殺し、3人の将軍と9000人の兵を率いて追いかけてきた。
ヌールとマリアムは王の軍に追いつかれたが、マリアムはバルブート、バルトゥス、ファシアーンの3将軍を一騎打ちで倒し、敵が逃げ出したところを追撃して死体の山を作った。
2人はダマスに向かって旅を続けた。
コンスタンティニアの王は、教王(カリーファ)ハールーン・アル・ラシードに贈り物をし、マリアム王女を返すよう使者を使わした。
教王はダマスに着いたヌールとマリアムの2人をバグダードの宮殿に召し出した。
教王は事情を聞き、マリアムがイスラムに改宗したことを確認し、コンスタンティニアの王の依頼を断り、2人に多額の褒美を与えた。
2人はエジプトのカイロの「冠氏」の元に返り、幸せに暮らした。
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次回は、寛仁大度とは何、世に処する道はいかにと論じ合うことです。