横井小楠は、幕末の熊本藩士・政治家・思想家であり、幕末明治維新の志士たちがこぞって一目置いた人物です。
幕末に西郷隆盛や勝海舟をはじめとする面々に思想的な影響を与え、幕末史を語る上でのキーパーソンの一人であり、「維新の青写真を描いた男」として彼を抜きに維新はありえなかったと言っても過言ではないくらいの人物です。
とはいえ、現代ではほとんど知られることのない小楠ですが、まだ天下が江戸幕府の統治下にあった際に、早くも「天皇のもとに天下を統一し、人材を広く登用して、議会政治を実現すべし」と説いた時代の先覚者でした。
小楠は、西洋の帝国主義は覇道を目指すものであるとし、日本は王道政治で徳を重んじる有徳国家を目指すべし、と説いていたのです。
また、坂本龍馬が作成した「船中八策」と「新政府綱領八策」は、小楠が幕府に提出した「国是七条」と福井藩に提出した「国是十二条」をそれぞれ下敷きにしていますし、由利公正が起草した「五か条の御誓文」も小楠の「国是十二条」の影響が色濃く出ており、いずれもその大元はこの人物の著であり思想であることは明らかなのです。
まさに明治新政府の土台となる政治思想を明確に定義した、維新の人物中の大人物たる横井小楠を、勝海舟は「氷川清話」の中でこのように書いています。
「おれは今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南州(隆盛)だ。」
「横井の思想を西郷の手で行われたら敵うものはあるまい」
その西郷も
「小楠が諸国遊歴した際、人材であると言った人で、その後、名を挙げなかった者はいなかった」
と小楠の人物鑑識眼を激賞しています。
他にも幕末維新の英傑達がこぞって小楠に一目を置き、龍馬、松陰、高杉晋作に至っては、小楠を師と仰いでいたと言われています。
そんな小楠の主張は、「天皇の下に国家を統一し、人材を広く登用して議会政治を実現する」というものでしたが、これは維新政府が目指した政体そのものです。
龍馬が姉乙女に宛てた手紙の中で「日本を今一度せんたくいたし申候」と書いているものも有名ですが、これはそもそも小楠の口癖「天下一統人心洗濯希うところなり」を聞てきた龍馬が記したもの。
これほどまでに、小楠の描く理念は魅力にあふれ、説得力があったことが伺えます。
更に小楠の唱える思想をピックアップしてみます。
「西洋の学はただ事業上の学にて、心徳上の学にあらず。
心徳の学無きがゆえに人情にわたることを知らず。
交易談判も事実約束を詰めるまでにて、詰まるところ遂に戦争となる。
戦争となりても事実を詰めてまた賞金和好となる。
人情を知らば戦争も停むべき道あるべし。
事実の学にて心徳の学なくしては、西洋列強戦争の止むべき日なし」
「和とか戦いとかいっても結局偏した意見であって、時に応じ勢いにしたがって、そのよろしきを得るのが真の道理である。
信義をもって応接し、我が国に義があれば、万国を敵に回すようなことはない」
「もし自分を用いる者があれば、自分は使命を奉じてまず米国を説き、一和協同を成し遂げ、その後に各国を説き、遂に世界の戦争を止めるであろう」
要は、西洋のような覇権だけではなく、仁義に基づき富国強兵を超えた「公共の道」たるべき理想国家となりなさい、他国とは時や情勢に応じて柔軟性に接していきなさい、と説いている訳です。
単に物質的な富や力を追求する事実の学だけで戦争は無くせない。
世界平和の実現のためには、「心徳の学」が必要だと小楠は説いているのです。
しかも小楠は、攘夷か開国かの2択で硬直した議論しかなかった当時の日本において、現実をしっかり見据えた柔軟な対応を説いています。
こうしたことからも、小楠は当時にしては希少な程に類稀なる戦略的思考と国際感覚をもった日本人であったことが伺えるのです。
世界は年々混沌さを増し、日本もどう進むべきかその道がはっきりと見い出せないままでいます。
戦後から現代に至り、ものの豊かさに反比例するように心は貧しくなり、唯物主義・利己主義が蔓延し、道徳の低下は目を覆う状況です。
こうした中にあって、幕末の混迷期にこんな柔らか頭で世界の未来を描いていた小楠の生き方と思想は、きっと現代に役に立つに違いありません。
日本の本質的な再建が成せるかどうかは、大義に基づく精神的な建て直しが必須条件です。
小楠は、この精神を改めて私達に認識させてくれる偉大な先人です。
日本の未来のために、改めて偉大なる先人・偉人に学ぶべきではないでしょうか?
人物ばかりを待望するのではなく、先人の思想とその姿を手本とすること。
新しいものばかりを追いかけるばかりでなく、古き良きものから学ぶ姿勢を取り戻したいものです。
以下参考までに、五箇条の御誓文の草案、船中八策、国是十二条、国是七条、国是三論のエッセンスを記しておきます。
【五箇条の御誓文の草案 (慶応4年,1868年)由利公生】
新政府の参与となった由利公生は、新政府の方針を広く世間に示すことだと主張、自ら草案を作り示したものです。
1.庶民志を遂げ人心をして倦まさらしむるを欲す。
1.士民心を一つにし盛んに経綸を行ふを要す。
1.知識を世界に求め広く皇基を振起すへし。
1.貢士期限を以って賢才に譲るべし。
1.万機公論に決し私に論ずるなかれ。
【船中八策 (慶応3年,1867年)坂本龍馬】
坂本龍馬が長崎より京都への船中で、新しい国の体制に就いて後藤象二郎に意見を述べたものです。
1.天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出ずべきこと。
1.上下議政局を設け、議員を置き、万機を参賛せしめ、万機よろしく公論に決すべき事。
1.有材の公卿・諸侯および天下の人材を顧問に備え、官爵を賜ひ、よろしく従来有名無実の官を除くべき事。
1.外国の交際広く公議をとり、新たに至当の規約を立つべき事。
1.古来の律令を折衷し、新たに無窮の大典を選定すべき事。
1.海軍よろしく拡張すべき事。
1.御親兵を置き帝都を守衛せしむべき事。
1.金銀物価よろしく外国と平均の法を設くべき事。
【国是十二条 (慶応三年、1867年) 横井小楠】
1、天下の治乱に関わらず、一国(一藩)の独立を本となせ。
2、天朝を尊び、幕府を敬え。
3、風俗を正せ。
4、賢才を挙げ、不肖を退けよ。
5、言路を開き、上下の情を通ぜよ。
6、学校をおこせ。
7、士民を慈しめ。
8、信賞必罰。
9、富国。
10、強兵。
11、列藩に親しめ。
12、外国と交われ。
【国是七条 (文久2年、1863年) 横井小楠】
松平春嶽のブレーンとして幕政に参加した横井小楠が、幕政改革の方針を建議したものです。
1.大将軍上洛して列世の無礼を謝せ。
1.諸侯の参勤を止めて述職となせ。
1.諸侯の室家を帰せ。
1.外様・譜代にかぎらず賢をえらびて政官となせ。
1.大いに言路をひらき天下とともに公共の政をなせ。
1.海軍をおこし兵威を強くせよ。
1.相対交易をやめ官交易となせ。
1.大将軍上洛して列世の無礼を謝せ。
将軍は、京へ行き、これまでの徳川家中心の政治を、朝廷に謝る。
徳川幕閣政治を、徳川家のための「私」の政治である、これを、「公共の政」に改めるべきである。と主張。
「私」の政治を、「公共の政」に変えるために、先ず、これまでの「私」の政治を、天下に謝るべきである。
このために、将軍は京へ赴き朝廷に謝るべきとした。
1.諸侯の参勤を止めて述職となせ。
参勤交代制をやめて、各大名は、将軍に各藩の情況を報告する制度に改める。
参勤交代制は、徳川幕閣政治を維持するための中核であったが、幕末になると制度疲労を起こし、各藩にとっては財政的な負担が大きく、松平春嶽をはじめ各大名より、改革の声が出始めていた。
「私」の政治の象徴としての参勤交代を廃止し、大名の役割を、「述職」とすることで、「公共の政」へ政治の体制を変革を図った。
また、参勤交代に費やす莫大な費用を、外国から国土を守るための財源とすることとした。
1.諸侯の室家を帰せ。
大名の奥方は、いわば人質のようにして、江戸常駐が義務づけられていた。
これも、「私」の政治を守る制度であり、その為の維持費の負担も、各藩にとっては莫大なものであった。
参勤交代制同様に、この制度の変革を図った。
1.外様・譜代にかぎらず賢をえらびて政官となせ。
政治を司る地位には、これまでの伝統にこだわらず、優秀な人材の登用を行う。
これまでの慣例にとらわれず、優秀な人材を登用することで、「私」の政治から「公共の政」へ改める事によって、諸外国との交易も行えるとした。
1.大いに言路をひらき天下とともに公共の政をなせ。
密室で、一部の地位の人だけで決めていく政治を改め、多くの人々の意見を集約する政治を行う。
国の大事な方針は、諸大名を集めて議論をし、皆の納得の上で決めていくべきだ、とした。
徳川家の「私」の政治から、「公共の政」への転換。徳川家の「専制政治」から、「共和政治」への転換を図った。
1.海軍をおこし兵威を強くせよ。
外国の侵攻を防ぎ、日本を守るには海軍の増強が必要。
米・露・英などの国がアジアへ押し寄せ、インド・中国を支配下に置き、日本に対しても、一方的な条件で国交の要求をしてきている中で、国を守るには、海軍の増強が必要であるとした。
しかし、徳川幕府のみでは海軍を増強するための財政力はないために、各藩との協力してその体制を作る必要があるとした。
1.相対交易をやめ官交易となせ。
外国との貿易を、国の管理下に置き、国の財政基盤を強化する。
外国のいいなりになる、自由貿易はせずに、貿易は当面は国の管理下に置くべきだとした。
越前藩では、藩の管理下での貿易「物産総会所」で、藩が莫大な利益を得た。
これを手本とし、国も貿易を管理下に置き利益を得ることで、海軍増強の費用の捻出を行うこととした。
【国是三論 (万延元年、1960年) 横井小楠】
『国是三論』は、「天・富国」「地・強兵」「人・士道」の三論に構成された堂々たる問答集です。
節約や倹約については、必要な経費を省くことを戒めています。生活水準については、一定の度合いに馴れてしまうと、元に戻すことの困難さが指摘されています。
交易については、信義が重要だと考えられています。
産業政策では、政府からの貸与によって産業を発展させ、その利益を回収する方法が示されています。研究開発においては、基礎研究を政府が行い、民間へ技術転移し、利益を得る方法が示されています。また、就業支援も政府の仕事として考えられています。
災害については、個人の力では限界があるため、政府による救済が提案されています。
治国とは民を治めることであり、統治者はそのための道具であり、その用い方として、民の経済的安定を産業政策で実現すべきことが指摘されています。
政府の税収については、公開を原則とし、福祉へ支出して社会の安定を保障し、経済的利益へつなげて行くことが説かれています。さらに、政府は紙幣の発行を通じて、経済を廻していくべきことが語られています。紙幣の信頼を保障すれば、物価高などの不安材料を取り除くことができると考えられています。紙幣の流通量についても、発行と回収を適切に行って運営すべきことが語られています。
小楠は、日本の独立自尊という立場から、各国の状況分析の上で提案を行っています。政府は富を人民と分かち合うべきであり、困窮対策・孤児対策・刑罰・税収・教育といった政策を、義や徳という点から考察すべきことが説かれています。
その上で日本の富国強兵にはどうしても“士道”が伴うべきだと強調しました、まさに富国有徳の弁です。
【節約と倹約】
節約によって経費を必要なところに回すといっても、不足だといって必要なところを削れば意味がないというのです。
節約や倹約において、注意すべきことが示されています。
また、すでに贅沢に馴れきった状態では、民は節約のための法を、苛酷な悪法だと見なすというのです。
御上の思召しに対し、奢り怠けることで返すため、人情に悖ることになるというのです。
【交易】
外国との交易では、相手との信義を守って貿易の利益を得て収入を確保すれば、君主は仁政を為し、家臣は賊となることはないというのです。
【産業政策】
産業政策については、増産の意欲がありながら、資力がなく果たせない者に対しての政策です。
政府は、生産するに資力不足の人民に対し金や食料を貸与して希望を実現させよというのです。
その後、生産された品物を政府に納め、その価格によって先に貸与した金・食料の負債をつぐなわせ、利息をとることをしないという政策が提示されています。
【研究開発】
研究開発については、民間の生産物において、栽培法や製造法について簡便な方法や便利な器械などがある場合は、まず政府が実験を行い、有用性を確かめてから民に親切に指導すべしということです。
さらに、政府で十分に試験し、皆の信用を得たときに採用するのがよいというのです。
なぜなら、便利な方法であっても、新しいことを強制すると民が反発することがあるからです。
他にも、工業や商業についても同様であり、資金を貸し付け、技術を教えて新しい生産にたずさわらせ、利益を上げるべきだというのです。
また、無職で遊んでいる者へ、それぞれの希望に沿った仕事につかせ、必要な資金や用具を貸してやることが語られています。
【危機管理】
危機管理については、火事や病気のような災害は、個人の力ではどうにもならないため、被害の軽重によって救済の制度が必要だというのです。
【士と民】
武士については、治国は民を治めることにつながり、武士は民を治めるための道具だというのです。
産業を活発にするために、民の生活を経済的に安定させるべきだというのです。
政府が努力して生産を司る結果、人民の富が増すというのです。
【公開と運用】
政府は、収入を民に公開し、それを用いて民の困窮を救い助けるための福祉事業に支出すべきことが語られています。
このことによって利益が上がれば、政府はますます充実するというのです。
さらに、紙幣に対する金・銀貨を考慮して紙幣を発行し、経済がうまくまわるようにすれば、民間の生産も増大し、政府の収入も上がるというのです。
続けて、政府が、紙幣に対する金・銀貨などの信用財をしっかり運用すれば、物価高などの心配はないというのです。
ただし、もし紙幣を発行しすぎた場合は、紙幣に対する金・銀貨を支出して、銀局や役所を通じて紙幣を買い集め、その銀札を政府の諸費用にあてればよいというのです。
そうすれば、何もせずとも財政が豊かになるはずだというのです。
【政府の方針】
政府は、富を多くの人民と分かち、生活に苦しんでいる者を助け、孤児にあわれみをかけ、刑罰を緩くし、税の取り立てを減らし、教育に義をもって為せば、民も仁愛の徳によって政府を慕うようになるというのです。
そうなれば、格別な措置は必要なくなるというのです。
天徳や聖人の教えに則り、各国の実情を知り、国内政治の充実させて富国強兵を実現することで、外国から侮られないようにすべきだというのです。
それは日本の独立自尊のためであり、洋風かぶれではないというのです。その主旨を取り違えてはならないというのです。