抱朴子より学ぶ!長生きという個人的な目的を善い行為へと転化させた葛洪の業績を見よ!

”天は人間の行為を逐一監視していて、善い行いには賞を、悪い行いには罰をその報いとして与える”「功過思想」という考え方がありますが、その基礎を完成させたのが、中国東晋の道士葛洪 (かっこう)が著した『抱朴子(ほうぼくし)』です。
『抱朴子』は、道教の倫理部門の中心となって、長い間中国人の心理面に大きく影響を与えてきたといわれており、全106編といわれていますが、現存しているのは内編 20編、外編 50編、自叙2編のみです。
その内容ですが、「道教は本(先)、儒教は末(後)」という儒、道二教併用の思想から成り、内編は「仙人の実在、仙薬のつくり方、修道法、護符、避邪、鬼神の駆使、歴臓法、道教の教理・戒律」などを論じ、神仙思想に道家の説や教義を加えて組織化したものとされ、外編は「儒家の立場からの世事、人事、政治、社会に関する評論」を述べてあり、当時の世相を伺う貴重な資料となっています。
そんな葛洪は、後漢末の左慈、従祖父の葛玄、師の鄭隠へと伝わる道術を正統とし、その口訣(奥義の宗教的口授)を受けたものを明師とし、老子や荘子をはじめ他の道流を排斥しました。
明師を選び修行すれば仙人になれる(神仙可学)と説く一方、星宿(生星と死星)による宿命論を説いて神仙可学説への批判をかわし、各種の養生法や道徳を兼修と称して奨励しており、従来の道術が集大成されていることから、今日『抱朴子』といえば一般に内篇を指します。

そもそも仙人というものが語られ始めたのは、戦国時代に華北地方の方士を起源としますが、『史記』封禅書によれば、斉の威王・宣王や燕の昭王のころから、蓬莱・方丈・瀛州の渤海にある三神山に仙人が住んでおり不死の薬を携えていたようで、人間が行こうとすると風が船をはばんで、どうしても行くことができなかったという記述があります。
『韓非子』説林篇・外儲説篇や『楚辞』天問篇などにも仙人による不死の記述が見られますし、秦の始皇帝が神仙説に傾倒していたというのは有名な話ですね。

漢代になると神秘的な思想が流行し、前漢の武帝も神仙説に強く惹かれていたことが、『史記』封禅書からも読み取れます。
『史記』封禅書によれば、竈をまつれば鬼神を呼び寄せることができ、鬼神を呼び寄せることができれば丹砂を黄金にすることができ、金で食器を作ると生命が延び、さらには封禅をすれば仙人に会え、自らも不死、すなわち仙人になることができたそうで、その例として黄帝を挙げ、実際に神仙に会って棗の実を食べたことから非常に長生きをしたという「祠竈辟穀卻老方」説を李少君という方士が武帝に述べたとあります。
こうしたことを発端とし、漢代以降『列仙伝』『神仙伝』といった、神仙になるための具体的な書物が多く記されるようになり、葛洪も多くの書物から得た神仙に関する情報を駆使して『抱朴子』を著したといわれています。
『抱朴子』には金丹を中心に服薬・行気・房中など様々な方法が記されていますが、併せて「功過思想」お仙人になる方法のひとつとして巧妙に記述されています。

ではもう少し『抱朴子』の「功過思想」について整理しておきましょう。

そもそもの考え方ですが、このようなものです。
・天地には過ちを司る神がいて、人が悪事を働けばその人の寿命を減らす。
・悪さの程度によって減らす数は異なり、そうして寿命が減ってくると心配事が増えたり病気になったりする。
・ついに寿命が尽きると人は死んでしまう。
・しかし、悪事は善事によって埋め合わせをすることができる。
・悪事を慎んで善行に励めば、必ず寿命を増やすことができ、仙人になることも可能である。

そのための行為や報いの具体的な内容としては、善行、悪行それぞれの行為が具体的に記されています。
その内容自体は非常に細かいのですが、ご覧になって頂くとお分かりのように、儒教・仏教・道教の戒律が入り混じった、日常的な社会道徳が基本となっています。

【善行】
 善行を積み手柄を立て、物に慈悲深くなければならない。
 わが身をつねって人の痛さを知り、昆虫にも憐れみをかけよ。
 人の幸運を喜び、人の苦労を哀れめ。人の急場を助け、人の貧窮を救え。
 手は生き物を傷つけてはならぬ。
 口は災難を招くようなことを言うな。
 人が得をしたのを見れば自分が得したように思い、人が損をすれば自分が損したように思え。
 偉ぶるな。自慢するな。自分よりすぐれたものを嫉妬するな。
 うわべだけへつらって陰で相手を傷つけるようなことをするな。

【悪行】
 善人を憎み、殺生を好み、口先はきれいでも腹は真っ黒。
 表と裏で言うことが違い、まっすぐなものをねじまげる。
 下々を虐げ、お上を欺く。
 主人に叛き、恩を受けても感謝もしない。
 法律を悪用して賄賂を受け、悪人を野放しにし、正直者を罪に陥れる。
 公の務めは投げ出して私腹を肥やし、無実のものに刑罰を加える。
 人の家を破産させ、その宝物を没収する。
 人の命をとり、その地位を奪う。
 賢者を侮辱したり、降参人を死刑にしたり。
 仙人を悪口し、仙道修行者を傷つける。
 弾丸で飛鳥を射落とし、孕んだ獣の腹を裂いて胎児を取り出し、戯れに鳥の卵をたたき破る。
 春・夏に野山に火をつけて狩をし、祟りなどあるものかと神霊を罵る。
 人に悪事を教唆し、善行を蔽い隠す。
 人を危険に陥れることで心安らぎ、人から盗むことで大手柄をした気になる。
 人のめでたい事をぶちこわし、人の愛する対象を奪い取る。
 人の骨肉を離間し、人を辱めて勝った気になりたがる。
 良質の貨幣を借りておいて悪質の貨幣で返す。
 堤防を切り火をつけるなど、術でもって人を害する。
 弱い者を脅し、悪い品を良い品に換え、無理に取り立てて、切り取り強盗同様にして富を積む。
 不公平で、淫らで邪ま、孤児を馬鹿にし寡婦をいたぶる。
 落し物を懐中に入れたり施し物をだましとったり、人を詐欺にかけたり。
 好んで人の秘密をしゃべり、人のあらさがしをする。
 天神地 を引き合いに出して他人を呪い、自分だけが正しいと主張する。
 借りたものを返さず、交換する約束だったのに代償を払わない。
 貪欲で飽きることがなく、忠告してくれる人を憎み拒む。
 お上の命令に従わず、師匠を尊敬しない。
 人がよく働いているのを嘲笑い、人の作物をいため、人の器物を壊し、人の暮らしを苦しくさせる。
 汚物をこっそり人に飲ませたり食わせたり。
 秤の目、枡目をごまかし、反物の幅や長さをつめ、にせものを本物にまぜて不正の利得をし、或いは人をだまして品物を取り上げる。
 井戸をとびこえ竈をまたぎ、晦に歌ったり、朔日に泣いたり。

『抱朴子』では、日々の善行により寿命を増やすことができ、仙人になることもできるとする「功過思想」が仙道のひとつという観点から説かれているのですが、それが日常的な社会道徳が基本となっていることからもわかるように、特別な地位や経済力を持たない普通の人々でも仙人になる、或いは長生きする道を示した点は当時の時代背景を鑑みても画期的なことです。
というのも、それまでの「功過思想」が、これを説く側が行為者側である民衆の統制・支配を目的に説いたもので、それには相応の強制力を伴っていたものが、『抱朴子』においては行為者側の「仙人になる」という非常に個人的な目的のために、強制力を伴わず行為者自身の側から説かれたものだからです。
つまり、『抱朴子』において「功過思想」は、権力者の支配のための道具から行為者である道士の利益追及の方法にその立場を転換させたということができるのです。

それまでの『書経』や『墨子』にもみられる「功過思想」は、主として「周王朝」や「墨子」などが行為者である民衆を統制する目的で説いたものであり、民衆にとって「行為」の実践には義務的な意識が常にありました。
それを、長生きという非常に個人的な目的を善い行為へと転化させた『抱朴子』の思想は善書や功過格に受け継がれ、一般民衆が自らの幸福追求のために善い行為を行う動機となったのです。
どこまで意識して『抱朴子』を著したのかまでは定かではありませんが、「功過思想」を大きく変え、後世の驚くべき影響力を持った民衆的な道教思想を生み出すきっかけとなった葛洪の業績は、道教史上非常に大きなものであることは確かです。

機会があれば、一度触れてみてください。

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