吉田松陰という人物を端的に表すとしたら、どう表現しますか?
一言でいえば、
・明治維新の種をまいた人
・明治を開く人材を育成した教育者
という言葉が当てはまるのではないでしょうか。
松陰は『留魂録』で
「義卿三十、四時巳に備はる。亦秀で亦実る、其の秕たると其の粟たると吾が知る所に非ず。
若し同志の士其の微衷を憐み継紹の人あらば、乃ち後来の種子未だ絶えず、自ら禾稼の有年に恥ちざるなり」
と記していますが、まさに将来の日本という実を付けるための種をまくことに専心し、夢半ばで倒れようとも後に続く者を信じ託し、潔く散った人でした。
教育という観点で捉えてみても、人をみる目や人の才能を引き出す力という点において、最高の教育者であることは間違いありません。
・若い人たちに期待しながらも、決して一つの型を押しつけるような指導はせず、
・それでいて、心情における誠実を尽くせばそれが後々の行動の原理になると信じた至誠の人。
・当時の封建社会にあって、己の信ずる道をただひたすら突っ走り、直情的で一度火が付くと理性を簡単に飛び越えてしまう。
・そのため周囲に迷惑をかけ通しなのだけれど、心情倫理がひたすら純粋であるため、なぜか憎めない。
・無謀と思える行動でも、自己の良心に恥じる部分がなければ結果が悪くても責任を取らないし、取る必要さえないと思っている。
・そして、強い学習欲・知識欲と人一倍優れた感性によって、結果的には大いなる成果をもたらすという信念を持ち続けている。
教師としての松陰は、個々の才能・能力を引き出し、自負を持たせることに、その本領があったのかもしれません。
引き出した才能・能力によって各自がそれぞれの道を歩んで行き、やがてはそこに多様な足跡が刻まれていくことは理想ですが、これを体現した松陰の教育こそが本来の姿であると思えるのです。
一個人、一教育機関の範疇だけですべての人の性格・志向までも精錬練磨することは困難ですが、自らの背中で体現し続け、果ては自分だけでなく多くの門下生の心に火をつけて、それが燃え尽きていくまで躊躇なく大きな炎となり続ける元となった人。
松陰は、門下生達の至誠を通じて、維新の魁となった偉大なる教育者であったことは間違いないでしょう。
知行合一を体現した実学的な性格を持つ松陰の思想は、時局の展開に即しながらその歩みを続けましたが、著述や書簡においてもその折々の到達点を誠実かつ綿密に痕跡として残しています。
従って、時期によって様々に移り変わる顔を持ち合わせていることから、捉える側の主観で時に皇国史観の具とされたり、革命家としての思想論があれこれ説かれたり、教育者としての功績を称えられたりする訳です。
しかし、いかなる視点に立ってみたとしても、封建倫理の枠を超えた時代の先駆者としての先見性は誰もが納得するところですし、偉大なる教師的資質も認めざるを得ません。
維新の先駆けたる思想と行動なくしては考えられない松陰の魅力は、今の混乱と知力の低下をみせる教育や政治、思想の現状において、是非とも見直されるべき意義があります。
時代の大きな転換点となるべき2015年に倣うに値する体現者として、常に意識していきたいものです。