『三国志演義』第三十五回 玄徳南ショウで隠淪と逢い、単福新野で英主と遇う

蔡瑁が城に引き返そうとすると趙雲の軍勢に出会った。趙雲は蔡瑁に
「わが君わどこか。」
と訪ねると、蔡瑁は
「使君は席を立たれたがどこに行かれたかは存ぜぬ。使君が一騎で西門を出られたのでここまで来たがおられぬ。」
と答えた。趙雲は先の谷川のほとりに行って眺めると、対岸に水の跡がある。手勢に一帯を探させたが手がかりは得られなかった。再び馬を返した時には蔡瑁は既に場内に入っていた。趙雲は場内に入ろうとしたが伏兵があるかもしれないので、思い直して新野に向かった。

一方、的廬に乗って難を逃れた劉備は
「的廬は天の助けでなくてなんであろうか。」
と思いながら馬を走らせた。しばらくすると牧童に出会った。その牧童は司馬徽の弟子で劉備に水鏡先生司馬徽を紹介した。
司馬徽は劉備のもとに人材がないことを指摘し、
「伏竜・鳳雛のいずれかを得ることができれば天下を安ずることもかなう。」
と言った。劉備は
「その伏竜・鳳雛とは。」
と聞くと、司馬徽は手を打ってからからと笑い、
「よいぞ、よいぞ。」
と答えた。重ねて劉備が聞いても
「よいぞ、よいぞ。」
と笑うばかりであった。
翌日、趙雲が迎えに来たので新野に戻った。
劉備はこの騒動を孫権を使者に立てて劉表に伝えた。劉表は蔡瑁を打ち首にしようとするが、孫権は
「蔡瑁殿が死罪になっては皇叔とてここにはおれませぬ。」
と口添えしたので、劉表は長男の劉琦を孫権に同道させて謝罪させた。
劉備は劉琦と別れて城内に入ろうとしたとき、唱いながら歩いている男に会った。伏竜・鳳雛ではないかと思い名と問うと、彼は単福と名乗った。大いに気に入った劉備は彼を軍師に迎えた。

さて、曹操は許都に立ち帰ってからも荊州攻略を考えていた。曹仁、李典、呂賢、呂翔等に三万の軍勢を与え内情を探らせた。機を見て曹仁は呂賢、呂翔兄弟に五千の兵を与えて新野を襲わせた。軍師単福の言により、関羽、張飛を出陣させ、万端の手はずをととのえて単福、チョウが出陣した。呂賢が進んでくると、劉備は趙雲を向かわせた。数合いで呂賢は馬上から落とされ、劉備軍はどっと攻めかけた。呂翔は退却しようとした、張飛に行く手をさえぎられて、構える前に矛先を受け仰向けざまに落馬して死んだ。
呂賢、呂翔兄弟が殺され大敗した曹仁は、李典の忠告も聞かず二万五千の軍勢で新野に向かった。

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