八尾の「おわら風の盆」に想いを馳せつつ!改めて『風の盆恋歌』に映し出されるせつなく儚い物語を!

二百十日に当たる昨日(9月1日)から三日間、富山県の山あいの町、八尾で「おわら風の盆」が行われていますね。

~燃えた 昨夜に 顔あからめて
 忍び出る身に オワラ 夜が白む~

今年の6月に亡くなった高橋治さんが書いた小説『風の盆恋歌』にも出てくるおわら節の一節です。
高橋治さん逝く。越中おわらの風の盆を知らしめた、心の隙間を埋める直木賞作家!

この本を初めて読んだのは、まだ10代の頃でしたが、艶っぽいおわら節の情感にドキドキした想いがあります。

ちなみに「おわら風の盆」の踊りは盆踊りではありません。
盆踊りの基本は輪踊りといって、歌い手は好きに歌を選んで歌うもので、精霊迎えと送りの歌は、中には五穀豊穣を願う歌もあります。
日本三大盆踊りとして岐阜県の郡上踊りや秋田県の西馬音内の盆踊り、熊本県菊池の山鹿灯篭踊りなどはすべて輪踊りですが、この八尾の盆踊りは他の盆踊りと違い、流して踊る稀有な舞踊で、名だけが不思議と盆踊りとなっているものの、輪踊りではないのです。

流し踊りの最後尾に、胡弓、三味線、太鼓、唄、囃子の地方がつきますが、先頭の踊りはほとんど無音。
まるでサイレント映画のように静かに静かに舞い進んでいくのです。
観る側もじっと息を殺して見守っている、まさに静寂の世界。
「おわら風の盆」は、阿波踊りやよさこいなどの賑やかな「動」とは全く対極の「静」の世界なのです。

そうしたインスピレーションを受けて、高橋治さんも小説『風の盆恋歌』を書き上げたのでしょう。
『風の盆恋歌』は不倫の小説といわれていますが、平成の世では書き得ないと思われる程のとても美しい物語を紡いでいます。

「都築克亮は30年前に旧制高校時代の仲間だった女性・中出えり子と、富山・八尾の風の盆で愛し合う。
 彼は大手新聞社の外報部長で妻は弁護士。
 一方彼女には外科医の夫と大学生の娘がいる。
 思いを寄せる彼女から遠ざかったのは、仲間と別れた風の盆の夜だった。
 彼の勤務先であるパリで再会した二人は、誤解が生じた経緯を知り、急速に近づく。
 彼女はもう一度でいいから、貴方と風の盆に行ってみたいと思う。

 八尾・諏訪町の一軒家で彼女を待つ彼。
 彼女が京都からやって来たのは4年目の風の盆の宵だった。
 列車が駅に止まるたびに降りて戻ろうかと思った彼女は、「足もとで揺れる釣り橋を必死で渡ってきたのよ」。
 ふたりは3日3晩、美しいおわらに酔いしれる。
 「おれと死ねるか」と聞く彼に、彼女は「こんな命でよろしかったら」と応える。
 翌年も風の盆で会うが、彼女は娘に不倫をしているのではないかと知られてしまう。

 3度目の逢瀬になるはずだった風の盆の初日の夜、原因不明の難病に侵された彼は八尾の家で息絶える。
 駆けつけた彼女は、「夢うつつ」と染め抜いた喪服姿で彼に寄り添い、睡眠薬自殺する。」

まるで、大人の御伽噺を見るような儚くも美しい物語は、「おわら風の盆」の踊りが見せる「静」の魅力があってのことでした。
そのため、せつなく儚い。
だけど、恋に焦がれ、燃えて燃えて、燃え尽きる。
誰しも、そんな恋がしてみたいと、『風の盆恋歌』は思わせるのかもしれません。

実際に見てみるとわかりますが、「おわら風の盆」の「静」の踊りはまさに夢かウツツと思わせる、幻想的で美しい祭りです。
喩えるなら「天女の舞」ともいえるようなこの世のものとは思えない、神々しささえ漂っています。

こうした情緒豊かな踊りの祭りは、昔と比べるとすっかり観光化してしまったといわれていますが、それでもこの踊りの持つ情念の世界は未来永劫大切にしていってもらえれば、と思わざるを得ません。

八尾の「おわら風の盆」に想いを馳せつつ。

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