【源氏物語】 (佰参拾肆) 若菜上 第十四章 女三の宮の物語 蹴鞠の後宴

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇の親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「若菜上」の物語の続きです。
【源氏物語】 (佰弐拾) 第二部 はじめ 光源氏の後半生と、源氏をとりまく子女の恋愛模様!

第十四章 女三の宮の物語 蹴鞠の後宴

 [第一段 蹴鞠の後の酒宴]
 大殿がこちらを御覧になって、
 「上達部の座席には、あまりに軽々しいな。こちらに」
 とおっしゃって、東の対の南面の間にお入りになったので、皆そちらの方にお上りになった。兵部卿宮も席をお改めになって、お話をなさる。
 それ以下の殿上人は、簀子に円座を召して、気楽に、椿餅、梨、柑子のような物が、いろいろないくつもの箱の蓋の上に盛り合わせてあるのを、若い人々ははしゃぎながら取って食べる。適当な干物ばかりを肴にして、酒宴の席となる。
 衛門督は、たいそうひどく沈みこんで、ややもすれば、花の木に目をやってぼんやりと物思いに耽っている。大将は、事情を知っているので、「妙なことから垣間見た御簾の透影を思い出しているのだろう」とお考えになる。
 「とても端近にいた様子を、一方では軽率だと思っているだろう。いやはや。こちらのご様子は、あのようなことは決してありますまいものを」と思うと、「こんなふうだから、世間の評判が高い割には、内々のご愛情は薄いようなのだった」
 と合点されて、
 「やはり、他人に対しても自分に対しても、不用心で、幼いのは、かわいらしいようだが不安なものだ」
 と、軽んじられる。
 宰相の君は、いろんな欠点をもなかなか気づかず、思いがけない御簾の隙間から、ちらっとその方と拝見したのも、「自分の以前からの気持ちが報いられるのではないか」と、前世からの約束も嬉しく思われて、どこまでもお慕い続けている。

 [第二段 源氏の昔語り]
 院は、昔話を始めなさって、
 「太政大臣が、どのような事でも、わたしを相手にして勝負の争いをなさった中で、蹴鞠だけはとても敵わなかった。ちょっとした遊び事には、別に伝授があるはずもないが、名人の血統はやはり特別であったよ。たいそう目も及ばぬほど、上手に見えた」
 とおっしゃると、ちょっと苦笑して、
 「公の政務にかけては劣っております家風が、そのような方面では伝わりましても、子孫にとっては、大したことはございませんでしょう」
 とお答え申されると、
 「どうしてそんなことが。何事でも他人より勝れている点を、書き留めて伝えるべきなのだ。家伝などの中に書き込んでおいたら、面白いだろう」
 などと、おからかいになるご様子が、つやつやとして美しいのを拝見するにつけても、
 「このような方と一緒にいては、どれほどのことに心を移す人がいらっしゃるだろうか。いったい、どうしたら、かわいそうにとお認め下さるほどにでも、気持ちをお動かし申し上げることができようか」
 と、あれこれ思案すると、ますますこの上なく、お側には近づきがたい身分の程が自然と思い知らされるので、ただもう胸の塞がる思いで退出なさった。

 [第三段 柏木と夕霧、同車して帰る]
 大将の君と同車して、途中お話なさる。
 「やはり、今ごろの退屈な時には、こちらの院に参上して、気晴らしすべきだ」
 「今日のような暇な日を見つけて、花の季節を逃さず参上せよと、おっしゃったが、行く春を惜しみがてらに、この月中に、小弓をお持ちになって参上ください」
 と約束し合う。お互いに別れる道までお話なさって、宮のお噂がやはりしたかったので、
 「院におかれては、やはり東の対の御方にばかりいらっしゃるようですね。あちらの方へのご愛情が格別勝るからでしょう。こちらの宮はどのようにお思いでしょうか。院の帝が並ぶ者のないお扱いをずっとしてお上げになっていらっしゃったのに、それほどでもないので、沈み込んでいらっしゃるようなのは、お気の毒なことです」
 と、よけいな事を言うので、
 「とんでもないことです。どうしてそんなことがありましょう。こちらの御方は、普通の方とは違った事情でお育てなさったお親しさの違いがおありなのでしょう。宮を何かにつけて、たいそう大事にお思い申し上げていらっしゃいますものを」
 とお話しになると、
 「いや、黙って下さい。すっかり聞いております。とてもお気の毒な時がよくあるというではありませんか。実のところ、並々ならぬ御寵愛の宮ですのに。考えられないお扱いではないですか」
 と、お気の毒がる。
 「どうして、花から花へと飛び移る鴬は
  桜を別扱いしてねぐらとしないのでしょう
 春の鳥が、桜だけにはとまらないことよ。不思議に思われることですよ」
 と、口ずさみに言うので、
 「何と、つまらないおせっかいだ。やっぱり思った通りだな」と思う。
 「深山の木にねぐらを決めているはこ鳥も
  どうして美しい花の色を嫌がりましょうか
 理屈に合わない話です。そう一方的におっしゃってよいものですか」
 と答えて、面倒なので、それ以上物を言わせないようにした。他に話をそらせて、それぞれ別れた。

 [第四段 柏木、小侍従に手紙を送る]
 督の君は、やはり太政大臣邸の東の対に、独身で暮らしていらっしゃっるのであった。考えるところがあって、長年このような独身生活をしてきが、誰のせいでもなく自分からもの寂しく心細い時々もあるが、
 「自分はこれほどの身分で、どうして思うことが叶わないことがあろうか」
 と、ばかり自負しているが、この夕方からひどく気持ちが塞ぎ、物思いに沈み込んで、
 「どのような機会に、再びあれぐらいでもよい、せめてちらっとでもお姿を見たいものだ。何をしても人目につかない身分の者なら、ちょっとでも手軽な物忌や、方違えの外出も身軽にできるから、自然と何かと機会を見つけることもできようが」
 などと、思いを晴らすすべもなく、
 「深窓の内に住む方に、どのような手段で、このような深くお慕い申しているということだけでも、お知らせ申し上げられようか」
 と胸が苦しく晴れないので、小侍従のもとに、いつものように、手紙をおやりになる。
 「先日、誘われて、お邸に参上致しましたが、ますますどんなにかわたしをお蔑すみなさったことでしょうか。その夕方から、気分が悪くなって、わけもなく今日は物思いに沈んで暮らしております」
 などと書いて、
 「よそながら見るばかりで手折ることのできない悲しみは深いけれども
  あの夕方見た花の美しさはいつまでも恋しく思われます」
 とあるが、小侍従は先日の事情を知らないので、ただ普通の恋煩いだろうと思う。

 [第五段 女三の宮、柏木の手紙を見る]
 御前には女房たちがあまりいない時なので、この手紙を持って上がって、
 「あの方が、このようにばかり、忘れられないといって、手紙を寄こしなさるのが面倒なことでございます。お気の毒そうな様子を見るに見かねる気持ちが起こりはせぬかと、自分の心ながら分らなくなります」
 と、にっこりして申し上げると、
 「とても嫌なことを言うのね」
 と、無邪気におっしゃって、手紙を広げたのを御覧になる。
 「見ていない」という歌を引いたところを、不注意だった御簾の端の事を自然とお思いつかれたので、お顔が赤くなって、大殿が、あれほど何かあるごとに、
 「大将に見られたりなさらないように。子供っぽいところがおありのようだから、自然とついうっかりしていて、お見かけ申すようなことがあるかも知れない」
 と、ご注意申し上げなさっていたのをお思い出しになると、
 「大将が、こんなことがあったとお話し申し上げるようなことがあったら、どんなにお叱りになるだろう」
 と、人が拝見なさったことをお考えにならないで、まずは、叱られることを恐がり申されるお考えとは、なんと幼稚な方よ。
 いつもよりもお言葉がないので、はりあいがなく、特に無理して催促申し上げるべき事でもないから、こっそりと、いつものように書く。
 「先日は、知らない顔をなさっていましたね。失礼なことだとお許し申し上げませんでしたのに、『見ないでもなかった』とは何ですか。まあ、嫌らしい」
 と、さらさらと走り書きして、
 「今さらお顔の色にお出しなさいますな
  手の届きそうもない桜の枝に思いを掛けたなどと
 無駄なことですよ」
 とある。
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