【源氏物語】 (佰陸拾陸) 御法 第二章 紫の上の物語 紫の上の死と葬儀

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇の親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「御法」の物語の続きです。
a href=”http://shutou.jp/blog/post-1402/” target=”_blank”>【源氏物語】 (佰弐拾) 第二部 はじめ 光源氏の後半生と、源氏をとりまく子女の恋愛模様!

第二章 紫の上の物語 紫の上の死と葬儀
 [第一段 紫の上の部屋に明石中宮の御座所を設ける]
 ようやく待っていた秋になって、世の中が少し涼しくなってからは、ご気分も少しはさわやかになったようであるが、やはりどうかすると、何かにつけ悪くなることがある。といっても、身にしみるほどに思われなさる秋風ではないが、涙でしめりがちな日々をお過ごしになる。
 中宮は、宮中に参内なさろうとするのを、もう暫くは御逗留をとも、申し上げたくお思いになるが、差し出がましいような気がし、宮中からのお使いがひっきりなしに見えるのも厄介なので、そのようにはお申し上げなさらず、あちらにもお渡りになることができないので、中宮がお越しなさった。
 恐れ多いことであるが、いかにもお目にかからずには張り合いがないということで、こちらに御座所を特別に設えさせなさる。「すっかり痩せ細っていらっしゃるが、こうしても、高貴で優美でいらっしゃることの限りなさも一段と素晴らしく見事である」と、今まで匂い満ちて華やかでいらっしゃった女盛りは、かえってこの世の花の香にも喩えられていらっしゃったが、この上もなく可憐で美しいご様子で、まことにかりそめの世と思っていらっしゃる様子、他に似るものもなくおいたわしく、何となく物悲しい。

 [第二段 明石中宮に看取られ紫の上、死去す]
 風が身にこたえるように吹き出した夕暮に、前栽を御覧になろうとして、脇息に寄りかかっていらっしゃるのを、院がお渡りになって拝見なさって、
 「今日は、とても具合好く起きていらっしゃいますね。この御前では、すっかりご気分も晴れ晴れなさるようですね」
 と申し上げなさる。この程度の気分の好い時があるのをも、まことに嬉しいとお思い申し上げていらっしゃるご様子を御覧になるのも、おいたわしく、「とうとう最期となった時、どんなにお嘆きになるだろう」と思うと、しみじみ悲しいので、
 「起きていると見えますのも暫くの間のこと
  ややもすれば風に吹き乱れる萩の上露のようなわたしの命です」
 なるほど、風にひるがえってこぼれそうなのが、よそえられたのさえ我慢できないので、お覗きになっても、
 「どうかすると先を争って消えてゆく露のようにはかない人の世に
  せめて後れたり先立ったりせずに一緒に消えたいものです」
 と言って、お涙もお拭いになることができない。中宮、
 「秋風に暫くの間も止まらず散ってしまう露の命を
  誰が草葉の上の露だけと思うでしょうか」
 と詠み交わしなさるご器量、申し分なく、見る価値があるにつけても、「こうして千年を過ごしていたいものだ」と思われなさるが、思うにまかせないことなので、命を掛け止めるすべがないのが悲しいのであった。
 「もうお帰りなさいませ。気分がひどく悪くなりました。お話にもならないほどの状態になってしまったとは申しながらも、まことに失礼でございます」
 と言って、御几帳引き寄せてお臥せりになった様子が、いつもより頼りなさそうにお見えなので、
 「どうあそばしましたか」
 とおっしゃって、中宮は、お手をお取り申して泣きながら拝し上げなさると、本当に消えてゆく露のような感じがして、今が最期とお見えなので、御誦経の使者たちが、数えきれないほど騷ぎだした。以前にもこうして生き返りなさったことがあったのと同じように、御物の怪のしわざかと疑いなさって、一晩中いろいろな加持祈祷のあらん限りをし尽くしなさったが、その甲斐もなく、夜の明けきるころにお亡くなりになった。

 [第三段 源氏、紫の上の落飾のことを諮る]
 中宮もお帰りにならず、こうしてお看取り申されたことを、感慨無量にお思いあそばす。どなたもどなたも、当然の別れとして、誰にでもあることともお思いなされず、又とない大変な悲しみとして、明け方のほの暗い夢かとお惑いなさるのは、言うまでもないことであるよ。
 しっかりとした人はいらっしゃらなかった。伺候する女房たちも、居合わせた者は、全て分別のある者はまったくいない。院は、誰よりもお気の静めようもないので、大将の君がお側近くに参上なさっているのを、御几帳の側にお呼び寄せ申されて、
 「このように今はもうご臨終のようなので、長年願っていたこと、このような際にその願いを果たせずに終わってしまうことがかわいそうだ。御加持を勤める大徳たち、読経の僧なども、皆声を止めて帰ったようだが、そうはいっても、まだ残っている僧たちもいるだろう。この現世のためには何の役にも立たないような気がするが、仏の御利益は、今はせめて冥途の道案内としてでもお頼み申さねばならないゆえ、剃髪するよう計らいなさい。適当な僧で、誰が残っているか」
 などとおっしゃるご様子、気強くお思いのようであるが、お顔の色も常とは変わって、ひどく悲しみに堪えかね、お涙の止まらないのを、無理もないことと悲しく拝し上げなさる。
 「御物の怪などが、今度も、この方のお心を悩まそうとして、このようなことになるもののようでございますから、そのようなことでいらっしゃいましょう。それならば、いずれにせよ、御念願のことは、結構なことでございます。一日一夜でも戒をお守りになりましたら、その効は必ずあるものと聞いております。本当に息絶えてしまわれて、後から御髪だけをお下ろしなさっても、特に後世の御功徳とはおなりではないでしょうから、目の前の悲しみだけが増えるようで、いかがなものでございましょうか」
 と申し上げなさって、御忌みに籠もって伺候しようとするお志があって止まっている僧のうち、あの僧、この僧などをお召しになって、しかるべきことどもを、この君がお命じになる。

 [第四段 夕霧、紫の上の死に顔を見る]
 長年、何やかやと、分不相応な考えは持たなかったが、「いつの世にか、あの時同様に拝見したいものだ。かすかにお声さえ聞かなかったことよ」などと、忘れることなく慕い続けていたが、「声はとうとうお聞かせなさらないで終わったようだが、むなしい御亡骸なりとも、もう一度拝見したい気持ちが叶えられる折は、ただ今の時以外にどうしてあろう」と思うと、抑えることもできずつい泣けて、女房たちで、側に伺候する人たち皆が泣き騷ぎおろおろしているのを、
 「静かに。暫く」
 と制止するふりして、御几帳の帷子を、何かおっしゃるのに紛らして、引き上げて御覧になると、ほのぼのと明けてゆく光も弱々しいので、大殿油を近くにかかげて拝見なさると、どこまでもかわいらしげに、立派で美しく見えるお顔のもったいなさに、この君がこのように覗き込んでいらっしゃるのを目にしながらも、無理に隠そうとのお気持ちも起こらないようである。
 「このとおりに何事もまだそのままの感じだが、最期の様子ははっきりしているのです」
 と言って、お袖を顔におし当てていらっしゃる時、大将の君も、涙にくれて、目も見えなさらないのを、無理に涙を絞り出すように目を開いて拝見すると、かえって悲しみが増してたとえようもなく、本当に心もかき乱れてしまいそうである。御髪が無造作に枕許にうちやられていらっしゃる様子、ふさふさと美しくて、一筋も乱れた様子はなく、つやつやと美しそうな様子、この上ない。
 灯火がたいそう明るいので、お顔色はとても白く光るようで、何かと身づくろいをしていらっしゃった、生前のご様子よりも、今さら嘆いても嘆くかいのない、正体のない状態で無心に臥せっていらっしゃるご様子が、一点の非の打ちどころもないと言うのも、ことさらめいたことである。並一通りの美しさどころか、類のない美しさを拝見すると、「死に入ろうとする魂がそのままこの御亡骸に止まっていてほしい」と思われるのも、無理というものであるよ。

 [第五段 紫の上の葬儀]
 お仕え親しんでいた女房たちで、気の確かな者もいないので、院が、何事もお分かりにならないように思われなさるお気持ちを、無理にお静めになって、ご葬送のことをお指図なさる。昔も、悲しいとお思いになることを多くご経験なさったお身の上であるが、まことにこのようにご自身でもってお指図なさることはご経験なさらなかったことなので、すべて過去にも未来にも、またとない気がなさる。
 そのまま、その当日に、あれこれしてご葬儀をお営み申し上げる。所定の作法があることなので、亡骸を見ながらお過しになるということもできないのが、情けない人の世なのであった。広々とした広い野原に、いっぱいに人が立ち込めて、この上もなく厳めしい葬儀であるが、まことにあっけない煙となって、はかなく上っていっておしまいになったのも、常のことであるが、あっけなく何とも悲しい。
 地に足が付かない感じで、人に支えられてお出ましになったのを、拝し上げる人も、「あれほど威厳のあるお方が」と、わけも分からない下衆まで泣かない者はいなかった。ご葬送の女房は、それ以上に夢路に迷ったような気がして、車から転び落ちてしまいそうになるのに、手を焼くのであった。
 昔、大将の君の御母君がお亡くなりになった時の暁のことをお思い出しになっても、あの時は、やはりまだ物事の分別ができたのであろうか、月の顔が明るく見えたが、今宵はただもう真暗闇で何も分からないお気持ちでいらっしゃった。
 十四日にお亡くなりになって、葬儀は十五日の暁であった。日はたいそう明るくさし昇って、野辺の露も隠れたところなく照らし出して、人の世をお思い続けなさると、ますます厭わしく悲しいので、「先立たれたとて、何年生きられようか。このような悲しみに紛れて、昔からのご本意の出家を遂げたく」お思いになるが、女々しいとの後の評判をお考えになると、「この時期を過ごしてから」とお思いなさるにつけ、胸に込み上げてくるものが我慢できないのであった。

 
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