瞑想と座禅の違いを表すなら、あなたはどう答えますか?

瞑想と座禅の違いを表すなら、あなたはどう答えますか?

端的にいえば、自我意識に集中するか、それを削ぎ落として無と化すか、でしょう。
瞑想では、自我に対して向き合い、自分や物事を客観的に観察するところから始まります。
そこには、自我への意図や到達点というイメージが存在し、そこに行き着くという何がしらかの欲が存在することになります。
その欲に集中していくための動機がある、とでもいえばよいでしょうか。
そのため、瞑想を行う手段としてマントラやセルフイメージを用い、自分と神や宇宙との合一、つまり一体感を求める訳です。
ですから、最近流行りのマインドフルネス瞑想やサマタ瞑想、ヴィパッサナー瞑想というのも、それぞれ意図するところに集中するためのメソッド、ということになります。

一方座禅では、こうした自我から離れ、捨て去ることから始まります。
自我を極力排除して、自我以外の存在を全感覚で受動的に感じ取る事によって、自我以外の存在に縁取られた自我自体の認識へと立ち戻る、ということです。
端的に言えば、自分の存在や自我を持ち込まず、ただそこに坐す。
思い浮かぶ想念や邪念を手放し、自己を無くし尽くすのみ。
ただ、無心、無心、無心。
仏教の空・無の境地です。

同じように捉えがちですが、そのアプローチもあり方も全く異なるもの。
今の自分のあり方を見据えた上で、何をどううまく取り入れていくかが肝要です。
うまく活用くださいね。