神社とピラミッドの構造を比べてみたとき、妙に一致する符合があったので、少しメモで残しておきます。
神社は、感謝や祈り、慰霊のために神仏および祖先をまつる行為(儀式)を行い、神様を祀る場所としての役割を持っています。
ではピラミッドはどうでしょう。
古くからは古来の王の墓と思われていましたが、例えばギザにあるクフ王のピラミッドなどは、墓にしてはミイラもなく装飾などもない割には、いろいろな空間が広がっているだけ。
その真偽の程も、未だ明確には解明されていません。
しかし、神社と同じ役割を担っていたものと仮定した場合、いろいろと一致する点があるのです。
例えば、クフ王のピラミッドにある上昇通路。
あれだけ大きなピラミッドでありながら、人ひとり通るだけの幅しかないのですが、これを神社の参道と見立てます。
そうすると、控えの間は拝殿、王の間は本殿との見立てがつきます。
神社の拝殿は、神様は祀られているわけではなくお参りができるように造られた礼拝のための施設です。
神様は神聖で畏れ多い存在なので、俗人がみだりに近寄ることができないよう、その奥の本殿に祀られていることが常です。
クフ王のピラミッドの王の間の造りは、三角の形の屋根があり、その上に鰹木のようなものを乗せて、かつ千木のようなものが聳えているのです。
まさに、神社の本殿のような構造をしているわけです。
ちなみに、あなたは神社の本殿はどういった構造になっているかご存知ですか?
神様が祀られているので、いろいろな装飾や神具があれこれ配置されているように思われるかもしれませんが、実はご神体以外は何もない空間が広がるだけなのです。
そこで、クフ王のピラミッドの王の間の構造を比較してみてください。
そこには石棺以外は何もない空間が広がっているだけです。
東洋とエジプト。
全く違う文化・歴史・宗教を持ちながら、こうした一致する符合があることに、悠久のロマンを感じずにはいれてませんね。