春日潜庵は、備中松山・板倉藩出身で人物学識風貌共に堂々たりした豪傑の士で、日本の幕末から明治初期に生きた地下人・尊攘派志士、儒学者、政治家です。
同じ備中松山・板倉藩出身の山田方谷とは深い知己の間柄でした。
朱子学から陽明学に転じ、佐藤一斎、梁川星巌らと交遊、維新の傑士にして殆んどこの人の門を叩かぬものは無かったといわれています。
不羈奔放で名高かった横井小楠も、潜庵には一目措いたともいわれている上、西郷南洲なども潜庵に傾倒しており、弟の小兵衛と、後に明治天皇の侍従になった村田新八の二人を、わざわざ鹿児島から入門させて教えを受けさせたようです。
主家の久我建通を補佐し、京都における尊攘派の中心の一人として国事に奔走した陽明学の大家でしたが、水戸藩への密勅降下に携わったことから安政の大獄で永押込に処せられたものの、後に第一次奈良県知事になっています。
潜庵が残した幾つかの言葉があります。
「人生劈頭一箇の事あり、立志是なり」
人生のスタート時にはまず志を立てよ、それによって将来の方向付けが出来る、ということです。
またこれに続けてこのようなことも言っています。
一級の人物は、型にはまっていないで、多面的で、変化に富んでいなければいけない。
世を葢う気迫と共に、寂寞を胸に秘めているものである。
「如何に弱き人と雖ども、その余力を単一の目的に集中すれば、必ずその事を成し得べし。
これに反していかに強き人といえども、多くの目的にその力を分散すれば一事だも成しあたわず」
だらだらと学んだり働いたりするより、これと決めたら一心不乱に集中すれば、大抵のことはものになるものです。
反面、どんな優れた人でも、あれやこれやと手を伸ばして、力が分散してしまうと、どれひとつとしてきちんとやり遂げることは出来ない、ということです。
「自ら責むること厚ければ、何ぞ人を責むる暇あらんや」
自分自身についての反省を行い欠点を正すことに熱心な人は、他人の欠点を指摘するような余裕はないはずだということです。
「浄几明窓、古人の書を読む。人間の幸福此れより大なるはなし。
史を読むは無窮の懐あり。千古を洞観し、古今を一視す。人生の一大快事なり」
先人も、古典や歴史より学ぶことを第一と考えていたことが伺えます。
現存する資料も少ないですが、この交友からも人となりが伺える春日潜庵から学ぶこともあるのではないでしょうか。
以下、参考までに潜庵遺稿から一部抜粋です。
一.
人生百年、大凡二十年前は蒙々焉たるのみ。
二十載後より六十に至るまで中間四十年なり。
此れを過ぎて以往は、縦令衰えざるも、窮竟用を做さざるなり。
此れを以て之を観れば、百年の中久しと雖も四十年間に過ぎず。
其の余は蒙々焉たるのみ。
悲しいかな、悲しいかな。此の四十年間。
徳を立て、業を立つる者其れ幾何人ぞや。
其の余は腐草朽木と与に、泯滅して止む。
苟も志ある者其れ悲しむべきか、悲しむべからざるか。
二.
人生劈頭一箇の事あり。立志是れなり。
三.
夙(朝)に興き夜に寝る、徳業を勤むる者知らざるべからず。
精神俊爽は夙興に在り。志気深遠は夜寝に在り。
四.
人の大患は義理を講ぜざるに在り。
天下の楽は理に循うより楽しきはなし。
五.
浄几明窓、古人の書を読む。
人間の幸福此れにより大なるはなし。
史を読むは無窮の懐あり。
千古を洞観し、古今を一視す。
人生の一大快事なり。
六.
目前に急々たらず。
身後の名を要めず。
千古の事を渉歴して以て一心の微を尽す。
斯の如きの人は人たるに庶幾し。
七.
今世短処の数うべき有らば便ち是れ第一等の人。
東の此の語、晦翁、象山の輩を指す似し。
八.
人生百年、一事として心に愧ずる無き者幾何人か有る。
愧ずる有るも知らず、
ぼうとうとして一世を終る者、比々皆然り。
豈に哀しからずや。上士は然らず。
愧ずるあれば則ち改む。
愧ずるなければ則ち進む。
進んで止まず、身を終うるのみ。
九.
険夷・志を異にするは以て学を語るべからざるなり。
夢覚めて趣を異にするは以て道を語るべからざるなり。
十.
己を奉ずるのみ。民に在らず。
此の二語・庸人の情態を写す。
古今廉謹の士己を苟守するのみ。
天下の故に関係せざる者皆然り。