名古屋発祥の都々逸に触れて!花にゃ誘われひばりにゃ呼ばれ 今日も出てゆく春の山!

「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
美しい女性の容姿や立ち居振る舞いを花にたとえて唄った都々逸。

都々逸(都々一)は「七七七五」の二十六字詩で、寛政十二年(1800)名古屋の宿場遊里・東海道宮の宿のお仲という熟女が唄い始め、その囃し詞 から”どどいつ節”といわれる様になったといわれています。
七・七・七・五調の歌詞はリズム的に安定しているので、今でも日本の民謡や歌謡曲の中に多くみられますよね。
探してみると、名古屋市熱田区伝馬町裁断橋のそばに「都々逸発祥之地」の石碑がありました。
Dodoitsu_Saidanbashi

主として男女の恋愛を題材として扱ったため情歌とも呼ばれる都々逸ですが、改めて整理してみると聞き覚えのあるものものも結構あったりするんですよね。

「花にゃ誘われひばりにゃ呼ばれ 今日も出てゆく春の山」
「梅も嫌いよ桜もいやよ ももとももとのあいがよい」
「惚れて通えば千里も一里 逢わで帰ればまた千里」
「いのち短し恋せよ乙女 朱き唇褪せぬ間に」
「ざんぎり頭を叩いてみれば 文明開化の音がする」
「三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい」

もともとは民謡・流行歌だった都々逸は、三味線の調べに乗せて唄われていたものです。
そのため、戦前までは都々逸といえば芸者さんが三味線をひきながらお座敷で唄う余興の芸というのが主でしたが、現代ではほとんどその姿を見かけることもありません。
私もずっと古臭いと感じていた都々逸ですが、お座敷遊びなどで即興で作られていたこともあり、ある種高度なセンスを要する日本文化だといえます。
すっかり廃れてしまった感のある都々逸を、今一度見直してみてはいかがでしょうか。

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