『三国志演義』第二十五回 土山に屯して関公三事を約し、白馬を救って曹操重囲を解く

 「降伏した劉備軍の兵を逃げてきたと言って城内に入れさせ、一方で関羽を遠方に誘い出し、退路を断って説得すればよいのでございます」と、賈詡カは進言した。

 曹操はそれに従って兵を動かした。
夏侯惇が関羽と切先を交えながら逃げ、左から徐康、右から許拠が討って出て退路を断った。
日が暮れるまで戦いは続いたが、その隙に城内に入った兵が城を開けたので城は陥落した。
関羽は城に戻れず、夜が明けてきた時に張遼に城が落ちたことを伝えられて降伏を勧められた。
関羽はこれを拒否した。
張遼は笑って、「それでは三つの罪を犯すことになりますぞ」と言った。
「つまり今討ち死にすれば、第一に生死を共にと誓ったこと、第二に劉備殿の家族を守る事、最後に漢王室復興を助ける事。
ここは一時我らに降る事をお勧め致す」。

これに対して関羽は、「約束して頂きたいことが三つある。
これを聞き入れてくれるなら武器は棄てる」と言った。
「漢に降るのであって曹操に降るのではない事。
二人の嫂に知行をたまわり誰も門内に立ち入れない事。
皇叔の居場所が分かり次第駆けつける事」
 張遼は曹操のもとに行ってこれを伝えた。
曹操はこれを聞き入れて関羽を迎え入れた。

 関羽は献帝から「美髯公」と呼ばれた。
そして、曹操は呂布の赤兎馬を与えた。
関羽はたいそう喜んだが、常に劉備の事を気にかけていた。

 一方、袁紹は曹操打倒に兵を進めた。

 大将顔良を先鋒に白馬県に向かった。
そして、曹操軍と対峙した。
関羽は先陣を願い出たが、曹操はかつて呂布の配下であった猛将宋憲に先鋒を命じた。
宋憲は顔良と三合いせぬうちに討ち取られ、魏続が仇と討って出るが一合いで真っ二つにされた。

 曹操は、大将二人を討たれて関羽に顔良の相手を頼んだ。
関羽は赤兎馬で敵陣に切り込み顔良の首を取った。

 顔良の敗軍が袁紹のもとに戻って関羽の事を伝えると、袁紹は「おのれ敵に内通しておったのか」怒って劉備を処刑しようとする。

4004303486B00OKC2DCCB00PS2FMO4B00R3MUW60B00S5XTE8S449721009X