『三国志演義』第六十回 張永年反って楊修を難じ、ホウ士元議って西蜀を取らんとす

さて、献策したのは張松であった。
「それがしが許都に行って曹操に漢中を滅ぼすように説得して参ります。」
劉璋は大いに喜んで張松を使者に立てた。
許都に着いた張松は曹操に会うが、その容姿と言葉に曹操は袖を払って奥入ってしまった。
そして、揚州が出てきて張松の態度を責めた。しかし、張松は揚州を論破し、仰天した揚州は再び曹操に取り次いだ。
揚州は、
「丞相の「孟徳新書」を見せましたところ、ただの一度で暗記いたしました。」
と彼の才を伝えた。曹操は、
「古人のものとわしのがたまたま一致していただけかもしれぬ。」
と言って、孟徳新書を破いて焼き捨てた。そして、
「わしの軍を見せてやれ。国へ帰ったら西川を攻めてやると伝えよ。」
と言った。
翌日、張松は曹操の軍を見て馬鹿にした。周りが諌めたので死罪は免れ、棒打ちにされた。
客舎に戻った張松は、
「曹操に西川をくれてやるつもりだったのに、あのような無礼な奴とは。殿に大言を吐いた手前どうしたものか。」
と、考えて、荊州の劉備のもとに馬を走らせた。
途中で趙雲に迎えられ案内された。張松は厚くもてなされ、西川を劉備に託そうと考えた。そして、蜀への道が記された地図を献上した。

帰って張松は、親友の孟達と法正とともに劉備を迎え入れるように劉璋に進言した。劉璋は喜んで法正を使者に使わした。
法正が荊州に着いて劉備を迎える話をすると、龐統は今が西川へ出るときと行って西征を勧めた。そして、劉備は龐統、黄忠、ギエンとともに西川に向かった。劉璋は道中、金銀兵糧を与えて厚くもてなした。
しかし、劉璋の側に仕える黄権等が、劉備を迎え入れれば益州は彼に奪われると諌めたが、
「兄者に二心あろうはずがない。」
と信じて疑わなかった。

さて、龐統は、劉備に宴席を設けてその席で劉璋を討つことを勧めた。しかし、劉備は同族を討つことはできないと同意しない。

4004303486B00OKC2DCCB00PS2FMO4B00R3MUW60B00S5XTE8S449721009X