山鹿語類より学ぶ!権威や権力に屈せず、義心を変えない大丈夫の心!

『山鹿語類』は、朱子学に疑問をいだき独自な古学を主唱した山鹿素行の講義を門人たちが集録した、45巻からなる講義録です。
内容は君道、臣道、父子道、三倫談、士道、士談、聖学、枕塊記などに分れ、儒学のあらゆる問題について論談し、素行学説の骨格をなすものです。

素行の士道論はその「士道篇」において、また朱子学を批判し孔子への復古を唱える復古的主張はその「聖学篇」で詳しく展開されており、後に「聖学篇」を要約して『聖教要録』まで刊行されています。
『聖教要録』については、聖教要録、配所残筆より学ぶ!日常の礼節・道徳の重要性!も参考にしてください。

そこで今回は「士道篇」に注目してみます。
「士道篇」は「この世は万物の陰陽ニ気の微妙な配合によって夫々の使命を持っている。(略)武士に生まれた以上、当然、武士として職務がなければならない。何の職分もなく徒食をしている様では、遊民と軽蔑されても返す言葉がないではないか。この点を深く考えねばならない」と始まります。
三民の上に立つ武士を「天下の賤民」だと諌め、武士とは斯く在るべきと説いていますが、当時は武家から政治家への変身・脱皮に照応する指導理念が求められる情勢が背景にあったことも、士道論が登場した理由のひとつにあるのです。
「士道」は「武士道」から「武」の一字を外したものですが、これはもはや合戦の場に戦闘者として臨むことの必要が無くなった武士が、平和の世に三民の師範たる「士」として立つことを要求されたために出てきた概念でした。
泰平の世に戦闘者としてでなく統治者として対処しなければならなくなった武士の存在根拠が、まさに「士道」論に定式化されているといっていいでしょう。
そのため素行の士道論は、「士」の道についての内面的自覚の要請はもとより、外面的表現としての威儀を正すことに重点が置かれています。
当時の武士はこれを熟読して遵守すべき心得を学ぶと共に、自らの士魂を精錬練磨し、その精神性を高めていったのです。

また、その士道論の根底には儒学がありますが、その性格は融通の利かぬ「理」ではなく、現実的な「情」に重きを置くものです。
そのため、以降の「武士道」自体が正義を道徳律の根本に置きながらも、その正義が衝突すると「仁」に重きを置き換え「武士の情け」という「情」を発揮していきます。
この「情け」が「武士道」の根底に有ったからこそ、上杉鷹山や恩田木工らの人間信頼に基づく改革が成功したのであり、江戸時代267年という長きに亘って、世界史的に見ても殆ど戦渦の無い平安な時代を築けたともいえます。
更に、武士道が目指した究極の目標に「誠」という徳目がありますが、この字は「言」と「成」から出来ている様に、「言ったことを成す」ということで、此処から「武士に二言は無い」という言葉が生まれています。
こうした山鹿流兵学の精神は、やがて吉田松陰に受け継がれ、明治維新の峻烈で純度の高い気風を生み出していきます。
素行の唱えた士道は、嘗ての「美しき日本人」を鍛え上げた生き方であり、明治維新の最大の戦いであった会津戦争で、会津藩が無謀ともいえる戦いに臨んだのも、会津生まれの山鹿素行の教えが滔滔と流れていたからと思われます。
松平容保公の「たとえ義をもって死するとも不義をもって生きず」という言葉が、まさにその精神を表しているといえるでしょう。

武士の職分を全うし、激烈な行動を律する行動美学を体現すること。
これこそが、素行が『山鹿語類』の「士道篇」で伝えたかったことなのです。

素行は「士道篇」で度々「大丈夫」という言葉を使っています。
これは、確かで間違いない、という意味で使ったのではなく、志操堅固、質実剛健といった男の美学を集約的に具現化した男子であり武士の理想像を表すものです。
いかなる状況でも権威や権力に屈せず、義心を変えないあり方。
一命をかけても物事を遣り通す気概と覚悟により、人よりもぬきんでた働きを為す。
素行は、卓越し自立した堂々たる心構えを「剛操の志」と呼び、「大丈夫」たらしめる根幹としました。

日々の雑事に惑わされて志を見失いがちな現代ですが、こうした『山鹿語類』を参考としながら士道の精神をもって自らの志を全うしていきたいものです。

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以下参考までに、『山鹿語類』の目次です。

『山鹿語類』目次
・君道一:君徳・君職
・君道二:親親
・君道三:賢賢
・君道四:使臣
・君道五:民政上
・君道六:民政下
・君道七:治教上
・君道八:治教下
・君道九:治禮
・君道十:國用
・君道十一:治談上
・君道十二:治談下・・・・・以上1巻
・臣道一:臣體・臣職
・臣道二:仕法
・臣道三:臣談
・父子道一:父道・教戒
・父子道二:子道・孝教・養父母・事父母
・父子道三:父子談
・兄弟之序・夫婦之別・明友之信・惣論五倫之道
・三倫談
・士道:立本・明心術・詳威儀・愼日用・附録
・士談一
・士談二・・・・・以上2巻
・士談三
・士談四
・士談五
・士談六
・士談七
・士談八
・士談九
・士談十
・士談十一・・・・・以上3巻
・聖学一
・聖学二
・聖学三
・聖学四
・聖学五
・聖学六
・聖学七
・聖学八
・聖学九
・聖学十
・聖学十一
・枕塊記上
・枕塊記下・・・・・以上4巻

・「凡天地の間、二氣の妙合を以人物の生々を遂ぐ、人は萬物の霊にして、萬物人に至て盡、こゝに生生無息の人、或は耕して食をいとなみ、或はたくみて器物を作り、或は互に交易利潤せしめて天下の用たらしむ、是農工商不得已して相起れり、而して士は不耕してくらひ、不造して用い、不売買して利たる、その故何事ぞや」(士道立本)
・「凡そ士の職と云は、其身を顧み、主人を得て奉公の忠を盡し、朋輩に交て信を厚くし、身の獨りを愼で義を専とするにあり」(士道立本)
・「爰にをいて時々に自省み、己が過ちを改、気質の偏をたゞし、時と處とをはかつて其事物の用相叶ふべきことわりを了簡し、而して不レ流不レ蕩が如く平生内を省るときは、たゞす事詳なるを以て、己がつとむる事の是非邪正自然に明白にして、其つかゆる處あらんには、工夫して師により其關を透り得るが如く仕るべし」(士道明心術)
・「人富貴にいたりては、身に安を好で必ず其職を忘れぬべし、農工商の三民やヽもすれば富饒に至て身を失ひ家を滅すの輩世以て多し、中も士の職甚重く甚つとめがたし、任重して道遠し、故にやゝもすれば富貴に至て先祖の功を失ふこと多し」(士談一)