江戸前期の儒学者である熊沢蕃山が著した16巻に及ぶ『集義外書』は、『集義和書』が原論であるのに対し、その経世治教論を集大成したものであり、巻1~3が「削簡」、巻4~10が「脱論」、巻 11が「中庸九経考」、巻 12~14が「窮理」、巻 15が「雅楽解」、巻 16が「水土解」という構成をもっている書物です。
※)『集義和書』については、以下も参考にしてみてください。
”近江聖人:集義和書より学ぶ!経世済民のコンサルタントの教え!”
『集義外書』には、蕃山の経済についての考え方が示されています。
蕃山の経済論で重要な点は、時所位の考え方であり、時間と場所と立場に応じて、適切な政策は異なるということです。
「道を見るものは生死を以て心を二にせず」と説く蕃山は、民が余力ある生活を送れるようにすることや、農と兵の融合という政策が語られています。
「予を方々よりそしりこめて、遠方より尋る人にも、近里の同志にも、道徳の物語することもならざる様にし、他出も不自由なる躰に成り候は、外より見ては困厄のやうにあるべく候へども、予が心には、天のあたふる幸とおぼえ候。
配所の月、罪なくしてみんことあらまほしといへり。
世をのがれたるごとく静なる月は、世にある人の見がたき事也。
配所なればこそ、浮世の外の月も見るにて候へ。
たとひ富貴にして、世間広く共、我心に実に罪過のおぼえあらば、心は困厄の地なるべし。
たとひ外には罪のとなへ有とも、我心に恥る事なくば、心は広大高明の本然失ふべからず。」
熊沢蕃山『集義外書』巻一より
国の大本は民であり、民の困窮が国全体の困窮になる恐れがあるため、物価の適正価格の重要性や、金銭や穀物の均衡のとれた流通についても論じられています。
こうした『集義外書ですが、簡単にその趣旨を整理しておきましょう。
【困窮と奢り】
蕃山は、困窮は贅沢から発生するが、驕った状態が長く続いているので、急に贅沢をやめれば飢える者も多く出ると考えられています。
そのため、誰も迷惑することのない仁政を追い求めています。
【農兵制】
蕃山は、昔の農兵制に一つの理想を見出しています。そこでは、無駄な出費がないと考えられています。
そのため、武士階級が土から離れたため、多くのものが入り用になってしまったというのです。
また、とも語られています。農民側も、兵がないから卑屈になり、兵側と農側で気持ちが分かれるので世の中が乱れる可能性があると考えられています。
農兵制を評価する蕃山ですが、よい制度といえども、今の時間と場所と立場に合わなければ駄目だというのです。
【困窮と余力】
国家については、民に余力があればこそ、農作業による穀物も多くとれるようになり、国力も増すと考えられています。
蕃山は、国の困窮は民の困窮からだと述べています。そのため、武士が横暴に民を苦しめると、巡りめぐって自身の困窮に及ぶことが示されています。
【物価の流れと適正価格】
一つの階級の貧乏が、巡って他の階級の困窮につながることについては、一部の人にだけ富が集中する弊害が発生することが指摘されています。
蕃山は、あくまで時所位を重視しています。その上で民の困窮によって世が乱れないように、物価高を警戒し、物価の適正価格があることが説かれています。
【金銀と穀物】
蕃山は、お金よりも穀物を重く見ています。その上で、お金を穀物より下に見るといっても、お金の助けによって穀物の流通がうながされることの重要性が説かれています。
為政者である武士については、お金を使うべき心が、お金に使われている現状を嘆いているのです。
江戸前期当時、日本一の財政・経済コンサルタントであり、治水、林政、租税改革、風教に目覚しい政績を挙げた経世済民の偉人であり、諸侯は争って蕃山に教えを請うていたといわれている蕃山。
そんな賢人から学ぶことは、まだまだありそうです。