私の出生地、大分では知る人ぞ知る、別府観光の立役者、油屋熊八という人物がいました。
亀の井旅館(現在の亀の井ホテル別府店)を創業し、後に洋式ホテルに改装して、亀の井ホテルを開業。
続いてバス事業に進出し亀の井自動車(現在の亀の井バス)を設立。
日本初の女性バスガイドによる案内つきの定期観光バスの運行を始めています。
当時、別府湾は大型観光船が岸まで付けず、乗客は小型の伝馬船に乗り換えて船着場で上陸していましたが、熊八は真っ赤なネクタイを締め、歓迎の横断幕を掲げてお客を迎えていたそうです。
やがて、大型船が横付けできる桟橋を大阪商船にかけあって説得し、建設を承諾。
また、若くて美人の仲居を雇いいれては旅館の前に並ばせてお客を迎えたり、別府の様々な温泉を観光資源として生かすことを思いついて現代の観光バスによる温泉の「地獄めぐり」を始めたのも熊八でした。
ちなみに、地図でも使われている温泉マークも、熊八が別府温泉のシンボルマークとして作ったのが発祥といわれています。
それ以外にも、船が離岸する際に用いる紙テープの販売権を取得したり、船会社にかけあって団体料金の割引を設定させたり、新聞社を活用して観光記事を載せることで別府への修学旅行の道筋を作ったり、関西で派手な宣伝ビラをまいたり、と当時では斬新な広告戦略も積極的にてこ入れしていたそうです。
当時、ひなびた農村だった由布院に自動車道を通し、別荘やゴルフ場を誘致して、今の観光地としての下地を作り上げたのも熊八。
冒頭で説明したように、、当時着物姿が一般的だった女性に洋装させ、日本初の女性バスガイドを用意しただけでなく、観光用のマニュアルを作って案内つきの定期観光バスの運行を始めていますが、こうした観光バスガイドのベースはやがて日本中に広がっています。
こうした熊八ですが、彼が別府で仕事を始めたのは49歳のとき。
それまでは相当に苦労した半生だったそうですが、当時の50前といえばもう人生も終盤の時期。
それでも「旅人をねんごろにせよ」(旅人をもてなすことを忘れてはいけない)という新約聖書の言葉を合言葉に、豊富なアイデアと何者にもめげない突進力でサービス精神を実践し切った熊八は、別府観光だけでなく現代に通じる観光ビジネスの基礎を作り上げた人物のひとりといっても過言ではないでしょう。
別府駅の駅前には、裾を小鬼が掴んだマントをひるがえして駆け出しそうな姿をした熊八の像が飾られています。
この徹底的な仕事への前向き人生の姿勢は、是非とも見習っていきたいものですね。