【源氏物語】 (佰伍拾捌) 夕霧 第一章 夕霧の物語 小野山荘訪問

紫式部の著した『源氏物語』は、100万文字・22万文節・54帖(400字詰め原稿用紙で約2400枚)から成り、70年余りの時間の中でおよそ500名近くの人物の出来事が描かれた長編で、800首弱の和歌を含む平安時代中期に成立した典型的な長編王朝物語です。
物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされています。
物語は、母系制が色濃い平安朝中期(概ね10世紀頃)を舞台に、天皇の親王として出生し、才能・容姿ともにめぐまれながら臣籍降下して源氏姓となった光源氏の栄華と苦悩の人生、およびその子孫らの人生が描かれているのです。

そんな今回は、「夕霧」の物語です。
a href=”http://shutou.jp/blog/post-1402/” target=”_blank”>【源氏物語】 (佰弐拾) 第二部 はじめ 光源氏の後半生と、源氏をとりまく子女の恋愛模様!

第一章 夕霧の物語 小野山荘訪問
 [第一段 一条御息所と落葉宮、小野山荘に移る]
 堅物との評判を取って、こざかしそうにしていらっしゃる大将、この一条宮のご様子を、やはり理想的だと心に止めて、世間の人目には、昔の友情を忘れていない心遣いを見せながら、とても懇切にお見舞い申し上げなさる。内心では、このままではやめられそうになく、月日を経るに従って思いが募って行かれるのであった。
 御息所も、「大変にもったいないご親切であることよ」と、今ではますます寂しく所在ないお暮らしを、絶えず訪れなさるので、お慰めになることがいろいろと多かった。
 初めから色めいたことを申し上げたりなさらなかったのだが、
 「打って変わって色めかしく艶めいた振る舞いをするのも気恥ずかしい。ただ深い愛情をお見せ申せば、心を許してくれる時がなくはないだろう」
 と思いながら、何かの用事にかこつけても、宮のご様子や態度をお伺いなさる。ご自身がお応え申し上げなさることはまったくない。
 「どのような機会に、思っていることをまっすぐに申し上げて、相手のご様子を見ようか」
 と、お考えになっていたところ、御息所が、物の怪にひどくお患いになって、小野という辺りに、山里を持っていらっしゃった所にお移りになった。早くから御祈祷師として、物の怪などを追い払っていた律師が、山籠もりして里には出まいと誓願を立てていたのを、麓近くなので、下山して頂くためなのであった。
 お車をはじめとして、御前駆など、大将殿から差し向けなさったのであるが、かえって故人の親しい弟君たちは、仕事が忙しく自分の事にかまけて、お思い出し申し上げることができなかった。
 弁の君、彼は彼で、気がないわけでもなくて、素振りを匂わせたのだが、思ってもみない程のおあしらいだったので、無理に参上してお世話なさることもできなくなっていた。
 この君は、とても賢く、何とはない様子で自然と馴れ親しみなさったようである。修法などをおさせになると聞いて、僧の布施、浄衣などのような、こまごまとした物まで差し上げなさる。病気でいらっしゃる方は、お書きになるとができない。
 「通り一遍の代筆は、けしからぬとお思いでしょう、重々しい身分のお方です」
 と、女房たちが申し上げるので、宮がお返事をさし上げなさる。
 とても美しく、ただ一くだりほど、おっとりとした筆づかいに、言葉も優しい感じを書き添えなさっているので、ますます見たく目がとまって、頻繁に手紙を差し上げなさる。
 「やはり、いつかは事の起こるに違いないご関係のようだ」
 と、北の方は様子を察していられたので、めんどうに思って、訪問したいとはお思いになるが、すぐにはお出かけになることができない。

 [第二段 八月二十日頃、夕霧、小野山荘を訪問]
 八月二十日のころなので、野辺の様子も美しい時期だし、山里の様子もとても気になるので、
 「何某律師が珍しく下山していると言うので、是非に相談したいことがある。御息所が病気でいらっしゃると言うのもお見舞いがてら、お伺いしよう」
 と、さりげない用件のように申し上げてお出かけになる。御前駆、大げさにせず、親しい者だけ五、六人ほどが、狩衣姿で従う。特別深い山道ではないが、松が崎の小山の色なども、それほどの岩山ではないが、秋らしい様子になって、都で又となく善美を尽くした住居より、やはり、情趣も風情も立ち勝って見えることであるよ。
 ちょっとした小柴垣も風流な様に作ってあって、仮のお住まいだが品よくお暮らしになっていらっしゃった。寝殿と思われる東の放出に、修法の壇を塗り上げて、北の廂の間にいらっしゃるので、西表の間に宮はいらっしゃる。
 御物の怪が厄介だからと言って、お止め申し上げなさったが、どうしてお側を離れ申そうと、慕ってお移りになったのだが、物の怪が他の人に乗り移るのを恐れて、わずかの隔てを置く程度にして、そちらにはお入れ申し上げなさらない。
 客人のお座りになる所がないので、宮の御方の簾の前にお入れ申して、上臈のような女房たちが、ご挨拶をお伝え申し上げる。
 「まことにもったいなく、こんなにまで遠路はるばるお見舞いにお越し下さいまして。もしこのままはかなくなってしまいましたならば、このお礼をさえ申し上げることができないのではないかと、存じておりましたが、もう暫く生きていたいという気持ちになりました」
 と、奥から申し上げなさった。
 「お移りあそばした時のお供を致そうと存じておりましたが、六条院から仰せつけられていた事が中途になっていまして。このところも、何かと忙しい雑事がございまして、案じておりました気持ちよりも、ずっと誠意がない者のように御覧になられますのが、辛うございます」
 などと、申し上げなさる。

 [第三段 夕霧、落葉宮に面談を申し入れる]
 宮は、奥の方にとてもひっそりとしていらっしゃるが、おおげさでない仮住まいのお設備で、端近な感じのご座所なので、宮のご様子も自然とはっきり伝わる。とても物静かに身じろぎなさる時の衣ずれの音、あれがそうなのだろうと、聞いていらっしゃった。
 心も上の空になって、あちらへのご挨拶を伝えている間、少し長く手間取っているうちに、例の少将の君などの、伺候している女房たちにお話などなさって、
 「このように参上して親しくお話を伺うことが、何年という程になったが、まったく他人行儀にお扱いなさる恨めしさよ。このような御簾の前で、人伝てのご挨拶などを、ほのかにお伝え申し上げるとはね。いまだ経験したことがないね。どんなにか古くさい人間かと、宮様方は笑っていらっしゃるだろうと、きまりの悪い思いがする。
 年齢も若く身分も低かったころに、多少とも色めいたことに経験が豊かであったら、こんな恥ずかしい思いはしなかったろうに。まったく、このように生真面目で、愚かしく年を過ごして来た人は、他にいないだろう」
 とおっしゃる。なるほど、まことに軽々しくお扱いできないご様子でいらっしゃるので、やはりそうであったかと、
 「中途半端なお返事を申し上げるのは、気が引けます」
 などとつっ突き合って、
 「このようなご不満に対し情趣を解さないように思われます」
 と、宮に申し上げると、
 「ご自身で直接申し上げなさらないようなご無礼につき、代わって致さねばならないところですが、大変に恐いほどのご病気でいらっしゃったようなのを、看病致しておりましたうちに、ますます生きているのかどうなのか分からない気分になって、お返事申し上げることができません」
 とおっしゃるので、
 「これは、宮のお返事ですか」と居ずまいを正して、「お気の毒なご病気を、わが身に代えてもとご心配申し上げておりましたのも、他ならぬあなたのためです。恐れ多いことですが、物事のご判断がお出来になるご様子などを、ご快復を御覧になられるまでは、平穏にお過ごしになられるのが、どなたにとっても心強いことでございましょうと、ご推察申し上げるのです。ただ母上様へのご心配ばかりとお考えになって、積もる思いをご理解下さらないのは、不本意でございます」
 と申し上げなさる。「おっしゃる通りだ」と、女房たちも申し上げる。

 [第四段 夕霧、山荘に一晩逗留を決意]
 日も入り方になるにつれて、空の様子もしんみりと霧が立ち籠めて、山の蔭は薄暗い感じがするところに、蜩がしきりに鳴いて、垣根に生えている撫子が、風になびいている色も美しく見える。
 前の前栽の花々が、思い思いに咲き乱れているところに、水の音がとても涼しそうに聞こえて、山下ろしの風がぞっとするように、松風の響きが奥にこもってそこらじゅう聞こえたりなどして、不断の経を読むのが、交替の時刻になって、鐘を打ち鳴らすと、立つ僧の声も変って座る僧の声も、一緒になって、まことに尊く聞こえる。
 場所柄ゆえ、あらゆる事が心細く思われるのも、しみじみと感慨が湧き起こる。お帰りなる気持ちも起こらない。律師の加持する声がして、陀羅尼を大変に尊く読んでいる様子である。
 たいそうお苦しそうでいらっしゃるということで、女房たちもそちらの方に集まって、大体が、このような仮住まいに大勢はお供しなかったので、ますます人少なで、宮は物思いに耽っていらっしゃった。ひっそりしていて、「思っていることも話し出すによい機会かな」と思って座っていらっしゃると、霧がすぐこの軒の所まで立ち籠めたので、
 「帰って行く方角も分からなくなって行くのは、どうしたらよいでしょうか」と言って、
 「山里の物寂しい気持ちを添える夕霧のために
  帰って行く気持ちにもなれずおります」
 と申し上げなさると、
 「山里の垣根に立ち籠めた霧も
  気持ちのない人は引き止めません」
 かすかに申し上げるご様子に慰めながら、ほんとうに帰るのを忘れてしまった。
 「どうしてよいか分からない気持ちです。家路は見えないし、霧の立ち籠めたこの家には、立ち止まることもできないようにせき立てなさる。物馴れない男は、こうした目に遭うのですね」
 などとためらって、これ以上堪えられない思いをほのめかして申し上げなさると、今までも全然ご存知でなかったわけではないが、知らない顔でばかり通して来なさったので、このように言葉に出されてお恨み申し上げなさるのを、面倒に思って、ますますお返事もないので、たいそう嘆きながら、心の中で、「再び、このような機会があるだろうか」と、思案をめぐらしなさる。
 「薄情で軽薄な者と思われ申そうとも、どうすることもできない。せめて思い続けて来たことだけでもお打ち明け申そう」
 と思って、供人をお呼びになると、近衛府の将監から五位になった、腹心の家来が参った。人目に立たないように呼び寄せなさって、
 「この律師に是非とも話したいことがあるのだが。護身などに忙しいようだが、ちょうど今は休んでいるだろう。今夜はこの近辺に泊まって、初夜の時刻が終わるころに、あの控えている所に参ろう。誰と誰とを、控えさせておけ。随身などの男たちは、栗栖野の荘園が近いから、秣などを馬に食わせて、ここでは大勢の声を立てるではない。このような旅寝は、軽率なように人が取り沙汰しようから」
 とお命じになる。何かきっと子細があるのだろうと理解して、仰せを承って立った。

 [第五段 夕霧、落葉宮の部屋に忍び込む]
 そうしてから、
 「帰り道が霧でまことにはっきりしないので、この近辺に宿をお借りしましょう。同じことなら、この御簾の側をお許し下さい。阿闍梨が下がって来るまでは」
 などと、さりげなくおっしゃる。いつもは、このように長居して、くだけた態度もお見せなさらないのに、「嫌なことだわ」と、宮はお思いになるが、わざとらしくして、さっさとあちらにお移りになるのは、人の体裁の悪い気がなさって、ただ音を立てずにいらっしゃると、何かと申し上げて、お言葉をお伝えに入って行く女房の後ろに付いて、御簾の中に入っておしまいになった。
 まだ夕暮のころで、霧に閉じ籠められて、家の内は暗くなった時分である。驚いて振り返ると、宮はとても気味悪くおなりになって、北の御障子の外にいざってお出あそばすが、実によく探し当てて、お引き止め申した。
 お身体はお入りになったが、お召し物の裾が残って、襖障子は、向側から鍵を掛けるすべもなかったので、閉めきれないまま、総身びっしょりに汗を流して震えていらっしゃる。
 女房たちも驚きあきれて、どうしたらよいかとも考えがつかない。こちら側からは懸金もあるが、困りきって、手荒くは、引き離すことのできるご身分の方ではないので、
 「何ともひどいことを。思いも寄りませんでしたお心ですこと」
 と、今にも泣き出しそうに申し上げるが、
 「この程度にお側近くに控えているのが、誰にもまして疎ましく、目障りな者とお考えになるのでしょうか。人数にも入らないわが身ですが、お耳馴れになった年月も長くなったでしょう」
 とおっしゃって、とても静かに体裁よく落ち着いた態度で、心の中をお話し申し上げなさる。

 [第六段 夕霧、落葉宮をかき口説く]
 お聞き入れになるはずもなく、悔しい、こんな事にまでと、お思いになることばかりが、心を去らないので、返事のお言葉はまったく思い浮かびなさらない。
 「まことに情けなく、子供みたいなお振る舞いですね。人知れない胸の中に思いあまった色めいた罪ぐらいはございましょうが、これ以上馴れ馴れし過ぎる態度は、まったくお許しがなければ致しません。どんなにか、千々に乱れて悲しみに堪え兼ねていますことか。
 いくらなんでも自然とご存知になる事もございましょうに、無理に知らぬふりに、よそよそしくお扱いなさるようなので、申し上げるすべもないので、しかたがない、わきまえもなくけしからぬとお思いなさっても、このままでは朽ちはててしまいかねない訴えを、はっきりと申し上げて置きたいと思っただけです。言いようもないつれないおあしらいが辛く思われますが、まことに恐れ多いことですから」
 と言って、努めて思いやり深く、気をつかっていらっしゃった。
 襖を押さえていらっしゃるのは、頼りにならない守りであるが、あえて引き開けず、
 「この程度の隔てをと、無理にお思いになるのがお気の毒です」
 と、ついお笑いになって、思いやりのない振る舞いはしない。宮のご様子の、優しく上品で優美でいらっしゃること、何と言っても格別に思える。ずっと物思いに沈んでいらっしゃったせいか、痩せてか細い感じがして、普段着のままでいらっしゃるお袖の辺りもしなやかで、親しみやすく焚き込めた香の匂いなども、何もかもがかわいらしく、なよなよとした感じがしていらっしゃった。

 [第七段 迫りながらも明け方近くなる]
 風がとても心細い感じで、更けて行く夜の様子、虫の音も、鹿の声も、滝の音も、一つに入り乱れて、風情をそそるころなので、まるで情趣など解さない軽薄な人でさえ、寝覚めするに違いない空の様子を、格子もそのまま、入方の月が山の端に近くなったころ、涙を堪え切れないほど、ものあわれである。
 「やはり、このようにお分かりになって頂けないご様子は、かえって浅薄なお心底と思われます。このような世間知らずなまで愚かしく心配のいらないところなども、他にいないだろうと思われますが、どのようなことでも手軽にできる身分の人は、このような振る舞いを愚か者だと笑って、同情のない心をするものです。
 あまりにひどくお蔑みなさるので、もう抑えてはいられないような気が致します。男女の仲というものを全くご存知ないわけではありますまいに」
 と、いろいろと言い迫られなさって、どのようにお答えしたらよいものかと、困り切って思案なさる。
 結婚した経験があるから気安いように、時々口にされるのも、不愉快で、「なるほど、又とない身の不運だわ」と、お思い続けていらっしゃると、死んでしまいそうに思われなさって、
 「情けない我が身の過ちを知ったとしても、とてもこのようなひどい有様を、どのように考えたらよいものでしょうか」
 と、とてもかすかに、悲しそうにお泣きになって、
 「わたしだけが不幸な結婚をした女の例として
  さらに涙の袖を濡らして悪い評判を受けなければならないのでしょうか」
 とおっしゃるともないのに、わが気持ちのままに、ひっそりとお口ずさみなさるのも、いたたまれない思いで、どうして歌など詠んだのだろうと、悔やまずいらっしゃれないでいると、
 「おっしゃるとおり、悪い事を申しましたね」
 などと、微笑んでいらっしゃるご様子で、
 「だいたいがわたしがあなたに悲しい思いをさせなくても
  既に立ってしまった悪い評判はもう隠れるものではありません
 一途にお心向け下さい」
 と言って、月の明るい方にお誘い申し上げるのも、心外な、とお思いになる。気強く応対なさるが、たやすくお引き寄せ申して、
 「これほど例のない厚い愛情をお分かり下さって、お気を楽になさって下さい。お許しがなくては、けっして、けっして」
 と、たいそうはっきりと申し上げなさっているうちに、明け方近くなってしまった。

 [第八段 夕霧、和歌を詠み交わして帰る]
 月は曇りなく澄みわたって、霧にも遮られず光が差し込んでいる。浅い造りの廂の軒は、奥行きもない感じがするので、月の顔と向かい合っているようで、妙にきまり悪くて、顔を隠していらっしゃる振る舞いなど、言いようもなく優美でいらっしゃった。
 亡き君のお話も少し申し上げて、当たり障りのない穏やかな話を申し上げなさる。それでもやはり、あの故人ほどに思って下さらないのを、恨めしそうにお恨み申し上げなさる。お心の中でも、
 「かの亡き君は、位などもまだ十分ではなかったのに、誰も彼もがお許しになったので、自然と成り行きに従って、結婚なさったのだが、それでさえ冷淡になって行ったお心の有様は、ましてこのようなとんでもないことに、まったくの他人というわけでさえないが、大殿などがお聞きになってどうお思いになることか。世間一般の非難は言うまでもなく、父の院におかれてもどのようにお聞きあそばしお思いあそばされることだろうか」
 などと、ご縁者のあちらこちらの方々のお心をお考えなさると、とても残念で、自分の考え一つに、
 「このように強く思っても、世間の人の噂はどうだろうか。母御息所がご存知でないのも、罪深い気がするし、このようにお聞きになって、考えのないことだと、お思いになりおっしゃろうこと」が辛いので、
 「せめて夜を明かさずにお帰り下さい」
 と、せき立て申し上げなさるより他ない。
 「驚いたことですね。意味ありげに踏み分けて帰る朝露が変に思うでしょうよ。やはり、それならばお考え下さい。愚かな姿をお見せ申して、うまく言いくるめて帰したとお見限り考えなさるようなら、その時はこの心もおとなしくしていられない、今までに致した事もない、不埒な事どもを仕出かすようなことになりそうに存じられます」
 と言って、とても後が気がかりで、中途半端な逢瀬であったが、いきなり色めいた態度に出ることが、ほんとうに馴れていないお人柄なので、「お気の毒で、ご自身でも見下げたくならないか」などとお思いになって、どちらにとっても、人目につきにくい時分の霧に紛れてお帰りになるのは、心も上の空である。
 「荻原の軒葉の荻の露に濡れながら幾重にも
  立ち籠めた霧の中を帰って行かねばならないのでしょう
 濡れ衣はやはりお免れになることはできますまい。このように無理にせき立てなさるあなたのせいですよ」
 と申し上げなさる。なるほど、ご自分の評判が聞きにくく伝わるに違いないが、「せめて自分の心に問われた時だけでも、潔白だと答えよう」とお思いになると、ひどくよそよそしいお返事をなさる。
 「帰って行かれる草葉の露に濡れるのを言いがかりにして
  わたしに濡れ衣を着せようとお思いなのですか
 心外なことですわ」
 と、お咎めになるご様子、とても風情があり気品がある。長年、人とは違った人情家になって、いろいろと思いやりのあるところをお見せ申していたのに、それとうって変わって、油断させ、好色がましいのが、おいたわしく、気恥ずかしいので、少なからず反省し反省しては、「このように無理をしてお従い申したとしても、後になって馬鹿らしく思われないか」と、あれこれと思い乱れながらお帰りになる。帰り道の露っぽさも、まことにいっぱいある。

 

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