三事忠告より学ぶ!生き方の智恵と指導者のあるべき姿【廟堂忠告編】

三事忠告!
モンゴルが中国を支配した元の時代に、漢族として要職を歴任した官僚・儒学者の張養浩が管理者に向けて記した書物です。
要は、民衆を指導していく立場にある政治家・役人が持つべき信念・道徳が書かれた政治指南書とでもいえばよいでしょうか。
元々は、為政忠告というタイトルだったものを、後世になって三事忠告と改名されています。
三事とは「廟堂(朝廷・宰相・内閣大臣)」「風憲(法務警察関係者・検察・裁判官)」「牧民(官吏・地方長官・地方行政担当者)」を指し、これに対するそれぞれのアドバイスを三部構成でまとめてあります。
碩学・安岡正篤氏の名解説で為政三部書という形で訳注されたものは、昭和の政治家や幹部官僚が皆読んでいたとまでいわれており、その影響は広く経営者の方にも読まれていたことから伺えます。

今回は、朝廷・宰相・内閣大臣に向けた忠告・アドバイスを示した”廟堂忠告”について整理してみます。

【廟堂忠告】

第一 修身・・・身を修めること
 役職に就けば人の上に立とうとするのが人情だが、「栄誉こそ恥辱の始まり」である。
 栄誉を保つにはつねに自らを律し、怠れば恥辱に塗れる。
 人々に尽くし清廉で正道を貫き謙虚に接することである。
 国のために働こうとせず貪欲で私利私欲に走り失敗から学ばない者は悪名を轟かせ恥辱は免れない。
 宰相(首相)ともなれば大きな権力を振るえる立場であるが、目先の小さな利益に釣られてはならない。
 蓄財に走り酒食に溺れ享楽のあまり身を滅ぼす宰相がなんと多いことか。
 蜀の諸葛孔明は二十年も丞相(宰相)であったが財産を蓄えずひたすら国事に精励し「名宰相」として高く評価されている。宰相であればすべからく諸葛孔明を手本とすべきである。

第二 用賢・・・賢者を用いること
 一人であらゆる能力を兼ね備えることは偉大な人物であっても不可能だ。
 宰相ともなれば多くの人材から協力を得なければ国事を全うすることはできない。
 「すぐれた人材を登用すること」が宰相の最重要課題である。
 「人々の意見をよく聞くか」
 「人の才能を妬まず自らの能力をひけらかさないか」
 「どんな人物を推薦してきたか」。
 それが基準である。
 自らの苦手な分野や欠点を補い、私心を捨てて公事を優先する人材を登用して仕事を任せれば彼らの能力を自らのものとして活用できる。
 能力を疑ってかかるのであれば宰相一人で処理するのと変わりなく、媚びへつらってくる者に付け込まれるだけである。

第三 重民・・・民を重んじること
 国は人民がいて初めて発展する。
 天(祖先)は天子に(後世を生きる子孫である)人民の生命を託し、天子はその統治を宰相に託した。
 つまり宰相とは天子に代わって人民の生命を守る者であり、人民に対して丁寧かつ謙虚な姿勢で接しなければならない。
 人民に辛苦を与え家畜のように扱い塵芥のように見なす者は天(祖先)の負託に反して国を滅ぼす元となる。
 天子は「民生の安定」を政治の最重要課題とすること。人民に損害を与える者は排除し、利益をもたらす者は登用し、適性を欠く者はすぐに交代させる。
 部下は上に立つ者のすることを見倣う。上に立つ者が心から人民をたいせつにしていながら天下を治めきれなかった例はない。

第四 遠慮・・・先見性を持つこと
 一般人は過去を知りながらこの先に起こる事実を知りえない。
 上に立つ者は、過去の事実に基づいてこの先に起ころうとしている事実まで予測できなければならない。
 ある事件を「小さな過失」として黙視し、犯罪行為を見逃して処罰しなかったりすれば、初めは「大丈夫」「大したことはない」「心配する必要はない」と思っていても、いつのまにか国政が破綻したり臣下が反乱を企てたりという憂慮すべき事態を招くのである。
 だから臣下は上に立つ者に、悪をやめて善を勧めなければならない。
 立派な人物は兆候から未来を察知し、不測の事態への予防措置を怠らない。
 次のことに配慮するのである。
 「宴席での遊びはほどほどに切り上げる」
 「狩猟で田畑を荒らさない」
 「贅沢な建築を慎む」
 「蓄財で人民の利益を損なわない」
 「爵禄褒賞は分を越えて求めない」
 「みだりに死刑を科さない」
 「立派な人物とは親密になる」
 「つまらない人物と狎れ親しまない」
 「悪を許さない」
 「武力の乱用を戒める」
 上に立つ者も次のことに配慮する。
 「寵愛する臣下といえども過分の賞賜を与えない」
 「古くからの臣下といえども理由なく官位を授けない」
 「親族といえども馴れ馴れしい態度で接しない」
 尊卑のケジメを厳しくすれば上下関係も定まり、禍乱は発生せずに天下は治まっていくのである。

第五 調燮・・・陰陽の相対を整え、調え和らげること
 職責を尽くすこと。
 政治が順調なら人民も納得して付いてくる。
 政治の損失は宰相の不賢にある。
 宰相の職責は、人民全体に関係のある事象に対処することであり、個々の事件に対するのではない。
 個々の事件には担当部署の役人を用いるべきであり、宰相はその役人の賞罰評定をするのが職責である。
 権力を笠に着てやりたい放題、批判者を憎んでへつらい者を近づける。
 諫言すべきときに沈黙し、救済すべきときに手を差し伸べず、部下も唯々諾々と上司の命令に従うだけだと人民は納得しない。

第六 任怨・・・甘んじて人の怨を受け恐れぬこと
 名声だけを欲して非難を甘受しないのは最大の不忠である。
 宰相は万事「義」に則って処理していれば、取るに足らない批判などいささかも気にする必要がない。
 地方の検察官を一人辞めさせればその家族は泣くが、肝心なのはその地方の政治である。
 数十人の涙のために数百万人の悲嘆に目を瞑ってはならない。
 世の中には「実行が容易なのものと困難なもの」がある。
 「利益が付いてくるものと損失を招くもの」がある。
 実行が困難で損失を招くことには口実を設けてしたがらない者が多いが、利益があって実行が容易なものは喜んでする。
 役職には「長官と補佐役」の別があり、「苦労をするのと楽をするの」がある。
 本来なら長官が楽をして補佐官が苦労するものである。
 子弟は家長として一家の責任を負い、父母に余計な心配をかけないものである。
 ところが、すべて事なかれ主義で名声だけを好み、いっこうに厳しい態度をとろうとしない政治家が多い。
 民衆の非難を浴びそうなことはすべて長官に責任を取らせようとする。
 刑罰は適用すべきときに適用をためらってはならない。
 ただし、公平無私でなくてはならない。
 処罰された本人から見ても公正であれば宰相は人々から心服される。
 罪を犯した人間を罰することもできず、善行ある人間を表彰もしないのであれば政治の破綻を招く。

第七 分謗・・・同僚の謗りを分と合うこと
 同じ部署で同じ仕事をしている一人が苦労しているのなら他の者も協力してその完成を助けなければならない。
 見て見ぬふりをしたらほとんどの仕事は失敗に終わるだろう。
 同じく負託を受けている者として、同僚の失敗を坐視することが許されてよいのか。
 無論、己のためを図って失敗を招いた場合は手を貸してやる必要はない。
 だが、公正に職責を尽くしたうえで罪に問われた場合、やはり身を挺してかばってやるべきではないか。
 宰相たる者が非難や問責をすべて己の責任として処理するならば、節義を守って殉ずる人物が次々と現れるに違いない。

第八 応変・・・危機に対しては変に応じること
 非常事態はどんな知恵者でも対応するのが容易ではない。
 まずは事実の確認を急がなければならない。
 確認もせずただ慌てふためくことは厳に戒めなければならない。
 兵法ならわざと手薄に見せかけて相手の攻撃を誘ったり、相手のスキに乗じて攻勢に転じたり、小部隊なのに大軍であるように装ったり、ありもしないのにあるように見せかけたりすることがある。
 だから、何がどうなっているのかを冷静にじゅうぶんに検討してかからなければならない。
 尋常ならざる事態を尋常な手段で切り抜けようとするとたいてい失敗に終わる。
 原則にとらわれず尋常ならざる臨機応変の手段で対処するのだ。
 宰相とは尋常ならざる地位である。
 尋常ならずる地位にありながら尋常ならざる事態に対処できないとあっては職責を果たすことなどできない。

第九 献納・・・正論・忠言を直言すること
 上司に進言するとき、事態が深刻化する前に行なえば十中八九聞き入れられるものである。
 いざ問題が起こってから意見を述べても成功するはずがない。
 たまたま聞き入れられて解決したとしても上司は納得して従っているわけではない。
 巧みな者は兆候を察し問題が起きる前から「こうすれば安泰だが、こうすれば危険である」「こうすれば賢君と讃えられるが、こうすれば暴君とそしられる」と古今の実例をあげながら上司が自らの過ちを自覚できるように仕向ける。
 また上司に進言したことを自慢してはならない。
 善行は上司の功績、過失は自らの責任とするのが部下のあるべき姿である。
 もし自慢すれば権力にすり寄ろうとする者に脅かされることとなる。

第十 退休・・・いつ役を退くか
 そもそも上下の信頼関係は「義」によって成り立っている。
 部下として仕えるのは爵位や俸禄のためではなく、立派な政治を実現しようと願うからである。
 上司は部下のこのような思いをよく理解し、喜んで進言に耳を傾けるようであれば理想的かもしれない。
 しかし正しい進言を受けて「己の権力を奪おうとしているのではないか」とか「わざと異を唱え直言を売りにして名声を得ようとしているのではないか」と疑う上司もいる。
 たいていこういう上司にろくな結末は訪れない。
 昔から上司にへつらって己のことしか考えない者が多いのは、自分のことだけ考えていればいいことずくめで失うものがないからである。
 人々のために働こうとすると己にいいことなどない。
 だが、上司の恩寵にあずかるだけの者はいずれ恥辱を受けて失脚する。
 上司が立派な政治をしているのであれば留まり、そうでなければ身を引く。
 居座れば不興を買いそのうち煙たがられて追放させられるだけである。
 愚かな上司を見限るのではなく、そうすることが上下関係を尊重する所以なのである。

以上、”廟堂忠告”でした。

現在氾濫している情報や書籍・メディアの類の中にあって、仕事の原動力となったり魂の糧となったりするものは非常に希少で、探し出し選別するのもひと苦労するような状況です。
これまで学校で教わってきた内容や、新聞・雑誌・今時の書籍・メディア・ネットから得る教養や知識だけでは、心の充足や充実感を得難い状況にあることも、我々は痛感しています。
他者への批判や差別化に辟易し、利己的都合に蒙昧した行動横行への失望感、物質的なものだけでは満たされない空虚感の中で熱望されるのは、精神的な充足感、この時代を切り開く、いやそこまでいかなくとも自身を救い上げてくれる救世的人物、そして心を洗うような啓示を与えてくれる書物であるはず。
充足を得るにはそれ相応の時間や労力が必要ですし、人物に出会うのは望んでもそう簡単にはいきませんが、書物・佳書だけは自らの力で得ることができるものです。

佳書については以前も言及していますが、現存する古典であるということは、数百年・数千年の時代の中で生き残ってきただけに、それだけで十分に修養に足るだけの価値があるはず。
そんな古典を紐解くことで、ひとりでも多くの方々に、今を生きる支えの何かを見つけて頂ければと思っています。

『楚辞』より学ぶ!

http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/book7.html

楚辞 著者 屈原(B.C.343~278?) 時代 戦国時代

楚辞は中国文学の一洋式の称であり、またその系統の作品集の名でもあります。楚辞は楚の地方の歌で、戦国時代の楚の屈原によって現在に伝わっています。
楚辞は民間の祭祀歌謡の反映が著しく、『詩経』に欠けている浪漫性や神秘的な色彩を多分に残しています。
作者とされる屈原は、名は平、楚の公族であったといわれます。懐王に諫言を続けましたが、疎んぜられて失意の内に政界から去りました。 ここで「離騒」を作ったとされています。その後、復帰を果たしますが、令尹子蘭の怒りを買って、再び疎んぜられ、 ついに汨羅に自ら投じて入水自殺をします。
楚辞の中で屈原自身の作は一部であるとされ、諸説がありますが「離騒」「九章」「招魂」「九歌」「遠遊」のみ屈原の作であると考えられています。

離騒 第一段 第二段 第三段 第四段 第五段 第六段 第七段 第八段 第九段 第十段
第十一段 第十二段 第十三段 第十四段 第十五段 第十六段
九歌
天問
九章
遠遊
卜居
漁父
九辯
招魂

離騒
「離騒」は霊均という人物を主人公として、女シュ・霊氛・巫咸らの言辞を織り交ぜて、極めて象徴的かつ婉曲に、愁いの心情を歌っている歌です。 これは現実の楚国の政治に対する、屈原の憂憤の吐露であることは間違いないとされています。
屈原の政治上の立場、道義的精神、そしてその背景となっている楚国の運命などが、この悲痛で、しかも優婉な辞句に詠嘆されています。 この篇は詩人屈原の生命の燃焼であり、精魂の結晶であって、千古不滅の芸術作品なのです。

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