四書五経の五経『春秋経』より学ぶ!膨大な解釈論が展開される春秋クロニクルの世界!

『春秋経』(春秋、魯春秋)は、魯国の年次によって記録された、中国春秋時代に関する編年体の歴史書で、孔子の手が加わった、もしくは孔子が作ったとされ、儒教で基本経典とされる五経のひとつに挙げられています。
その内容は王や諸侯の死亡記事、戦争や会盟といった外交記事、日食・地震・洪水・蝗害といった自然災害(伝統的には災異と呼ばれる)に関する記事などが主たるもので、年月日毎に上は魯の隠公元年(紀元前722年)から下は哀公十四年(紀元前481年。獲麟と呼ばれる)の242年に渡る内容が淡々と書かれた年表風の歴史書です。

四書『大学』『中庸』『論語』『孟子』
・『論語』-孔子門弟(春秋・戦国)10巻20篇11,705字
 論語より学ぶ!人としての「徳」と「命」!
・『孟子』-孟軻(戦国)14巻7篇34,685字
 孟子より学ぶ!性善説と王道に基づくリーダーの心得!
 『孟子』滕文公章句と「花燃ゆ」松陰が説く学ぶ意味について!
・『大学』-曾参(春秋)1巻6章1,753字(『礼記』第42篇と重複)
 大學(大学)より学ぶ!人を治める道の書!
・『中庸』-孔伋(春秋・戦国)1巻19章3,568字(『礼記』第31篇と重複)
 中庸より学ぶ!過ぎたるは猶及ばざるが如し!
五経『易経』
・『易経(周易)』-伏羲(神代)・周文王(周)・周公旦(周)・孔丘(春秋)2巻12篇64卦24,107字
 当たるも八卦、当たらぬも八卦 易経って何?
 易経 実際に占う方法です
 易経 実際に易を占ってみましょう。
 易経 本来の在り方を知ることが大事です。
 干支から見る、2014年甲午から2015年乙未の解明・啓示
五経『書経』
四書五経の五経『書経』より学ぶ!地平らかに天成り、六府三事、允に治まる!
五経『礼経』
四書五経の五経『礼経』より学ぶ!大学、中庸を出典とする礼の経書!
五経『詩経』
四書五経の五経『詩経』より学ぶ!3,000年以上前の太古に存在した恋愛詩!

元々は周代の魯国に『春秋』と呼ばれる宮廷年代記があり、これに孔子が手を加えて『春秋経』なる書が誕生します。
周王朝の東遷から始まる“春秋時代”と云う名称も、後年この書から取った言葉です。
『春秋経』の経文は古代の史官が魯君の行動を記録した「記事」の書で、わずか1800余条、一万数千字の簡略なものですが、その制作にあたって孔子は、勧善懲悪的な精神をもって、乱世をただす王法をそこに託したとされていますが、その殆どが極めて簡潔に箇条書きされた構文になっています。
そして、その内容は、
 ①諸国間の戦争・軍事に関する記録
 ②諸国間の外交記事
 ③諸侯・貴族の死亡・葬儀の記録
 ④その他日常の出来事の記事
と云った具合ですが、ざっとしたあらすじは、以下のようなものです。
・夏・殷に続く周王朝の二代目成王を輔佐した、伯父周公旦に与えられた領地が魯国で、父の代わりに赴任した子の伯禽が初代の君主となった。
・西周時代・春秋時代・戦国時代と紀元前11世紀~紀元前3世紀にわたって存在し、代々の魯公の爵位は侯爵であった。
・紀元前7世紀の初め、周王朝第十三代平王の時代に、周王朝は東遷して春秋時代が始まるが、その時の魯の君主が『春秋経』の冒頭に掲げられた十四代隠公である。
・この頃から斉・晋・楚などの周辺大国に翻弄される小国となり、政治の実権も魯公室の分家である三桓氏に握られ、国政は屡々混乱するという内外共に慌ただしい時代に遭遇する。
・紀元前5世紀頃にはますます衰退し、事実上三桓氏に分割され、魯公室は細々と生き残るが、紀元前3世紀に楚に併合されて滅亡してしまう。
・やがて太公望が封ぜられた国が斉で、後年斉・魯両国は何かと因縁浅からぬ間柄となっていく。

『春秋経』が有名になったのは、孟子が四書『孟子』の”縢文公下篇”の中で取り上げたからで、『春秋経』は孔子の大義名分の書だとの見方を示したところから来ているようです。
孟子が取り上げたことにより、後年多くの人々が興味を示し、春秋学などと云った学問も現れて、その膨大な解釈論が展開されていくことになります。
要は、孔子の説くところが具体的に記述されているわけでは無いので、人によってその背景を類推するのも異なってくるのは当然で、後年色々な解説が現れることになるのです。
そんな、簡略な『春秋』の経文から孔子の意図するものを汲み取る代表的な『春秋経』の注釈書として『春秋左氏伝』、『春秋穀梁伝』『春秋公羊伝』といったいわゆる”春秋三伝”というものが作成されました。
特に魯の左丘明が著したとされる『春秋左氏伝』(左伝)は、最も基本的で詳細に『春秋経』を補っており、現在の春秋時代を理解する重要な資料として知られています。
※)この”春秋三伝”ですが、孔子の真意を伝えようとした左丘明の『春秋左氏伝』が最初に作られたものの、内容が貴人に触れたものなので差し障りがあるとして世に出ず、その後『春秋左氏伝』を手本にした問答形式の『春秋公羊伝』、『春秋公羊伝』を意識し対抗しようとして作られた『春秋穀梁伝』と続き、この二者が始めに国の太学正科に取り上げてから『春秋左氏伝』はようやく世に登場することになったようです。
こうした”春秋三伝”を中心に春秋学が形成されていくのですが、『春秋穀梁伝』『春秋公羊伝』が記録された事実の内在的な意味を哲学的に究明するのに対して、『春秋左氏伝』は史実を歴史的に明らかにしていく方法をとっています。

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更には、『春秋左氏伝』に依拠しつつ経典の文に一貫した合理的解釈を施しつつ詳しい解説がつけられ、唐代には国定教科書『五経正義』の一つに加えられた『春秋集解』※)というものも出てきました。
※)呂本中が著した三十巻、本文二千二百四頁から為るもので、『春秋経』を読むための必須の書とされた。
更には、(上でも示したように)”春秋三伝”を追解釈した『春秋xx』と名のつく書誌が数多出て、春秋学は膨大な解釈論が展開されていったのです。
以下、代表的な追解釈の書誌の一部を列挙します。

【唐代中期~五代】
 ・陸淳『春秋集伝纂例』10巻、『春秋微旨』3巻、『春秋集伝辨疑』10巻
 ・馮継先『春秋名号帰一図』2巻、『春秋年表』1巻
【北宋】
 ・孫復 『春秋尊王発微』12巻
 ・王晳 『春秋皇綱論』5巻、『春秋通義』1巻
 ・劉敞 『春秋権衡』17巻、『春秋伝』15巻、『春秋意林』2巻、『春秋伝説例』1巻
 ・孫覚 『春秋経解』13巻
 ・蘇轍 『春秋集解』12巻
 ・蕭楚 『春秋辨疑』4巻
 ・崔子方 『春秋経解』12巻、『春秋本例』20巻、『春秋例要』1巻
 ・張大亨 『春秋五礼例宗』7巻、『春秋通訓』6巻  
 ・許翰 『襄陵春秋集伝』
【南宋】
 ・葉夢得『春秋伝』20巻、『春秋考』16巻、『春秋讞』22巻
 ・呂本中『春秋集解』30巻
 ・胡安国『春秋伝』30巻
 ・高閌『春秋集注』40巻
 ・陳傅良『春秋後伝』12巻
 ・呂祖謙『春秋伝説』20巻、『春秋左氏伝続説』12巻、『詳註東莱左氏博議』25巻
 ・劉朔『春秋比事』20巻
 ・魏了翁『春秋左伝要義』31巻
 ・程公説『春秋分記』90巻
 ・戴溪『春秋講義』4巻
 ・李明復『春秋集義』50巻『綱領』3巻
 ・張洽『春秋集注』11巻『綱領』1巻
 ・李琪『春秋王霸列国世紀編』3巻
 ・黄仲炎『春秋通説』13巻
 ・洪咨夔『春秋説』30巻
 ・趙鵬飛『春秋経筌』16巻
 ・呂大圭『春秋或問』20巻附『春秋五論』1巻
 ・家鉉翁『春秋集伝詳説』30巻
 ・陳深『読春秋編』12巻

『春秋経』『春秋左氏伝』は、魯の君主ごとに時代を順に降っていく構成になっていますので、以下のリンクにて年号毎の簡単な内容を抜粋しておきます。
【参考】『春秋経』年号毎の春秋経のあらすじ